72・ゆずれない願い
「ユリア!? つまりそれって……」
「一度、辿ってしまった出来事は、本来やり直しが出来ない。
だから訪れる未来を確定させないように、私は私の全てで抗う事を選んだ。
例えそれが、与えられた役割に反する行為だったとしても……」
「……」
「だからあなたのせいじゃないの。あなたが私の役割による重責に苦しむ事はない。
私自身が与えられた役割を既に放棄していたのだから」
私が聞かされたユリアの告白は、余りにも辛いものだった。
命の灯火にさらされた頃、彼女はアデル様の未来を予知したらしい。
それは彼女に秘められた力だったのか、それともアデル様を思う思い故だったのか……。
ただ私に分かるのは、自身の存在理由を捻じ曲げてでも、
一人の愛した人の未来を守る為にした結果だったという事で。
「アデル様が私の為に変わり果てて、人間に滅ぼされる運命を辿る事になるだなんて、
そんなこと私は望んではいなかった。ただ、あの方が傷ついた心を癒して、
穏やかにあの屋敷で暮らせるようになれれば、それだけで良かったの」
「ユリア……」
だから自身を犠牲に、愛した人を助ける事を願った……そうユリアは語る。
その言葉に私は確信した。ユリアは知っていたんだ。
かなり前からアデル様の正体に……そしてそれを本人には隠していた。
きっと傷つける事を恐れての事だったのだろう。
でも、その時の選択が、後に辛い恋をする結果となってしまった……。
「そう――全ては私の身勝手な……ゆずれない願いから始まっていたの」
ユリアはその時の記憶を光の欠片に変えて、私の手へと握らせた。
※ ※ ※ ※
ふと気が付けば、一瞬の間に私は闇の中に存在していた。
(ここは……? もしかして、あの夢の続きなの……?)
辺りは闇しかない、静寂と虚無の空間だった。
そして私は再びユリアの中で、既に起こった過去の記憶を垣間見ている。
深い絶望と悲しみの中、ユリアの魂は闇に飲み込まれて行く。
意識も消えそうな中でユリアの前に現れたのは、見ず知らずの一人の青年。
アデル様の髪の色に少し似ていて、不思議な形式の服装をした人だった……。
(あ、この人って……じゃあやっぱり……)
それは私にとっては、ほんの少し前に見かけたあの青年である。
黒い細身のパーカーにジーンズとスニーカー姿の人。
ユリアには見慣れない格好でも、私はよく見覚えがある服装をしている。
やはりこの人こそが、これまで私が聞いていた”川元”という神様のようだ。
『さて、これはどうしたものか。まさか役割から外れて自我が育つとは。
――俺を呼べるほどの者は君が初めてだよ。金の髪のお嬢さん』
『……あなたは……神様……?』
『神様……か、うん、そうだね。君達にとってはそうなのだろうな。
俺は川元、君の強い願いに導かれてここまで来たんだ』
『かみさ……ならば……どうか……うっ』
ユリアは痛みに声にはならない悲鳴を上げた。
私にはその辛さまでは伝わって来ないが、相当辛いように見えた。
『魂となっても体と連動してまだ痛みを感じるようだね。
仕方ない、では意識があるうちに君の要望を聞いておこうか』
『アデルさ……あの方を……助けてくだ……っ』
その願いを彼に伝えると、目の前の青年はため息を吐いた。
『……君が抱いているあの男への思いは、いわば植えつけられたものだよ?
彼を愛し、彼の為に働く事になっているが、これは流石に君の管轄外だ。
仕組まれた愛情の為に、君は自分の存在理由も歪める気なのかい?
誰も君にそんなルールを教えた訳ではないんだけどね?』
青年はユリアの額に人差し指でそっと触れる。
その瞬間、この世界のからくりとユリアの役割などの情報が体の中に流れてきた。
決められたあらすじという名の筋書きにより、もたらされてしまった悲劇、
いくつも可能性があったとはいえ、あれを辿ってしまったのはいくつもの要素が重なったが故だ。
『つまりね。こうなる未来を君たちは与えられ、君たちもそれを自ら選んでいたんだ』
――無意識に、破滅へとつながる未来を。
『だからこれは、必然なんだよ』
思い知らされる現実と、圧倒的な情報量の渦に流されそうになりながらも、
ユリアはひたすらに願っていた。愛した人の救済を。
『……おねが……アデル様……を……』
『既に決められた理を歪めるなら、それ相応の代償が必要となるよ?
この世界の法則で言うならバグのようなもの……神に抗う大罪だ。
君が居なくなる事で、何らかの影響は少なからず出てくるだろう。
今よりも辛い未来が待っているかもしれない。
それでも良いのかい? 後戻りは出来ないよ?』
『それ……でも……少しでも、可能性が、ある……なら……っ』
『分かった……其処までの覚悟があるなら叶えるといい。
奇跡の起こし方は君も知っている筈だ。俺も手伝ってあげるよ。
さあ、恐れないで、君の中に眠る封印を解くんだ。君の魂を代償に』
頷いたユリアは、震える指先で彼に言われるがままに、胸元で一つの術式を行った。
水は命の祖、風は命をつなぎ、それを音色に忍ばせて、
小さな円陣を描き、意識を集中して自身を中心に大きな円へと広げていく。
その円陣が光り始めるとそこから水しぶきが湧き、透明な水の鎖が出来上がる。
伸びてきたその鎖はそのままユリアの四肢を絡め取り、円陣の中へと引きづり込んでいく。
とぷんと音がして彼女が中へと消える瞬間、大きな波紋が空間に広がった。
引き込まれたユリアの目の前には、大きな青い龍がいた。
『アデル……さ……ま……どうか……』
零れ落ちた最後の涙の一滴が、闇の中へと消えていく。
それは決して行ってはいけないとされた儀式、
彼女が彼女である証の一つである力で、
ユリアは朦朧とした意識の中、ある者を呼び出したのだった。
ユリアの目の前に現れたのは水気を纏う一匹の青き水龍、
それは水の塊へと姿を変え、水鏡となり、神鏡ハーシェスの形となった。
現れた鏡に彼女が願いを込めると、それに応えるように大きな音色となって響く。
そして辺りを真っ白な光が覆いつくしていった……。
※ ※ ※ ※
はっと息をのみ、私は夢から覚めたかのような感覚で我に帰った。
「――そう言うことだったの……それであなただけがこの世界から居なくなっていた」
「ええ、あなたの世界の言い方だと、”降板”ということになるのかしら」
願いと引き換えに、”本物のユリア”は大切なものを失った。
アデル様との思い出も出会いも無かった事にして、
好きな人に忘れられたとしても、その人を救おうとしたユリアは、
アデル様が魔王となるきっかけを作ってしまう、自身の消滅を願ったのか。
それが以前、私が見た夢の続きであり、語られる事のなかった真相。
そして、私がこの世界に来る直前に起きた出来事だった。
(私が知らないはずだ……元々、本来の筋書きとは違っていたのだから)
確かにそれならば、アデル様がユリアの死に嘆く事も無い。
最初から彼と出会った出来事すら無くなってしまえば、
彼がユリアの在を知る事もなく、アデル様を間接的に傷つける者は居なくなる。
けれど、それはとても悲しい決断だろう……好きな人に忘れられるという事は、
どんな痛みよりも辛い事だと思うのに、それでも彼女は選んだんだ。
「そんな……そんな事って……でもそれじゃあ、アデル様はずっと孤独なままじゃ……」
ユリアが彼の傍にいて、みんなとの仲を取り持っていたのだし、
居心地の良い居場所を守ってくれていたからこそ、アデル様は人として生きられた。
家族の温もりをもう一度教えてくれたのは、ユリアがいたからこそなのに。
アデル様を癒してあげられなかったと、あの時にユリアはアンに言っていたけれど、
私は彼の傷ついた心を癒したのは、ユリアのお陰もあると思っている。
だからこそ、アデル様のハッピーエンドにはユリアの存在が必要だった訳で、
それが欠けたままという事は、アデル様は孤独なままで生きるという事だ。
誰とも分かち合う事も出来ないまま……。
(ユリアの存在は、アデル様が幸せになる為の絶対条件だった)
つまり、彼女が居なくなった時点で、その未来も当然断たれてしまった事になる。
彼が生き延びる事は出来るかもしれないが、それも悲しい結末だろう。
誰一人、心を開いて接する事ができる人間がいなくなってしまうのは……。
でもそれしか、あの時のユリアには選べなかったのか。
リセット方法はあったんだ。ただし、ユリア1人の一回限りという条件付で。
「周りの時間はなんとか巻き戻せたけれど、願いに比例してその対価は大きくなった。
これはユリアという娘に与えられた役割からは、大きく外れた大罪だもの。
服装が当初のものに戻り、体に受けた傷も殆ど癒えたけれど、
時を遡る事で、私がその願いを忘れてしまう可能性があると思った」
願いが消えれば、同じ出来事を繰り返すことになってしまう。
「それを想定したから、記憶を失くして自分が助かりたいと願う前に、
致命傷になるであろう傷だけは残したの? そうなった時の為に。
馬車から飛び降りてアデル様に保護されたのが、
本当の出会う経緯だったんでしょう? それを別の状態にすり替えたのね?」
「出来るだけ、歪みが最小限になる方法を選んだの、
ああしなければ、私が魂を代償に捧げるという理由自体も無くなってしまう、
怪我を残す事で忘れないようにとの二重の意味で残した。
その時の私はそう思っていたの……それしかないのだと」
「ユリア……」
「私はあなたがリファに発見された場所で、1人で死ぬ予定だった。
あの人の幸せを祈りながら……誰にも知られずに消えることを願っていたの。
悲劇をもう二度と繰り返さない為に、全てが始まってしまう、その前に」
あの夢の続きに、そんな事があったなんて。
と言う事は、ユリアは既に故人だったと言うことなのだろうか?
しかしなんだろう、まだ引っかかる気がする。
だって私がユリアの姿となった時、体はまだ「生きていた」のだから。
「え……あ、あの、ちょっと待って? ユリア。
あなたがアデル様との関係性を消したかったのなら、
私がリファに発見されたのって、本当は絶対に駄目なことだったのよね?」
私がユリアの姿となってアデル様に出会った事が駄目ならば、
知らないうちにユリアの決死の行動を、私が踏みにじってしまったことになる。
そして何より、本人に無断でアデル様と恋人関係にまでなってしまいました。
ごめんなさい……私はユリアにひたすら土下座をして謝った。
関係を絶つどころか、より親密になってしまってどうするよ自分。
「重ね重ね、やっぱり私はあなたにご迷惑を掛けていたんだね……」
こんな格好をして、許されるようなことではないと思っているけれど、
私は体をひたすら低くして、ユリアに謝罪をする。
まさか、そんな事になっていたなんて……。
「ほ……本当にごめんなさい。あなたの辛さを誰よりも分かっていたはずだったのに、
こんな大切なことを私が勝手に踏みにじってしまっていただなんて、
私、全然分からなくて……も、もう方法が無いって事?」
ユリアとアデル様の二人が、出会う事自体タブーとなっていたなんて。
想像すらしなかった自分の浅はかさが悔やまれる。
「どうしよう……それじゃあ私のせいでアデル様が……」
再びあの恐ろしい姿に変えてしまうことを考えると、私は全身が震えた。
取り返しのつかない事態に視界が涙でにじんでいく。
「キュウキュウ」
「クウン~?」
傍に居たリファの子供達が、怯えた様子の私を見て、
慌ててすり寄って慰めてくれているようだった。
その様子は、やはりリファに似ていると思える。
「いいえ、それは違うわ。黒髪のユリア」
「……え?」
「私は自分と引き換えにしてでもアデル様を助けたい、それだけを願った。
でもそれは、私が想像していた形とは違ったのよ。
あなたが気に留める必要はないわ」
「で、でも……っ」
「最善の選択肢、私とあなたが願ったそれぞれの望みの一致、
それがあったことで、私が予測しない別の形となって叶えられた。
私とあなた、”二人のユリア"がそろうことで、もう一つの可能性が生まれたの」
「私の……望み? 他にもあるという事?」
静かにユリアは頷いて肯定する。
これは二人がいたことで選べた”選択肢”なのだと。
「私は既に、この世界の枠組みからは外れた存在なの、
だから同じ真名を持つあなたに、アデル様の未来を託します」
この世界に存在していたユリアという少女。
彼女は、蒼黒龍アデルバードを変える役割を持つ大事な存在。
その役目を私に全て託すと、ユリアはそう言ってくれたけれど……。
「そんな、私強い訳じゃないよ……。
それならユリアの方がずっと、ずっと強いと思うよ?
全然、ユリアみたいに振舞えないことばっかりだったし。
ユリアですら駄目だったのに、私がやっても……」
ぎゅっとまぶたを閉じ、俯いた私は胸元の服をつかむ。
これから起こるかもしれない事態を思うと、荷が重過ぎると思った。
(私の行動ひとつで、アデル様の命が……)
じんわりと伝わる汗を感じ、動悸も激しくなる。
つまり私は、本物のユリア以上の働きをしなければいけないという事なのだ。
そんな私を見て、ユリアの手が光り輝き私の手の上に重なった。
小さな光は記憶となったけれど、それでより一層ユリアの体が透けたように見える。
触れた手の感触は無くて、代わりに温かい感情が伝わってきた。
「いいえ。あなたと私はとても……とても深い所で似ているわ。
囚われの友人を助ける為に、あなたは一人でも立ち向かおうとしたでしょう?
私が友人と愛する人を守る為に、自ら囮になる事を選んだ時のように。
それが例え、他の人から見たら無謀で愚かなことだと分かっていても」
その時に手渡された記憶で見えたのは、
友人のアンが、王都の中で武器を持つ男達に追われているのを見かけ、
単身、彼女を追いかけて助ける為に森の中へ入ったユリアの姿だった。
その時の心情は、ローディナを助けに行った時の心情と確かに似ていた。
「……ね? 私達はとても似ているわ。ティアルの件でも言えるわね」
愛する人の為に、相手に忘れられる事を願った金の髪のユリア。
そして愛する者を守る為に、相手を忘れる事を願った私。
確かに、要所要所で似ている点はあったのかもしれない。
「でも決定的な違いは……あなたはどんな時でも最後まで諦めない。
だからこそ、私では出来なかった事をあなたはできると思うの」
それは、過去のユリアにはない、もう一つのユリアの可能性。
彼女にとって天が与えてくれた道しるべに見えて、
だからこそ、もう一つの選択肢を選べたのだと。
胸元で両手を組んだユリアは私にこう話しかけてくる。
「黒髪のユリア、私の為に遠慮しないでいいの、
だからどうか苦しまないで、迷わないで、
あなたはあなたのままで、あなたの心のままに最善の道を選んで欲しいの。
私が選べなかった。思いつきもしなかった選択肢をあなたは選べるもの」
「私が選んでしまっていいの? あなたの未来も、アデル様の未来も?」
静かにユリアは「私の未来は、もういいの……」と首を振る。
そんな彼女に私は「全然よくないよ」と同じように首を振った。
いつしか私の瞳からは涙が溢れていた。
そう、全然良くない。私はそれについては全然納得してないんだよ?
「私、ユリアが戻ってくると信じていたから、ここまでやってこれた。
あなたが戻ってきても困らないようにって、居場所をつくってきたんだよ。
それなのに、もう戻って来られないって、そんなの、そんなの嫌だよ。
ユリアにも幸せになって欲しかったから、頑張ってきたんだよ?」
「……あなたが私になってくれた時、私はもう全てを諦めていたの。
本当ならあの時、既に私は役目も消えて死んでいたはずなのよ。
だからこれは私の物語じゃない、黒髪のユリア、”あなたの物語”なの。
それをどうか忘れないで?」
「ユリア……死んでいたはずって事は、魂はまだ生きているんだよね?
それでも、もう元の世界には戻って来られない状態なの?
私じゃユリアの力になる事は出来ない? 本当に何も方法はないの?」
「……ありがとう。黒髪のユリア。
でも、もう十分過ぎるほどにあなたには助けてもらっているわ。
あなたが居なかったら、アデル様はあのままお一人で苦しいままだったと思うもの」
「……でも」
「私は、アデル様との絆を抹消したことで今がある。
それに自身の救済を願ったら、あなたやアデル様にも影響が出てくるもの」
願いを叶える為に、代償を支払ったというユリア。
再び彼女が「ユリア」として元の世界に戻り、アデル様と出会ってしまったら、
この奇跡は全て無かった事になってしまうらしい。
せっかく組み替えた新しい理を壊せば、以前の未来が確定する。
だから、それだけはどうしても避けなければいけないのだと。
「あなたに私はもう一度、命を与えられたのよ」
だから、どうか忘れないで欲しいと、泣いている私にユリアは微笑む。
「こちらの世界とあなたの居た世界。
あなたがこれまで築き上げてきた絆は、全て黒髪のユリア、あなた自身のもの。
そしてそれが、誰かを救うことが出来る力になるの。私のように……。
だからどうか、絆を束ねて未来を切り開いて……お願い……」
ユリアは最後にそう私に告げた後、
まばゆいほどの光に包まれ、小さな光の球体になった。
そしてそれは金色に光り輝く片翼の蝶へと姿を変える。
その姿を見て、私はある事に気が付いた。
「――この蝶って……」
そういえば彼女は以前、私に”言っていた”ではないか。
『ごめんなさい……あなたの声……ずっと聞こえていたのだけれど、
私には応えるだけの力が……残っていなくて……』
今までずっと、何処にいるのかと思っていた消息不明のユリア。
だが、彼女はずっと私の声が聞こえる距離に居た。
そう、私がユリアの姿になった時からずっと、ずっと一緒に……。
神鏡が出現する時に飛んでいた。金色に輝く片翼の蝶。
あれこそまさに、ユリアだったのだ。
「ユッ、ユリア!?」
目が眩むほどの光の中で、私は蝶となったユリアへと手を伸ばす。
けれど私とユリアの距離はどんどん離れてしまった。
私は急に現実へと引き戻されていく……浮上していく意識を感じた。
体が宙に浮かび、空へと吸い込まれていく途中で私が見たものは、
今まで足元にあった。何処までも続くような大きな水面の正体。
それは湖でも海でもなく、大きな水鏡。
神鏡の鏡面そのものだった――。
※ ※ ※ ※
「……み?」
ふわふわと、不思議な浮遊感から目覚めてみると、
遠くから聞こえてくる、にぎやかな人々の歓声と奏でられる音楽の調べ。
で、私はいつの間にか、友人の姿から子猫の姿になっていて……。
自分が寝転がりながら横を見れば、直ぐ傍に私が着ていた服がある。
どうやら私は何処かのベッドで寝かしつけられていたようだ。
(そうだ! パレードは? 私は一体どうしたの?)
そんな事を思いながら、がばっと体を起こせば、
傍で心配そうに顔を覗き込むアデル様に気付きました。
だから私は小さな肉球付きの手、もとい前足で、フリフリと動かして意思表示する。
「ああ、目が覚めたか……良かった。具合はどうだ? ユリア」
「みいみい」
「ここは寄宿舎にある俺の部屋だ。見覚えがあるだろう?」
確か私はローディナ達とパレードに参加していたはずなのだが、
こうなった前後の記憶が私には無かったので、アデル様に聞いてみる事に。
すると私はパレードの最中に、突然気を失ってしまったらしい。
幼子をあやすかのように頭をなでられて、私は目を細めた。
「最近は気を失う事がなかったので、安心していたんだが……。
労わってやるべきだったのに、気付いてやれなくてすまなかった」
連日無理を押して働いていた為か、疲れでも出てしまったのでしょうか?
人の多い所に行くと、確かに疲れてしまいますものね。
「赤紫の髪をした娘を覚えているか? あの娘が消えた直後にユリアは気を失ったんだ。
すると、それを見ていたティアルが驚いてユリアに近づいたんだが、
ティアルまで一緒に気を失ってしまってな。パレードどころではなくなったんだ」
それでリファが機転をきかせ、辺りに風を起こして目くらましをし、
私とティアルを背中に乗せ、人目を避ける為に屋敷へ連れ帰ってくれたらしい。
「み? みいみいみ?(あれ? それじゃあティアルは?)」
私が心配になって一緒に倒れたというティアルの姿を探せば、
部屋の隅では、ティアルの首根っこを咥えたリファが居た。
「みい、みいみい、ユリア、オハヨ~?」
ティアルはぷらぷらと揺れながら、
前足で焼き菓子を持って、もぐもぐと食べていた。
私よりも一足先に目が覚めたティアルは、
「オナカスイタ」と言って、アデル様にお菓子をねだっていたらしい。
「……見ての通りだ。今日は城もここも人が多いので、
迷子にならないよう、ああしてリファに見て貰っているんだが」
うん、あの子は何とも無いようですね良かった。
「ティアルはあの後にすぐ目を覚ましたんだが、
ユリアはなかなか覚めなくて、挙句に君の手が発光し始めた。
せめて俺の力で表面から鎮めようとしたんだが、俺の魔力を弾いてしまってな。
やはりあの鏡が直接ユリアの体外に出ている時でないと、
暴走を鎮められないらしい……厄介な事だな」
そういえば以前も同じような事があったな。
あの時もユリアと夢の中で話した後だった。
(夢……か……)
ふと、眠っていた所に違和感がして、上掛けを捲ってみると、
ちょうど私の右手が置いてあったその場所に、大きな青い鱗が落ちていた。
まるでガラスを薄く伸ばしたような、光沢を放つその鱗に見覚えはないのだが、
なぜこんな所に? そう思った時に私は夢の中での出来事を思い出す。
(やっぱり、あれは幻なんかじゃないんだ)
王都にいる龍人は、紅炎龍と蒼黒龍であるアデル様位なものだ、
龍の鱗にしては、やたらキラキラしているのを見るに、
ユリアが私に記憶を手渡すついでに、渡してくれた物だろうか?
(水神クラスの青水龍か……そう言えば私の苗字の言霊が、
ミカミだったから、加護ってこういうことだったのかな)
しかも、あのハーシェスの鏡は水神が化身となった姿なんだろう。
なるほど、これで私とユリアの接点がより繋がったというわけだ。
今回の夢で私は色々な事が分かった気がする。
私が見ていたものは、神鏡の影響によるものだということも。
私が現実世界へと引き戻される瞬間に見た光景。
ユリアと私は神鏡の鏡面の上で話していたのだ。それも互いに魂の状態で。
二人を引き合わせて話をさせる為に、鏡は何らかの力を貸してくれていたのではないか。
きっとあそこは本来、神鏡を持つ者だけが辿り付ける世界なのだろう。
そしてその影響がこちらでも出ていたのかもしれない。
(本当ならば、人の手には余る力を宿した鏡だものね)
あの場所からユリアはずっと私を見守っていたのだろうか。
既に自分の手から離れ、動き出した別の物語の行く末を。
そしてこれまで私が願っていた未来は、決してやって来ないのだと知った。
『――だからね。もしかしたら、ユリアは一度……その、
何処かで亡くなってしまって、その後何らかの禁術を持って、
蘇生されたんじゃないかと、リーディナは思ったらしいのよ』
以前、リーディナが言っていたというローディナの言葉、
その見解は、当たらずとも遠からずだったのだろう。
ただ、肉体が死ぬ前に、中の人が別人になったという違いだけで。
(ユリア……)
……彼女を思い出すと、私の視界は涙でにじんでいた。
これまでユリアが帰ってくる事をひたすら願い、無事を祈り、
この居場所を守ってきたのに、もう彼女は戻ってくることが出来ないだなんて。
それがとても辛くて、悲しくて、私の胸を締め付けた。
ユリアとして過ごしてきた数ヶ月、色々な葛藤や戸惑いはあったけれど、
あの子の幸せを願っていたのに……もうそれは叶わない事なのか。
(彼女に起きた事をこの世界の人は誰も覚えていない。
愛した人も友人も、ユリアの身に起きた事を何一つ……)
「ユリア? どうした辛いのか?
もう直ぐ、もう直ぐリハエルがここに来るからそれまで……。
ああどうしたらいい、あの鏡がユリアを苦しめているのか?」
「みい……(アデル様……)」
――あなたが家族として大事にしてきた。もう一人の女の子が居たんです。
――その子はあなたの為に全てを捨てて、今でも救おうとしているんです。
でもそれは、アデル様にはきっと言ってはいけない真実。
だからせめて私は、私だけはあの子の事を覚えておいてあげたかった。
アデル様に抱き上げられて、背中をそっとさすられる。
私は彼の腕の中で、自分の中に居るユリアを思った。
(最初に私がユリアと話せなかったのは、互いの記憶が欠けていたから。
それが少しずつ思い出されてきて、彼女の記憶も貰って、
より繋がったから、長く話せるようになったみたいだけれど……)
その代わりに、ユリアは消えかかっている気がした。
彼女であるという証の記憶を、私が引き継いだからだろう。
では、このままだと彼女は、ユリアたる存在理由が無くなってくるのではないか?
(ユリア失くして、ハッピーエンドはありえない……)
それと同時に、誰かが欠けた状態では良い結果を結べない。
彼女は私がユリアの記憶を貰う代わりに、彼女も私の記憶を垣間見たようだった。
だからこそ、自分という存在が欠けたら別の不安要素も生まれると気づいたのだろう。
(だから、別の“ユリア”の存在が必要だった)
役者経験のある結理亜だからこそ分かる状況ですが、
誰かが演じる役を放棄したら、別の者が代役を勤めて物語りは”無理やり”作られる。
役のイメージに合う人が選ばれるけれど、それ以外ももちろんありうる。
けれど舞台に欠員が出て、穴を作る訳にはいかないから……多少の違和感があっても度外視だ。
その法則と同じ事がここでも起きていたようです。
(そう、例えば声優のお仕事を自身の身勝手で放棄したら、
業界から干されて、二度と現場復帰が出来なくなるのと同じように、
ユリアはこの世界の舞台から降ろされたんだ)
アデル様を救う為に、別の未来への可能性を求めたのが今の世界。
前倒しで色々なトラブルに見舞われたのは、きっとその影響だろう。
自身を代償にした事で直接介入できなくなった彼女は、
私の中で見守る事しか出来ないのかもしれない。
ユリアは言っていた。自分の為に苦しまないで欲しいと、
それはもう、彼女が戻らない事を意味しているのだろう。
(つまり、あの子が言うようにユリアじゃなく、結理亜の物語ってこと?)
彼女が言っていたように、既に私という別のユリアの物語になっているのか。
私はぎゅっとアデル様にしがみ付き、そして覚悟して決めた。
――役者は、一度引き受けた役を勝手に降りるわけにはいかない。
まだまだ半人前な役者だけど、その心構えは基本として覚えている。
これは役者としてやって来た、私のプライドもあるのだ。
(……ユリア、私でも何か出来ることがあるのかな?)
色々な葛藤は勿論あるけれども、私は全てを受け入れようと思った。
時間の経過と共に私はこの世界の住人になっているし、情も愛着も出来た。
ユリアの言うように、これも何かの縁だと思えるから、
私は最後まで演じ続けたいと思った。
元々、完璧な彼女を演じるのは無理だったけれども。
与えられた台詞と設定だけで補うには、元々不可能な話だったのだ。
なりきる“フリ”を一時的に演じる事は出来たとしても、本人になれるわけが無い。
けれど、ユリアはそうならなくていいのだと教えてくれた。
(確かに、全く同じ台詞でも演じるものの解釈の違いで個性が違ってくるものね。
それと同じように、ユリアは私に教えてくれたのかな)
一体どれだけの事が今の私に出来るのか分からないけれど、
あなたの分まで頑張ってみるよ。そう心の中でユリアに誓った。
そんな私の頭を、アデル様は何度も労わるように優しくなでてくれる。
「ユリア、俺が付いている心配しなくていい」
「みい~……」
アデル様に頭をなでられるのは、とても好きだ。
不安な気持ちも、悲しい気持ちも和らいでいく気がする。
私にとって魔法の手だと思う。安心出来る手だった。
「……落ち着いたか? どうやら鏡はもう作用していないようだな。
リハエルは収穫祭の式典だとかで色々忙しいようでな。時間がかかるようだ。
俺の身分とやらでは、なかなか融通が出来ないんで困る。
ユリアが辛い時に俺は何もしてやれないとは不甲斐ない……」
アデル様は私がなかなか目覚めないので、人目を考慮して子猫姿に変えてから、
リイ王子様の元へ連れて行こうとしてくれたらしい。
確かに、神の使いとか言われている白い猫だったら、
保護を名目に、接触させても周りに不思議がられないですよね。
(あれ? でも今までのアデル様だったら、彼は勿論のこと、
自分以外の男性の傍に近づけるのも嫌がってましたよね?)
なんて思いながら、私がこてっと首を傾げていたら……。
「他の男の元に連れて行くのは、かなり気が進まなかったが、
あの男の持つ能力は、ユリアの役に立つから仕方がないと譲歩した。
神性能力に長けた奴なら、助けられる方法があるかもしれない」
で、バッグに入れたままだった着替えも一緒に持参して、
騎士団の寄宿舎にリイ王子様を連れてこようとしたそうだ。
「――で、奴が来るまでの間、俺にも出来る事を考えてみたんだ。
俺自身が治癒の道具になるから、せめて少しでも回復できないかと、
口付けで体内に俺の気を送り、以前の様に治癒してみようと思ったのだが……」
『ユリア、せめて俺の治癒能力で……』
『みにゃ!』
彼が顔を近づけた途端、私の肉球付きの前足がアデル様の口を押さえて拒み、
何度やろうとしても、私が眠りながらいやいやをして、
かなり嫌がってくるので、しばしの間、部屋の隅で落ち込んでいたらしい。
えーと? ごめんなさい。全く覚えていないのですが?
無意識に抵抗をしていたという事なんでしょうかね。私。
うん、でも何と言うか……私グッジョブ?
「俺は、ユリアが弱っている時でさえ拒まれた……。
しかも何だか余計うなされるようになった。俺は不甲斐ない恋人だ」
「み?! みみみにゃ!?(アッ、アデル様!?)」
その後、アデル様は自分の出来る事をと考えて、私の前足にビスケットを持たせ、
おろおろしながら、部屋の隅で延々と薔薇の花をこさえてくれていたらしい。
彼いわく、見舞いといえば花という発想が出たのだろう。
そのせいだろうか……私よりもアデル様の方が、げっそりと疲れた顔をしている。
溺愛発作……恐るべし、です。
――アデル様~!! 私よりアデル様の方が心配です~!!
一瞬、「何かの儀式かこれは!?」とか思った私ですが、
アデル様の憔悴しきったこの様子を見て、全てを悟った。
これはきっと、気心が知れた仲だからこそですかね。
でも、言っては何ですが、これって見舞いというより死者を弔うものではないでしょうか?
アデル様は、動転する余りにおかしな方向へ進んだようです。
まあ、それだけご心配をお掛けしていたという事ですよね。
「み、みいみい? みにゃあん(も、もう大丈夫ですよ? アデル様)」
「そう……なのか? ならば良いのだが。
仕事の疲れもあるんだろう。少しでも休んでいくといい。
ここ最近はずっとユリアも忙しかったからな、残りの仕事は気にするな」
「みい、みいみい……(はい、すみません……)」
無理をして、これ以上心配させる訳にもいかない……よね?
パレードは楽しかっただけに残念だ。もう少し一緒に過ごしたかったな。
ローディナとリーディナは、今頃コンテスト続行をしているのかな?
突然倒れた挙句、姿を消してしまって心配を掛けているだろうから、
後できちんと連絡しておかないと。
(でも……ほんのひと時だけでもお祭りを楽しめて嬉しかった)
あんなに人の多い所を、堂々と過ごせる事も本当に久しぶりだったものね。
まさか、其処で倒れる事になるとは思ってもみなかったけれど。
みんなと往来の道ではしゃげたのは、あれが初めてだったから。
「……ところでユリア、パレードの際に居た赤紫の髪の女に何か感じたか?」
「み?」
「ユリアは神気を放つ物をその身に宿せるからな。
他の者よりも敏感に何かを感じ取る能力があるのかもしれない。
あの女の魔力は普通の人間の娘が持つには桁違いに高かった。
それにあの女が立ち去った後にユリアが倒れたから、
あの女が何か君に仕掛けたのかと思ったんだが」
赤紫の髪……といえば、アンの事だよね?
確かに彼女は何か以前とは違うような気配を纏っているように見えた。
表情しかり、雰囲気さえもまるで別人のようだと思えたし。
カリスマ性があの時は何も感じなかったんだ。
魔力……に関してはよく分からない。私にはそういうのが分からないし。
ただ、彼女は女主人公で、元々基礎能力は一般人よりもかなり高いと思える。
だから私は、以前偶然見かけた人で、その時と様子が違ったので気になった。
それだけを伝えることにした。
今から猜疑心を駆り立てるような発言は、
出来るだけ控えるべきだろう。メインヒーローへの影響力は大きいと思うし。
「そうか……やたらピリピリした魔力だから違和感を感じたのだが、
ユリアの体調不良が、あの女のしでかした事じゃなければそれでいい」
「みいみい、みにゃ?(もしも、彼女が原因だったらどうするおつもりで?)
「無論、捕まえて報復する」
――アン、全力フルスロットルで逃げて~っ!!
わ、私が時折倒れるのは以前からありましたし、彼女のせいではないでしょう。
今、アデル様の瞳の色が変わったのは気のせいじゃないはずだ!
私は必死になって前足をフリフリしてアデル様に「早まっては駄目です」と、
お伝えしていましたよ。ええ。このままじゃアンが危ない。
騎士道精神、大事にしましょう。ね?!




