第0話A 魔王ルシェ・ファルマー
ある平原が大きな戦争の舞台になろうとしていた。
現在、この平原に向かっているルヴェリア帝国からの遠征軍が30万。
対して既に平原に陣を取っている魔王ルシェ率いる精鋭部隊シュラが300。
精鋭部隊シュラは人間、もしくは元人間から構成される部隊であり、ルシェが考案した地獄の訓練を乗り越えた者達で構成されている。
シュラは常軌を逸する戦闘集団ではある。
それでも遠征軍とシュラを比較すると、遠征軍が圧倒的な戦力を持っていると言わざる得ない。
「旦那、本気でやるのか?」
「たまには魔王らしい事をした方が良いだろうからね」
魔王ルシェの陣営で、白髪の男と白い仮面を付けた人物が会話をしていた。
白い仮面の人物の声は美しく歌声を思わせるものだ。
彼こそが天上の美を有すると称される魔王ルシェ。
数分後にルヴェリア帝国の遠征軍を襲う災厄が由縁となり、魔王ルシェには俗称が付けられることになる。
その名は──創魔の王。
「俺らの獲物は残るのかね」
「努力するよ」
「期待できない言葉だな」
若干呆れぎみに白髪の男は言った。
対してルシェは苦笑するしかない。
「とりあえず、降伏する気がないか伝令を送ってもらえるかな」
「へいへい」
300名の部隊から30万の部隊への降伏勧告。
通常ならありえない行動ではある。
更に、この時期の魔王ルシェは人間に与する変わった魔王程度としか認識されていない。
当然、降伏勧告を30万の部隊は一笑に付した。
「旦那、朗報だ」
「うん?」
伝令により降伏勧告は白髪の男──ジンライに伝えられる。
「使い魔を送って降伏勧告をしたが断られた」
「それは朗報だね」
「だろ? あと向こうからの伝言があるんだが聞くか」
「気分が悪くなるだけだからやめておくよ」
「そうかい。中々笑わせてくれるんだが」
伝言の内容を思い出して含み笑いをするジンライ。
その内容は、こちらへの降伏勧告か挑発なのだろうとリシュは考えて聞くことはなかった。
実際、ジンライの含み笑いを見る限り、ルシェの予想した通りなのだろう。
「そろそろ開戦の合図を出しても大丈夫かな?」
「ああ、見えてきたしな」
緑色の平原を覆い尽くすかのような鎧を着た兵たちの姿が見える。
あれがルヴェリア帝国の遠征軍──30万の兵。
「迫力があるね」
「まあな」
圧倒的な兵力の差を見せつけられようとも2人の口調は変わらない。
「じゃあ、始めようか」
「ちゃんと、獲物を残してくれよ」
「がんばるよ」
「……期待はできそうもないな」
ジンライはルシェの恐ろしさをしる数少ない人物である。
だからこそ、自分たちに出番はないと確信していた。
ルシェは攻撃手段を持たず治癒魔法しか使えない。
このため、最弱の魔王と称される。
ただし、最弱なのは個体として戦う場合だ。
彼の本領は個人の戦いでは発揮されない。
魔王ルシェの力とは──。
「ダンジョン・キル」
ルシェの美しい声が大地に響くと、異変が起きる。
巨大な光の壁というべきか。
ルヴェリア帝国軍の視界を遮るかのように光の壁が大地に伸びた。
だが、それは光の壁でないとすぐに誰もが知ることとなる。
ルヴェリア帝国の遠征軍も魔王ルシェ率いるシュラすらも──誰もがその正体を知り恐怖した。
徐々に弱まる光の奥には、無数の黒い影が蠢いている。
その光景を一言で表すのなら"異様"。
光が失われるにつれて蠢く影の正体に気付く者が徐々に増えていき、30万の遠征軍から顔が青褪める者が出始めた。
光の壁から現れた影。
その正体は──数万を超える大量のモンスターだった。
大地を覆い尽くすかのようなモンスターの群れ。
黒い獅子に、火を吹くトカゲ。
極寒の冷気を纏う狼に、生きた鎧。
巨大な雄牛に、土で出来た巨人。
大地だけではなく、大空もまたモンスターの領域となっている。
黒い竜に、ワシの頭と獅子の体を持つグリフォン。
奇怪な声で鳴く怪鳥に、空を蠢く羽根の生えた蛇。
蜻蛉のような翅を持つ巨大なムカデ。
このモンスター達は1万、それとも2万、ひょっとすると5万──いや、数えることに何の意味もすでに存在しない。
単体で人間を遥かに凌駕する力を有するモンスターの群れに、たかだか30万程度の兵に何ができるのか?
少なくとも遠征軍に残された道は──。
「皆殺しにしろ」
魔王ルシェの一言で殺戮が始まった。