93・決別と最終決戦
「アデル様と一緒にいたいです」
――例え、それが……私が元の世界にもう戻れなくなってしまっても。
そう覚悟を決めて選んだ選択は、過去の自分と故郷との決別だった。
(不思議だな……諦める時はもっと絶望的な気持ちだと思っていたけれど)
心の中はなぜかとても穏やかなものですっきりしていた。
(迷いがふっ切れたせいかな)
気持ち的には、もう私はユリアとして生きる事に覚悟がついたからかもしれない。
元の世界にいつか帰る。そう思っていたから頑張れたことも勿論あったけれど。
(お父さん、お母さん……ごめんなさい)
こちらの世界に来て、思い出さなかった日はない私の大切な家族。
私の元の体が今あちらでどのような状況なのかは分からないが、
きっと帰ってこない娘を見て、悲しませてしまったと思う。
(マネージャーさんも、青柳先輩もごめんなさい)
あんなに目にかけてくれたのに、事務所の人達にも迷惑を掛けてしまう。
そして私が元の世界に帰るのを諦めるという事は、
子供の頃から頑張ってきたことがなかった事になることでもあった。
夢を叶える為にこれまで努力してきたことも、
そこで出来た縁も、大切な兄との約束も。
(お兄ちゃん……)
思い出すのは、私の人生の目標であり兄でもあった律のこと。
私に夢を持たせてくれた。背中を押してくれた。
なのに私はそれを破ってしまうんだ。
(お兄ちゃん……ごめんね……私、夢を叶えられなかったよ)
夢を諦める時、それは人それぞれやむをえない事情によるものだと思うけれど、
私はもしもその時が来るなら、自身の限界を感じた時だと思っていた。
声優になる事まではできたけれど、まだまだ駆け出しの新人の1人という立場、
それだけでもすごい状況なのだけれども、私の目指したのは遥かその先、
兄のような役者になりたかったが、まだ辿り着けてはいなかった。
だから帰らないと決めた時に、真っ先に思い浮かべたのは兄と交わした約束。
大切な約束だった。とても大事な夢であり、私には絶対に叶えたいものだったはずだ。
それでも、どこかしらで私は気づいていたのかもしれない。
ここでの生活を過ごすうち、アデル様との想いが強くなるうち、
私は大切なものから“目を背けてしまっていた”部分があったことを……。
※ ※ ※ ※
「ユリア、どうしたの? 具合でも悪いの?」
みんなの所に戻ってきた後、ぼうっと物思いにふける私を心配してか、
ローディナが隣に座り顔を覗き込んでくる。
「冷えるものね……熱でも出てきてしまったかしら」
「い、いいえなんでもないですよローディナ。心配かけてごめんなさい」
「ユリアハ、カラダガヨワイ、コレヲ、モッテイルトイイ」
「みい?」
そう言って元気のない私を心配し、アデル様はティアルを私に差し出してくる。
いや、確かに温かいですが、ティアルがきょとんとした目で見ていますよ。
「みい、ティアル、ダッコ?」
意図が分かったのか、ティアルは私にギュッと抱き着いてくれる。
いや、これって私の方が君を抱っこしているんじゃないでしょうか? なんて。
その姿をアデル様が羨ましそうに見ていた。本当は自分がやりたかったらしいが、
なにぶん今の体はぬいぐるみですらね。それは流石に無理でしょうとも。
ぶつぶつと「ケガアルダケジャ、ダメダナ」とアデル様が呟いているんですが。
これ以上、毛玉種族に執着しなくてもいいよと言ってあげるべきでしょうかね?
「さて……と、だいぶ進んだな。天候が良くて助かった。
この調子なら、数日中には目的地に着くんじゃないか?」
騎士の一人が休憩地点の岩の上に荷物を置き、そう同僚に話しかけている。
アデル様との合流後、彼の道案内もあり私達は迷うことなく進むことができていた。
「それにしても……気のせいかな、なんか時々1人増えている気がするんだが」
「お前もそう思うか? 実は俺もさっきからさ、
何か人数が増えている気がするんだよな」
「ちょっ!? ラミルス副団長まで何を言うんですか!
怖い事を言わないでくださいよっ!!」
「お、俺、そういうのダメなんですからっ!!」
「何言っているんだよお前ら、紅炎龍のくせに情けないなあ」
その会話に、私が内心ぎくりと反応してしまう。
騎士団のお兄様方がそんなことを言っているのも無理もありません。
何とか無事に主人公ズなお二人が仲間入りし、同行することになったけれども、
ディータさんは皆に正式にあいさつをしていないので、その存在を知っているのは私、
ティアル、リイ王子様だけだったりする。
そう、つまり私達には神出鬼没な謎のメンバーが1人紛れ込んでいる状態なのです。
(さすがに……言えないよね。アンにもディータさんの事は秘密なんだし)
彼女の中にもう一人の男主人公が居るなんて。
(主人公というか、ディータさんはサポートキャラ的な立ち位置になっていますが)
主人公は“1人しかいない”という概念の制約が、こんな形で実現しているとは。
そう、アンが戦闘時に危険に晒されるたびにその不思議な現象は起きた。
戦況が危なくなってくると、彼女を守るために彼はアンと瞬時に入れ替わり、
魔法で武器と服装を作り変えたディータさんが現れ、
戦闘が終了する頃には、ささっと姿を消してしまうという不思議な現象が。
それは戦闘時のどさくさに紛れているからこそ、出来る芸当だと思う。
誰もディータさんがアンと入れ替わった事までは流石に気づいていない。
まるで、何事もなかったかのように済んでしまっているので、
戦闘が終わった後は、何人かが首をかしげている姿があったが、
私は知らぬ存ぜぬを装っていた。
(一瞬の事だから、皆も確認出来る前に姿を消しちゃうし)
きっと必要以上に。アンに負担がいかないようにしているんだろうな。
実をいうと、あれから神様の川元さんの方も、
なぜかちょくちょく姿を現すようになっていた。
でもその姿が見えるのは、どうやら私とティアルとリファ位なもので、
リイ王子様に至っては、気づく前に彼が姿を消すものだから、
私に用があってのことなのかもしれないと思い始めた。
(あ……また居る)
地面から視線を上げると、遥か先の木の下で私においでおいでと、
手招いている川元さんの姿があるんだな。
「……」
にこにこと笑った知らない人について行くのは、
流石にどうかとは私も思いますが。
(……前にも助けてもらったし)
白昼夢で見た時に兄と一緒にいたのも引っかかる。
私はアデル様を抱っこしたまま、素直に彼の導くままについて行くことにした。
これまでの様子を見ると、悪意のある人には見えなかったのが理由の一つ。
どう考えてもこれは「自分について来て」という意味だろうし。
ただ、追いついた瞬間にはもう先の場所に行っているんだよね。あの人。
一度、きっちりお話しがしたいのだけど、まだその時期ではないという意味かな。
「あれ? ユリアどうしたの?」
指し示されるまま、獣道が出来ている方向へ歩き出す私に、
リーディナが気づいて声をかける。道は二通りあり、一つは私が歩く獣道、
もう一つは人が歩いて出来たような道があったのだが。
普通なら獣道ではなく、大きな道を選ぶのに迷わず私が此方を歩きだして、
皆も不思議に思ったようだ。
「ええと、こっちから行った方がよいと思います」
「え? それって巫女の勘か何か?」
「いえ、そういう訳ではないのですがなんとなく……導かれている気がして」
神様の川元さんの案内する道は安全だと、感覚でなんとなくわかる。
アデル様から貰った祝福の力のお陰で、私の視界には淀みない空気の層が見えた。
その中で案内された道はまだ瘴気に浸食されていない。
(きっと安全な道を教えてくれているんだ)
導かれるままに私はリーディナにそう言って歩を進めると、
トラップや魔物の遭遇率が、以前よりかなり低くなっているのに気が付いた。
やはり、彼は安全なルートを教えてくれているらしい。
悪路などで足止めされるなることも殆どなく、
私達の移動計画は予定よりも順調に進んでいた。
そうしてしばらく歩いていると、傍に居たティアルの様子がおかしくなった。
肩に乗っていたと思ったら、突然ふるふると体が震えだし、
耳がへちょっと垂れ、私の名を呼びぎゅっと抱き着いてくる。
「ティアル?」
「みい~……ティアル、コワイコワイナノ、デモ、ユリアマモル!」
そう言いながら、私を守ろうと私にひしっとしがみ付いているんですが……。
ティ、ティアル。私の顔にへばり付かれたら前が見えないよ?
「ちょっ!? ティアル前が見えないですよ」
ぷはっと息を吐きながらティアルを引きはがすと、
目の前に黒い大きな水晶の塊がそこかしこにあるのを見つけた。
「なにこれ……洞窟もないのに、なんでこんな水晶が」
リーディナが驚いて辺り一面に広がる水晶の群れに目をやると、
私もそれをまじまじと見て、ある事に気が付いた。
「こ、これって前にローディナが閉じ込められていたのと同じものじゃ……」
「確かにあれと似ているな……ここら辺はやたら黒水晶の塊が多いな。
地図にはこんなものは載っていなかったが魔物が作り出したものか? 」
呆然と水晶を眺めながら立ちすくんだ私の横を通り過ぎ、
ラミルスさんが目の前の水晶をコツコツと軽く叩いた。
「見ているだけでなんだか吸い込まれそう……。
ちょ、ねえ、ローディナ大丈夫?」
「え、ええ、だ、大丈夫よリーディナ」
そうは言いつつも、ローディナの顔は少し青ざめているように見えた。
水晶を見て、あの時の事を思い出してしまったのだろう。
その様子を見て、リーディナが姉を安心させるように手をつないで歩き出す。
何かあったら今度こそ守る。そうリーディナは思っているんだろうな。
「勝手に触らない方がよいのではないか? また飲み込まれる可能性もある」
お、流石はルディ王子様、慎重派ですね。
「うわっ!? お、おーいこっち来てくれ!!」
驚いた声を上げた騎士の方へ近づいてみると、
其処には黒水晶に閉じ込められた人達の姿があった。
その中には何人か見覚えがある。アデル様と一緒に討伐隊として旅立った人達だ。
「あ……アデル様」
「……ココデ、オレイガイハノマレタ」
――龍の仲間はリオさんに飲み込まれ、人間は水晶に閉じ込められた。
アデル様は静かな声でそう言った。
私達が知らなかった空白の時間の話をアデル様が項垂れながら話す。
これまで口を閉ざし、彼らの事を話さなかったのは、
こんな事情があったからなんだろう。
薄々だけれども皆、アデル様の様子からもしかしたら……とは思ってはいたが、
実際にその状況を見てしまうとと、やはり冷静ではいられない。
アデル様は誰の供も付けず、単独で私に会いに戻って来ていた事からそれが分かる。
……だからこそ誰も聞くことができなかった。事実を受け入れたくなくて。
「……ナニモ、ナニモデキナカッタ」
「アデル様……」
きっと囚われたのはあっという間の出来事だったはずだ。
アデル様は何もできなかった過去の自分と今を重ねてしまったのだろうか。
私はアデル様の頭を撫でながら、目の前の水晶を見上げた。
「……あの時と、同じ」
以前ローディナ達が、水晶に閉じ込められた時と同じものが目の前にある。
それもあの時よりも遥かに数が多い水晶の塊として。禍々しい光を放ちながら。
まるで水晶で出来た墓場のようだった。
「あ……」
アンも青ざめた顔で、ぎゅっと胸元に手を当てて唇をかみしめていた。
自分が敵に加担してしまった形になる彼女の後悔は、きっと計り知れないだろう。
そしてこれを引き起こしたのは、まぎれもなく彼女の想い人……いや、龍なのだ。
「……まだ息がある。どうやら中で眠っているようだな。見た所、外傷もない。
これがお前達の言っていた黒水晶の効果、中で呼吸も出来るのか」
どうやら魔力を吸い上げるのがそもそもの目的らしい。
水晶に触れている地面からは幾筋もの黒い筋が出来ており、地脈へと流れている。
魔力を引き出し、集められているのだろう。
これは人柱だ。魔王に魔力を供給する為だけに生かされている生贄。
「……こんなものまで作れるとはな」
ルディ王子様は人が閉じ込められた水晶の周りを歩いて確かめる。
そうだ。彼は以前いなかったから、実物を見るのは初めてでしたよね。
この水晶の塊の先に一部なぎ倒された木々がいくつもあり、開けた道が出来ている。
水晶から流れている魔力の筋もその先に向かっていた。
では、きっとこの先にリオさんが居るのだろう。そして、そこにアデル様の本体も。
「なあ……確かこれさ、ユリアちゃんが前に壊していたよな」
「そうそう、ユリアちゃんが触れたら水晶が一気に粉々になって」
「なるほど、ではユリア君、頼めるかい?」
「は、はい、やってみますね」
私はアデル様を下に降ろすと、アデル様は不安そうに私を見上げている。
大丈夫ですと頭を撫でてから深呼吸をし、慎重に水晶に触れてみた。
(あの時のように、粉々になってお願いっ!)
ローディナを助けた時に、砂塵の粒になったあの時のイメージを思い浮かべた。
――が、小さく亀裂が出来たけれども、なぜか水晶が消える事はなかった。
むしろひび割れたその亀裂も、何事もなかったかのように塞がっていく。
「そんな消えない……どうして?」
あの時と同じことをしただけでは駄目なの? 触れたまま呆然と水晶を見上げる。
拳で何度か叩いたり、持っていた短剣で切りつけても何も起きなかった。
「なんで……なんであの時は壊れたのに」
「……リオガ、ツヨクナッタセイダロウ」
この世界の魔力を搾り取ろうとしている為に、この程度ではびくともしないのか。
アデル様が言うには龍脈からも魔力が吸い上げられ、これ以上吸われ続けると、
生き物が育まれる為の力が枯渇し、死に絶えてしまうらしい。
時間は待っていてくれない、着実にリオさんは力を付けてきている。
一方の私は……いまだ神鏡を覚醒させる鍵の手がかりすら見つけられていなかった。
気持ちばかりが焦ってしまう。アンもディータさんも味方になってくれたのに、
このままでは、リオさんの力が強すぎて私達では歯が立たないのではないか。
(早くしないといけないのに……っ!)
目の前に助けたい人達がいるのに、それができないなんて。
明らかに自分の実力不足だ。神鏡は私の心の声にも反応してくれなかった。
私は辺りを見渡して神様の川元さんが居ないか探した。
もしかしたらあの人ならって思った。でも、こんな時に限って彼は現れない。
だからまるで見放されてしまったような気持ちになってしまう。
弟のリイ王子様を見ても、彼は首を振るだけだった。
「だめか……ではしかたないな……先を急ごう」
もどかしいが、ここで今私達が出来る事は何一つないとルディ王子様はそう判断し、
王都に一度連絡を入れて先を急ぐ事を皆に伝えた。
今は助けられなくても、魔王をどうにかできれば助けられるかもしれない。
そう一縷の望みをかけて私達は苦渋の決断を強いられた。
(ごめんなさい……ごめんなさい)
私が覚醒できていたら、神鏡をもっとうまく使いこなせていたら、
助け出せる可能性はあったかもしれないのに。
騎士団の人達は気丈に振舞っていたけれども、目元は潤んでいた。
この時に抱いた気持ちは、きっと皆一緒だったと思う。
「絶対に助けましょう」
「うん」
ローディナの言葉に私は強く頷き、リーディナもアンも頷き返した。
今はできないけれども、きっと、必ず。
そう誓いながら進む道は険しくなり、岩肌も多くなってきた、
息を切らして木の根を除け、やがて開けた場所へと辿り着き、更に先を急ぐ。
やがて歩を進めていく先で、地響きのような音がどんどん大きく聞こえてくる。
聞こえてくるのは大きな獣の叫ぶ声、物がぶつかり合うような鈍い振動の音、
近くの木々がなぎ倒されていく音に、私達はいったん立ち止まると互いの顔を見合わせた。
もしかしたら私達は、ついに魔王の居る所まで辿り着けたのだろうか?
皆、思い思いに武器を構え、少しずつ音のする方へと慎重に歩いていく。
するとそこには――……。
「いた」
牙をむき、唸り声を上げながら黒い巨体が2匹、
どしんどしんと音を立てて戦っていた。
一方は角が片方折れているものの、体躯が一回りも大きい蒼黒龍。
そしてもう一方は――……私がずっと探していた存在。
「アデル様……っ!」
「ナンダ?」
腕の中の方のアデル様が、はいっと右前足を上げて返事をして見せる。
い、いえ、貴方も確かにアデル様なんですけどね?
私が呼んだのはあちらの方なんです。
(ああ、もう紛らわしいなあ)
そんなやり取りをしている私達に、聞こえてきたのは意外なもので。
「味覚音痴な君にはあの子の育児は無理だ! 僕が育てる!!
小さな子にあんな不味すぎる物を与えているなんて、なんて不憫なっ!
僕ならもっとましな食べ物を与えてやるさ、肉とか肉とか肉とかな!!」
「何を言う、あれはユリアが喜んでいつも飲んでいるんだぞ!」
「そればかりか、あんな小さい子になんて物騒な物を持たせているんだあああっ!!
人間の使う凶器を持たせるなんて、君の気は確かかっ!?
君よりこの僕の方がよっぽど良いご主人様になれるだろう。
さあ大人しくあの子猫をよこすんだっ!! あの子は僕が飼う!」
「ユリアは俺の花嫁だ。この俺から奪うなら容赦はしない!!」
「あ、あんな幼い子を花嫁にするだになんて、なんてことを考えるんだ。
僕は知っているぞ、君みたいなのを“ろりこん”というんだろう!
やーいやーい、ろりこん、ろりこーん!」
二匹の蒼黒龍は、キシャ―と互いを威嚇しながら、
そんなことを先ほどから言い合っているではないか。
なんとか近づこうと思っていた私達は、一斉に固まったのは言うまでもない。
あのう~……この状況下で何をしているのでしょうか。この方達は。
「え? な……何をやっているの? あれ?」
思わずアンが、低レベルな子供の喧嘩をしている2匹に対し、ツッコミを入れる。
そうですよね。死闘を繰り広げている中で話す内容ではありませんよね。
「えーと、たぶん猫スキーなリオさんは、飼い主の主導権を握ろうとしていて、
アデル様は花嫁を奪われると本能が判断して、暴走しているんだと……思います」
どう見ても、世界の危機の為に争っているようには見えません。
話している内容から察するに、子猫姿でリオさんと対峙した際に、
リーディナから貰った劇物入りのお菓子とか、私専用の健康茶とかをですね。
お口の中にぽいぽいっと、ごちそうしてあげた時のお話でしょう。
ええ、私がラスボス戦だと勘違いして意気込んでいた。
そんな時期の懐かしいお話です。若気の至りというものですね。
「あの時のリオさん、リーディナお手製の、
【どす黒クッキー】を食べて泣いて喜んでいましたよ」
遠い目をしながら当時の事を皆にそう語る私。
無謀にも子猫が挑んだ魔王戦のお話。ええ、若気の至りというものですね。
泣いて……そう、悪役さながらの捨て台詞も言って下さいましたよね。
あの時の事、やっぱり根に持っていたようです。
流石は野生育ち、食べ物の恨みは強いな。
私がやった張本人なんだけれども、
何を勘違いしてかリオさんはアデル様がけしかけて、
純粋無垢な子猫だった私は利用されただけだと、疑われなかったんですよね。
自首までしたんですが。未だに信じて貰えていない様子です。
「リーディナの……そう、リーディナ、貴方の創作料理が役立つこともあるのね」
ローディナがその時の状況を悟り、皆が一斉に合掌する。
「ちょっ!? なんで魔王の方に同情するのよ! みんなっ!」
「リーディナ、貴方はきっと将来、凄い錬金術師になりますよ。
魔王様すら卒倒させるクッキーを作れるんですから」
「ユリア、それ褒めてないから!」
「そうね! いっそのこと“魔王殺し”って名前でクッキーを売り出しましょう。
大型の魔物相手にも通用するなんてすごいわ、リーディナ」
「ローディナまで何を言い出すのよ!!」
それにしても死闘を繰り広げているにしては、
なんて低レベルな争いをしているのだろうか。あの方達は……。
しかも争いの原因が私だったなんて。ここで話すことは他にもあるだろうに、
ほら、同郷の友としてとか、敵に回った親友を諭そうとする台詞とかね。
ちょっと何なの? これってラスボス戦じゃないの? 違うの?
「こ、これじゃあ私が原因で喧嘩しているようにしか見えない」
思わず両手で顔を覆ってしまう。皆の視線が痛い……そして恥ずかしい。
とてもこの世界の存亡をかけた戦いとは思えませんでした。はい。
「ダイジナハナシダ。アイツハ、ユリアヲネラッテイル」
きりっとした様子で、重々しい声で話すぬいぐるみのアデル様。
これは重大な問題だそうだ。いえ、でもあのですね?
「アデル様、リオさんは私を花嫁にしたいという意味じゃなくて、
飼い猫……つまりペットとして飼いたいだけだと思いますよ?」
「キュ?」
「なに、そうだったのか」と言いたそうな表情をしましたね。今。
も、もしかして本気で気づかなかったの? アデル様!!
どこまで天然なのですか、貴方はっ!! 私さっきも言っていたのに。
「ソウダ、ユリア、ヨロコンデクレ、リオニクッキー、クワセタゾ、サッキ」
「え?」
あ……もしかして前に私がリオさんにしたお願いの事だろうか。
リオさんに「どす黒いクッキーたべて」って子猫姿でお願いをしたんですよね。
それを見てアデル様が「ユリアの願いは全て叶えてやりたい」と頼んでいたような。
きっとあの会話の後に、リオさんに食べさせる分として所持していたのだろうか。
「イヤダ、イウカラ、ネジコンダ」
「え゛っ!?」
それでさっきから涙目で話していたのか、リオさん……少しよろけているようだし。
ぬいぐるみのアデル様は、私のお願いをまた一つ叶えられたと満足そうにしている。
なんか食べた後、体のいろんな所から煙がでていたようだったけど、
「リオダカラ、ダイジョウブダロウ」と気にしていないらしい。
被害に遭ったのが、アデル様自身じゃないという事も関係しているとは思うが。
アデル様にとってはその行為は、
私の願いを叶える為のノルマの一つだったのだろう。
願いを叶えられないと、またアデル様が暴走しかねませんからね。
「とにかく一旦あれを引き離した方がいいな。ここに分身も居ることだし。
さて、どちらがアデルバードで、どちらが魔王になるのか」
ルディ王子様は、素早く動き回っている二匹を見分けるのに苦労しているようだ。
「魔力の強い方が魔王だとは思うけれど、こうも動き回られているとね……」
ローディナが困ったように皆の顔を見回した。
ここで間違えてアデル様を傷つけでもしたら、大変な事になってしまう。
だからこそ慎重になるべきなのだが、何せこちらには時間がない。
でも私の場合、最初から2匹がどちらだか見分けられていた。
というのも私は見分け方を事前に知っていたから。
「角が一つ折れている方がリオさんです。
だから体が一回り大きい方がリオさん、小さい方がアデル様です」
「どうして分かるんだい? ユリア君」
「アデル様の剣が、彼の折れた角から作られているからです。
亡くなったリオさんの形見として、アデル様はいつも持ち歩いていましたから」
さらっとルディ王子様の問いかけに答えたあとに、私はハッと我に返った。
そうだ……これって私が知っているアデル様のゲームの設定であって、
私自身がアデル様から直接聞いた話じゃなかったんだった!!
案の定、腕の中のアデル様は少し驚いた顔で、
私の方をじいい……と見上げていたけれども、
私はさっと目をそらして知らないふりをした。全身から冷や汗が流れる。
ま、まずい……ふ、深く追及されないようにしないと。
「じっ、時間稼ぎしないと。その隙にこちらのアデル様を本体に」
そう言って私は装備していたディアナの短剣を持ちかまえた。
闇属性が強い蒼黒龍、しかもリオさんは特に同胞の闇を内に取り込んだ存在。
なら、この短剣の影縫いの特殊効果も有効なはずだ。
「私がリオさんの動きを何とか止めてみます。その隙に皆さんはこれを」
私は残っていた卵煙幕を皆に手渡し、風魔法が使えるリファ達には、
その卵煙幕を壊して上手くリオさんの視界に纏わりつくようにして欲しいと頼む。
チャンスはきっと1回だけ、そう何度も同じ手は通用しないだろうから。
「アン、私はアデル様を元に戻しに行きます。
貴方はリオさんの方の気を引いてみてくれますか?
もしかしたら今のリオさんなら、アンの言葉が届くかもしれない。
貴方はリオさんと心臓を媒介に繋がっているから、その逆の方法もあると思うから。
今度はアンの方から呼びかけてみて、リオさん本来の自我を呼び覚ませば」
内側から働きかけて、浄化できるかも知れないと私は考えた。
今のアンは私の持つ神鏡の加護を受けているのだから。
「私が思うに、闇属性は誰かの心に巣食う闇にも強く作用するんじゃないかな、
だとするなら、アンが自身の持つ心の闇に囚われないで味方に出来るなら、
今は一時的に遮断した媒介の作用も、つなぎ直して逆に利用できると思うの」
属性にはそれぞれ、良い面と悪い面がある。
今回の場合、悪い面に働いてしまったのならば。
「本来、闇が持つ特性は“安らぎ”魂を鎮める力があるはずだから。
リオさんが本格的に暴走する前に、止められるかもしれない」
運命のいたずらにより、すれ違ってしまったリオさんとアン。
やり直せるチャンスがあるとするなら、きっと今しかない。
私にはその詳しいやり方までは分からないから、その判断はアンに任せる。
「できるのかな……私なんかにそんなことが」
うつむくアンを励まそうと両手を取り、私は自分の両手で包み込む。
「……自信を持って、私は知っているの、貴方はこの運命を変えられる切り札だって。
貴方の想いがリオさんに届くのなら、きっと助けられる可能性があるはずだから」
「ユリア……」
「知っている? 口から放つ言葉にはね“ことのは”って言う力があるの。
良い未来をつかみたいのなら、良い言葉を使わなきゃ」
「良い……言葉?」
「そう」
それは私が役者を目指していたからこそ、特に意識していた事。
誰よりも使う言葉を重んじる職種の人は、これをよく理解している必要があった。
だから、私はいつも前向きに言い続ける事が未来を切り開く鍵だと思っている。
もしも私がこの世界に来ることに意味があるのだとしたら、
それを他の人に教えてあげる事じゃないかな。
それがきっと私に与えられた“役割”なんだと思う。
「元々、リオさんは誰よりも人間との共存を望んでいた龍だったそうです。
人間には悪い人ばかりじゃないって教えられたら、きっと希望はあると思う」
私とアデル様が心を通わせることができたように。
「それができるのは、リオさんを誰よりも大切に思っている人だと思うんだ。
だから自分を信じて、貴方の言葉で自分の想いをリオさんに届けてあげて、
勇気を出してみて、私は貴方を信じているから」
私のその最後の言葉を発した瞬間、何かがキイインと鳴り響いた気がした。
その瞬間、私の「言葉の選択」は間違っていないんだと確信する。
私が知る限り、物語をハッピーエンドにする鍵は主人公との信頼度だ。
それも物語を左右する「サポートキャラ」の信頼度が必要不可欠になる。
“勇気を出して、私は貴方を信じているから”
この台詞は、私が何度も何度も練習したからこそ覚えている。ユリアの台詞。
無数にあった台詞の中でも難しいと思っていた言葉の一つ。
言葉には力がある事、それを私はこの世界に来る前に教えてもらっているから。
(これは昔、お兄ちゃんが私に教えてくれたこと)
私はまだこの台詞が使われた状況をゲームでは確認していなかったけれども、
きっと使うとしたら今だと思うから。私はこの言葉をアンに贈る。
一度は閉ざされてしまった私達の未来が切り開けるようにと、願いを込めて。
「わ、分かったわ。やってみる」
「はい、でももしも危なくなると分かったらすぐに逃げてくださいね?
その時は一旦皆で逃げて次の手を考えましょう」
「うん」
一度、ぎゅっと互いの手を取り握りしめ、互いの健闘を祈る。
怖いのは一緒、でももう1人じゃない。きっと大丈夫だと信じなくちゃ。
「よし、それじゃあそれでいくか」
他に有効な対策案がなかったこともあり、
ラミルスさん達も私の提案に乗ってくれた。
ルディ王子様が指揮をとり、すっと右手を挙げて合図を送ると一斉に走り出す。
――しかし、状況は余りにも不利だった。
「きゃあああっ!?」
ローディナの悲鳴に驚き、前のめりに立ち止まる。
一同がさっと声のする方へ急いで振り返る暇もなく、
私達を足止めするように黒水晶が突如地面から現れ始めた。
それはまるで黒水晶から作られる黒い檻のようで。
「しまった罠か!?」
「閉じ込められる!?」
「まずい逃げろっ!! 急げ!!」
誰かが次々に叫び、散り散りになって来た道を引き返す。
皆が逃げ出している中、檻が完全に出来上がる前に、
私は腕の中のアデル様を見た。
「……アデル様?」
「……っ」
アデル様の様子がおかしい、もしかしたら何か影響が出ているのかもしれない。
このまま、また本体と引き離されてしまってはアデル様に負担がかかったままだ。
唇をぎゅっと噛みしめた私は、皆とは違う方向へと向いた。
(本体とはまだ距離があるけど、迷っている暇はない……っ!)
左手でぐっとアデル様を抱え直しながら、ステップを踏む、
靴に着けたアミュレットから風を最大限起こすようセット、
そのまま私は目の前の大きな水晶目がけて駆ける。
「ユリア君!?」
ルディ王子様が驚いて私の名を呼んだが、振り返る暇はない。
早くぬいぐるみのアデル様を本体へ戻さなきゃ!
私は助走を付けて一度水晶で出来た壁を駆けあげるように蹴り上げ、
ジャンプした瞬間に風を巻き付け宙に舞い上がる、
それと同時にぬいぐるみのアデル様を勢いよく目の前の本体へと投げた。
ぎょっとして振り返った本体のアデル様と私の視線が重なる。
「ユリア、何を……」
「アデル様――っ!!」
それと同時に檻は完成し、私は一瞬にして闇に包まれ、中に飲み込まれていく。
アデル様へと伸ばした指先も闇に覆われ、もうアデル様に触れることも出来ない。
「ユリア――ッ!!」
悲痛なアデル様の声が遠のいてく、遠ざかっていく光のある世界。
視界は既に真っ暗に塗りつぶされていき、もう誰かの声も聞こえてはこない。
吐息すらも感じられない冷たい空間へ閉じ込められた。
(ああ……もしかしてこれって……)
――もう一人のユリアが見た、最後の瞬間となんだか似ている……。
「アデル……様……っ」
もう一度伸ばされた手は宙をつかむ。
私はまるでスローモーションのように闇に飲まれていく自分を感じた。
そして――……私の意識は途切れた。




