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紫色のヴェノム  作者: 藍沢 或
第1話 毒姫と錬金術師の弟子
5/15

(今日は疲れた……)

 クリスは店に付いて行くと息巻いていたが、結局ノーラに諭されて、後日改めて店に行くということで何とか納得させた。そして、ノーラには何故か何かあれば本家ではなく離れの方に連絡するようにと、かなりきつく言われた。

 その後、エリヴィーラは事情を聞いたオーギュストにひたすら謝り倒され、帰りも馬車でソルキアまで送ってもらうこととなった。

 店の前で降ろしてもらうと、エリヴィーラは店に戻らずに、近所の食堂へと向かう。

 ソルキアで一番人気であろう『青空亭あおぞらてい』という食堂である。旨い、安い、早いを体現したような店で、昼間も夕暮れもいつも人で混み合っている。

 しかし、今は昼時のピークを超え夕飯には早い微妙な時間帯だ。少しは人は減っているだろうと当たりをつけてエリヴィーラは青空亭へと向かう。

 いつもは長蛇の列を作っている店の前にも客はおらず、店内に入ると元気な歓待の声が響き渡る。

「いらっしゃいませー!──って何だ、エリーじゃない」

 栗色の髪をポニーテールにした小柄な少女が、ぴょこぴょこと跳ねるようにしてエリヴィーラの元へとやって来る。青空亭の制服である水色のワンピースに白いエプロンをつけていて、爽やかな印象の少女だった。

「久しぶり、ジェシカ」

 ジェシカは年齢はエリヴィーラと同じだったが、童顔のせいか大体いつも二つ、三つ年下に見られているのが、彼女の唯一の悩みと言っていいほど、元気で明るい少女だ。

 クールなエリヴィーラと相性が悪く見られるが、そんなこともなくエリヴィーラの親友と言ってもいいぐらいに二人は仲が良かった。

「ほんとよ! もうちょっと来てくれたっていいじゃないの。あ、案内するね。こっちこっち!」

 ジェシカに案内されるように、店内でもあまり人目のつかない席に通される。人混みが苦手なエリヴィーラのために、人の少ない場所へ案内してくれたのだ。

「あたしもお昼の休憩まだだから、一緒に食べても良い?」

「もう夕方なのに? 今日は忙しかったの?」

「まあね。最近、東からの隊商キャラバンの客が多くてね」

 隊商キャラバンとは複数の商人や旅人が共同出資して行う組織である。輸送中に野盗などに襲われないよう集団で行動するのが常で、東方からアルケスに向かう隊商キャラバンは基本的にソルキアも通り道となる。

 これと言った特産物のないソルキアが繁栄しているのも、隊商キャラバンの中継地として富を得ているからである。ソルキアには宿屋や食堂が多く、青空亭もそんな隊商キャラバンを対象にした食堂だった。

「そうなんだ。私、ジェシカに聞きたいことがあるんだけど……」

「えっ。エリーが? 珍しいね。いいよ、何でも聞いて。注文はどうする?」

「じゃあ、Aランチで」

「オッケー。じゃあ、ちょっと待っててねー」

 ジェシカは厨房へ注文を伝えると、今度はスープとサラダを持って戻って来た。エリヴィーラの注文したランチセットには付いていない。

「これ、サービス。エリー、あなた、また徹夜したでしょう? 顔色悪いわよ」

「ありがとう」

 エリヴィーラは礼を言って、サラダとスープを口にする。その様子を見てジェシカはにこっと笑うと、他の客の注文を取りに行った。

 店内はピークを超えていたので人の姿がまばらで、普段に比べればとても静かだった。この店は美味しいし、安いし、早いのでエリヴィーラももっと来たいのだが、人が多すぎて中途半端な時間にしかいつも来れない。

 ジェシカはもっと来ても良いのにといつも言ってくれるし、こうして席の配慮やサービスもしてくれるが、やはり苦手なものは苦手だった。

 しばらくサラダとスープを味わっていると、ジェシカが二人分のランチセットを持って戻って来た。

「はい、Aランチお待ちどうさま!」

 どんっと少し乱暴にテーブルに置かれる。

 Aランチは鶏肉の香草蒸しとキノコのバターソテーのセットだった。そこにパンがセットでついていて、金額もそこらの店と同じメニューに比べて安い。

 食欲をそそる匂いが立ちこめ、途端にエリヴィーラは空腹感に襲われる。

「おいしそう」

「当たり前よ。さ、食べましょう」

 久しぶりのまともな食事にエリヴィーラはこくこくと頷き、フォークに手を伸ばした。



「それで、あたしに聞きたいことって?」

 残り少なくなったところで、ジェシカが話を切り出す。

「エクランド家について知りたいんだけど、ジェシカは何か知ってる?」

「エクランド家? あなたが領主様なんかに興味を持つなんて珍しいね」

 エリヴィーラの言葉にジェシカは驚いたように目を瞬き、首を傾げた。

 ジェシカの知るエリヴィーラとは、錬金術以外に興味がなく、錬金術のためなら平気で寝食忘れて実験や読書に没頭するような少女である。

 現在ソルキアで噂になっている伯爵家のことに、興味や関心を持つような性格ではなかった。

「まあ、ちょっと仕事で知っておいた方がいいかなと思って……」

「へえ、仕事で伯爵家のことをねえ」

 何か含みのあるような表情でジェシカはニヤニヤとしながら、エリヴィーラを見やる。

「ジェシカなら何か知ってるでしょ? 街一番の情報通なんだし」

「そんなことないわよ」

 ジェシカはあっさりと否定した。

 しかし、ジェシカの情報通ぶりは街でも有名である。情報屋として情報の売り買いはしていないが、『どこからそんな情報を?』と聞きたくなるほど、噂話などには精通している。

 曰く、どこそこの商会の会長がどこそこの令嬢と愛人関係にあるだとか、とある侯爵家の息子がとあるメイドと恋仲であるだとか、ゴシップ的な噂について彼女の前に出る者はいない。

 今回のエクランド家の長男についても、エリヴィーラは彼女から聞いていたため、知っていたのだ。

「あの家は昔から噂話には事欠かない家だけど──」

「そうなの?」

 エリヴィーラが尋ねると、ジェシカは頷いた。

「今の伯爵夫人は二代目なの。前妻が今回見つかった息子の母親なんだけど、今の伯爵夫人には伯爵との息子がいるから、今回のことは忌々しいわけよ。せっかくの後継ぎの座をいきなり見つかった長男に盗られそうだから」

「ああ、なるほど。でも、伯爵夫人には連れ子もいなかったっけ?」

「いるわよ。年齢は十八で、けっこうな美人らしいけど性格はきっついみたいね。典型的なワガママなお嬢様って感じの人」

「ふーん」

「伯爵はその見つかった長男に家長を譲るつもりなんじゃないかって言われてるわ。前の奥様の忘れ形見みたいなものだし、次男はまだ十二歳だしね。でも、長男は確か十七歳になるぐらいだし、ちょうど良い年頃だから」

 ジェシカは得意げにそう話す。普段エリヴィーラから噂話について聞かれることがないので、嬉しいようだった。

「でも、長男は暗殺ギルドで育ってるし、今は病気を患って臥せっているから、無理だろうって言う人もいるけどね。あたしも仕方ないとは言え、人を殺したことがある人に統治されるのは心配かなあ」

「……そうね」

 エリヴィーラは素っ気なく答える。

 毒姫のことは病を患ったことにして伏せているらしい。確かにあの女装姿で姿を見せるわけにもいかないし、妥当なところだろう。

「ただ、伯爵様も病気だしねえ。早く隠居したいのかもしれないわね。

 ──とまあ、エクランド家の噂話って言うとこんな感じだけど、これでいいの?」

「うん、ありがとう。参考になったよ。ちなみに何で伯爵は再婚したの?」

 エリヴィーラがそう尋ねると、ジェシカはそれまでと違って声のトーンを落とし、答える。

「前の奥様は息子が誘拐されたことで、心身が弱って誘拐事件の一年後に亡くなったからよ。伯爵自身は再婚するつもりはなかったみたいだけど、跡継ぎが誘拐されたし、伯爵家が断絶するのはダメだって、周囲に押し切られて政略結婚したのよ」

「……貴族って大変なんだね」

 一人息子を誘拐され、妻を亡くした後でも、更に跡継ぎのために結婚を強いられるとは──とても、エリヴィーラには無理な話だった。

 しかし、彼女は未だに恋愛経験もなかったので、実感を込めての話ではなく、悲劇のドラマでも聞いているような感覚に近かったが。

「昔も、前妻と妾の子の取り違いがあって、どっちが継ぐのかって血みどろの騒動になってたらしいよ。結局は妾の子として育てられてた本当の息子が継いだみたいだけど。本妻の子だと思われてた子は悲劇すぎるわよね。あ、これはお婆ちゃんに聞いた話だけど」

「うわぁ……」

「あそこの家って何かと業が多い家だって、街の人は噂してるわよ。今回のことでまたそんな騒動になるんじゃないかって言ってる人もいるし。長男と次男のどっちが継ぐのかって」

 ジェシカは『まあ、そんな大層な話は私たちには関係ないけど』と締めて、笑った。つられてエリヴィーラも笑ってみせるが、正直、シャレにならなかった。

 クリスの体質や女装癖についてはまだ噂になっていないようだが、これで体質や性癖が完治したらその後はどうなのかはわからない。

(だから、ノーラさんは『離れに連絡しろ』って言ってたのか)

 その時は特に気にしなかったが、内情を知れば納得できる。毒姫の治療に関して、そもそも現・伯爵夫人に話がいっていない可能性もあるだろうし、下手すればお家騒動にエリヴィーラも巻き込まれることになるだろう。

 長男の治療をした、イコール長男の味方だと受け取られるに違いないからだ。

(じゃあ、やっぱり誰にも知られないように治療するのが一番なのか)

 誰かに漏らせば、伯爵夫人の耳に入るかもしれない。そうなることは避けたかった。

「食後のお茶いる?」

「あ、うん。貰っても良いかな?」

「はいはーい。ちょっと待ってて」

 ジェシカは空いた皿をてきぱきと片付けると、厨房へと引っ込んだ。しばらくコックと何か話してから、お茶の入っているらしいポットとカップと、何故かチーズケーキを持って戻って来る。

「これ昨日の余り物なんだ。廃棄する予定だったから貰ってきちゃった。エリーは甘い物好きでしょ?」

「うん、好き。ありがとう」

 言葉は少ないが、エリヴィーラの目が輝いているのを見て、ジェシカは機嫌良さそうに笑った。

「どういたしまして。──そういえば、エリーってば今日どこに行ってたの? 何かでっかい馬車来てたけど」

「ぶっ!」

 口にしたお茶を吹き出しそうになり、エリヴィーラは咳き込んだ。

「な、何でそんなこと知ってるの?」

 確かに目立つ馬車だったかもしれないが、朝から夕方までみっちりウェイトレスとして働いているジェシカは、目にしていないはずである。

 既に知っているジェシカの情報通ぶりには、本当にすごいと思い知らされる。

「お客さんが話してたわよ。立派な馬車が来てたって。何か仕事だったの?」

 好奇心旺盛な琥珀色の瞳が、エリヴィーラの顔を覗き込む。

「うん、まあ……。ちょっと師匠の代わりにね」

 もぐもぐとチーズケーキを味わいながら、エリヴィーラは言葉を濁す。

「えっ。あの人またどっか行ったの?」

 師匠に放浪癖があることが知るジェシカは呆れたようにそう言った。先週あたりにやっと帰って来たとエリヴィーラがぼやいたせいもあるかもしれない。

「気付いたら朝居なくなってて、メモだけあったんだ」

「相変わらず酷いわねー。まあ王立認定錬金術師になるぐらいだもんね。変人じゃないとダメなのかも」

「……うーん、そうなのかなぁ」

 酷い言い草だったが、エリヴィーラも曖昧に濁しつつ、否定はしなかった。

 王立認定錬金術師とは、国が認めるほど技術と実績を持つ錬金術師のみに与えられる名誉である。国内で十二人しかおらず、二年に一度、評議会が実績や技術を考慮して選出されている。

 だが、ここ十年近く十二人のメンバーは変わっておらず、錬金術の歴史始まって以来の栄光であると言われている。

 エリヴィーラの師事するロックベル・ハーヴィスもその中でもオールマイティーな素養の持ち主で、百年に一度の大天才とまで言われているのだ。

 だが、ハーヴィスは生粋の変人で、弟子もとらない、講義もしない、半年に一度の評議会にも参加しないなど問題児だった。それが一年前にエリヴィーラと言う弟子をとったことで、当時は『やっと王立認定錬金術師らしくなった!』とだいぶ騒がれたものだが、結局、弟子をとっても放浪癖は直らなかったので、その点については諦められている。

 めげずにやって来る評議会の使いから、エリヴィーラはたまに嫌味を言われるが、それすらも聞き慣れてしまっていた。

「でも、行くあてのなかった私を拾ってくれて、技術も投げやりだけど教えてくれるし、あの人の役に立ちたいんだ」

 エリヴィーラはいつもの無表情のままだったが、そう小さく囁いた。

 行き倒れていたエリヴィーラを拾って、衣食住まで与えてくれたことには本当に感謝しているのだ。例え、普段は迷惑をこうむる立場だとしても。

「……そうね。そのおかげであたしもエリーと知り合えたしね」

「うん。──私、そろそろ行くね。これ、代金」

 エリヴィーラは財布からランチセットの代金ぴったりを出した。ジェシカはそれをちらっと見て確かめると、頷いて、

「──はい、ちょうどね。また今度差し入れ持ってくわね」

 空になった皿やカップを片付け始める。

「ありがとう。またね」

「うん。またね」

 ジェシカはとびっきりの笑顔でエリヴィーラを見送ってくれた。

 自分と正反対の性格だが、彼女とは何故だか相性が良くて、一緒にいて楽しい友人だった。人付き合いの苦手なエリヴィーラにとって、彼女の存在は有難いものだった。

 世話焼きでエリヴィーラが店の研究室に籠っていると聞くと、差し入れを持って遊びに来て、あれこれと世話を焼いてくれる。年は同じで、ジェシカの方が童顔だが、エリヴィーラにとってはまるで姉のような存在だった。

 錬金術商店アルケミーショップまでの通りを歩きながら、エリヴィーラはふと思う。

(店に戻ったら、毒草のこと調べないと。あと、師匠とも連絡とりたいけど、一体どこにいるんだろう)

 かなり大きな依頼になってしまった。

 当分は今エリヴィーラが行っている研究に手は付けられないだろう。それどころか、毒姫の治療が出来るようになれば、王立認定錬金術師に認定されてもおかしくないほどの偉業である。

 エリヴィーラ一人でそんな偉業が成し得るとは、到底思えなかった。これほど心の底から師匠に帰って来てもらいたいと思ったことはない。

「本当に──恨みますからね、師匠……」

 ぽつりと呟き、エリヴィーラは大きくため息をついた。

 今日一日でため息を何度ついたのかわからない。こんな気疲れを起こすのは今日だけで勘弁してもらいたいと、切実に思う。


 だが、彼女はまだ知らなかった──それは、ほんの始まりに過ぎなかったということを。



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