50・冒険inアトリシア・後編
「――……よし、この辺りは俺も見覚えがある。
このまま行けば、後二日後には街道に行けるだろう」
「本当ですかっ!? 良かった!」
それから暫くして、周辺の見回りを率先してやってくれたアデル様により、
帰り道の目処がついて、私達は安堵する事となった。
アデル様が、かつて住んでいた時の狩場に近かったとの事で、
その頃に付けた昔の目印を見つけたらしいのです。
帰り道が分かったのなら、心にも余裕が出来ました。
籠に種火の燃料となる松ぼっくりに似た形状の【レテル】という球果を拾い、
保存食となるキノコや木の実も拾って、使った分を補充。
余り切迫した状況に至らなかったのは、本当に皆様のお陰ですね。
「……? リファ、何処に行くの?」
そんな時、気が付けばリファがそわそわ周辺を歩き回った後、
私達の輪から離れ、何処かへ行きたがっている素振りを見せ始めた。
しきりに私に「おいで」と言いたそうに、こちらをちらちら見てくる。
もしかして、私に付いてきて欲しいという事なのだろうか?
「……クウン」
「ああ……俺達は少し離れる。ラミルス、ライオルディ、リハエル。
彼女達を任せてもいいか? リファの散歩をさせたい。
ここ数日は余り動いていなかったからな」
「おお、分かった行って来い。ローディナ達は俺が守るから安心しろ」
真っ先にアデル様の声に応えたのは、ラミスさんだった。
「それじゃあ、ティアルは私が見ていますね」
……と、ローディナが眠くなっているティアルを抱き上げた。
ティアルはもう目がうとうととしており、反応も鈍い。
それでも「みい、イッテラッシャイ……」と言って小さな前足を振っていた。
アデル様はそれに頷くと……私に「おいで」と声を掛けて来て、
私が彼に近づけば、体を横抱きに抱き上げられ、そのままリファの背中に乗る。
「ひゃっ?!」
「行くぞ、リファ」
アデル様の合図で、リファが駆け出す。
疾走する時に生じる風が全身に触れる。
思わず身震いしそうな、その速さと冷たさにアデル様の前で小さくなると、
アデル様は自分の身につけていたマントで私の体を包み込んでくれて、
ぎゅっと抱き寄せられ体を支えられた。
リファは何処かを目指しているように、迷い無く森の中を駆け抜けて行く。
すれ違う木々がどんどんと通り過ぎて行き、景色が目まぐるしく変わっていく。
リファ……リファは一体どうしたのだろう? 何だか様子がおかしい。
「アデル様?」
「……」
アデル様を振り返っても、彼は何も言ってくれない。
ただリファのように前を見つめていた。
だから私は大人しく、彼にしがみ付いている事しか出来なかった。
※ ※ ※ ※
「――……っ、ここは?」
暫くしてリファが連れてきてくれたのは、開けた草原の大地だった。
ふわり、ふわりと白い蓮の様な花が、地面から空へ向かって舞い上がっていく。
まるで花が空に吸い込まれて行くかの様な、不思議な光景だ。
その草原の中心には、苔と蔦の生えた、
真っ白な大樹が存在していた。
何千年もここで生きてきたのだろうと思える大樹。
虹色の木漏れ日が、木々の間から降り注いでおり、
青や黄色の小鳥達が、歌声を響かせながら木の枝で羽を休めている。
そして、木々を囲むように、白い花畑が広がっていた。
(こんな所が……森の奥深くにあったんだ……)
とても幻想的で、御伽噺に出てきそうな、綺麗な場所。
近くではさわさわと小川が流れている。
私は目を何度も瞬きした。
「さあ、ユリア……手を……」
「は、はい……」
先にリファから下りたアデル様に手を差し伸べられ、
私はそっと彼の差し出した手に、自分の手を重ねた。
ふわりとその場に舞い降りると、リファは直ぐに目の前の大樹へと向かっていく。
「リファ……?」
私がその後を追おうとすると、アデル様に肩を掴まれて制止される。
「アデル様、リファが……」
「暫く……リファが俺達を呼ぶまで、そっとして置いてやってくれ」
「……」
言われるままに、私達はその場に留まって様子を伺う。
リファは切ない声を出しながら、静かに木の周りをぐるぐると歩き出した。
それはまるで……何かに話しかけているようだった。
大樹の根元は大きな空洞となっており、木の葉が沢山敷き詰められている。
そして木の脇にある少し盛り上がった土に、リファは何度も自分の頭をこすり付けていた。
いとおしむように……懐かしむように……何かに耐えるように……。
なぜだろう? リファは震えるような鳴き声をあげて、
瞳を潤ませている気がする。
(リファ……)
私はその姿を見て、なぜか胸が締め付けられるような思いがした。
暫くすると、リファは私達の方を向き、私達を静かに呼んだ。
行ってもいいという事だろうか? 私はアデル様を見ると彼は頷く。
「クウン……」
「……リファ? どうしたの?」
私はリファのいる場所へとゆっくり近づいていく。
リファは、しきりに前足で地面をとんとんと指し示していた。
それを私に教えているように感じる。けれど私にはリファの言葉が分からない。
アデル様はそこで、私にリファが言いたい事を代わりに伝えてくれた。
「ここに――リファの子供達が眠っているんだ……俺が土に返した」
「アデル様……?」
「ここは、俺がリファを保護し、使い魔の契約を交わした場所、
そしてリファにとっては……故郷であり、子供達と過ごした住処だった」
「リファの……そうなの? リファ」
「クウン~キュウイイイ……」
だから、リファはあんなに寂しそうに鳴いていたのか……。
リファは母性の強い子だ。子供達をとても大切にし、可愛がっていた事だろう。
そして子供達が亡くなった後も、ずっと覚えていたはずだ。
土の中で眠る子供達をいとおしむように、リファは額を何度も地面に擦り付ける。
(リファ……)
人とは違い、墓標も何も無い子供達のお墓、
リファにとって、沢山の思い出が眠る、忘れられない故郷。
本当ならば、ここでずっと子どもと幸せに暮らしていたはずの場所。
懐かしさと悲しみが、一気に押し寄せてきたのだろう。
「ここは白い獣の目撃情報が出た事から、ずっと保護区域にされていた。
今思えばリファ達の事を言っていたのだろうな。
この場所を離れるのは、リファも辛かっただろうが……」
「……そう、ですね……また同じ事があるかも知れません。
目撃されてしまっているのならば、もうここでは暮らしにくいですよね」
保護区域に指定しても、それを無視する狩人や冒険者は居る。
けれど、アデル様やルディ王子様の保護がされていれば、
リファを狙う者の数は減るだろう。
「ユリアは、リファの子供のように見られているからな、
ここを教えたかったんだろう」
リファの柔らかな頭をそっとなでる。
真っ白なリファは、大人しく私のなでる感触に目を細めていた。
「子供達が眠るこの場所が、とても気になっていたんだね……」
この場所はリファが離れる時、人の手により、かなり荒らされてしまったという。
それが暫く来ないうちに、自然の力でここまで蘇ったらしい。
住んでいた頃と変わらない光景に、リファは切ない声で鳴いていた。
故郷は元に戻っても、リファの子供達はもう二度と戻っては来ない……。
リファはそれでも、子供達の名を呼んでいるのかもしれない。
(リファの子供か……きっと小さくなったリファみたいに、
とっても可愛い子達だったんだろうな)
身寄りのない私を子供のように見ていたから、
片時だって忘れた事など無かったのだろう。
子供達が眠るこの場所がどうなっているのか、ずっと気になっていたはずだ。
そう思うと、今回迷ったのは悪い事ばかりじゃなかったのかもしれない。
アデル様の使い魔となってから、ここへ来る事は出来なくなったそうだから……。
「暫く、ここで過ごそう」
「はい、アデル様……」
アデル様は大樹には近寄らず、端にある木の根元に剣を抱えて腰掛けた。
リファはずっと子供達の墓の前に座り込み、地面を見つめている。
私は近くで咲いている白い花を摘み、小さな小石を二つ拾った。
そして、リファが教えてくれた場所に石を並べて、花を供える。
両手を合わせてリファの子供達の為に祈った。
「ごめんね? 私にはこれ位しかしてあげられなくて……」
そう告げると、リファはすりすりと私に頭を擦り付けてくる。
ありがとう……そう言ってくれているのかな?
そんなリファの首元に、私はぎゅっと抱きついた。
辛いね……悲しいね……リファ……。
会いたくても、もう会えないんだものね。
(会わせられるのなら、会わせてあげたいな。
こんなにリファは、子供達に会いたがっているんだもの)
思い出すのは、リイ王子様が以前使っていた高位の魔法。
そうだ。彼をここへ連れて来れば……そう思ったけれど、
リイ王子様をリファは嫌っていたから、きっと嫌がるだろう。
ただでさえ彼は、自分達を狩ろうとした人間の国の王子なのだから。
私にも、リイ王子様のような力が使えたらいいのに……そう思った時、
胸元が急に熱くなり始め、白い光が溢れ出した。
「え……っ!?」
「ユリア!?」
それは鏡が出て来た時と同じ感覚。
私は突如、体から出て来た境に驚いていると、
鏡は白い光を発してリファへと向かって行った。
「リファ! 逃げて!?」
私はそう言って鏡を抑え込もうと抱え込む。
けれどその光は、リファを傷つけようとする物ではなかった。
「――……えっ?」
良く見ると、光はリファの足元を照らし始めていた。
子供達の眠る墓を光が包み込んでいく……。
その光の中から浮かび上がるように現れたのは、白い二匹の子供の狼。
寄り添うように丸まって、眠っているように見えた。
「あれって……もしかしてリファの……?」
私の声に応えるように、小さな白い耳がぴくりと揺れる。
閉ざしていた瞼をゆっくりと開けた子供の狼達は、
鼻をひくひくさせながら周りをきょろきょろと見回し、
リファの姿を見つけると、嬉しそうに立ち上がって傍に近づいて行った。
「な……っ!?」
「え……どういうこと?」
「!?」
子供達は驚くリファの足元で、小さな白い尻尾をぱたぱた揺らし、
可愛らしい小さな鳴き声で母を呼び、甘えているようだった。
「キュイイ~……」
もう二度と会えないと思っていた子供達、それが目の前に居る。
リファは涙を溢れさせ、子供達に必死に自分の顔をすり寄せ、
小さな体を抱きあげようとするが……子供達には触れる事が出来なかった。
其処で私は……ああ……そういう事なんだと理解した。
でも、私はその子達を見ていても怖いとは思わない。
とても優しくて、無邪気で純粋で……そんな風にしか見えなかったから。
(この子達は……ずっとリファの事を……)
それに気付いた私は、リファに辛い事を話さなければいけなかった。
「リファ……私達の見ているものは、きっと子供達の魂だよ。
ここで魂だけの状態で、リファを待っていたんだと思う。
お別れを言えなかったから、ずっとここで待っていたんじゃないかな?」
リファの子供達は、最後の日に母の言いつけを守り、
巣の中で帰りを待っていたと、前にアデル様が教えてくれた。
その間に、冒険者達が姿を現して……。
リファが戻って来るまで、待っていられなくなってしまった。
けれど、子供達は亡くなった後も魂の状態でここで待っていたのだろう。
母であるリファに、「もういいよ」と言われるまで……。
「クウン……」
「リファも死に目に会えなくて、お別れが言えなかったでしょう?
離れていても、ずっとリファはこの子達のお母さんだよ。
これからも、それはずっとずっと変わらないの……。
だから、だからね? その子達をどうか、リファが送り出してあげて?」
「……」
リファにそう言うと、リファは無言で子供達を見つめていた。
「クウンキュイイ」
「キュイキュイ」
二匹の子供達は、まるで私の言葉に応えるように嬉しそうに鳴いている。
リファの足元で、リファを見上げて尻尾を揺らしていた。
「その子達とリファの絆は、これからもずっと続いているよ。
目に見えないものだけれど、ずっとずっと続いているから……。
送り出してあげるのは、お母さんとしての最後の役目。
それは、リファにしか出来ない事なの」
子供達は再び母親とめぐり会えて、とてもとても嬉しそうだった。
けれど、このままこの子達の魂をここに縛り付けておく事は駄目だろう。
リファ達は天白狼、自由な風をその身に纏う生き物だ。
「きっとこれも、巣立ちの時なんだよ……リファ」
リファは私の言葉が届いたのか、
じっと子供達の声に耳を傾けて、その姿を見つめていた。
やがて……一匹ずつに何やら話しかけて、
優しい表情で子供達の顔を舐める素振りをした。
触れる事が出来ないと分かっていても……だ。
アデル様が私に、リファの言葉を通訳をしようかと聞いてきたけれど、
私はそれに首を振って断った。
「……リファがあの子達に会えただけで、十分です」
やがて別れを惜しむように寄り添った母子は、その後少しずつ離れて……。
二匹の小さな狼達は、急に私の方へと駆け出し、足元をくるくると駆け回った。
まるで、お礼を言ってくれているような、そんな感じでこちらを見上げてくる。
嬉しそうなその表情に悲しみの色は見えなかった。
だから私も、しゃがみ込んで子供達に笑いかける。
「……お母さんに会えて良かったね。……元気でね?」
そして最後に、子供達はリファの周りをくるくる駆け回る。
リファは、静かにその姿を見守っていた。
鏡から再び発せられた光は、別の光を照らし出す。
子供達の足元から空へと向かう光の道を作り出していた。
……その道を辿り、小さな狼達は元気に空へ向かい駆けて行く。
「「キュイイ!」」
子供達の姿は、一度こちらを振り返って元気に鳴いた後、
すうっと空へと消えて行った。
その姿をリファも私達も静かに見送った……。
リファは瞳を潤ませて、子供達を見つめていた。
「……ありがとう。子供達をリファに会わせてくれて……」
これが鏡の力によるものと何となく分かった。
目の前に現れた鏡に触れて、静かに私は礼を言う。
この鏡は、誰かを傷つける為だけにあるんじゃないのかもしれない。
何より、リファの想いに鏡が応えてくれたのが嬉しい。
役目を終えた鏡は、光る蝶へと姿を変え、
私の胸元へとすうっと吸い込まれていく……。
最初から、何ごともなかったように……。
「――……っ」
その時だった。
鏡が私の中に完全に消える瞬間――……。
私の脳裏に、突然何かの映像が浮んだ。
自分の頭をなでる小さな手……あれは……そう、女の子だ。
8つか9つ位の黒い髪の女の子が、泣きながら誰かの名前を呼んでいる。
『――……ねがい……を……って……に……あげて……?』
その女の子の顔は、ぼやけていてよく見えない。
ただ、その様子がとても悲しく見えて……。
――其処で映像はぷつりと途絶え、私は我に返った。
「ユリア……!? どうした?」
「あ……あれ?」
アデル様に肩をつかまれて引き寄せられると、
リファにすがり付いたまま、私は遠くを眺めていた事に気付いた。
一体何が……? 今見えたのは何だったんだろう?
リファを見ると、先程まで悲しげな顔をしていたが、
だいぶ落ち着いたようで、私に寄り添ったまま静かに空を見つめていた。
リファの中で、気持ちの整理が出来たのかもしれない。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
一方の私は、ふと、今見えたものが気になった。
私が見えた映像の視界は、動物特有の低い目線。
その視界から見える映像だと思えた。
子猫の時とは少し違う、白い毛をしたその姿。
見えたのは一体何なのだろう?
その視点は、私のものではないのは確かだ。
「あの、アデル様、リファは……」
言い掛けた途中で私は口ごもる。
……そんな事、そう、そんな事がある訳無い。
リファは、アデル様によって保護されるまで、ずっとこの森で暮らしていた。
それまでは人と接して来た事なんて無い筈なのだ。
私が見たあの光景は、小さな女の子と白い小さな動物が、
一緒に暮らしていたように見えた。
……だからきっと、今見えたのは気のせいだ。私はそう結論付けて、
何でもありませんと、アデル様に向かって首を振って応えた。
空に消えて行った子供達を思い出しながら、
私はリファに「がんばったね……」と話しかけて頭をなでる。
リファはその言葉に頷き、また涙を流していた。
本当は、ずっとずっと傍に居たかっただろう。
けれど、それが良くない事だと、リファも十分理解していた。
子供達の為に、リファは最後の母親として見送る役目を果たしてくれたのだ。
「器は亡くなっても、魂は生き続けるんだって……。
リファの子供達は、天国で元気に暮らしていくと思うよ?」
「……クウン」
リファは私の言葉に応えるように、頭を擦り付けてくる。
そんなリファの頭を私は静かになでた。
帰ろうと思った頃には雨が降ってきて、リファの承諾を貰ってから、
雨が止むまでは巣の中で雨宿りをしようという事になり、
私達はリファが住処にしていた、木の空洞で身を寄せ合って丸くなる。
木の葉がクッションとなり、雨を凌ぐには申し分なく過ごしやすい。
リファを背もたれにして、アデル様のマントに包まれ、
外気から守るように、私の体をがっちりとアデル様が腕に抱え込んでくれていた。
私はそんな彼の腕の中から、静かに洞穴の中から雨を眺める。
(ここから見える光景は、リファと子供達が見てきた光景なんだね……)
そして、アデル様も見てきた光景なのだろうか?
過去を余り話したがらない、アデル様とリファの過ごして来た時間、
それを教えてくれている事に私は彼らに認められ、受け入れられていると感じた。
少しずつ、私が知らなかった頃のリファとアデル様の時間を辿っていく。
流れるのはとても静かな時間、身を寄せ合って温もりを分かち合って、
そうして過ごして来た時間は、彼らがかつて失ってしまったもの。
リファに守られ、アデル様の腕の中で感じる温もりが、
とても心地よくて、安心できて、私は思わずうとうととしてきた。
(大丈夫……一人じゃないから、怖くない……)
森は未だに苦手だ。この世界に放り出された時を思い出してしまうから、
でも、傍に居てくれるから、髪をなでてくれるから……大丈夫だと思えた。
アデル様とリファが居てくれる。それがとても安心できた。
恥ずかしい気持ち半分、落ち着く気持ち半分。
慣れって怖いなと思う事もあるけれど、
でも、胸がふわふわと温かくなる感じは嫌いじゃないと思えた。
この世界に来て色々あったけれど、大丈夫……そう思えるほどに心強かった。
(……いつか、アデル様の故郷にも行ってみたいな……。
リファのように、私でも何かが出来るかもしれないから……)
そう心の中で思った私は瞼が重くなってきて、
ついつい、そのまま眠ってしまった。
※ ※ ※ ※
……意識が浮上した時、私はまたリファの背に乗り、
アデル様の腕に包まれて、風を横切るように森の中を走っていた。
私が眠ってしまったので、起こさずに運んでくれようとしたのだろう。
「……」
アデル様は静かに前を見ている。
私はそんな彼の顔を見つめていた。
(――いい……よね。今はこういう事をしても……)
私はアデル様の腰に腕を回して、ぎゅっと彼にしがみ付いた。
頬にほんのり感じる熱さにも気付かない振りをして、
私は再び瞼を閉じる。
皆と合流した後、私達はアデル様の見つけた帰り道を辿る事にした。
「さあ、行こうユリア」
「……はい、アデル様」
街への帰り道、私は何時ものようにアデル様に手を引かれながら、
もう片方の手で唇にそっと触れてみる。
(……眠ってしまった時、唇に触れた温もりを感じた気がしたけど……)
その意味に気付き、私はぼっと顔が赤くなった。
アデル様の顔が見れなくて、恥ずかしくてずっと足元を見て歩く。
(い、意識しないようにしているのに……っ)
心の中でそう思いながら、私は火照る頬に手を添えた。
「どうしたのユリア? 顔が赤いわ、熱でもあるの?」
「い、いえ、ローディナ何でもないです」
そう、なんでもないのだ。必死に自分にそう言い聞かせた。
そして私達は無事に王都へと辿り着き、
何時もの日常に戻っていく……。
……変わったのは、私の中の心の中だけ、
少しずつその感覚に戸惑って、私は必死に表情に出さないようにした。




