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4・初めてのメイド体験


 


「もし使いたい部屋があれば、俺以外の部屋を好きに使うといい」


……と、ご主人様となったアデル様にお許しも頂けて。


(それはつまり、練習部屋を貸していただけるという事ですか?)


 これだけ広いお屋敷なら、声は出し放題と最初は大喜びしました。

役者志望にとって声が自由に出せる環境があるのはいい事です。


 お金に余裕のある人は防音装置とかで部屋を作る人も居ますが、

それでも声は微妙にれます。近所迷惑にもなりますし。


 そうなると、ワークショップが可能なレンタル部屋を借りるか、カラオケ。

そんな中で練習する人もいる位です。



(こんなに大きなお屋敷の部屋で、練習が出来るなんて……夢のようっ!)


 ブランクを作らない為にも、日々の基礎練習は欠かせないものね。

なんて目を輝かせていましたね。ええ……この時までは。



「リファ、さっそく使われていない部屋を一緒に探検しましょう!」


「クウン?」


「まずは、使わせて頂く部屋を見に行かないと」



 うきうきして、リファを誘ってレッスンに使う部屋を探しに行ったら……。

私は見てしまった。手入れをされていない部屋がどれほど荒れているかを。

そう、まるでそれはホラーゲームに迷い込んだかと錯覚してしまう程で。



「う……」



 なんという事でしょう、立ち入ったそこはまたもや別世界でした。


 窓から光を差さない部屋は雨戸まで閉められたままで暗く、

ぼろぼろの切り裂かれたかのようなカーテンや家具は埃まみれ、

天井からは大きな蜘蛛の巣がぶら下がってあるし、壁に掛けられた人物画は、

なんだか不気味な色合いで今にでも外に這い出て来そうな程の雰囲気だった……。


 これはまるで、いわく付きの洋館に迷い込んだ娘という構図に、ぴったりではないですか。



「うわああっ、リファ、怖い、リファ……!!」


「クウン?」



 その陰鬱いんうつとした空間の入り口に、私は立っていました。


 思わずリファの首元にぎゅっと抱き付く。

ぎゃん泣きしそうな位、私はこういう雰囲気が大の苦手なのに、なによこれは。



(そうか知らなかった。選択肢しだいではあのゲームはホラーゲームに……)


――展開して堪りますか! 断固拒否しますよ!!



「イメージダウンだめ、ぜったい!」



 この状態のままだと、恐怖の屋敷に住む龍を退治する話になってしまうのでは?

思わず私は部屋のドアを無言でさっと閉めた。これは早急になんとかしないと。



「リファ……貴方のご主人様が、どれだけ大変な思いをしているか分かったわ」


「クウン~キュイイ?」


「これだけでも女の子が逃げ出す理由にはなります! この環境はよろしくない」



 最早、これは深刻な人手不足。彼ら龍は本来とっても綺麗好き……なはずなのに。

こんなに散らかっている上に、ほこりかぶったままの状態では、

あまりこのお屋敷で過ごしたがらないのも、分かる気がしますね。



「アデル様が寝る時以外しか、この屋敷を利用しない理由が分かります」



 ご主人様のアデル様は、この国の騎士団に所属していて騎士団長をされている。

騎士用の寄宿舎は、世話をしてくれる使用人が常時居るそうですし、

アデル様は上司だから、彼には補佐をする従騎士も付いている。


 だから自分だけが生活する分なら、

其処で構わないのだろうが……それは人間の場合だろう。




(縄張り意識が高い龍が、自分の巣に帰りにくいこの状況はまずいよね……)



 私の脳裏に、ほこりを頭から被って哀愁を漂わせる、

龍姿のアデル様が、しょぼーんとしているのが思い浮かんだ。



「どれだけ放置していたんだろう……?」



 口元をドレスのそでで当てて、勇気を出して部屋の中に足を踏み込む。


 カーテンで閉められたまま、光が差さない部屋ばかり。

これで屋敷のご主人様が滅多に笑わないという、鉄火面のお兄さん。

そして人型を取っていても体格差があるから、身長差で見下ろされるとなれば。



(怯えて逃げ出すよね女の子達は……あ、ホラー好きな子は素敵って喜ぶかな)



 そんな私は……台本でも読んで泣くレベルの怖い物系が苦手だったりする。


 アデル様がどんな方か、あらかじめ分かっているからこそ怖くないと思えます。

予備知識に、まさか救われる日が来るとは思いませんでしたよ。



「あのねリファ……お化けとか出たら追い払ってね? ガウガウしてね?

 何だったら食べちゃってくれてもいいからね? あ、でもお腹壊しちゃうかな……」


「クウン……?」


(魔物とかは……流石に出ないか、ヒーローのお屋敷だもんね。

 というか、あの人がラスボスだよね)


 なんて、声に出さない心の声で一人納得した私がおりましたよ。



※ ※ ※ ※



 そんな訳で、メイドの初勤務日は大掃除と決まりまして、現在に至ります。


 目標! 脱・お化け屋敷! 素敵なお屋敷にイメージチェンジだ。



 先日、アデル様が私の着替え用にと、友人経由(たぶん、王子様の事だろう)で、

苦労して用意してくれたという、そでのすっきりした中古の女官用ドレスに着替え、

少し腰や袖を調節。


(やっぱりサイズは合わないなあ……胸……ちょっときついけど我慢だな)


 く……っ、夢のお胸になれたというのに、まさか着る物に困るなんて、

ぜいたくすぎるわユリア! って、今は私がユリアだったね。

おじ様の一人から余っていたエプロンもお借りして、

口元にマスク代わりの布を当てて、窓を全開、空気の入れ替えをする。



「さて私の装備は、はたき、箒と塵取り、雑巾とバケツね」



 決して、掃除のプロという訳ではありませんが、これだけあれば何とかなるでしょう。


 数ある装備品(という名の掃除用具)の中から、私はハタキを装備した。

ユリアの掃除能力が10アップした! ……何て事はないかさすがに。


 リファだけ見ている事をよい事に、私は気分を盛り上げる。

私は今、未開の部屋を侵略しますよ!



「リファ、ほこりを吸わないように、入り口で待っていて下さいね?」


「クウン~?」


「大丈夫、大丈夫。がんばるね~」



 そうして私は掃除をしながら、滑舌かつぜつの練習をしている訳なんですが。


「あえいうえおあお、かけきくけこかこ……」


「クウン……」


 傍では相変わらずリファが見守ってくれてます。いい子ですよホントにね。

ずっと同じ格好だと大きな置物か、ぬいぐるみかと勘違いすると思いますが。


 最初の頃は、「ねえ、本当にやるの?」とハラハラした顔で見ていましたが、

今は見慣れた様子で、作業が終わるまでじっと待ってくれるようになりました。

でも、私が一人にならないようにと、移動する時も一緒なんですよ。


 階段を上る時は後ろから歩いて、落ちないように……って背中を鼻先で支えてくれて、

これどう見ても私が子供でリファがお母さんじゃないですか?



「リ、リファ、あのですね。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ?」


「クウン……?」



 ああ……うるうるした目で見られているじゃないか……っ!


「うーん……私、そんなに危なっかしく見えますか?」



 これでも将来、一人暮らしをする為に色々な事を身に付けてきたんですがね。


 パタパタとはたきながら、椅子や梯子はしごを使ってカーテンを外し、

無事な物だけほこりを落としてから、井戸のある庭でジャブジャブと洗濯開始。



「……う、わ……思ったより重くて疲れる。気が遠くなるなあ」



 これが現代の文明利器に慣れきった私には、とても過酷な仕事でした。


 円形の丸い木製の箱みたいなものに洗濯物を入れ 、

ハンドルをぐるぐる回して洗うのですが、これが重くて重くて大変でしたよ。


 細かい汚れは洗濯板で井戸から水をくみ上げてジャブジャブと、

石鹸せっけんを使ってジャブジャブと。とても根気の要る作業です。

布がね~しっかりした物で、とてもじゃないけど水を吸って大変な事に……。



「ううっ、腕が、腕が痛い……」



 ええ、これだけで私の一日が終わろうとは思ってもみませんでした。



※ ※ ※ ※


「……いつ、いたたた」



 次の日ですが案の定、私は筋肉痛になりましたよ。洗濯だけでこの有様です。

いえね? 確かに私は普段から筋トレはやってましたよ。

でも、よ~く考えてみたら、今の体は「ユリア」という少女のものなんだって。


 幾らこの屋敷に来てから多少の筋トレはしていても、

怪我をしていたから、体全体を使った動作は殆どしていなかった。

その為、久々に体を動かした状態になって全身が痛んでしまったよ。



「こ、これは……慣れるまでに、かなり掛かりそうだな……」



 アルバイトで慣れた私の本当の姿ならばともかく、

いたいけな娘さんの体では難しかったという事でしょうか?


 ごめんよユリア、君の体を勝手に筋肉痛になんてしてしまって。



(仮にも貴方は、ヒロインなのに)



……しかしこの時、負けず嫌いな私が根性で続けたのは言うまでも無くて。



(私が! ユリアを代理で演じ続けると決めたからには、本気で挑ませて頂く!

 そしてプロのメイドさん、ユリア像を展開していくわ!)


 そう心に固く決めて、びしっと人差し指を天井へと向けて決めポーズ。



 こなしてみせよう、メイドヒロインというこの役を!


「……」


 変なハイテンション。誰も突っ込むものも止めてくれる人も居ない。

寂しいかな我が人生、だけども、どうせやるならば楽しみたい。

女の子ですもの、どんな時でも楽しみを見つけて活かすのが女子力です。

意味不明ですか、そうですか。さて、真面目に取り組みましょうかね。



(いたっ!……うう……ま、負けない!!

 本物のユリアはこの試練に耐えたんだ。私も見習って頑張らないと!!)



 それから連日、はたいて、いて、いて……。

……を毎日根気よく繰り返し続けて、生活スペースは勿論、

徐々に行動出来る範囲を広げて行く事にしました。



「よっ、ほっ、はっ!」



 窓拭きしながらストレッチ、ほうききながらヨガのポーズ。

誰も見ていないから調子に乗っていて、傍から見ると変な人だろうなあ……。

でも、効率よく筋力鍛えるには継続が大事ですしね。


 気分はRPGの勇者の気分です。レベルアップしていくと、行動範囲が広がりますよね。

まさにあんな感じです。ちゃらりら~とか、効果音は流石にないですけど。



(魔法の世界だから、何か便利なものがないのかな?)



……と最初は当然思ったんだけど、魔法具という物はあるらしいが、

使う人が魔力をある程度使えないと難しいらしいとの事。


 特に継続的に動く物とかは、かなりの動力となる技術が必要だそうで、

小さな効果のもの、例えば明かりとかは魔力の無い人でも、

簡単に使える物があるらしいけど。



(例外として、魔法具自体に魔力がある場合は、

 魔力の少ない人でも使えるのですが、まだ普及されているのが少ないですね)



 だから人手が足りないのは、魔法を使える人が少ない事もあるんだそうです。



(私がユリアなら、魔法は使えるはずなんだけどな……)



 試しにやってみたけれども、何も起きなかったんだなこれが。


 もう少し道具の開発が進めば、どんな人でも使える時代が来るかも知れないね。

早く何処かの錬金術師にでも作って頂きたいものですよ。

掃除機とかないと、この広範囲はかなりしんどいわー……。

 

 文明の利器のありがたみをしみじみと感じます。

洗濯機だけでも召喚できないかな……あ、電気がないからダメか。



「やあ、ユリアちゃん頑張ってるかい? 様子を見に来たよ。

 あんまり無理はしないようにね? 無理せず疲れたら休んでくれていいから。

 アデルバード様にはその辺は許可をいただいているし」


「ああ、何か困った事があったらおじさん達に言いなさい。

 重い物は俺達に任せてな? あ、あと高い所と外側の窓は、

 落ちたりしたら危ないからやらないでいいよ。

 そっちは外注で専門の人に頼むようにしているから」


「はい、ありがとうございます! 助かります」


 すっかりお屋敷の仕事仲間であるおじサマーズとも仲良くなりました。

彼らは私にとって貴重な情報提供者でもあり、職場での先輩方です。

この方々のおかげで、私もいろいろとこの世界の事を把握できておりました。

いつもアデル様に教えてもらう訳にもいきませんからね。



「ん~こうしてユリアちゃんと話していると、昔の孫を思い出すなあ」


「お孫さんですか?」


「ああ、もう嫁いで行ったんだけどね。昔はここで一緒に働いていたんだよ」


 高齢のおじいちゃマーズは孫のように可愛がってくれます。

難点は、なかなか私の名前を覚えて貰えなかったって事ですかね。


 孫の名前で呼ばれた時は、



(どうしよう……お医者様呼ぶべき?)



と本気で悩んだのは内緒です。


「よし、じゃあ俺達も少し手伝おう、手分けしてやろうか?」


「宜しいんですか、はい! ありがとうございます。助かります」


「おう、ユリアちゃんがこんなに頑張ってくれてくれているんなら、

 俺達も見習って頑張んなきゃな、なあ? お前ら」


「ああ、俺達だとどうしても妥協してしまう事があるからな」


「やっぱり活気が出るよなあ。若い子が来てくれると」



 おじ様達にも手伝って頂いて、家具は一度お庭に出すことに。

ぼろぼろだった布は新しいものに張り替えて、げた塗装はりなおし、

ほこりだらけの部分は一度ハタキに掛けてから、

雑巾ぞうきんで隅々まで綺麗きれいに拭いて行く。



「これも随分と年代物ですね」


「ん? あーそりゃあね。ここは元々、王族の持ち家だったんだから。

 アデルバード様の後見人、ライオルディ殿下の物だったのさ」


「まあ、主人の交代でたくさん辞めてしまってな。

 アデルバード様の事もあるけど、王族に仕えることに誇りを持つのもいるから。

 で、人手不足でこんなになっちまったけどなあ」


「……殿下」



 そうだった。アデル様って殿下に拾われたんだものね。




(ということは、今後殿下にお会いする機会もあるかもしれない)




 私の知る限り、彼もまた攻略キャラクターだ。


(アデル様の保護者のような方だし、いずれ会うことになるかもしれない)


 なんとなく……”会いたくない”という気持ちがあるのだけれど。だめかな。


 気を取り直して、家具を日の光にに当てる事で、

かび臭い匂いも徐々に無くなって行きました。

毎日やる事が多いから気もまぎれるし、達成感があって充実していますね。


「よし、今日はこの辺で休憩、リファ、抱っこして~」


「クウン?」


 衝動的に込み上げてくるホームシックは、可愛い相棒のリファになぐさめて貰って、

ここの生活にも大分慣れてきました。やー良いですね。動物が傍に居るって。


 リファが座っている所にお腹へダイブすると、もこもこソファーに早変わりです。

体が大きいから大変そうと思っていましたが、こんな活用法があるとは知りませんでした。

柔らかな毛並みに包まれて、とても和む。



――そんなこんなでメイドになってから早2週間。


 私は一つの成果を生み出していた。




※ ※ ※ ※



「努力の甲斐ありまして、ついにダンスホールをゲットしましたよ!

 こんなに大きな部屋、ワークショップでもワンフロア借りたら大変な額です。

 しかも、しかも……今回は無料で無期限か・し・き・り!! 厚待遇です!」



 人間、学ぶ意思があれば何処でも出来るものですね。

外郎売ういろううりも、レッスンに使っていた他の教材も、頭の中に残っています。

だから、継続し続ける事が、元の世界とつながっている気持ちにもなれた。

何より本物の世界観を体験した事は、私の財産になると思うんですよ。



「……かび臭さが減っているな」


「あ、お帰りなさいませ。ご主人様。

 はい、こまめに洗ったり空気の入れ替えをしたりしていますから」


「そうか……そのせいか……」


「はい、流石に維持と掃除が大変なので、全部の部屋とまではいきませんが、

 移動できる範囲も少し増えました。後もう少ししたら居間も使えそうです。

 アデル様がゆったりとくつろげるように、南向きの青の間も綺麗にする予定で」


「……その、大丈夫か? 余り無理をしなくてもいいぞ?」


「え? いえ、はい、大丈夫ですよ」



 おじサマーズの場合、やはり体力面で若い人とは仕事量に差が出てしまうそうで、

これだけでも改善出来たのは良かったと、喜んでくださいました。



――ええ、途中で何人かは体力面で脱落をしたのは言うまでもありません。



(おじ様、おじ様達の名誉の脱落は忘れませんから)




 心の中でキラリンと数個の星が輝いた気がしました。

いえ、ただのぎっくり腰ですけどね。




「ええと、おじ様達とおじいちゃま方が、色々と手伝って下さいますので」


「そうか……皆とは仲良くやっているようだな」


「はい、皆様とても優しくして下さいます」


 最初はここで働かせるのを渋っていたアデル様も、

徐々に生活スペースが改善されていくのを見て、黙ってくれるようになりましたよ。



(やはり、行動で証明するのが一番ですものね。信頼を得るには)



 ユリアは発見時の服装から何処かの令嬢だと思われていて、

その貴族の娘が働くなんて、醜聞もいい所と言う知識も彼にはあったようです。


 あごでこき使う立場の娘さんなんて、まともに働けないとも思ったのでしょう。

リファも最初はそう思いつつも、私の為に後押ししてくれていたようです。

……主に、「まあ直ぐに諦めるでしょ」的な意味で、ですが。



 でも私は家事全般の能力は、基礎能力としてありましたからね。



(経験が知識にまさるとはこの事ですね。

 私は本物の令嬢ではない。中身は一般市民ですし)



 それも異世界人の部類に入るので、働く事には抵抗感がありません。

何より1人前の役者になれる人は、世間一般でも使える人材であるべきだと言われています。


 だからこれはできて当たり前でないといけない。

つまり……プロ級の仕事は無理でも、一般家庭レベル位は出来るかと。



(ふふふ、今に見ているといいのです。私はこの屋敷の中の革命を起こすのだ!!)



 そんな訳で、私は意地とプライドを掛けてこの仕事に挑んだのでした。



「リラムの花か……この屋敷で花を見たのは久しぶりだ」


 玄関に飾られた白いリラムの花は、私の世界での百合の花に該当。

それにアデル様が気付き、目を細めて見つめている。


「はい、ちょうどお庭で咲いていたので、季節の花を飾ってみましたが、

 アデル様はこの位の香りは大丈夫でしょうか」


「ああ、平気だ……良い香りだな」



 入り口の玄関、廊下、食堂、アデルの部屋と私の部屋、

使用人用のホールにも飾ってみた。やっぱり花がある生活は良いなあ。

私はまだファンの方が少ないので、こういう花束を貰った事が無いんですよ。


 ユリア自体は人気があるらしいですが、私自身は無名の新人。



(いつか……こんな花を贈ってくれるような、素敵な人間になりたいな)



 花って人の気持ちを良くする効果があるそうですね。

そう、一番ご主人様には自分の印象を変えて頂きたかったから、

この反応は願った通りのものでしょう。


――自然の中で暮らしていたのなら、草木の香りは嫌いじゃないはずだもの。



(役立たずのユリアじゃない。今は人一倍頑張って出来る限りの努力をしなくちゃ。

 そして絶対にいつか、ユリアの存在を認めて貰うんだ!)



 だから玄関の入り口で立ったままのアデル様を、私はそのまま出迎える。

そうだ。折角メイドになったんですし、良い機会です。

お決まりの名台詞を言ってみましょうか?



「遅ればせながら――お帰りなさいませ、ご主人様」



 うはっ、地で言う事になるとは思ってもみなかったんで、やっぱり恥ずかしい。

メイド喫茶で働いている人は、こういうのを毎回言うんですよね?

ちょっと照れながらですが、満面の笑みでスマイル0円をやってみました。


 すると……。


「…………」


「……ご主人様?」



 無言、無表情で見つめられました……。

あ、やっぱり言い慣れていないから無理がある?



(あれ、外した?)



 この台詞せりふ、単純にやっても、かなり精神的ダメージがある気がしますが、

やっぱり仕事は仕事でも本格的に取り組むとなると違うんですかね。


 んん? それともアデル様は萌え声をお求めなんでしょうか?

そうと言ってくれたらサービスしますよ。恩人ですからね。



「あの、お仕事お疲れ様でした。お荷物をお預かりしますね。

 本日のお食事と沐浴もくよくの準備は整っております」


 先程よりも、おっとりした声で話してみました。気持ち、声高めです。

役を使い分けるには声の高低、話すスピード、アクセントなど色々工夫します。

収録した時のユリアのイメージで、ご主人様を労わって差し上げましょう!


 一応私は中の人、中の人です。魂を吹き込んだ人間ですからね!


 自分の中の、完璧なユリアをしたつもりだったのですが……。



「……あ、ああ……」



 アデル様の反応は薄い。



(そうか~彼にはえポイントが違うのか~……)



 この際ですが、色んなユリアを演じて反応を試してみるべき? 



(あれ? でもユリアってこんな感じだよね? イメージは)



 ユリアのイメージは少し控えめに話すのがポイントだ。

音響おんきょうの方には、これでOKを頂いたんですよ? 

だから、イメージはこれで合っているはずなんだけどな。


 一時的な役として演じるなら別ですが、継続して続けるのは難しいな。

気が抜けた時や無意識の時にどうしても素の「私」は出てきてしまいますから。

だから役目以外は私の自我でやらせてもらっていましたが。



(いっその事、お笑い路線を目指してやってみたら、笑ってもらえるでしょうか?)


 いやそうしたら、ユリアのイメージからかけ離れるか。


 てっきり喜んでもらえるかと思ったのですが、残念です。

そう言えば、アデル様の好みって何だったかなと、時が経つに連れて其方の記憶が……。

なんだか忘れている気がします。こちらで色々あった影響でしょうか?

考えて見るとユリアに関する事も忘れていますね。



外套がいとうを」


「ああ、はい。お預かりします」



 アデル様はそれだけを言うと、外套がいとうを手渡してきました。

私は受け取った外套がいとうを直ぐ傍にあったハンガーに掛けて、ハンガー掛けに……。

その時に、ぼたんがニ、三個ほつれ掛かっていた事も気付く。



(後でブラシを掛ける時にでも、直しておいてあげなくちゃ)


 アデル様はメインヒーローですから、今のうちにきちんとした格好をさせてあげないと。

そう、私の知る物語が始まってしまう前にだ。



「ん……?」



 そんな事を考えている私の頭に、ぽんと何かが触れました。

見上げると、私の頭に手を乗せ、自分を見つめる無表情なアデル様の姿があります。

あれ……? もしかしてこれは、彼になでられているのでしょうか?


「あの?」


「……ん」


 にこりともせず、頭をなでられているようです。

……え? 本当に何事ですか?



「やはり俺が触れても……君は平気なようだな」


「……ご主人様?」


「アデルでいい」


「はあ……では、アデル様」



 この人って、こんなフレンドリーな性格をしていたかな? ……と思う。

彼は人に触れられるのを誰よりも嫌う方だったはず。

なにせ人間嫌いな、元野生育ちの龍人のヒーローだから。


 だから、普通ならよっぽど新密度を上げないと、彼の傍に居るのは大変。

なのですが……アデル様はなんと、自分から私に触れてきたなんて。

それもかなり早い段階で、愛称呼びをお許しいただけるとは。

だってこれ、私が知っている物語ではそう簡単にはいかないはずだよ?



 彼、警戒心が強くて人間嫌いな、メインヒーローですから。

「気安く呼ぶな、不快だ」とか言って、主人公を拒否したりもしていましたし。


(これは事件です!)



 もしや何か選択肢を間違ったのかと、慌てそうな内心を抑えこみ、

私は目をぱちぱちして思考回路が完全に停止するわ。


(一応、龍のテリトリーに居るから間違った行動すると、デッドエンドになりそうな気が……)



「あの……アデル様?」


「ん?」


「……えーと?」



――……しませんね。この様子だと、怒っているようにも見えません。



(急に頭をなでられたから、びっくりした……)


 でも、なんだろう……嫌だという気には不思議とならなかった。

聞き慣れた先輩の声だし、先輩にも良く頭をなでられていたからかな。

本当の妹のように可愛がって貰っていたし先輩には。だから錯覚してしまっているのかも。


(先輩、今頃どうしているのかな)


 あんなにお世話になっていたのに、何も恩返しできていないのに。

するとアデル様は私の頬に手を添えてきたので、びっくりした。



「……誰かが俺の帰りを待っていてくれるのは、久しぶりだ」


「あ……」


 そうか……アデル様は家族を……だからかな。

こんな事をしてくれるだけでも、きっと嬉しいんだ。


「先に湯を使う……入浴の世話は必要ない」


「は……はい、お着替えとタオルはご用意してありますので」



 そう言うとアデル様は頷き、私に背を向けて行ってしまいました。

何時も宿舎で入浴や食事もして来るので、これもちょっとした変化です。

そう言えば、帰ってくる頻度もお屋敷で過ごす時間も増えてきたような?

これは少しだけ認められたという事でしょうか? 



「……なでられちゃった」



 でも何だか嬉しい。だってほら、相手は元野生の龍のお兄さんですもの。

自分の方から近づいて来てくれるなんて、きっとよっぽどの事ですよ。


「お兄さん……か」


 その時、私の本当の兄の事をふと思い出した。


(……っと、感傷に浸ってはダメだ)


 まだまだこれからなんだもの。頑張らなきゃ。

あ……所でさっきの萌え声は、やはり有効だったのかそうでないのか、

ちょっとばかり気になったのは言うまでもありません。




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