後日談・ラグエルホルン邸にて
本編後の後日談になります。
ネタバレも含まれておりますので、本編をまだ読まれていない方はお避け下さい。
王都で本格的な寒さが通り過ぎ、気温が和らいでくる頃、
その一角にあるお屋敷、ラグエルホルン邸では穏やかな日々を過ごしておりました。
「よし、っと、やっとできましたねアンのメイド服、ささ、着てみてください」
「わあ……っ! ありがとうユリア、手伝ってくれて」
元女主人公アンがめでたくお屋敷の新メンバーになり、早1か月が経ったころ、
仕事の合間、お裁縫が苦手な彼女に1から基礎を教えながら、
用意していた彼女の制服も、ようやく1着仕上がりました。
初々しい様子のアンを見ていると、
まるで私がこの世界に来たばかりの頃を思いだします。
あれから本当にいろんなことがありましたね。
「洗い替え用に、せめてあともう一着は必要だと思いますけれども、
アンが作っているものも、もう少しで出来上がりそうですね。
後は用途に合わせたエプロンを2、3枚用意すればいいでしょう」
「うう、私ここにきてから女の子らしいスキルが増えていくから嬉しいわ。
これまで過酷なサバイバル生活も多かったから」
「おいたわしい。ローディナが聞いたら号泣されますよ。
ぜひここで女の子スキルを追及してくださいね。カンスト目指しましょう!」
「かんすと? う、うん頑張る」
ツーサイドアップにしていた赤紫の長い髪も、働きやすいようにひとまとめに纏めたアンは、
他に人が居ない事を確認して、部屋の隅にあるカーテンの中でいそいそと着替え始めた。
春になったら後輩であるユーディの弟、妹さんもここで働きたいという話が出ているし、
イーアが孤児院でお世話していた子達の新しい就職先としても考えているので、
ここもようやく若手の従業員が増えていくことになりそうです。
はじめは、おどおどして屋敷で働いていたアンも、おじサマーズやおじいちゃマーズ、
そしてユーディとイーアという気さくな面々に囲まれて、すっかり馴染み、
新しい生活を満喫している最中でありました。
(あとの問題は、アンとアデル様との溝をどうするかですね)
リオさんを引き取ったのはまだいいものの、私に直接危害を加えたということで、
今もアデル様は、アンが傍にいると警戒してしまうんですよね。あ、リファもか。
だから最初、縄張りでもあるこのお屋敷に招いて働いてもらうのは、
やっぱりアデル様が最初は反対されたんです。
私の時とは違って怪しい行動をしていたし、
何より一度は私を襲った人だから、信用できないからって……。
仰ることは至極ごもっともで重々承知なのですが、
彼女もまたリオさんの欠片を持っているし、私にとっては大事な友達だ。
放っておくことなんてできませんでした。
……帰る場所がない不安を、私はよく分かっていたから。
(私もアン程ではないけれど、最初は少しずつアデル様と距離を縮めたから)
ずっとあの印象のままでアンを見てほしくないと思った。
男性ばかりの職場で、年頃の友達も居なかった“ユリア”に出来た初めての友達、アン。
彼女が居てくれたおかげで、とても救われたことを今でも私は覚えているから。
だからアンのことは、これからの働きぶりで信頼してもらうしかないと思っている。
とりあえず、アンはアデル様が気にならない範囲での仕事をしてもらってはどうかと。
後輩2人が居ると言えど、まだまだお屋敷は人手不足なんですから。
(アンならきっと、蒼黒龍の事とか体質的にも平気でしょうし)
……というわけで私がアデル様を説得し、アンはめでたくメンバー入りしたわけですが、
まだ前途多難ですね。ここはしっかり信頼関係を築く為にサポートしていかなくては。
「ふう……」
一方、周りはとっても平穏で喜ばしい事が増えてきているというのに、
私は何でしょう……未だに心の中がぽっかりと空いた感覚が残ったままだったりします。
いわゆる……燃え尽き症候群? あれですよきっと。
(アデル様の事、ユリアの事、そしてリオさんのことと主人公ズの事も)
平穏無事に問題を解決できたことは良い事なんですよね。
でもここでの新しい目標を見つけられていない私は、
これからどうしていこうかなと、悩んでいる最中でして、手探りの状態です。
(考えてみれば、今までが役者漬けの毎日だったからな~)
演技の為にいろいろな面を犠牲にして生きてきた私、
だから普段の生活の中でも、ほぼ中心になってやっていたから、
それを、すっぱりもうやらなくても良いんだとなると、他に何も思いつかなくて、
私は次に、ここで何をすればいいのだろうと思うんですよね。
頑張ろうって気持ちはあるんですけれども。
「クウン?」
「ううん、なんでもないよリファ」
そうそう、リファはもうすぐ出産の時期を迎えているらしい。
その為に、私よりも大事をとらなきゃいけないようなのですが、
今でもリファは私の事を何かと気にかけてくれるんですね。優しい子だ。
リファが安心して出産できるよう、落ち着ける環境を整えなくては。
でもこの子との関係にも、実はちょっとだけ変化はあった。
私が春になったら、アデル様のお嫁さんになることが決まったせいか、
リファは私を自立したと判断して、以前より始終べったりと付き添わなくなったのだ。
だから、私はお出かけを許してもらえるというわけ。
(まあ、一応お出かけの際には報告はするけれど)
気を付けていきなさいね? とリファは言っているのか、
額をすりすりしてお見送りしてくれるんだ。
子供が生まれたら赤ちゃんを守ろうとガルガル期が来て、
リファ達に近寄れなくなるのかな~……と、寂しく思っていたのだけれども、
どうやら私とティアルは生まれてくる子のお姉ちゃん、お兄ちゃんの立ち位置らしく、
私達が近づいても警戒するようなことも起きていないから、安心じゃないかとのこと。
でも……他の人はやっぱり警戒してしまうようですが。
やっぱり、以前亡くしてしまった子供たちの経緯がありますから、
あまり他の人間には傍に寄せ付けたくないみたいで、
いつも冒険をしていたローディナ達でさえ、今は近寄らせていませんし。
「みいみい、ハイッテモ、イイ?」
「あ、ティアルいいですよ。針も片付けましたから」
ティアルはそんなことを知ってか知らずか、時折リファのお腹を触りに来るし、
自分の大好きなぬいぐるみを貸してあげるね。と傍においてあげたりもしている。
「みいみい、ティアル、ニイニイナノ」
ティアル、お兄ちゃんらしいことをしたいみたいです。
……でもすぐに子供たちはティアルや私達の大きさを越えそうだな、
ということは黙っておこうかな。うん。だって成体のリファを見たらね?
早めにリファ親子の部屋も用意してあげなきゃ。
「みい、ハヤク、アソボーネ」
そっと触って頬ずりするティアルの仕草は、
見ていてとても微笑ましさを感じるなあ……。
リファもそんなティアルを見つめる目は優しいし。
「うん、サイズもちょうどいいみたい、ありがとうユリア」
アンは着替えた自分の姿を見下ろして頷いている。
「これでアンも、正式にこのお屋敷のメンバーに仲間入りですね。
ちょっとは慣れましたか? 不便なこととかあれば教えてください」
「う、ううん大丈夫。ここの皆さんはとても親切で優しくしてくれるし。
私のような髪色でも、怖がられないでいてくれるもの。
……それに不思議なんだけど、ユリアとはずっと前からの友達みたいで、
一緒にいるとなんだかとても安心するの。ここまでしてくれて、本当に感謝しているわ」
「……っ、い、いいえ、いいんですよ。私もその、同じ気持ちですから」
まさか、元親友だったんですよ? とは言えるわけもなく、私は言葉に詰まる。
アンは流石に、アデル様と違ってユリアの事を分かるわけはないと思うけれども、
こんな風に何気ない話をしていると思う事がある。
こうしてまた友達になれるとは、“私”も思ってもみなかったんだよ。
だからいろんな感情がこみあげてきて、言葉に詰まった。
あの頃のように戻れなくても、また仲良くなれたらいいな。
「さてと、後の仕上げはアンでもできますよね」
「大丈夫、じゃあ私は2階の掃除に行ってくるわね。
それから休憩時間に制服の仕上げをするつもり」
「ええ、じゃあまた後で」
私はアンと別れて、次の仕事を探すべく立ち上がった。
「あ……雪だ。これは積もるかな?」
魔王の出現の話が落ち着いてから、王都は厳しい冬を迎えていた。
私にとっては初めてのローザンレイツで迎える冬になる。
一時的とはいえ、自然と密接な関係であった蒼黒龍が魔王の核とされていた事で、
龍脈から大量の魔力、つまりは生命力が消耗し、この冬に大きく影響を及ぼしていました。
巷では植物が育たないなどの生育不良などで物価の高騰が見られ、
店から次々に品物が消える減少が起きているとはいうが。
(私は蚊帳の外なので実感がないな。アデル様に外出禁止されているし)
品物が育たないことと、一時的な魔物の出現が増えた事で、
行商の往来が減少したのも理由の1つだとは思うけれども、
王都は勿論、大陸中で食料不足が起きているらしい。
ローザンレイツの場合は、国で備蓄していたもので不足分を補い、
暴動が起きないよう、徐々に提供する事でコントロールしているようなので、
今の所あまり混乱はみられていないが、それでも品薄状態が続いている状態だ。
……が、実をいうと私の住んでいるお屋敷では、
まだ許容範囲で過ごしていたりする。
「ユリアさんが今後、物価高騰と品薄になるって言っていたから、
みんなで備蓄に奔走して大変だったけれど、今ではやっておいて正解でしたね」
後輩のユーディはそう言いながら、貯蔵室のストックを確認しに来た私に、
部屋の鍵を手渡してくれた。この冬を越す為には保存食の管理が鍵だからね。
「ルディ王子様からもお話を聞いていましたからね。読みは当たりましたね」
そう、破滅に導く魔王の正体を知ってからの私は、
屋敷での生活を守る為の対策を真っ先に考え、干した野菜やキノコや海藻、
木の実の備蓄は勿論の事、温室を用意して色の濃い野菜を重点的に育てる事にしていた。
魚や肉も保存が効くように干して燻製にしたり、塩漬けにしたりと忙しく行い、
果実も煮詰めてジャムにしたり、穀類をちょこちょこ買いためて置いたのです。
あの時の私達、グッジョブ!
「春先になったら落ち着くとは思いますけど、やっていてよかったですよ。
これでアデル様に不自由な思いをさせずに済みそうですし」
野生で生きていた頃、食料が減る冬の時期は木の皮とかをかじり、
飢えをしのいでいたというアデル様。ここでそんな思いをさせたくなくて、
私は栄養ある温かい料理を提供したかったんだ。
「ふふっ、ユリアさんはいつもご主人様のこと第一ですね。微笑ましい」
「ち、ちがいますよ。えっとあの……」
「照れなくても~ふふふ」
でもおかげで私、保存食の作り方にとっても詳しくなってきましたよ。
私の居た日本では高温多湿な所が多かった為、
発酵にはとても適した環境だったのですが、
ローザンレイツではそうもいかず、湿度はそれほど高くない。
大陸にある国によっては違うとは思いますが。
だからほぼ上手くできるのは、運と天候任せでもあった。
だからもうね。十分発酵できるようにリーディナにお願いすればいいんじゃないかと、
温度と湿度が保てるように、空き部屋を改造してもらったんですよ。
(これでいろいろ発酵食品とか、調味料を研究出来ると思うんだ)
パンももっとふんわり美味しく出来ると思うし、発酵玄米も作れそうだよね。
あ、そうそう弟のリイ王子様が、
玄米の状態のものを大陸某所から手に入れてくれたんです。
とある国によっては米が野菜の部類に入り、食されていたりするそうですよ。
(ふふ、これでアデル様にオムライスを作ってあげられそうです)
メイドと言えばオムライスサービスですよね? ずっとやってあげたかったんだ。
アデル様、卵料理がとっても大好きですからね。
白米でないのは残念ですが、これも栄養がありますし、
食べられるなら文句は言わない。
ローザンレイツはどちらかというとジャガイモが主食なので、
パンはあるけれども保存ができて、携帯にも適した水分量の少ない固めのパンが主に出回っている。
お皿代わりに使われる丸く平らに作られているものとかもありますね。
端を少しずつちぎってスープに付けて食べるんですよ。
だから、用途までを考えれば、ローザンレイツではあまりふわふわのパンとか、
もちもちのパンを作ろうという発想が無かったんですね。
だから以前、私が騎士団の皆さまに簡易のふわふわパン作って驚かれるわけだ。
(冬場は寒すぎて、上手くパンが焼けなかったらどうしようかと思っていたけど)
私が夢を諦め、目標すらもなくなった後に私が考えたのは、
とりあえず、アデル様のお嫁さんになるのだから良妻賢母とやらを目指そうと思った。
うん、思ったんだけどね? ここで一つ問題が起きましたよ。
そもそも良妻賢母ってどんな感じでしょうって思ったんです。
メイドさんだったら元の世界でもいろいろと参考資料があったから、
予備知識として勉強する事は可能だったけれども、
良妻賢母の手引書なんてないんですよね。嫁の心得の書とか?
一応、この国には花嫁学校という、貴族の令嬢が通うような所もあるそうですが、
使用人を使う事で「家庭の天使」でいることを求められるとか、
余り実用的でないんですよね、ようするに余り賢すぎたり、
せかせか働く嫁はふさわしくないとか、そんな感じなのです。
そうしたら友達のローディナがこう教えてくれたのです。
『うーん。実際は奥方様となると家事のスキルは持っていて当然よね。
新人のメイドにも指導したりするし、そのお屋敷の料理がおいしいことは、
奥方様の手腕によるものとみられるのだから』
『ああ、それは私も本で読んだことがあります』
そういえば、メイド関連の中にもそんなこと書かれていましたね。
つまり、まずは料理を極めないことには、良い奥さんとは言えないらしい。
(むむむ、アデル様も料理を始めた事だし、私もがんばろうかな)
つい最近知った事なのですが、異性の好みの食べ物を用意し、
かつ、それが手に入りずらく、珍しいものであれば珍しいものほど、
贈ると至上の求愛行為となり、かなり強力なアピール効力があるらしいのです。
つまりですね? 私が以前アデル様の為に何気なく用意してあげたプリンとか、
ふわふわのオムレツのサンドイッチとかの料理は、この世界の人では作った事もない、
とても珍しいものであるそうなので、アデル様にとっては蒼黒龍すらも真似できない、
至上の求愛をされたことになるのだとか。
まさか……プリンがそんな効果を持っていたとは、私はつゆ知らずでした。
要するに私は知らず知らずのうちにアデル様を胃袋で掴み、
魅了していたことになるんですね。
(アデル様はそれと同等なものを私に贈りたいと思ったようで、
ああして料理をしたいと思ったのも、理由の一つとは聞いたけれども)
今は簡単なスープしか作れないアデル様ですが、
いつかは卵料理に挑戦してみたいそうで、これからアデル様と仲良く厨房に立って、
一緒に料理する日が来るのかもしれないなと思うと、こそばゆいような、
恥ずかしいような、そんな気分になります。
そんなわけで、私も現在少しずつ花嫁修業というのをすべきなんでしょうが、
考えてみたら今までやっていることと、たいして変わらないなとも思ってもみたり。
……なので何というか、他にやる事はないのかなとも思っているんですね。
「ああ、そういえばユリアさんは、いつまでその恰好でいるんですか?」
「え?」
ユーディの言葉に私は思考が一瞬停止した。
「だってユリアさんは、もうアデルバード様の正式な婚約者になるのですし、
春には婚礼を挙げるのですから、もうメイドは続けていられないですよね?」
「!?」
な……なんですと!?
※ ※ ※ ※
「アデル様! アデル様――っ!!」
私はぱたぱたと動き回り、帰宅していたアデル様の存在を求めて屋敷中を探した。
「どうしたユリア?」
温室にやってきたら、そこにはアデル様が居たので飛びつくように抱き着く。
「アデル様!」
「今日のユリアはずいぶんと積極的だな……だがそんな君もいい」
受け止められて頭をなでられる。そしてアルカイックスマイルを向けられた。
いつもながらイケメンテロリズムは今も健在ですね。
これを少しでも、他の方への社交に活かしてくれたらいいんですが、
本人も無自覚でやっているようなので、どうしようもできません。
アデル様はそのまま、私に顔を近付行けてキスしようとしてきたので、
私はぱっと彼の口を両手で塞ぐ、今はそれどころじゃないんですよアデル様。
「アデル様、私、メイドでいられなくなるんでしょうか!?」
「ん?」
「アデル様と結婚したら、メイドさん辞めなきゃいけないんですよね」
そうですよね。私がメイドとして働いていられたのはアデル様の使用人だったから、
結婚してこのお屋敷の女主人になったら、私はこの恰好すらできなくなるわけですよ。
つまり……今後、私はどんな格好で過ごせばよろしいんですか!
「制服を普段着ているから、普段着はそんなに必要ないと思っていたのに」
奥方様らしい恰好って、余計に難易度が高くなってきた気がしますよ?
そう、今の今まで忘れていたけれども、アデル様のお嫁さんってことは騎士団長夫人、
普通なら魔王を倒したという功績とかも得ていたから、
英雄として褒章貰ったり、爵位とかもらって、土地とかもらったりして、
奥さんは片手団扇とかでおほほってやっているものなんじゃ?
(まあ、これはリオさんの救済でなしにしてもらったけれども)
なにより、この格好にとっても落ち着いている為にとても寂しい。
一言でいうなら、普段、着ていた部屋着を取り上げられるようなものです。
そうか私はメイドヒロインではなくなってしまうのか。
つまり……ヒロイン卒業ということですかな。これは。
いや、そもそもメインヒーローと結ばれてしまっている私は、
既にヒロインとしては、終了のお知らせをするべきなんでしょうけれども。
(ちょっと待って、そうなると直ぐに奥様のスキルって必要なんじゃ?)
という疑問なども沸きまして。奥様となるのにすごく自信がなかった。
(気品とか立ち居振る舞いとか、所作全般に置いて自信がないですよ)
とりあえず料理を含む家事が出来たらいい、ということは分かったのだけれども、
他の奥様スキルがどんなものかも分からない。
それにですね? まだ、まだお屋敷のメイドさんをもっと増やしてですね。
“おかえりなさいませ、ご主人様”
……と、一同が左右に並んで出迎えるのもまだ達成していないのに、
なんたることでしょう。
「そうだな。君はもう俺の婚約者でもあるし、この屋敷の女主人になるから、
これからは使用人を使う側の人間だから、メイドである必要はないな。
服が欲しいなら、今度ここに仕立て屋を呼んで何着か仕立てて貰おうか?
それともまた直に店に行って生地を見てから作ろうか?」
「む~」
「……できれば俺はもう直ぐにでも辞めてもいいと思うんだが、
ユリアは肌も弱いだろう? この時期はアカギレとやらになると聞いたし、
ああ、言ったそばからユリアの指が荒れているな。すぐにクリームを塗ってやろう。
可哀そうに……また冷たい水に手を付けたんだろう?」
「……お嫁さんになるのは、もう少し見送った方がいいでしょうか」
「なっ!?」
ぼそっと言った言葉に、目の前でがーんとショックを受けているアデル様がいるけど、
でも、私はメイドユリアとしてまだ極めていない部分があると思うんですよね。
そう私にはまだ伸びしろがあるはずなんだ。
メイドスキルを全てEXクラスにするまでは。
こちらの感覚ではともかく、まだ結婚するには若いと思うし、
ここは結婚をもう少し待っていただいて、それからでも遅くないんじゃ?
やるからには極めてみたい、そんな私の悪い癖が出てしまっていた。
メイドとしてもまだまだ半人前な私が、
この屋敷の立派な奥様にはたしてなれるのかと。そう思ってしまったんですよね。
カンストまではいかなくても……って、そもそもそういう特殊ステータスとか、
私は見られないけどさ。
「ユ、ユリア? お、おおお俺の伴侶になるのはそんなに嫌なのか?」
「へ? いいえ。アデル様のことは……その、大好きですよ。
アデル様のお嫁さんになれるのも、とても嬉しいです。はい」
報われない恋愛だと思っていた頃に比べたら、今の自分はとっても幸せですもん。
顔を赤らめながらそう言うと、アデル様の顔はぱっと表情が明るくなった。
そうだ。そう言えば私アデル様に、こうしてちゃんと好きだって伝えてなかったですよね。
私もようやくアデル様の気持ちに追いついて、
素直に伝えられるようになったみたいです。成長したのかな自分。
「私がメイドを辞めたら、アデル様のお世話もあまりできなくなりますし」
それはちょっと考えたら切ないなって思うんだ。
これからは皆様にお世話してもらう立場になるというのなら、
アデル様が食べている時に、お茶を用意してあげたりするのも、
お部屋のお掃除も、髪を整えてあげるのも、これまで築いてきた専属メイドとしての仕事を、
他の人にお任せしないといけないなんて。
「アデル様のお傍にいたのは私だったのに、メイドを辞めたりしたら、
今よりもあまりご一緒できなくなりそうで、それがとても寂しいです」
その場所に居られたのは私だけのはずだったのにって、
ちょっとジェラシーとかがね。ほら、アデル様は結構もてるから、
彼の世話を喜んで引き受ける女性の方が多い気がするし。
アデル様は私がそう言うと、私の手の指に自分の手を添えてきたかと思ったら、
そのまま私の手の甲に口づけを落としてきた。
「ユリア……ああ、そんなことを心配していたのか?
大丈夫だ。ユリア以外に俺の専属のメイドは必要ないからな。
じゃあ、ユリアの心配事もなくなったことだし、今すぐにでも俺の花嫁にならないか?
人間の形式は後でやるとして、本来ならとっくに思い合った時点で俺達は……」
私のひざ裏と背中に手を添え、抱き上げたかと思えば、
そのまま、ぐぐっと顔を近づけて額に口づけてくるアデル様に対し、
私はぐいっと手で顔を遠ざけ、ぶんぶんと顔を振った。
「でも、それとこれとは別なんですよアデル様。
メイド服が着られないとなると、その他にもいろいろと不便なんです」
この服は汚れてもいいように用意されていたけれども、
これからは普段用のドレスに、エプロンを着けなきゃいけないでしょ?
やっぱり汚れないように気を使って大変だと思うんだ。
つまりですね。今までのように好き勝手には動けないというわけだ。
それにメイドだからこそ行動出来る事もあるので……そんな事を思っていると。
(――そうだ! これを変装用に取っておくという手もあるよね)
ほら、よくお話でもあるじゃないか。
旦那様が危ない時に、奥様が潜入捜査とかして、旦那様のピンチを助けるの!
(おおお、なるほど! メイドヒロインは辞めても、そういう奥様を目指せばいいんだね)
そうだそうだ。元々私は“隠し”メイドヒロインでもあったんですよ。
だからこの場合でも、隠れて隠密メイドをやればいいんじゃない?
花嫁修行と書いて「嫁活」と読むかっことじ……は、
これから必死に身に着けるとして、いざという時に行動できるように、
変装衣装に取っておけばいいんだ。
(その為には戦う練習も、これらかも続けていかないといけませんとね)
そうすれば、メイドからは完全に切り離されたわけじゃなくなるし、
仕事は以前よりもできなくなるけれども、他に活かせるかもしれないものね。
私はいい事を思いついたと思い直し、アデル様に、
「やっぱり予定通りにお嫁さんになります」
と言っておいた。よし、そうと決まれば早速変装七つ道具を用意しなくては。
(目の色を変えるメガネは、前に収穫祭の時にリーディナがくれたから)
まずはヅラだ。ヅラと言えばあの人だよね。私はアデル様ににっこりほほ笑んだ後、
さっとアデル様の腕から飛び降りて、次の準備をするべく駆け出した。善は急げだ。
役者時代に鍛えたこの行動力を、いかんなく発揮してみせようじゃないか。
「ユリア、待ってくれ! それは今すぐに花嫁になってくれるのか?
それとも春先までやっぱりおあづけなのかっ!?」
「えっと、じゃあ春先まででお願いします?」
私はいろいろと準備期間があるということに気づきましたからね。
アデル様はがっくりとした顔で項垂れていました。
ごめんなさいアデル様、これもアデル様との平和で幸せな未来を守る為なんです。
どうぞお許しくださいませね。
そうでないとアデル様の事だから、すぐに行動に起こすと思うんだもん。
私が長い眠りから覚めた後、既に生活していた部屋は撤去されており、
アデル様の隣の部屋にある奥方様用の部屋に、私と私の荷物は移動されていましたし、
部屋に二重の鍵をかけても、アデル様は壁に穴を開けたり、ドアを破壊したりで、
私の部屋に簡単に入ってこられますから。ええ、既に前科があるのです。
強引とはいえ、ようやくアデル様と人型で添い寝できるまでにはなったけれども、
今まで演技一筋で異性とろくにお付き合いもしてこなかった手前、
もう少し、もう少し段階を踏んで待っていてほしいんです。はい。
せめて耳元でささやかれても、笑えるくらいの器量にはなりたいと思いますから。
まだあと少しは、手をつないだり、アデル様の腕の中で眠るだけで許してください。
……これだけでも十分進歩しているんだと思うんだ。うん。
「さてと、じゃあお手紙を出そうかな」
「みい? ユリア、ダレニダスノ?」
「ん? ああ、ルディ王子様にですよ、ティアルも送りますか?」
「みい! オクル!!ルディ、ルディ~」
この子ってば、なんでそんなにルディ王子様大好きなのかしら?
ちょっと保護者としてジェラシー感じてしまうではないか。可愛いから許すけど。
早速ティアルがクレヨンで書いたお手紙と一緒に、私は第一王子のルディ王子様宛に、
いそいそと羽ペンと羊皮紙を使って手紙をしたためる。
「手ごろなヅラを作ってくれる店を教えてください」
……そして期待を込めて手紙を出してみた。
できればアデル様とお揃いの色の物を作ってくれると、なお良いのですが。
(変装用以外に、アデル様と同じ色合いのが欲しかったんだよね)
アデル様の髪の色はとても目立つから、だったら私も同じ色合いをしていたら、
珍しくなくなって、アデル様も気にならないかなって思ったんだよね。
(夫婦でお揃いの髪色……ふふ、いいかも)
するとすぐにメサージスバードが戻って来て、
「私の髪は直毛だよ! このサラサラの金髪は私の自慢なんだ」
という、なんだかあせっているような返事が返ってきたけれども……。
私は別に、ルディ王子様のヅラ疑惑を疑ったわけじゃなかったのだが、
王族だからいろいろな衣装屋さんと懇意だろうし、その縁とかで、
装飾品の良い所を教えてほしかっただけなんだけどな……。
とりあえずルディ王子様には、お返事を書いて置こうかな。
「知っていますか? 金髪男性はハゲやすいんですよ。
黒い髪と違い、金髪はメラニン色素が薄いので、お日様から出る紫外線という、
外からの刺激を受けやすい体質なんです。他にも男性のホルモンという……」
……などと、つらつらと男性の髪質の話題を予備知識としておまけに書いておいた。
私は男性じゃないけれども、一応は金髪なので帽子をかぶったりして、
紫外線対策はばっちり行っているんですよ。なんてことも書いておきましたが。
後日、顔を青ざめたルディ王子様が、
「この歳まで私は何も対策をしてこなかった!」と、
リーディナのいる工房に駆け込み、大量の育毛剤の生成を頼んでいたらしいが、
私はそんなことよりも自身の今後の準備に忙しかった。
なので、リーディナから苦笑気味にその話をされたけれども、
右から左に話を聞き逃してしまったのは言うまでもない。
※ ※ ※ ※
「――こんにちは短期で入りました姉のローディナです」
「同じく、妹のリーディナです」
「「よろしくお願いします。奥方様」」
さらに数日後、アデル様が友人のローディナとリーディナを引き連れ、
私のいる部屋にやってきたかと思ったら、背後から現れた二人は、
なぜかメイド服を着ており、ニコニコと私にあいさつをしてきた。
「ローディナ、リーディナも! 二人ともどうしたんですかその恰好は」
二人はお揃いの若草色のメイド服を身に包んでいるではないか。
ヒロイン二人のメイド服、とってもとってもレアな光景でそして可愛いです!!
……というか、ちょっと待って奥方様ってなに?
「えっと実は……困った事があってね」
そう言いにくそうに話すのは双子の妹であるリーディナの方で、
すると今度は姉のローディナがその話を続けた。
「この子がね……新作の実験の最中に工房を爆破してしまったのよ」
「ええっ!?」
聞けば龍の素材を使わずに、効果の高いものを作ろうとした双子の妹リーディナは、
その威力を求めるあまりに、加減を忘れて実験をしてしまったらしく、
借りていた工房を一部破壊してしまい、大家さんに修理費を弁償した結果、
貯金が底をつき、研究にあてる予算が無くなってしまったというのです。
もちろんこれは、二人の親御さんの知ることになり、こっぴどく怒られたそう。
そ、そこまでして怪我がなくて本当に良かったと思います。
「あの時、ルディ王子様が大量の育毛剤を依頼してくれていなかったら、
余計大変な事になっていたわね。お陰で借金にはならずに済んだもの」
と、妹のリーディナが言えば、
「で、持っていたお金は修繕費に全部回して、ぎりぎりなんとかなったんだけど、
家賃が今後払えなくなりそうだったので、工房は一旦引き払うことにしたの。
私達にはまだ常連さんも余り居ないし、無名に近くてランクも低いから。
今後できた製品とかは、ギルドに委託料を支払って置かせてもらうことにしたのよ」
そう言って姉のローディナが頷く。
「後はそう、今後の為の開発費用を含めた予算をどうするかだったんだけど、
困っていたら、アデルバード様がユリアの話し相手になってやって欲しいってことで、
学業の傍らでいいからと、ここに雇ってくれることになったの」
「もちろん、普段のお仕事もするという訳で短期の日雇いで、
これからちょこちょことお屋敷にご厄介になるわね」
「アデル様……」
「部屋が余っているから、庭にある離れの小屋を工房代わりに貸し出す事にしたんだ。
それならユリアも寂しくないだろう?」
……あ、それってたぶん私がローディナ達に会いに1人で外に出かけるから、
心配してそんな話を持ちかけたんじゃないかなと思った。
だってアデル様、さっきから目線を合わせないでいるんだもの。怪しい……。
きっと私をメイド業から廃業させるために、話を持ちかけたんだわこの人、いや龍か。
(まあ、今はリファが傍にいないのもあるんだろうな)
外の寒い外気に余り当てさせたくはない、というのもあるんでしょうね。
ずっと眠り続けていた私のせいでアデル様を心配させてしまった手前、
本当に申し訳なく思う。アデル様のような丈夫な龍にしてみたら、
私はとても儚く見えるんだろうな。
……そんなに心配しなくても、今はすこぶる元気なんだけどね。
「アデルバード様、寝泊りする際のお部屋の家賃も無料で貸し出して下さるって仰って、
しかもユリアの専属となるなら、お給料もくださるらしいの。
私、なんてお礼を言ったらいいか!」
ローディナがそんな経済的な事情が晴れて喜んでいる一方で、
「ふふ……っ、これでユリアを遠慮なく沢山おめかし出来るわね。
趣味が実益になるなんて嬉しいわ、どんなドレス作ろうかしら。
ユリアにはぜひ、年頃の女の子の楽しみを教えてあげたいと思っていたのよ」
着せ替え放題よね……と不敵な笑みでくすくす話しているし……。
「もふもふ天国よね」
と悦に入っているリーディナがいました。
リファは今あんな状態だから……と言ったけれども、
「また仲良くなるから大丈夫」と上機嫌だった。二人ともたくましいな、流石だ。
「というわけで、まずは春に向けてユリアの髪形とお化粧をどうするか極めようと思うの、
もうすぐ婚礼だもの妥協はよくないわ。一生で一番輝ける時間だものね」
「え、あの……」
私はそこまでこだわらなくても、今の髪形でもとか思っていたんですが……。
「あとはユリアってば、あんまり服を持ち合わせてないって話だったでしょ?
ユリアをイメージしたデザイン画は、もういろいろ出来上がっているから」
「ちょ、リーディナ」
あなたのお姉さんが暴走してますよと言いたげに、妹のリーディナの方を見れば、
「ユリア、ああなったローディナはもう誰にも止められないわ、諦めなさい」
「そ、そんなっ!!」
「うふふ、今しか着られないものもあるから、沢山楽しみを教えるわね。
もちろん、ティアルにもお揃いの物を作ってあげるから」
「みい? ティアル?」
私の肩に乗せているティアルを見て、目をキラキラさせたローディナを見て、
私は気が遠くなりそうだった。ああ、ローディナが遠い人に見える。
「何を騒いで……ああ、ローディナさん、リーディナさんいらしていたんですね。
その恰好はどうされたんですか?」
騒ぎ……という状況だったのか、やってきた後輩のイーアがやってくると、
いつもは私の友人として遊びに来ていた二人が、
今日は珍しくメイド服を纏っていたのでとても驚いていた。
「あ、こんにちはイーア、お邪魔しています」
「今日から後輩としてお世話になりますね。うふふ」
「え? 後輩? どういうことですか?」
「えっと……日雇いで今日からここのメイドを始めたそうですよ。副業ですね。
あ、ということは、仕事のある日は住み込みも兼になるのかな?」
「ええええっ!?」
イーアが困惑で固まってしまった横で、
ローディナはいつものほんわかスマイルをして、
そうだわと、両手をぽんっと合わせて私の方を振り返る。
「ねえねえ、ユリア、今日は女子会をみんなでやらない? アン達も誘って」
するとリーディナまで姉の意見に賛同した。
「いいわね。前にやった時楽しかったもの」
女子会……確かに久しぶりだし、それはいいですね楽しそう。
そんな事を考えていたら、私の体が一瞬ふわりと浮きあがり、
アデル様に担ぎ上げられた。
あれ? なんかデジャヴ? 肩に担ぎ上げられた私は呆然とアデル様を見つめる。
離して、そう言いたげに手でぺちぺちして軽く叩くけれども、彼はどこ吹く風だ。
「――駄目だ。ユリアは俺と一緒に寝る」
そのままみんなを置き去りにし、私はアデル様に拉致される羽目に。
ちょっと待って―っ!? 私、言い出しっぺじゃないですからねアデル様~っ!!
(はっ!? そうだ。みんないるからメイド恒例のあれが出来るんじゃ?
よし、センターはアンに任せて、期間限定でメイド隊を編成しようかな!)
いや、その前に今はこのアデル様の腕から脱出しなくては。
遠くでみんなが、ヒューヒュー言っているけど、私を助ける気はないようだね君達!!
仕方なく私は、「寝る時はアデル様と一緒に寝ますよ」というお約束をし、
それまで女子会に参加するということで、なんとかお許しをいただくことになりましたよ。
まあ……そんなこんなで、ここ、ラグエルホルン邸にも新しい風が吹くことになり、
いろいろあるけれど、私はこの世界でたくましく元気に楽しくやっています。
だから、遠いお空の上で見守っていてくださいね。お兄ちゃん。
……なんてことを思った。ある日の何気ない一日でした。まる。




