8・異世界お風呂事情
夜の帳が下りて、私の本日の仕事も無事に終了。
アデル様は仕事終わりに騎士団の寄宿舎で湯浴みをすませたりする事も多く、
何より、人のお世話をそんなに必要としない性格なので、
お屋敷の維持と身の回りを多少できれば、後は自由時間となります。
(こんなに広いお屋敷なのに、お客様を呼んだりしないのは残念ですが)
アデル様は正体を隠しているものの、人間嫌いの龍族だ。
人となれ合うのはまだ苦手そうなので、仕方ないのかも……。
彼が人間の習慣に慣れるには、もう少し時間がかかりそうです。
(これは、主人公さんにお会いする前に、ある程度改善していかないと)
「よし、いいかな? では……そろそろ」
「クウン?」
私は一気に屋敷の中が魔法具のランプが灯される頃、
部屋にある白い羽飾りの付いたベルをちりりんと鳴らしました。
これは本来、客人や主人が使用人に連絡する時に使用する物で、
魔力が無い人でも屋敷中の人に分る「天使の知らせ」と言う伝達器具。
戦闘の時とかに使うと、仲間にだけ分かる音域で合図を送れます。
ベルが鳴らすと、屋敷の中の人々の話し声が一斉に静まり返った。
実はこの時が一番とても居た堪れなくなる瞬間だったりする。
「ほら、行きましょうアデルバード様」
「ああ……本当にユリアに付き添わなくて大丈夫だろうか?」
「大丈夫ですよ。小さい子じゃないんですから」
「俺から見たらユリアはまだ小さいが……。
それにユリアはまだ不慣れだろうし」
直後、ぞろぞろとおじサマーズが自室に移動する音が響きました。
実はさっきのベル、私がお風呂に入ると言う合図だったりします。
なんでこんな事をしているんだよとか、普通は思いますよね?
これは、ここへご厄介になる時に決められた事なんです。
(……や、私別に何も要求してませんでしたよね? 居候ですし)
でも若い娘一人の存在が、おじサマーズを酷く動揺させたのは事実。
初めての女性のお客様というのも一つの理由ですね。
『も、もしもこれで、お嬢ちゃんにまで逃げられたりしたら、
俺達の面目も丸つぶれだ。余計に変な目で見られるぞ』
『女の子に悪さする男達が居るって言われるんじゃ……』
『な、何か気になった事とか、嫌な事があったら遠慮せずに言ってくれな?!』
『わしらで出来るだけ何とかするから!』
『は、はい……』
これまで女の子達が、泣きながら屋敷を逃げ出す事が多かった事もあり、
アデル様の悪い噂は彼の使用人達にも飛び火しているのか、
男性の皆様方は自らの潔白を証明する為にも、
保護されていた私に対し、かなり気を使ってくれたようです。
私の扱いは細心の注意を持って接する事が義務付けられました。
……何だか自分が、もの珍しい動物にでもなったかのような扱い振りでしたよ。
※ ※ ※ ※
そんなルールが決まった状態でのお風呂タイムですが。
「あ、静かになった……もういいのかな?」
「クウン?」
私が入浴を済ませ、無事に部屋にたどり着くまで、
廊下と広間は全て無人状態になります。
何も其処までしなくても……と思いますが、私が嫌な思いをしないようにと、
皆さんはかなり気を使って協力してくれていました。
「うーん……このまま続けていいのかなあ……?」
しかも、この間だけはご主人様のアデル様も皆さんと一緒に自室待機です。
聞き耳を立てても駄目、じっと大人しく……物音すら立てず、騒がず、
息を殺すようにして過ごす状態になっております。
「私、一応使用人ですよね……という扱い振りなんだけど。
自分のご主人様にまで、こんな事につき合わせるって、どうなんでしょうか?」
半分、預かったお客様という扱いが残っているせいかもしれません。
でも、大丈夫、私気にしないので! と言っても誰も信じちゃくれない。
『その無防備さが命取りなんだよ?!』
……と、泣きながらおじサマーズに説得されました。
そしてリファまでもが、
『ウオンウオン!』
と言って懸命に何か言っていましたね。
でも、ごめんね? 犬語ならぬ狼語って私分からないんだよね。
(皆様があれだけ気を使って頂いているからこそ、大丈夫だと思ったんですけども)
――リファも居るし。そう、信頼しているからこそ出来ると思ったんだ。
(アデル様なんて、ほら……龍のお兄さんだから私なんて興味もないでしょうし)
けれど正体を知らないおじサマーズ達は、
アデル様が私に手を出すんじゃないかと心配しているようなんだよね。
「でもなぜ……こんな扱いを受けているのに、アデル様は怒らないんでしょうかね。
分かる? リファ? 貴方はアデル様の使い魔よね?」
「クウン?」
「う~ん」
あの人間嫌いでプライドの高い龍のお兄さんが、
大人しく使用人の人達に説得されている姿が、容易に思い浮かぶのはなぜだ。
(アデル様……それでいいのですか? 貴方は一応メインヒーローでしょ。
ガヤに負けてどうするのですか……立場的にはアデル様の方が偉いんですよ?)
アデル様は『そうか』としか言ってくれていないし、
怒ってるのか同意しただけなのか、全くもって分からないものだから、余計申し訳ない。
(――嫌なら、言って下さってもいいんですよ? むしろ言って下さい)
勿論私は、何度もおじ様に何度もお断りしましたよ。
ええ、全く聞いて下さいませんでしたが、もしもアデル様が言って下されば、
皆様をお止め出来ると思うのですが……人間の娘の知識を余り知らないせいか、
おじ様に言われるがままに従っている姿をお見かけしました。
しかもおじ様の一人は、アデル様と同じ部屋で待機です。
これはアデル様が何を言っても、何が何でも絶対事項だそうです。
そんな彼は、私が一人で入浴できるのか心配したので、
『本当に大丈夫なのか……やはり俺が一緒に入ってやろうか?』
と言ってきたせいですね。これは。
私の記憶がないせいと、龍族である彼にとって私は小さい子に見えるのだろうか。
リファに任せるだけで本当に大丈夫かと、毎回聞いてくるので、
放っておいたら心配して覗きに来そうだよあの方は。
だからそんな様子を見て、おじ様達が危機感を持ってしまったらしく、
内側から鍵を掛けて出入り口である唯一のドアの前で座り、
主人を監視しながら、時が無事に過ぎるのを静かに待つつもりなのだそう。
――手にハタキを持って。
以前、確かに言っていたけど、なんでハタキなんでしょう?
しかもそれで万一の事があればって、あってたまりますか。
(龍、つまりはドラゴン。めっちゃくちゃ強いんですよ。
しかも、きっとヒーロー補正がかかってるだろうし、
ぷちってやられますって、皆さんに言えませんけれどね)
それに彼は女性に乱暴な事はしないと思います。
元々人間を嫌いなせいで、必要以上は関わろうとしないと思うんだ。
そう、つまり警戒心がとーっても強いんだ。
どちらかというと人間には無関心な感じですし、暴君のような人だったら、
悩みながらも人間と共存生活なんてしてないでしょう。
皆がそうだと言えば、「それが人間の常識か……」と、騙されそうです。
これからアデル様には、戦闘知識以外の一般常識を知って貰った方が、
彼の為になるような気がしますよ。
(今のうちに、保証人とサインはしないようにと教えておかないとな)
本物のユリアがいつ戻って来てくれるかもまだ分からないし。
だとしたら私がアデル様を陰で守ってあげなくちゃね。
あと……ユリアとの距離感も学んでおいて欲しいと思う。
そうしないと、これで戻ってきた彼女が大変だものね。
だからこのお屋敷には、私よりも心配な方がいるんだという事を、
皆さんには分かって頂きたいなあ。
「さてと、では、皆さんの配慮を無駄にしない為にも、
さっさと済ませてしまいましょうかね。リファ、おいで~」
「クウン?」
着替えとタオル、専用に支給された石鹸を持って立ち上がると、
リファは先導して案内してくれるようで、尻尾をこちらに差し出してくれた。
私は大人しくリファに勧められるまま、
リファの尻尾をつかんで前進する。
「(お母さんが、お風呂場まで連れて行ってあげますからね~?)」
……という意味なのでしょうか? この構図って。
ええ、もうリファがそういうつもりなのは何も言いませんよ。
でも尻尾をつかまれて嫌じゃないのかなと、
ちょっと心配になったので、力加減に気をつけようかな。
「ふふ……っ、リファの毛って本当に柔らかいね」
「クウン?」
「柔らかくて、草と陽だまりの匂いがする」
相変わらずリファは真っ白で、素敵なふわふわの毛並み。
リファの優しさに甘えつつ、歩を進めます。
なんだか子供の時に、どこへでも犬のぬいぐるみを持ち歩いていたあの頃みたいだわ。
……あれ? そういえばあの時のぬいぐるみどうしたかな、
お気に入りだったのにな~とか、今はどうでもいい事を思い出しつつ、
私はこれまでの事をふと振り返っていた。
元々このお屋敷は王族所有の物だったので、設備が良い。
お風呂は主人用と使用人の個室に各自供え付きのものと大浴場があり、
使用人が使う個室のものはヒップバスという座浴タイプの小さなもので、
大浴場はつい先日開拓に成功した場所です。
『体を湯に浸かるようになれたらいいのですが……』
と、私が何気なく話をした言葉を覚えていて下さったおかげです。
「今後、雇用の時に大事なのは職場の衛生面の管理ですよね。
お手洗いと入浴などの水回り、そして食事、従業員の身だしなみは大事だし」
昔の使用人をされた方の中には、お風呂にもろくに入れて貰えないで、
それが原因で辞めてしまう人もいたそうですから。
つまり、お風呂に入れられるというのは雇用主の一種のステータスでもあり、
働く人が確認する重要な条件だったりするようだ。
だから、女性の使用人を増やしたいのならば、
まずは給料面だけでなく、生活の基盤となる所を整えてはどうか? と提案してみたら、
「まさか、言った直後に使用人総動員で大浴場の清掃をして下さるとは」
よっぽど女手不足なのを気にしているんでしょうね。
これで新しい人材確保が出来たらいいのですが。
「せっかくだからさ、リファも一緒に入らない?」
「クウン?」
洗ってあげるよ? と誘ってみたんだけれど、
リファは私を傍で見守るつもりらしく、首を振って断られました。
(じゃあ万一何かあった時は、リファを呼べばいいと……ほうほう)
でも皆はああして引きこもっているのに、
一体誰が覗きに来ると言うのでしょうか?
まさか隙をついてアデル様が覗きに来るとでも思っているのかな?
「それにしても残念ですね。リファも体を洗ってあげようと思ったんですが……」
ふわふわのリファの毛並みを洗えば、至福の時間を味わえそうなのに残念。
手をわきわきさせてみましたが、効果無しでした。
「クウン~」
「うん、分かった。じゃあちょっとだけ待っていてね?」
リファが申し訳なさそうにしたら、それ以上は言えないよ。
※ ※ ※ ※
――気づけば目の前には違う光景が広がっていた。
そして、”私”は見知らぬ場所で立ちすくんだまま、涙を流していた。
「アデル……さま……」
目の前に居るのは、手を取り合い、見つめ合う一人の男女の姿。
少し前まで、そこに居たのは自分のはずだった。
そう、彼の隣に居たのは、他でもない私だったのにと。
それなのに彼は……アデル様は今はもう私の事を見ていない。
自分の代わりに隣に居たのは、赤紫色のとても目立つ髪色の少女で。
「アンフィール……アン」
アデル様は彼女の名を愛おしそうにそう呼ぶ。
彼にとっての私は家族としてしか見てもらえず、
生涯のパートナーとして必要とされている訳ではなかった。
全ては……そう、私が勇気を出せなかったせいだ。
誰よりも傍に居て、誰よりも彼の事を知っていたはずなのに、
いつしかその居場所は、自分の親友が取って代わるように立っていた。
まるでそれが「最初から決まっていた」かのように……。
「良かっ……たね」
私は、”ユリア”はそう言って寂しげに笑いかける。
振り返る二人に、必死になって笑みを浮かべて告げる。告げなくては、いけなかった。
だってそれが、そうするのが「自分の役目」だったからと。
「アデル様と、お幸せに」
それは、1人の少女の悲しみと引き換えにされる事など、
目の前の二人には気づかなかっただろう。
そうしてユリアは、大好きな親友と好きだった人を祝福した……。
※ ※ ※ ※
「……っと、いけない、さてと、そろそろ上がろうかな」
気づけば湯船の中で眠りこけていたようだ。頭ががくっと動いて目が覚めた。
危なかった。溺れる所だったじゃないか。
「あれ、でもなんか……今、夢を見ていた気がするけど?」
とても悲しい夢を見た気がしたが、思い出せる節はない。
(……疲れているのかな)
今頃は皆さんが静かに待っていてくれているだろうし、
余りぼうっとしてもいられないわ。あまり遅いとアデル様が様子を見に来るでしょう。
そんな事になったらお嫁に行けなくなっちゃうわ(ユリアの方が)
(アデル様は私が記憶ないからって、湯浴みも満足にできないと思っているようだし)
でもとりあえず、ここの基盤は出来てきたし、
ここの人達はみんな優しいし、本当に良かったなって思う。
――肝心の、帰る方法とユリアの行方は依然として分からないけれども。
(ユリアの事は本当に分からないままなんだよね~)
「本当に、どこに……行っちゃったのかな、あの子」
この器である体のみを残して、いまだ行方不明のユリア。
元々、隠しで存在するヒロインだけに、情報量は他よりも少ない。
気持ちばかりが焦るが、対処策は見つからなかった。
ユリアっていう名の女の子を知りませんか?
こんな姿でこんな名前の女の子なんです。
……なんて、まさかユリアの姿をしている私が聞いて歩く訳にもいかないし。
おかしなこと言っている子がいるよって思われるだけだよね
(ううん、やめやめ)
そそくさと上がって、タオルを手にして水分を拭い、
棚に置いてあった着替えを手にする。
「ネグリジェも無事に出来上がったことだし」
柔らかい水色のコットン生地で作ったので、肌に良く馴染んで気持ちがいい。
着替えも実に簡単で首と手を通して完成。下着もおそろいで作ってみた。
(流石に胸の方はけっこうな大きさがありますので、
自分で脱ぎ着が出来るコルセットをお針子の方に仕立てて貰いましたが……)
アデル様にパジャマ代わりのシャツを借りたままだったので、
これだけは直ぐに作っておく必要があったんだよね。
もう少し余裕があれば少し改良していこうかな。
だから今は、シンプルなデザインのままで使用中だ。
「よし、忘れ物は無いかな? リファ、お待たせしました。
見ていてくれてありがとうね? お部屋に帰ろうか?」
「クウン」
頭をなでると、嬉しそうふっわふわな白い尻尾が揺れる……。
そしてクルッと振り返り、先ほどのように私の方へ差し出してきました。
顔がチラッとこっちを向いて、
「(さあ、つかまって)」
そう言わんばかりに見てきます。
「うん、帰りもつかまらせてくれるんですね?
ふふ、分かりました。それじゃあお言葉に甘えます。
でもそんなに心配しなくても転ばないですよ。明かりもありますから」
「クウン?」
確かに夜は暗くて怖いなとか、ちらっと思っていたのはありますが。
もしかして、前にお化け屋敷みたいに暗いお部屋を見て私が怖がっていたから、
心配してくれているのかな? 相変わらず優しい子だね。
「じゃあ、行きましょうか?」
階段を上って部屋に戻り、ドアを閉める。
そして取り付けて貰ったドアの鍵をかけ、ベルを鳴らした。
「よし、出てきていいぞ~」
「えーと、じゃあ俺も入浴するかなあ」
「なな、カードゲームしようぜ」
「おおーいいな、やろうやろう」
すると一気に人々の声が廊下に響く。
きっとこれでアデル様も自由になれて、ほっとしているのではないでしょうか。
皆さん、今日もご協力ありがとうございました。感謝です。
「さて……今日もなんとか無事に一日が終了っと」
髪を拭きながら部屋の隅にある机に向かう。
私は其処で毎日、日記をつける事にしました。
他の人には私の国の言葉は読めませんし、
今まで誰にも相談出来なかった事を、ここに書いて気持ちの整理を付ける為に。
「今後の事を整理していかないとな」
日々の生活の中で、私が目的を忘れないように、
私が仕入れた情報をまとめ、今後の事を考えていけるように……。
きっといつか、これが役立つ日が来るはずと思って。
「あ……そう言えば……」
このまま行くと、私は主人公とも会う事があるかもしれないよね。
確かプレイヤーは男女を任意で決められた。
彼らの選択肢次第では、私の立場も変わってくるでしょう。
まあ……ゲームには居なかったリファの存在とかもあるので、
会わないで過ぎる可能性もありますかね。これだけ沢山の人が居ますし……。
もしもそれが女主人公の方で、アデル様を慕う事にでもなれば、
私はユリアの代役として、彼女の恋を応援しなければならないけれど。
ある意味、それがユリアじゃなくて私で良かったんじゃないだろうか。
だってユリアは、アデル様の事を密かに慕う立場で、
陰で傷つきながらも、二人を必死で応援してあげる子だったのだから……。
「まあ……なるようになるよね」
そう言って私はベッドにダイブ。
「リファ……おやすみ」
「クウン」
疲れていたのか、そのままものの数分で寝入ってしまいました。
――だから私はこの時、まだ知らなかったんだ。
「……」
「クウン?」
「ユリアは……大丈夫なようだな」
しばらくして私の部屋の前で足音が止まり、ゆっくりと開かれたドア。
アデル様が私の部屋の鍵を内緒で開けて、
毎晩私が家族恋しさに泣いていないか、あれからずっと心配してくれて、
私の様子をいつも見に来ていた事なんて……。
そして私が、ユリアとしてこの世界に組み込まれていた事で、
アデル様と誰かの恋愛を、ただの物語として思えなくなってしまう事を。
この時すでに、私の知らない所で何かの歯車が変わり始めていた。