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紫色のヴェノム  作者: 藍沢 或
第2話 ヘルメティカの写本
9/15

 約束通り、クリスは翌日、オーギュストと共にやって来た。エリヴィーラが苦手な、豪華な馬車を引き連れて。

「クリス様、あんまり派手な馬車で来られると色んな噂が立って困るんですが……」

「これでも一番地味なやつだぞ。大体、俺といる時点で街中の噂になってるだろ、この錬金術商店アルケミーショップは」

 馬車の窓から可愛らしく頬杖をつきながら、クリスは答える。

「──それは、そうかもしれませんけど」

 それを言われると、エリヴィーラは何も言えなくなる。

 クリスの美貌は街中で噂になっている。街の男性の半分ぐらいはクリスの美貌に惹かれていると言ってもいいだろう。

 伯爵家の長男の治療にエリヴィーラが協力していることも既に知られているので、それまで便利な日用品を売っているよくある錬金術商店アルケミーショップという位置付けから、伯爵家御用達しの錬金術商店アルケミーショップとしてランクアップしていた。

 おかげで売上も好調だが、クリスの体質治療のための情報収集に時間を割いているので、商品を補充することもままならない。


 エリヴィーラはため息をつきつつ、店の戸締りを手早く終える。オーギュストの手を借りて、馬車に乗り込むと、クリスは足を組んだ姿勢で座っていた。まったく淑女のするポーズではない。

「クリス様、足邪魔です」

 ドアの手前にクリスが座っているおかげで乗り込むのに大変邪魔くさい。

「悪いな、俺の足が長くて」

「どちらかと言うと、そのひらひらふりふりのドレスの裾が邪魔です。うっかり踏みそうで」

「何だよ、可愛いだろ? お前は相変わらず、地味な格好してるな。今日は女物だけどいつもは男物だろ?」

「男物の方が動きやすくて良いんですよ」

 今日のエリヴィーラは地味な色合いの麻のドレスだったが、普段は平民の女性が着る麻のドレスではなく、男物のパンツなどを好んでよく着る。それも一般的に見れば異端に当たるが、彼女の師匠も同様の格好をしているので人々も慣れた様子ではあった。

 奇抜な格好としているという点では、エリヴィーラもクリスのことをとやかく言えない立場なのだ。

「ふうん。お前って女の格好をすれば、それなりに見えるのにな」

 金茶色のふんわりとした髪も普段は寝癖がついていたり、ぼさぼさの酷い有り様だが、さすがに伯爵夫人との面会なので、今日は綺麗に櫛が通してある。後ろで緩く緑色のリボンで結んでいて、年頃の少女らしい装いだった。

「……そう、ですか」

 外見を褒められることに慣れていないエリヴィーラは、戸惑ったように答える。

 どんな表情を浮かべればいいのかわからず、しかめっ面のようになってしまったが、クリスは大して気にしていない様子だった。

「しかし、髪結うのは下手だなお前」

「大きなお世話です」

 エリヴィーラは、クリスの視線から結ったところを隠すように手で覆う。

「俺がやってやろうか?」

「結構です」

「……なに怒ってんだよ」

「別に怒ってません」

「怒ってるじゃないか」

「怒ってないです」

 そんな問答を車内で繰り広げながら、馬車はエクランド家の屋敷へ走って行く。



「着いたな」

 馬車の揺れが収まると、オーギュストがドアを開けるよりも早く、クリスはさっさとドアを開けて馬車から飛び降りた。

 後に続いてエリヴィーラも降りると、目の前には郊外で見た離れよりも立派な屋敷が建っていた。

 エリヴィーラの目から見れば屋敷というよりもはや城のようにさえ見えるし、一体いくつの部屋があって、何十人の使用人が働いているのかも想像もつかなかった。そして、話していて気付かなかったが、屋敷の周辺は広大な庭となっていて、屋敷を囲う塀は遥か遠くに見えた。

(ば、場違い甚だしい……)

 地味で素っ気ない服装で来るのではなかったと、エリヴィーラは自分の服装について、人生で初めて後悔した。タンスの肥やしになっている一張羅の服を着てくるべきだった。

「エリー様、どうぞこちらへ」

 オーギュストが圧倒されているエリヴィーラの様子に苦笑しながら、屋敷の大きな玄関へといざなう。田舎者、庶民と笑われていると言うよりは、素直なエリヴィーラの反応に好感を持っているようだった。

「あ、はい」

 オーギュストに促され玄関へと足を踏み入れる。ちなみに、クリスは使用人の男が扉を開ける前に勝手に開けて、どんどん先に進んでいた。

 玄関ホールにはメイドが何人も並んでおり、『おかえりなさいませ、クリス様』などと合唱のような声が聞こえる。エリヴィーラが足を踏み入れた時は『いらっしゃいませ、エリー様』と言われたが、あまりの居た堪れなさにエリヴィーラは回れ右して、アトリエに帰りたくなった。

「奥様の所へご案内致します。どうぞ、こちらへ」

 初老のメイドはにこやかにエリヴィーラに話しかけ、中へと促す。彼女の後を付いて行くとその後ろを黙ってクリスが追って来た。

 初老のメイドはエリヴィーラ達を屋敷の奥の、日当たりの良さそうな部屋へと案内した。中もやはり豪華な装飾が施されており、歴史ある貴族の屋敷であることをこれでもかと体現している。

 室内には白髪を綺麗に結い上げた陰鬱な顔をした夫人と、赤銅色の髪に目鼻立ちのはっきりした美人が立っていた。夫人は気品のある藍色のドレスを着ており、美人は髪の色を合わせたように優美な赤い色のドレスを纏っていた。

 エリヴィーラの二人への第一印象は、これは確かに性格が悪そうだと言う事だった。

「はじめまして、奥様。ハーヴィスの弟子、エリヴィーラと申します。どうぞエリーとお呼び下さい」

 緊張はしていたが、考えていた挨拶の口上はすんなりと出てきた。

「あなたがハーヴィス氏の弟子……?」

 眉根を寄せ、夫人は露骨に嫌そうな顔をした。お前なんかが稀代の天才錬金術師の一番弟子なのかと、疑っているのは明らかだった。

「はい」

「ねえ、お母様。本当にこんな小娘に頼むつもりなの?」

 夫人の傍らに立つ美人は小馬鹿にしたような口調で、夫人へと囁く。しかし、囁くと言うには離れたエリヴィーラの耳にも聞こえているし、わざと聞こえるような声量で言っていることは鈍感なエリヴィーラにもわかった。

 やっぱり来るんじゃなかったかとげんなりしたところで、クリスが割り込んできた。

「お前らが呼んだ医者だの魔術師だのは全員断ってきたから、エリヴィーラに頼むことになったんだろ?」

「まあ、何て言い草なのかしら! あなたのような穢れた身体の持ち主のために、お母様が呼んで下さったのに!」

「俺は別に頼んでないしぃ」

「あなたってほんと信じられない恩知らずね!」

 美人はまなじりをつり上げて、甲高い声で怒鳴った。美人が怒るとさすがに迫力がある。

 エリヴィーラはクリスのドレスの裾を引っ張り、こっそりを呼ぶ。

「──クリス様」

「何だよ、まさかあれに怖気おじけついたわけじゃないだろう?」

 ふんと鼻を鳴らし、クリスは皮肉げに言う。

「あの人、誰ですか?」

「は?」

「あのさっきから怒ってる綺麗な人です」 

「……お前、それ本気で言ってるのか?」

「え?」

 心底呆れたような顔でクリスはため息をついた。おまけに、やれやれと言いたそうに首を振っている。

 そして、そのやりとりを一部始終見られた上に聞こえていたようで、美人はキーキー怒鳴り声を上げた。

「さっきから聞こえてるわ! わたくしの名前を知らないなんて、どこの田舎娘なのよ、あなたはっ!」

「凍土から来ました」

「そう言うことを言ってるんじゃないわっ!」

 美人は大きくため息をつくと、ようやく落ち着きを取り戻したようで、エリヴィーラをきつく睨んできた。腰に手を当て、仁王立ちをしながら高飛車な態度で名を告げる。

わたくしは、オーフェリア・アドルフ・エクランドよ。この名前を知らない訳じゃないでしょう?」

 はらりと優雅なウェーブを描く赤銅色の巻き髪を払いながら、オーフェリアは不敵に微笑む。愛らしさとは真逆の妖艶な笑みだった。

「……ええと、誰ですか、クリス様」

 やはり覚えのない名前なので、助けを求めるようにクリスを見やるエリヴィーラ。

「お前なぁ……この家の長女だよ長女。俺の義理の姉。領主の方とは血は繋がってない、連れ子だ。あれでもれっきとした伯爵令嬢だよ」

「あれでもとはどういうことですのっ!?」

「伯爵令嬢なら、やたらめったら怒鳴るもんじゃないだろー」

 クリスがそう言うと、さすがに美人──オーフェリアも言葉をぐっと詰まらせた。自分の振る舞いが、淑女らしかぬものであることには自覚があるようだ。

「そ、そんなのあなたような穢れた人に言われる筋合いは──」

「──オーフェリア、それ以上みっともない真似はやめなさい」

 オーフェリアが尚も言い募ろうとすると、それまで黙って事の成り行きを見ていた夫人が、静かだが厳粛な声でたしなめる。

 さすがにオーフェリアも母の言葉に逆らうことは出来ず、押し黙る。しかし、その顔は不服であることは見てとれ、恨めしそうな目でエリヴィーラとクリスを睨んでいた。

「娘が無礼な真似をしてごめんなさいね。わたくしはアンドレア・ゴードン・エクランドよ。よろしく頼むわね」

 優雅な響きを持つ口調だったが、親しさは全く感じられなかった。差し出された手は握手を求めているようだったが、それも友好的な振る舞いというよりは、ただの礼儀の一環といった有様だ。

 エリヴィーラはアンドレアと一応、握手を交わし、彼女に促されるままに一人掛けのソファーに腰を下ろす。あまりの弾力性に身体ごとソファーに沈みそうになった。

 一方、クリスはあくびをしながら、部屋の端にあるカウチソファーに優雅に身体を持たれかけている。

 オーフェリアの時は口出しをしてきたくせに、アンドレア相手では特に口出すつもりはないようだった。

「エリー……さんと言ったわね? クリスの治療はどうかしら?」

 アンドレアはメイドに香茶と茶菓子を用意するよう指示すると、エリヴィーラに話しかけてきた。

「……正直なところ、難航しています。今はししょ──ハーヴィスが持っていた文献から情報を得ようとしているのですが、あまりかんばしくありません」

 クリスの手前、少しぐらい誤魔化して告げようと思ったが、エリヴィーラは正直に現状を話した。ちらりとクリスの様子を窺うが、彼は特に驚いた様子も落ち込んでいる様子もなかった。

 もしかすると、ある程度は彼も予想はしていたのかもしれない。

「そう。では、あの子の体質はまだ治っていないと?」

「はい。今、試作品を錬成しているところです」

「ハーヴィス氏は何て言っているのかしら? 近頃、店を留守にしていると聞いたのだけれど」

「ハーヴィスは──ええと、クリス様の体質を治すための素材を採取しに出掛けています」

 まさか『知らない内にいなくなっていて現在も音信不通です』などと言えるわけもなく、エリヴィーラは無難に誤魔化した。

「そう。では、現状としては情報が足りないということね?」

「はい、まずは情報収集からだと思いますので」

「わかったわ。──オーギュスト、あれを持って来なさい」

「かしこまりました、奥様」

 アンドレアが指示すると、オーギュストは既にそれを持っていたようで、迅速に持って来た。何やら盆のようなものに手紙が載っていた。

 何て面倒な運び方をするのだろうと思っていたが、その手紙は何故かアンドレアではなく、エリヴィーラに差し出される。手紙には伯爵家の家紋であるスズランの印章で封蝋がされていた。

「え?」

「王立図書館の入館許可の委任状よ。それがあれば王立図書館に入れるはずよ。わたくしから王立図書館の館長へは連絡しているから、明日にでも行くといいわ」

「──あ、ありがとうございます」

 手紙を受け取りながら、エリヴィーラは戸惑ったように礼を述べる。

 確かにクリスはアンドレアは自分の不利になることはしないとは言ったが、まさか委任状を用意してくれるほど協力的だとは思わなかった。

「あの子の体質が治ることを、心から祈っているわ」

 アンドレアは感情のこもってない平坦な口調でそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

「私はこれで失礼するわ。エリーさん、あなたはどうぞゆっくりしてらしてね」

 そう言い残し、娘のオーフェリアと共に部屋を出て行く。

 オーフェリアは部屋を出る前にエリヴィーラとクリスを睨みつけることを忘れなかった。どうやらすっかり嫌われてしまったらしい。

 入れ替わるように、残されたエリヴィーラとクリスの分だけ、香茶と茶菓子が運ばれて来る。茶菓子は焼き菓子で繊細な細工を施されていてとても美味しそうだったが、エリヴィーラは口にする気は起きなかった。

「ったく、委任状ぐらい、俺に預ければいいのにな」

 クリスはカウチソファーにもたれたまま、焼き菓子を口に運ぶ。

「……伯爵夫人はいつもあんな感じなんですか?」

「ああ。陰険だろう?」

「そう言う言い草はどうかと思いますけど……」

 エリヴィーラは貰ったばかりの白い手紙に視線を落とし、言及を避けた。

「でも、王立図書館の委任状を貰えたのは助かりました」

 これでクリスの体質治療へと一歩近づけるかもしれない。それに、錬金術師見習いとしても王立図書館には興味がある。この機会を逃す理由などどこにもなかった。

「じゃー明日からは図書館通いってわけか。じいさんに話しておく。馬車一台ぐらい貸してくれるだろ」

「え?」

「あのなぁ、馬車で行った方が早いし、徒歩で行ったらその委任状見せる前に追い出されるかもしれないだろ?」

「確かに、そうかもしれません」

 中流家庭以上と王立認定錬金術師しか入館できない図書館だ。形式にこだわりがあると考えておく方が無難だろう。

「決まりだな。あ、あと、図書館に行く時もそーゆう格好で来いよ。男の服なんかで行ったら絶対に追い出されるからな」

「……私、ドレスはあんまり持ってないんですけど」

 麻のドレスは今着ている物と合わせて二、三着しかない。着回すにはさすがに足りないだろう。

「じゃあ、俺のを貸してやるよ」

「平民がそんな上等なドレスを着ていたらおかしいですよ」

「それもそうか。じゃ、後で買い物に行くぞ」

 クリスはカウチソファーから起き上がり、楽しそうにそう提案してくる。

「え……」

 エリヴィーラは焼き菓子を口に入れながら、目をぱちくりと瞬かせてクリスを見やる。

「それぐらいは買ってやるから、金の心配はするな」

「でも……」

「必要経費だろ」

「…………わかりました」

 クリスの勢いに圧されるように、エリヴィーラは諦めの境地で頷いた。

 やたらとクリスが楽しそうなことには引っ掛かりを覚えるが、確かに必要な物なので仕方がない。王立図書館に普段のような男の服で行けば、委任状があってもつまみ出されることは、さすがにエリヴィーラにもわかった。

(まあ、何だかクリス様も楽しそうだし、それもいいか)


 そう思ったのはクリスと仕立て屋に行くまでの間だった。

 エリヴィーラは忘れていたのだ。クリスの服装の趣味がひらひらふりふりの派手好きであることを。

 結局、クリスの選んだ服の大半はタンスの肥やしになるのだった。



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