2・イージー路線に乗ってみた
視界が暗転し、遠ざかっていく意識の中、
自分が黒歴史を家に残してないか、かなり不安になりましたよ。
(――ああ、私の人生もここで終わりかあ……)
色々と走馬灯というのが駆け巡りました。
思えば儚い人生でした。
(決して美人とまではいきませんが、薄命な事には違いありませんよね)
苦労して、やっと叶った夢の第一歩だったのになあ……なんて考えていたら、
声優を目指す為に励んでいた私の道のりを思い出していく。
演技の幅を広げる為に、勉強に追われた日々、
長時間のマイクワークにも耐えられる様に体力づくりにボイストレーニング。
最近は、マルチタレント並みに色々出来ないと駄目だったから。歌もやっていた。
オーディションでは演技と声が役に合っていても、歌の良し悪しで落とされる事もあるもの。
色々な分野で使える可能性がないと生き残れなかったからさ。
(いつも前向きに頑張ってきて、どうしてこうなったのか……。
もっと色々したかったよ。お友達とも遊びたかったなあ……。
頑張ってきた私の人生の締めがこれなんて、あんまりだ)
高校卒業したら新人登録が終わってしまうので焦っていたせいなのかな。
(まさか見知らぬ場所で行方不明エンドって救われないよ)
こんな事なら、もっと学生生活をエンジョイしておくべきでした。
後悔しまくりの若い人生を散らすなんて、あんまりですよ。
まだ恋も知らなかったのに、そんな事を私は延々と考えていた頃……。
(んん……? あれ……? なんだろう、額がひんやりする……?)
突然、額になにやら冷たい感触がする……それが何だか気持ちいい……。
それがきっかけで、徐々に意識が浮上していくのを感じる。
同時に、体は全然痛くない事に気付く。
――あれ? 私……?
そして、私が目を覚すと其処には――……。
「――ああ……目が覚めたか……」
「……っ!?」
びくりと反応した目の前には、
綺麗な紫色の瞳をした、知らないお兄さんの顔がある。
なんと至近距離で私の顔を見つめておりました。ええ、目と鼻の先とはこの事ですか。
額同士をくっつけて熱を確かめられていた時に、違和感で目が覚めたようです。
……というか、どちら様ですか!?
と、叫ぶ事が出来れば良かったのですが、混乱していた私には、
大声を出す気力すらありませんでした。どうやらまだ寝ぼけているようだ。
「えっ? あ……ああああの私どうして何が?」
「……落ち着け、別に何もしない」
ゆっくりと私から離れたのは、がっしりと体躯のいい長身の青年。
蒼みがかった黒髪で後ろに流すような、ウルフヘアーに近い髪型をしている。
入れ墨? なのか私から見て右の頬には何かの黒い印があります。
歳は、えーとたぶん20代の……前半位なのかな?
細面で顔の整った。とても綺麗なお兄さんが傍に居ました。
(……外国の人かな? 綺麗な人だなあ……モデルさん?
紫色の瞳、瞳の色はカラコンかな?)
そんな事を心の中で思いながら、私は彼の姿をじっと見ていた。
全身を黒を基調とした騎士の様な制服に身を包んでいて、
釦は全て紋章が掘られた銀色。
がっちりとした上着には、龍が羽ばたいているような刺繍がされていて、
開けた黒いシャツから見えるのは、シンプルな紫の石のペンダントが首から下げられていた。
(あれアメジスト……かな? 彼の瞳も石の色と同じ紫色だ……)
……と、私が気づいた時、ふと「私の知る誰か」に似ているような気がして。
あれ? 待って、やっぱりこの人何処かで見たよ?
「――あ」
寝ぼけていて直ぐには気付かなかったけれど、着ている格好で思い出した。
そうだこの人、あのゲームに出てくるヒーローだよっ!
名をアデルバード、通称アデル。下の名前は……えと、なんだっけ忘れた。
「蒼穹のインフィニティ」におけるメインヒーローの一人だ。
(ああ、じゃあやっぱり……これって夢とかじゃない……のかな?)
今も視界に映る私の髪は金色なので、元の姿に戻れた訳じゃないようだ。
そして自分だけじゃなく、他のゲームキャラクターも出てきた時点で思う。
今あることは現実として、目の前に突きつけられている事なんだと。
現実には居ない人、実際にはあるはずの無い光景が広がっている。
そしてどうやら……自分はこの人に助けられていたらしい。
「ここって……」
運ばれた部屋は西洋風の漆喰のある内装で広い作りになっていて、
細かい細工の施された調度品に囲まれているし、絵画なんかもある。
(じゃあここって、この人の屋敷?)
どう考えても、一般家庭にあるような場所ではない、
そして私の家の近所には、こんな内装に合う家なんて存在しない。
(天蓋付きのベッドなんて私、本物で初めて見たよ……)
手触りのいいラベンダー色の上掛けに手を振れる。
同色の天蓋付のベッドの横には、同系色の長椅子までご丁寧に設置してあり、
備え付けの暖炉の上には、細工の細かい金縁の大きな横長の鏡まであるではないか。
――私……これに近い部屋をゲームの背景で見た気がする。
そして自分は、その部屋に備え付けられたベッドで眠らされていたらしい。
(でもなんで? なんでこの人が居るの?)
一体、自分の身に何があったのか? 気が動転して考えがまとまらない。
「あの、あの私……私は……?」
目の前のアデルバード……らしき人に現状を尋ねる。
らしきと言うのは、まだこの人が本当にゲームのアデルバード本人かも分からないから。
コスプレに凝った人ではないかという、希望を持ちたかったせいでもある。
(まだ認めたくないと、こんな時でも思ってしまうな。
でも悲しいかな……声は私の良く知る先輩の声そのままなんだよ)
そうだ。もしかしたら先輩も私のようになっているかもしれない。
先輩は私がユリアの役をやっていたという事を知っているのだから。
だから同じ状況の私を見つけて、助けてくれたんじゃないのかなと思ったんだ。
その為、私は一縷の望みを掛けて、
小さく「もしかして青柳先輩ですか……?」と、目の前の人に聞いてみたんだが、
そう話しかけた青年は、私の問いに首をかしげていた。
「アオヤナギ先輩……とは何だ? 俺は君を拾っただけだが。
俺は前に何処かで会った事でもあったのか?」
「あ……そう、なんですか。す、すみません混乱していて……。
私を助けて下さったんですよね? 本当にありがとうございました。
怪我の手当てまでしていただいて」
……声は同じ事務所の先輩にそっくりなのに、別人らしい。
青柳先輩……アデルバードの役をやっていたよね?
声は一緒だよ? 話し方もまんま青柳先輩の演じていたヒーローだよ?
(そうなんだ……先輩……この人はやっぱり先輩じゃないんだ……)
青柳先輩は、”青柳りと”という男性声優のことで、
実は私がこのゲームに誘われるきっかけを作ってくれた方。
私の尊敬する恩人でもあり、同じ事務所の先輩であり人気声優なんです。
先輩は私と同じように、「蒼穹のインフィニティ」と言うゲームで、
アデルバードの配役が決まったと以前、嬉しそうに報告してくれていた。
勿論、守秘義務があるので、お互いの台本を見せ合う事はしなかったんですが……。
一応私が演じるユリアの主人として出てくる役だったんですよね。
(信じられない……声はそのまま青柳先輩なのに。
良く知っている人の声だからか、何だか妙な安心感)
先輩はひょうきんで面白いお兄さんなんですよ。
なのに、なぜか先輩のやる役は「クールなイケメンヒーロー」が多いんですよね。
配役って声のイメージも大事ですけど、
スタッフ関係者の趣味や事務所の意向もあるんですよね。
この人にはこういう路線で売り出したい……とかね。
先輩は人柄が良い事でも気に入られており、上の方に可愛がられているので、
よく指名でも仕事が入るんだそう。さすがは先輩だ。
「さっきからぼうっとしてどうした? やはり怪我が痛むか?
一通りの手当てはしたんだが、娘の体は脆いからな。
もう一度、医師に診せた方が良いだろうか……」
おっと、じろじろ見ていたわ、気をつけないと。
「いえ、すみません。突然の事に驚いてしまって、あの……私はどうしてここに?」
どうやら、まだ不審者として捕まった訳じゃない事は確かだけれど、
自分の身の振り方を考えるには、まず情報を得ないと。
「……ここは、王都の中心街にある俺の屋敷だ。
ああ、君に危害を加える者は居ないはずだから安心して欲しい。
君は、俺が捜査を担当した事件に巻き込まれたようで、俺が保護した。
知っているかもしれないが俺の名はアデルバード、
アデルバード・ルーデンブルグ・ラグエルホルン。この国の騎士団長をしている」
「アデル……バード……?」
やっぱりこの人は、メインヒーローのアデルその人だったらしい。
こうしてリアルの姿で見ると、本当に綺麗な人だ……。
(ああ、それなのに中の人を知っている私は、
彼がクールビューティに見えないんですがっ!)
うっそぴょーんとか、何かやってくれるんじゃないかと思う訳ですよ。
(中の人を彷彿として、まるで先輩が腹話術をしている気分です!)
お願いです先輩、もしドッキリでしたら、今は大歓迎で笑わせて頂きますよ?
期待の眼差しで待っていますよ? だから冗談だって言って下さい。
「…………」
「…………う」
なんて……そうですよね違いますよね。
すみません。今は笑いに本当に飢えています。
(お、同じ声なのに、この沈黙が耐えられないのはどうして!?)
しみじみ思う、先輩のはっちゃけた明るさとありがたみ。
※ ※ ※ ※
その後、私が彼から聞かされたのは、
この国で起きていた若い娘を狙った連続失踪事件の話。
王都やその周辺の村を中心に、年頃の若い娘達が次々と行方不明になっており、
その捜査を指揮していたのが、騎士団長をしていた彼だったそう。
――で、私はその事件に関係のあった、アジト付近で見つかったらしいとのこと。
(ああ……だから、私、あんな所に一人で居たのかな……?)
頭に怪我をしていた事もあり、犯人達から逃げる際に怪我をしたか、
連れて行かれる際に頭を殴られたか……どちらにしても被害者であろうと、
この人は私を保護して助けてくれたそうだ。
(あれ、でもそんな設定……ユリアにあったかな?)
――それにどうして、私がユリアになっているんだろう?
疑問が浮かぶが、怪我のせいか詳しい事を思い出せなかった。
「君達に被害が及ばぬように配慮したつもりだったのだが……。
混乱に乗じて切りつけられたのかもしれない。
俺の采配不足だ。助けが遅くなり申し訳なかった」
深く頭を下げられて、私は慌てて彼を止める。
「……あ、い、いえ助けていただいたのに、そんな」
と言う事はどちらにせよ恩人だ。ありがたく心の中で拝んでおこう。なむなむ……。
……何だか違う気がする。
「では、目が覚めたばかりで悪いが、君の身元を調べて証言を得たいのだがいいか?
家が王都より近いのであれば、簡単な聴取の後、本日中にでも家に送り届けよう」
……と直ぐに聴取の協力を頼まれた。
「まず君の名前を聞きたい」
「な、名前……ですか?」
「そうだ。ああ、ファミリーネームも教えて欲しい。
後で保護した娘達の名簿と本部への報告書類にも、
仔細を書いておかなければならないから」
「ええと……」
名前を聞かれたんだけど、はたとある事に気づいて悩む。
(ど、どうしよう?)
答えられない。答えられる訳が無いよ。
私の本名、「水上結理亜」と名乗るわけにはいかない。
聞きなれない名前だけに、直ぐに自分の立場が危うくなるんじゃないか。
身分証明となる物も、入国許可証だって持ち合わせていない。
ついでに言えば身元を保証してくれる心当たりもないのだ。
……となれば、今現在のこの姿になっている、ユリアの名前を使うのはどうだろう?
私は「ユリア・ハーシェス」になりすまして名乗る方がいいと思えた。
が――……。
「ユリア……下の名前は分かりません」
私は咄嗟に嘘をついた。その時に思ったのだ。
これが本当に、ゲームのように進行して行くのだとしたら、
ある程度、辻褄を合わせておくる必要があるんじゃないかと。
(あのゲームは、確かマルチエンディングシステムだったけど、ある一定のパターンがあるし)
一人のキャラがある行動をすれば、もう一人のキャラが反対の動作をするとか。
それらを上手く組み合わせて楽しんでいくものなのだ。
その為、出来るだけ自分の知っている展開になっている方がいい。
何かあれば、回避できるだけの知識と対策が出来る。そんな状況にさせたい。
痛覚があると分かっている以上、バッドエンドもある筈なのだから。
(今の時点で分かる事は、彼はユリアの名前を知らなかった)
それは自分の知るゲームや台本の中では「ありえない」状態だ。
本編でユリアとアデルバードは既に知り合いの状態でゲームは進行していた。
それが第1作目で見かけた話だ。
(これは自分の演じた役だから、演じた部分に関するものなら大体分かる。
全てのパターンは流石に把握してないけど……それを知らないという事は)
つまり、これは第1期でのゲーム本編が始まる前の出来事……になるのだろう。
そしてユリアというヒロインは、「前作では後半までファミリーネームが分からない」
という条件が付いていたと思うので、私の判断は間違っていないはず。
(……はずだと誰か教えてほしい! 効果音とかでヒントを知る事も出来ないよ!!)
ゲームそのもので選択肢とか分かりやすく見えたら良いのにね。
正解の時に流れる「ちゃららら~」という、効果音とか、
キャラの周りに咲く薔薇の花とか星とか、あれ、実際に見られると思ったのに……。
(やっぱり、こうしてリアルになると見えないのか……残念。
見られたら、全力で笑えると思ったんだけどな)
いや、こんな所で私が突然笑い出したら怪しさ満点になるね。
気まずさに俯いていた私を見て、目の前の彼は別の意味で勘違いしていた。
私が記憶がない事でショックを受けているのだと。
「……頭を怪我したショックで記憶が欠如してしまったか。
いやそれとも恐ろしい目にあった衝撃で一時的に記憶の混乱が?
では他の事は何か覚えているだろうか?
何でもいい、手がかりになりそうなものとか……」
「えっと……何も……気が付いたらあの場所で倒れていて、
頭に怪我をしていて……それで助けを呼ぼうとしていたんです」
それは嘘ではない。私が答えられる事はここでは不利になると思う。
そして、自分が持つ常識が、こちらで通用しない事もあるだろう。
仮に本当の事を話したとしても、信じて貰える可能性は低い。
それどころか、怪しまれて今の立場が不利になると思う。
「……そう……か」
「……っ、すみ、ません……」
(この受け答えで大丈夫だろうか、
私……お城の牢とかに入れられたりしないよね……?
身元も証明できない不審者だし、不法滞在とかで……)
元の世界に帰れる保証が無いのだから、なるべく気をつけて行動しないと。
ならばユリアとしての情報はというと……これといった情報が分からなかった。
その為、素直に他は思い出せないこと、自分の家も家族も分からない。
そう告げた後、ふとある事を思い出した。
(あれ……そう言えば、確か気を失う前に獣に襲われた気がしたんだけど?)
至近距離まで近づいていたはずなのに、あの白い狼は一体どうしたのだろう?
もしかして間一髪でこの人が助けてくれたのだろうか、と、
ふとそこで、目の前の青年から目線を下げた先に何かの気配を感じた。
「……」
「……っ!」
左側のベッドサイドに居たのは、気絶する前に見たあの白い狼の姿。
それがすぐ傍で寝転んでいるではないか!
そして、じっとこちらの様子を見つめているのに気が付き、
私は思わず、自分が持っていた上掛けをつかんで身構えた。
「あ、あああ、あのっ! 私、あれに襲われそうにっ!!」
先程から私の方を見つめている金色の瞳。
その体は大きく、私の体などすっぽりと収まってしまうだろう。
なぜこんな所にと指をさす私に、アデルバードはさも当然と言う顔で答えた。
「……ああ、そいつは俺の飼っている使い魔のリファだ。
血の匂いを辿って君を見つけたようでな。別に襲おうとしたわけじゃない。
リファは怪我をして歩けない君を見つけて、俺の所へ連れてきたんだ」
「え……?」
「リファが見つけなければ、君の命は今頃無かっただろう」
「クウン~」
確かに、言われて見れば……先ほどから静かにこちらを見つめているだけだ。
まるで「怖くないよ?」とでも言いたげに、そこから微動だにしない。
だから今にも飛び掛って来るような様子にはとても見えず、
むしろ私を気遣う感じで見ている気がする。
獣を狩る時のような、獰猛な瞳ではなく、
心配げな瞳で、白い尻尾が時折ぱたぱたと揺れていた。
どう見ても、主人に従順なわんこにしか見えない。
「……この子が、私を?」
もしかして、私が怪我をしたまま逃げようとしたので、
引き止めてくれただけなのだろうか?
「(ご主人様が来てくれるまで、ここで待ってなよ~)」的な?
それにしても大きい狼だ。熊ほどに大きな巨体なのに、主の命令を良く聞くらしい。
(こ、こんな子……ゲームに出てきたかな?)
……自分はやり込んでいた訳ではないし、私が知るのはごく僅かだから、
これも知らない範囲での話なのだろうか?
でも、ユリアは隠しとはいえ一応ヒロインの一人だ。それも目の前の人と関係がある。
私の知る限りでは、こんなに大きな獣がアデルバードの傍に居たと言う話は知らない。
でもとりあえずは襲われないと知って、私は思わず肩の力が抜けて、
ほう……っと安堵の息が漏れた。
「まあ、この通り大きい獣だからな。君のような娘が怖がるのも無理は無いだろう。
だが、リファは君の事がずいぶんと気に入ったようだ」
「え……?」
「見つけてからずっと、こうして傍で君を守ろうとしている。
俺以外の者がこの部屋に入った時には、盾になって威嚇していたな。
なぜかは知らんが、ずいぶんな気に入られようで俺も驚いた位だ。
こいつは人間嫌いで、今まで俺以外には懐いた事が無かったんだが……」
「……」
「これは俺が命令してやらせているわけじゃない。
リファが率先して、君の事を守ろうと傍に居るようなんだ。今も」
ここに運ばれるまで、気を失っていた私は沢山の人の目に晒されたらしい。
それで騎士団の人達の好奇な視線から庇うように、
リファというこの白い狼は、自分の体で私の上に覆い被さり、
ずっと母猫のように寄り添いながら、甲斐甲斐しく守ってくれていたらしく。
部屋に運ばれたその後もベッドの傍でそのまま待機し、
私が誰かにむやみに傷つけられたりしないよう、傍に居てくれたのだと教えてくれた。
(なんだ……良い子じゃないですか。つまり私のナイトになってくれていたんだね?)
少々……というか、かなり大きい子だけれど、仲良くなれるかもしれない。
恐る恐る「ごめんなさい、ありがとうね」と大きな狼に手を伸ばすと、
リファは立ち上がり、私の手の匂いを嗅いだ後、
額を私の指に嬉しそうに擦り付けてきた。
「わ……」
思ったより大人しくて可愛いじゃないか、この子。
強面に見えて人懐こい子なのかな……そんな事を考える。
あれ、でも人間嫌いって……つまり私は特別に懐かれているということ?
何か美味しそうな匂いでもして、非常食として見られているとかではない事を祈ろう。
うん、もふもふなお供は君に決定だね。え? 肉球も触らせてくれるの?
(……超絶良い子ではないですか! なにこれ、何かのごほうび?
地獄から天国にやって来た気分ですよ! すごくフレンドリーですね)
私が手を差し伸べた事で呼ばれたと感じたのか、
リファはベッドの上に乗っかって来ると、私の背後に回り座り込んだ。
そのままくるんと私の背中を覆うように包み込んでくれる。
それはまるで、大きなぬいぐるみと一緒に居るかのような安心感で。
「あ……」
その感触に、なぜかとても懐かしさを感じたのはなぜだろう?
「クウン~?」
「うわあ……」
ふわふわの毛並みで抱っこされているような状態で、背当てになってくれているようだ。
おおおお――毛皮100パーセントであったかいですよ。ありがたや。
白いと思っていたら、良く見ると白銀色で光に当たって、
きらきらと輝いているね。それでいて毛は手で触れると柔らかく温かい。
「君は優しい子なんだね。ありがとう……さっきは怖がったりしてごめんね?」
「クウン」
「ふふ……温かい」
どうやら、体力のない私の体を支えようとしてくれているみたい。
直ぐに仲良しになれて、寂しくて不安だった気持ちが少し和らいだ。
そんな私達を驚いて見つめる彼、アデルバードが居る。
リファが倒れた私を保護するように彼にお願いしてくれたらしく、
自分の背に乗せて、この屋敷まで運んでくれたと聞かされた。
つまり何もかもここに居られるのはリファのお陰らしい。助かって良かった。
(そうなんだ、そうなんだ~ありがとう~君は命の恩人、いや、恩狼さんなんだね?)
お礼に、ぎゅっとリファの体を抱きしめると、
リファは顔をこすり付けて私に応えてくれる。
見た目に反してとっても優しい子なんだな。
怖がったりして悪い事をしてしまいました。見かけで犬を判断してはいけないですね。
……あれ? 狼か。うん、狼だよね。
「リファは人に触られるのも嫌いなのだが、自分から行くとは……。
まあいい話をもどそう……つまり君は名前以外は何も思い出せない。
という事か……」
「はい……すみません」
「いや、君が悪いわけではない。だが困ったな……。
それでは君をすぐ家に帰す事が難しくなる。
君の家族からの捜索願が出ているか調べてみるか」
事件は既に収束しており、後始末を終えれば今回の話は終わりになる予定だったらしい。
幸いにも今回の件で失踪した娘達は人買いに売られる寸前で保護され、
アジトも押さえ、犯人グループの男達も捕らえられていた。
首謀者と販売ルートは犯人達から今後詳しく聞く予定、
後は事件の調書を取り、攫われた娘達から話を聞き、彼女達を家に帰す。
それで事件は無事解決する……はずだった矢先の出来事だったらしく。
身元の分からないユリア、つまり私はそんな中で発見されたらしい……。
記憶を失っているのでは、名前以外に手がかりが無い。
家族を見つける事は勿論、家に帰す事も無理だった。
それは私も分かっている。でも他に私の選べる選択肢は無かった。
行くあてなど最初から無いのだから。
「仕方がない……では君の身元が分かるまで俺の家に暫く滞在するといい。
ただ、女の使用人がいないので行き届かない点は我慢してくれるか。
何か必要なものがあればできるだけ用意するので、遠慮なく言って欲しい」
「はい……ありがとうございます」
そして心の中で、
(ああ、そうか……そうだった。こうしてユリアはここに居る事になったんだ)
……と漠然と思っていた。
(そう、ユリアはここで……彼の元で生活していたんだもの)
この偽りの姿と境遇が幸いして、この世界での滞在先を手に入れた私は、
やむを得ずにその日から、ユリア・ハーシェスとして生きる事になった。
(とりあえず、この体の本来の持ち主であるユリアを探そう)
もしかしたら、何時か帰れるかもしれないと。そんな希望を胸に秘めながら……。
(きっと大丈夫、私は、私の中のユリアの役割を演じればいいだけ)
中の人が本物のユリアとして、彼女を地で演じ続ける事に……――。
何時終わるとも分からない、その「役」をする決意をした。