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紫色のヴェノム  作者: 藍沢 或
第1話 毒姫と錬金術師の弟子
4/15

「あの方はクリスティアン・ローウェン・エクランド様。エクランド家の長男です」

「────は?」


 思わず間の抜けた声を上げたエリヴィーラを、令嬢──もとい、伯爵家の長男は愉快そうに眺めていた。

「驚いたか? 俺があまりに美しすぎて。まあ、そうだろうな。俺みたいに人間離れした美貌の持ち主はそういないだろうし。まるで女神か天使のようだろう?」

「………………」

 優雅に微笑みがら、あんまりな言葉を吐く美しい令嬢モドキに、エリヴィーラは呆然とした視線を送る。思っていた事を言い当てられた悔しさもあったが、それ以上にこの性格には付いて行けそうにないと思った。

(確かに、この人なら毒姫でも出来そうだけど……)

 この見た目ならまず男性だと疑われない。むしろ、これはこの見た目だからこそ、毒姫として育てられたと考える方が妥当だろう。

 しかし、男性が毒姫として育てられたりしたら、自らの存在意義アイデンティティーとの葛藤だとか悩みがあってもおかしくはないのに、クリスは至って普通だ。普通どころか、自分でも女神だ天使だと言うぐらいに見目の良さを自覚しているし、暗殺ギルド壊滅後も未だに女装している理由もわからない。

 これは一筋縄ではいかない人物だろう。気を引き締めていかなければ、翻弄されて終わってしまうタイプだ。

「──私はエリヴィーラと言います。以後、お見知りおきを。クリスティアン様」

「へえ。凍土出身なのか。珍しいな。俺のことはクリスでいいよ」

「わかりました、クリス様。領主様よりお話は伺いました。いくつか確認させて頂きたいことがあるのですが」

「ああ、いいよ。何でも答えてやるよ」

 奔放な人物のようだが、治療には協力的なようだった。エリヴィーラは内心ほっとしながらオーギュストを見やると、オーギュストもどこか安心したような様子だった。

「それでは、私は他の仕事がありますので退室させて頂きます。ご用がありましたら、そこに控えているノーラに何なりとお申し付け下さい。それと、エリヴィーラ様の荷物はそちらに置いてあります」

 オーギュストは律義な一礼をすると、部屋を出て行った。彼に言われるまで気配がなく全く気付かなかったが、部屋の隅には香茶の準備をしているメイドがいた。そして、部屋の隅にはエリヴィーラが店から持って来た錬成道具の詰まった鞄も鎮座していた。

(そういえばいつの間に……)

 大事な商売道具にも関わらず、小間使いの男に預けてすっかり忘れていた。

「失礼致します」

 ノーラと呼ばれたメイドが静かな動作で、テーブルにティーセットを置いていく。

 中年の女性だが背筋をピンと伸ばしていて、身体の衰えを感じさせないとても厳格そうなを雰囲気がある。表情も無愛想で愛嬌というものはなく、怒るとさぞかし怖いのだろうなと予想出来た。

 この屋敷のメイド長だろうかと、エリヴィーラは予想をつける。

「とりあえず、座れば?」

「あ、はい」

 クリスに促され、エリヴィーラはクリスと向かい合うようにソファに腰を下ろす。あまりに弾力がありすぎて、身体ごと沈み込んでしまいになる。

「それで聞きたいことって言うのは何だ?」

 クリスは淹れてもらった香茶をすすりながら、優雅に促した。いちいち仕草が洗練されていて、ここまでくると舞台女優の芝居なのではないかと疑ってしまいそうだった。

「クリス様はどうして女装を?」

 直球な質問にクリスもさすがに面食らったようで、少しだけ香茶を吹き出す。

「……普通いきなりそこを聞くか?」

 ナプキンで濡れた口元を拭きながら、クリスは半眼で呆れたようにエリヴィーラを見やる。

「気になったので」

「気になっても初対面でそれはないだろ。──まあいいけど」

 最初にエリヴィーラを眺めていた時と同じような、意地の悪い笑みを浮かべるクリス。

 いやな笑い方をする人だと、エリヴィーラは率直に思った。

女装コレは俺の趣味だ。ほら、可愛いだろう?」

 ふふんとクリスは流し目でエリヴィーラを見てきて、ウィンクまでかましてくる。確かにそれは男性相手なら威力を発揮しただろうが、逆にエリヴィーラは冷やかな目でそれを眺める。

「……そうですか。毒姫の体質に関わりがあるのかと思いました」

「そんなわけないだろ。ギルドに居た頃ならともかく。まあこの見た目だから毒姫にされたんだ。無関係って訳でもないけどな」

 つまらなさそうにクリスは居ずまいを直す。

「なるほど……。私は毒姫というものを知らないんです。言いたくないかもしれませんが、どういったものか教えて頂けませんか? 知らないことには治療も出来ませんから」

「──じゃあ、身体で教えてやろうか?」

 ニヤリと笑ってクリスはテーブルから身を乗り出して、エリヴィーラの顎に手をかける。顎をくっと持ちあげられ、視線が交差し、青紫色に絡めとられる。

 先ほどまでの優雅な美少女ぶりと違って、それは女を知っている男の仕草だった。

 だが──


「そういうのは結構です」

 エリヴィーラはやんわりと顎にかけられたクリスの手を剥がして、無表情なまま淡々と告げる。クリスもこの反応は予想外だったようで、目をぱちくりとさせていた。

「──は?」

「私は毒や薬の耐性は強い体質ですけど、毒姫の毒はどうなるかわかりませんから」

「いやいや、そういうことじゃなくて」

 手をぱたぱたと振ってツッコミを入れるが、エリヴィーラは何のことだかわかっていない様子だった。



(こいつ、人付き合いが苦手というレベルじゃないだろ)

 普通ここは恥じらう場面だろうとクリスは思う。そういう反応を期待してからかっただけに、真面目に拒否されて、自分の方が馬鹿みたいだ。

 最初に部屋に入って来た時から大して驚きもせずに無表情で、何なんだこいつはと思ったのだが、その印象は間違っていなかったようである。その認識は完全な誤解だったが、初対面のクリスには表情の薄いエリヴィーラの心情までは読み取れなかったのだ。

 クリスは投げやりな様子で、

「体液すべてが毒の女──まあ俺は男だけど、標的ターゲットに近寄って、キスでもすると。でも、それは確実性がない。体液の量がやっぱり少ないからな。ねやにまで入って、体液をもっと相手に与える」

「体液と言うのは、どこまで含まれるのですか?」

 エリヴィーラは持ちこんだ羊皮紙に書き込みながら、問う。さらさらと流れる羽根ペンを見ながら、クリスも質問に答える。

「何でもだよ。涙でも汗でも、唾液でも。勿論、閨事でも」

「なるほど。でも、毒姫なら閨事でも体液を与えることは出来ないのでは? あなたは男性でしょう?」

 そんな所までツッコんでくるとは思わなかったので、さすがにクリスもぎょっとした。

 人付き合いが苦手だろうから、恋愛経験もなさそうだと思ったのだが。いや、逆に経験がないからこそ、ここまで無神経になれるのだろうか。

「……やりようはいくらでもあるし、俺はどっちの相手もしてたんだよ」

「ああ、確かにあなたなら出来そうですね」

「…………」

 普通なら気遣ってそんなことは聞いてこない。『お察し下さい』と言うやつである。

 それをこの娘はずけずけと直球の質問を繰り返しては、無遠慮な感想まで述べてくる。これが普通の感性を持つ貴族の坊ちゃまなら、即刻、不敬罪に問うだろう。

 だが、クリスは普通の感性の持ち主ではなく、この無神経さや無遠慮さが逆に面白く思えてきていた。

「興味があるのか?」

「そうですね。毒姫なんて初めて聞きましたし、どんな方法でそうなるのかは興味があります」

 淡々とメモを続けながら、エリヴィーラは答える。彼女の頭の中には毒姫への興味しかなく、クリスの見た目の良さについてはかなりどうでも良くなっていた。

 勿論、キレイだとは思うが、それよりもその奇異な体質の方に興味がある。

「いや、だから、そっちじゃなくて」

「? 何ですか?」

「…………もういい。他に質問は?」

「毒姫の伝説だと、ある毒草を小さい頃から与えられ続けると聞いたことがありますが、具体的な記述は残っていません。それはどんな毒草だったかわかりますか?」

「名前は俺も聞いたことないな。一度だけ見た事があるが、紫色の花をつけたやつだった。食べさせられてたのは葉なのか根なのか、それはわからないけどな。多分、両方じゃないか?」

「紫色の花……ですか」

 それを聞いて、エリヴィーラは眉をしかめた。エリヴィーラの知る限り、紫色の花を咲かせる毒草は一つしかないが──もしも、それだとしたら中々に厄介だ。

 しかし、おぼろげな記憶によるものなので、一度、師匠の所有している文献で調べてみる必要がある。

「どうしたんだ?」

「……いえ、何でもありません。それを食べても平気だったんですか?」

 エリヴィーラがそう聞くと、クリスはぞっとするような無表情になった。それまではへらへらと笑っていたのに、あまりの豹変ぶりにエリヴィーラも言葉を失う。

「平気なわけないだろ? 泣いても吐いても死にかけても、毎日無理やり食わされてたよ。一緒に食ってた仲間の女が死んでも、後から入って来た俺より年下の女が死んでも、ずっと食わされてたよ」

「……そう、ですか」

 さすがにエリヴィーラも、先ほどのような感想を述べることは出来なかった。クリスの雰囲気に圧倒されるように、相槌だけを何とか打って、メモをする。

 元々、毒や薬に耐性があったり、馴染みやすい体質の者はそれなりにいる。エリヴィーラも毒や薬の耐性がある方であるし、クリスももしかしたら馴染みやすい体質だったのかと思ったのだ。

 しかし、今の話を聞いた限りでは、体質以前に長年慣らされた賜物らしいと推測される。

「どんな毒を飲んでも中毒症状がなくなったのは十の頃からだったな。十二、三の頃には体液に毒が混じるようになった」

「……長年飲まされていた毒の症状は、どんなものでしたか?」

「即効性があって、皮膚からも吸収されるタイプだった。症状としては嘔吐、呼吸困難。その後に心臓が止まる感じだな」

 さすがに暗殺稼業をしていたせいか、クリスはよどみなく答えた。対するエリヴィーラも顔色を変えることもなく、メモを続ける。

「──わかりました。あなたを治療するには、まずは使われた毒草が何だったのかを知る必要があります」

 メモを終えてノートを閉じると、エリヴィーラは淡々と告げる。

「解毒剤はないのか?」

「解毒剤と言っても、どんな毒に冒されているかによって使用する解毒剤や用法が変わるんです。特に、あなたのような毒姫だと解毒剤こそがあなたにとって毒になる可能性もあります」

「──なるほど。普通の毒は俺には効かないからな」

 納得したようにクリスが頷くと、エリヴィーラも頷き返し、

「はい。なので、まずは店に戻って、使用された毒草を突きとめます。時間はかかるかもしれませんが」

 そう言って、席を立った。紅茶はまだ半分以上残っていたが、エリヴィーラは惜しむこともなく、てきぱきと帰り支度を進める。

「それらしい物を見つけたらお見せします。治療はそれまで少し待って下さい」

「ふーん。じゃあ、俺も手伝う」

「え、いやそれは……」

 思いがけない言葉にエリヴィーラが言葉に詰まっていると、部屋の隅で待機していたノーラが嗜める。

「クリス様、その格好で街を歩かれると伯爵家の名誉に関わります。あなたは跡取りなのですよ。外出されるなら、それらしい格好をして頂きませんと」

(いや女装で外出以前に店に来られることが迷惑なんですが)

 そうは思いつつも、エリヴィーラもさすがに言葉には出来なかった。

「この格好を見て、誰が伯爵家の息子だと思うんだ? ソルキアの連中は誰も俺の顔を知らないし、この美少女っぷりを見て男だと思うことすらないだろうな。

 大体、この世に一体どれだけの植物があると思う? それをこいつ一人で探し当てるなんて、いくら時間あっても足りない。俺は早くこんな体質を治したいんだ」

 クリスはスラスラとそう答え、最後は忌々しそうな口振りで締める。よほど毒姫の体質に嫌悪感を持っているようだ。

 しかし、それでいて毒姫として働いていた時の女装を好むのだから、全く訳が分からない人物である。

「しかし、クリス様。手伝うと言っても一体何をなさるおつもりですか? 錬金術というのは高度な化学の結晶です。素人が手を出していいものではありませんよ」

 心の中でノーラを応援しながら、エリヴィーラは賛同するように、こくこくと頷いた。

 錬金術は一つ間違えば大惨事にもなりかねない繊細で危険な技術だ。過去には錬成中に大爆発を起こし、死傷者が出たというケースもある。

「文献を探すなら俺は文字が読めるし、それぐらいなら出来る。それに、俺がその場で合っているかどうか判断した方が早いだろう?」

「クリス様──」

「うるさい。俺はもう決めた。こいつの店に付いて行く」

 ノーラの小言をぴしゃりと退け、クリスは言い切った。

 そして、エリヴィーラの方に向き直り、

「別にいいよな? エリヴィーラ」

 にっこりと微笑んだ。

「エリー様、迷惑ならどうぞ断って下さい」

(まさかこんな板挟みにされるとは思わなかった……)

 しかし、確かにクリスの言う通り、探した文献を離れに持って来ては確かめるというのも手間ではある。それに、識字率の高くないアルベニア王国で、文献探しのバイトを雇えばそれなりに金銭が必要となる。

 クリスが文字を読めるなら、確かに有難い申し出ではあった。何よりも──

「…………私の言う事を聞いて頂けるのであれば」

 射殺さんばかりに睨んでくるクリスに根負けし、エリヴィーラには婉曲ながらに了承した。そこへきてようやくクリスは満足そうに頷いた。

「ふふん、そうだろう? まあ精々役に立ってやるよ」

「……はあ」

 愉しそうなクリスとは対称的に、エリヴィーラは憂鬱そうな面持ちでため息をついた。

 

 こうして、二人は出会いを果たしたのだった。



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