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錬金術師──
それは、「何か」を別の「何か」に変性させる技術を研究する者たちを指す。
元は貴金属を錬成するために発展してきた技術だったが、近年では卑金属から貴金属を作りだすことは不可能であると結論づけられ、研究対象はその過程での副産物へと移っていった。
蒸留の技術の改良、新しい金属の発見、新しい薬品調合の成功──その過程の副産物は多岐に渡り、それらの発見は一般市民の生活を豊かにしていくことに利用されている。
この功績は国は元より一般市民へも認知され、錬金術師たちはその立場を専門職として確固たるものへとしていき、今ではアルベニア王国を中心に各国で錬金術の発展を推進している。
中でもアルベニア王国は、錬金術の保護と発展を目的とする錬金術協会の本部がある。また、国家レベルでの錬金術師の支援制度が整っており、世界一の錬金術大国となっていた。
その首都であるアルケスは、世界中の錬金術の叡智が集まる、いわば錬金術師の聖地であった。
そんなアルベニア王国、王都アルケスの東方に位置するエクランド領ソルキアに、二人の錬金術師が住んでいた。
国が功績ある錬金術師に与える『王立認定錬金術師』の称号を持つ、天才錬金術師ロックベル・ハーヴィスと、その弟子の少女だった。
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「よう、エリヴィーラ。今日も来たぞ」
「また来たんですか、クリス様」
昼下がりの錬金術商店──
街に一つはある珍しくもない店の前に、貴族の美しい令嬢がにこやかな様子で立っていた。
錬金術商店は、錬金術師が日常の便利アイテムを売る店である。汚れが落ちやすい石鹸やフライパンの焦げ付きを落とす洗剤などが、貴族の令嬢に必要とは思えない。どちらかと言えば主婦層目当てだった。
店が中央通りに面していることや、師匠が『王立認定錬金術師』という称号を持つおかげで街からの評判は上々で、商売は繁盛していたが、それでも貴族が買い物に来たことはない。
一体何の用だと、出迎えた少女は迷惑そうな顔を浮かべるが、令嬢はそれを無視して、店内へと入る。
「俺も手伝うって言っただろ。あの屋敷にいても暇だし、元は俺の体質のことだし。エリヴィーラも俺が手伝った方が助かるだろ?」
令嬢は少女──エリヴィーラに微笑みかけ、優雅に店内のソファに腰掛けた。
「クリス様、文献探しを暇つぶしにされても困るんですが」
エリヴィーラはソファに腰掛ける令嬢──クリスを呆れたように見やり、こめかみを押さえるように手を当てる。さらりと自分の仕事を暇つぶしと称されては、常に無表情で淡泊なエリヴィーラでも面白くはない。
「あなたはエクランド家の跡継ぎなんでしょう? そんなにふらふら出歩いていたら、屋敷の人も心配するんじゃないですか?」
エリヴィーラが嗜めるようにそう言うと、クリスは膝に頬杖をつきながら、半眼でエリヴィーラを見据える。
「とか言って、お前はただ俺が美少女すぎて街中で目立つから嫌なだけだろう? この店、中央通りに面してるし」
「──まあ、それは置いておいてですね」
「やっぱり図星かよ」
あからさまに話をずらそうとするエリヴィーラに、クリスは愉しそうに笑って答えた。
そう、クリスは美しい。
清楚で、可憐で、それでいて艶やかで──老若男女誰もが見惚れる黄金律の美貌の持ち主だった。
肌は白く、ウェーブがかった艶のある金髪は腰近くまで伸びていて、とても豪奢で華やかだ。
瞳は珍しい青紫色で、宝石を思わせるような輝きを持ち、美しさの流行が変わっても誰もが美形と認めるだろうという、恐ろしいまでに整った顔立ちをしていた。
美形の定義とされる白い肌、金の髪、蒼の瞳をすべて備え持つ者は、栗色の髪や亜麻色の髪が多い、ここアルベニア王国では珍しい。
少なくとも、エリヴィーラはここまでの美形を、舞台女優でも見た事がない。さながら聖書に出て来る天使か女神のような荘厳な美しさだと、エリヴィーラはらしくもないことを初対面の時には考えたものだった。
しかし──
「まあ俺のこのドレス姿を見て、男だと思う奴はいないだろうしなあ」
クリスはいかにも愉快そうに、水色のドレスの裾をつまみながら言った。
そうなのである。
クリスは見た目はともかく、紛れもなく男だった。身体も、心も。
見た目が超絶美形であるにも関わらず、フリルたっぷりのドレスを纏い、長い髪を結い上げた女装をしているため、彼を一見して男だと判別するのは不可能に近かった。
アルベニアに限らず、北方のエリヴィーラの故郷でも、そもそも男性が髪を長くするということに反感は強い。
男性で髪を伸ばすというのはかなり異端で、奇異の目で見られるどころではなく、この長さで街を歩ければ眉をひそめられ、不審者のような扱いを受けるだろう。男性で髪が長いということは、身だしなみに気遣えない浮浪者と同義だった。
鬘は貴族の嗜みの一つと言うぐらいにポピュラーであるにも関わらず、自前の髪で結い上げられるほどに伸ばすというのは、かなり気合の入った女装と言える。
しかも、彼はエリヴィーラの住むソルキアを治めるエクランド伯爵家の跡取り息子であり、本名をクリスティアン・ローウェン・エクランドと言う。
女装癖のある伯爵家の息子など街でも噂になってしまいそうだが、様々な事情と思惑があり、女装姿のクリスと伯爵家の跡取り息子は別人だと街の人には認識されている。
そのため、伯爵家の跡取り息子と言う事は勿論、男であることすら知らない街の青少年たちは、クリスの美貌に舞い上がってしまい憧れのマドンナとなっていた。熱烈な告白をするぐらいなら可愛いもので、中にはストーカー行為に及ぶ不埒者もいるが、クリスはそれすらスリルとして楽しんでいる。
だが、それが、エリヴィーラには迷惑千万だったのだ。
エリヴィーラは元来、目立つことが嫌いだ。ただひっそりと研究室に籠り、錬金術の研究に没頭したい──それだけを願いとしている、何とも不健康な少女であった。
それが、クリスが錬金術商店に毎日通うせいで、商売上の噂だけでなく、ゴシップ的な噂の中心になっているのが、どうにも耐えられないのだった。
そっとしておいて欲しい──そうは願っても、派手に人を惹きつけるクリスが通う内は、無理難題であった。
「そこまで女装にこだわる理由ってあるんですか? あ、もしかしてクリス様は同性愛者とか──」
「ンなわけねーだろ! 女装するのは俺が超美少女で可愛いからだ! ほら、ドレスも似合ってるし、可愛いだろう?」
「……はあ、そうですか」
聞いた私が馬鹿でしたと言わんばかりに、エリヴィーラはどうでもよさそうに相槌を打つ。
実際、心底クリスの女装癖などどうでもよかった。出来る事ならそんな趣味など辞めてもらいたいぐらいである。
(ああ、でも男の格好をしても目立ちそうだなぁ)
クリスがきちんと男の格好をしても、寄って来るのが男から女になるだけだろう。それではあまり意味がない。
「お前も野暮ったい男物の服なんて着ずにドレスでも着ろよ」
じろじろとエリヴィーラを無遠慮に見ながら、クリスはぼやく。
超絶美少女のクリスと並ぶと霞んでしまうが、エリヴィーラも肌は白く、顔立ちの整った儚げで理知的な美人だった。肩甲骨まで伸びた金茶色の髪、賢明そうな新緑色の瞳と美人の定義から少し外れるが、それを差し引いても顔立ちが整っていることには変わりない。
まだ十六歳のエリヴィーラだが、少女らしい愛らしさよりも大人びた雰囲気があった。
しかし、年頃の娘にも関わらず、長い髪は櫛も通さないためぼさぼさで、白い肌は日中研究室に籠りっきりのせいで病的に青白く、ひどい時には目の下に隈が出来ている。そして、極めつけに動きやすいからという理由で、彼女は男物の服を好んで着る。
見るからに不健康そうなのと、一目で変わり者と分かるのが彼女の欠点だった。
「私はそーゆうことに興味がないので」
人に不快感を与える容姿でなければどうでもいい──それが、髪に櫛も通さないエリヴィーラの説得力のない考え方だった。
彼女には自分の容姿がそれなりの評価を受けるものであるという自覚はあった。しかし、彼女は自分の顔立ちについて、好ましく思ったことは一度もない。
「凍土の『冬の民』ってのは、みんなそーゆうもんなのか?」
エリヴィーラの故郷、スヴェルツフォールド帝国は大陸最北端にあり、万年雪に覆われていることから凍土と呼ばれることがある。
アルベニア王国とはヴェロイ山脈と呼ばれる雪山により南北に隔てられており、四季問わず真冬のような気温の厳しい土地だった。そのため、そこに住む者たちを『冬の民』と呼ぶことがある。
ほとんど田舎者と言う罵倒に近いため、面と向かって言葉にする人は少ない。
だが、クリスはそれを気遣いする性質でなく、またエリヴィーラも気にする性質ではなかった。
「いえ、友人はしてましたよ。私が興味ないだけです」
「え、お前に友人なんかいたのか?」
「……いますよ。友人ぐらい。故郷にも、この街にも」
なんて失礼なことを言うんだと思いながら、エリヴィーラは顔をしかめる。あまり表情豊かな方ではないが、無遠慮なクリスの前ではさすがにエリヴィーラも表情が出てしまう。
「そんなことよりも、本当に手伝うつもりなんですか?」
「ああ、俺は文字読めるし。文献を探すなら文字を読める奴が多い方がいいだろう?」
「それは……確かにそうなんですが」
嫌そうな顔をしながらも、エリヴィーラは認めた。
アルベニア王国は錬金術師によって発展してきた国だが、識字率はそれほど高くない。
中流家庭以上にならなければ読み書き、計算を学ばせる経済的余裕がないため、ここ近年では貧富の差が広がりつつある──とは、情報通な友人の言葉だ。
エリヴィーラは北方の平民育ちだったが、錬金術を習うと決めた際に、師匠から読み書きや計算などは教わっており、身に付いていた。
「じゃあ、早く書庫に行くぞ。あ、あと客が来てるんだからお茶ぐらい淹れろよな」
「……わかりましたよ」
クリスは勝手知ったると言った様子で、地下の書庫へと向かった。エリヴィーラはクリスに言われた通り、お茶を淹れようとキッチンへと向かう。
竈で湯を沸かしながら、エリヴィーラは大きくため息をついた。
(やっぱり、伯爵家からの依頼なんて請けなければ良かったかな……)
今も不在な師匠の代わりに請けた依頼だったが、エリヴィーラは早くも後悔し始めていた。自分には荷が重い依頼だったと言うこともあるが、何よりはクリスの存在である。
屋敷の人も伯爵も、説得を諦めずにクリスを止めてくれればいいものを、何故こうも毎日やって来るのだろうか。
(……でも、クリス様とは約束しちゃったしなあ)
──私はあなたを助けたいんです。
その言葉はきちんと覚えている。
クリスにも忘れたら承知しないと、散々脅されたこともあるが、それはエリヴィーラの本心からの言葉でもあった。
そのために、エリヴィーラは文献を探し続けているのだ。
エリヴィーラは初めて伯爵家の屋敷に呼ばれた日のことを思い出した。