15・ユリアの無謀なる戦い
私の友人ローディナの捜索に出て、早三日目が経過。
リファのお陰でさくさくと捜索は進みます。救助犬さながらの活躍ぶりですね。
匂いをたどりつつ、ローディナの無事を願って行方を捜していると、
その日は事態が一変した。川に差し掛かった所で、突然空間が様変わりするように、
黒い霧が辺りを一斉に覆い始めたのだ。
私達は少し後ずさり、それぞれ武器を手に構えて辺りを伺った。
「なに……?」
木々がざわざわと音を立ててざわめき始め、
枝に止まっていた小鳥達が一斉に飛び立っていく。
「――何か潜んでいるな……皆、落ち着いて構えろ」
張りつめていく空気……これは、大きな魔物が出現する合図らしい。
辺りの空間はみるみるうちに薄暗くなっていく。
一瞬にして緊張した面持ちになり、剣を構える騎士団の皆さんが居て、
私は慣れない状況から、震えながら辺りを見回していた。
「グルルル……」
「……っ」
リファは戦えない私をかばう為に、前で牙をむきながらうなり声を上げており、
私はアデル達を後方から援護するべく、リュックから回復アイテムを取り出し始める。
戦闘時だと私は他の人達より役に立たない為、これ位しか出来ませんから。
「……え?」
ふとその時、視界の隅に映る何かに気を取られた。
一瞬、この薄暗い霧の中で何かがキラリと光った気が……?
私は光った方角に目を凝らして見て……其処で見てしまった。
「――っ!?」
其処には……ずっと捜し求めていた友人の姿。
ローディナが岩のように大きな黒水晶の中に閉じ込められて眠っているのを。
一体何が……私は変わり果てた友人の姿に驚き、叫んでいた。
「ローディナ!?」
「ユリア?」
「アデル様! ほらっ、あそこにローディナが居ます!!」
「何? 確かか!?」
「はい! 間違いはありません! 探していたローディナです。
ああっ、でもどうしてこんな事に……っ! ローディナ!!」
指を差す先には、確かに水晶に閉じ込められているローディナの姿。
彼女の傍には、似たような水晶の中にローディナと一緒に旅立ったと思われる、
男性と女性の冒険者らしき姿もありました。
「アデル様……みんな、みんなあの水晶に閉じ込められて」
「遭難者の三人を確認、だが……これは一体」
これで帰って来られなかったんだ。直ぐに助けてあげなきゃ!!
私が短剣を手に駆け出そうとすると、アデル様に私の肩をつかまれ、
それを止められて引き戻される。
彼はそのまま私を背中にかばい、下がっているようにと言ってきた。
「駄目だ。魔物の気配もするし、これは罠かもしれない。
君はここで待っていろ、俺が先に見に行く……リファ、彼女の傍に」
「は、はい……っ」
数名が剣を構えながら水晶に近づき、引き続き辺りを警戒する。
臨戦態勢になったままのリファが、尚もうなり声を上げて辺りを見ていた。
けれど何かがおかしい……誰もがそう思ったことでしょう。
経験のない私でさえも、それは感じられたのだから。
(何だろう……この感覚)
違和感がする。ここに居るだけで吐き気がするような嫌な予感。
寒くも無いのに全身に鳥肌が立って、くらくらと眩暈までする。
これまで戦闘を経験した事のない私にも感じるほどの、嫌な圧迫感。
まるで、何かに体力を奪われているかのような。
幾らなんでもこれは静か過ぎる……。いつの間にか鳥のさえずりすら消え失せていた。
本来、魔物が出てくる時は生き物の息遣いが聞こえるらしいが、
今回に限ってはその気配すら分からない。不気味な程に静寂に満ちていた。
「――あっ?!」
突如、空間を切り裂き、水晶に近づいていたアデル様達に目掛け、
無数の黒い何かの弦が伸びてきた。弦の先は人の手の形のようになっている。
アデル様達はそれを飛び退きながら剣を振り、なぎ払っていく。
やはりアデル様の言うとおり、何かの罠だったようだ。
「アデル様っ!!」
「……っ! なんだ!? こんな姿の魔物見た事がないぞ!?」
ラミスさんが慌てて部下を突き飛ばし、後方へと下がる。
「……っ、これは!?」
よく見かけた獣型の魔物とは違い、現れたのはうごめく闇の塊。
この時、対峙するアデル様の顔色がみるみるうちに悪くなっていた。
彼は姿を見せつつある異形の敵を目の前にして、リファと私の方を振り返る。
そして酷く焦った様子で此方に必死に叫んでいた。
「……っ、リファ!! 彼女を連れて今すぐここから逃げろ!!
ここから離れて出来るだけ遠くへ逃げるんだ!!」
「え?!」
それは突然の撤退命令でした。
そんなっ?! 目の前には助けが必要なローディナの姿があるのに!?
騎士団の皆が居ても、リファが居ても無理なのでしょうか?
一緒に居てくれた紅蓮騎士ラミスさんが、一体なんだと彼に問いかけ、
部下の人達も同じ気持ちで彼の顔を見る。
そんなアデル様は険しい顔つきのまま剣を構え直していた。
先程よりもアデルは顔色が悪いように見えます。
何かに焦っている……そんな風に見えました。
「アデル様? 一体どうして……」
「この気配、この感覚は間違いない。俺の家族を殺したのと同じ奴だっ!
このままここに居たら、確実に奴に喰われるぞっ!!」
「え?!」
「俺は一度奴に敗れた事があるから、奴の能力も知っている。
相手を取り込む恐ろしい魔物だ。これは今の俺達が総出で掛かったとしても、
奴を倒せない可能性がある。だから、せめてユリアだけでもこの場から逃がす!」
「そんな!? ローディナは、皆さんはどうするのですか!」
霧の中からゆっくりと深い闇を纏う魔物がついに姿を現した。
空間に突如大きな闇が発生して、其処からずるりと這い出て来る。
それは深い深い闇の塊のようでいて、この空間と同化しているようにも見える。
真ん中にぎょろっとした大きな一つの目が、こちらをじとっと見ていた。
あの弦は擬似餌のようなものだったのか、
近づいてくる者をからめて捕らえようと、何度も素早くこちらへと伸びてきて……。
私達は近づく事もなかなかできず、一進一退を繰り返す。
「あ……っ!?」
その度にアデル様達は剣でなぎ払いますが、
切っても切っても弦が伸びてきて、次第に彼らの動きを封じつつありました。
「こいつっ! 影からも何か出してくるぞっ!?」
「今の俺では力が制限されて同属の能力しかない、不利すぎるな……っ」
ラミスさんが叫び、アデル様は剣で振り払いながら間合いをつめる。
闇属性を持つ魔物のようで、私達の作り出す影からも弦が伸びてきます。
この中で唯一の闇属性を持つアデル様が、皆をかばいながら敵との距離をはかるものの、
無数に絡みつく様子は変わりなく、容易に踏み込めない緊張状態が続いた。
「ガウ!! ガウガウ!!」
「リファ!?」
私の方にもそれは伸びて来たのですが、
リファが食いちぎり、風を操って払いのけてくれた。
私も短剣を必死に振り回して足元の弦をなぎ払っていく。
何度かアデル様達が切りかかるのを横目に見ながら、私は身を守っていた。
こんな所で私が真っ先に捕まったら、戦況は不利になってしまう。
けれど、敵本体には剣や牙で傷つけても無駄なようで、
ならばと、魔法攻撃で炎や風、水などを手から生み出して戦う人も居ましたが、
何の効果も現れないようだった。
「何なんだ! こんな魔物が居るのかよっ!! 魔法もろくに効かないぞ!」
「ラミルス下手に飛び込むな! 取り込まれるぞ!!
ユリア、何をしている?! 早くここから逃げるんだ!!」
「……で、でもっ!!」
危険ならば尚更、一人だけ逃げるなんて嫌だ。
ローディナは私の為にここへ来て、危険な事に巻き込まれてしまった。
アデル様達も騎士団の皆も、私の要請で助けに来てくれた。
みんな、元はと言えば私のせいなのに。
それなのに、皆を囮にして自分だけ逃げたくなんてない!
私だけ助かる為にみんなを犠牲にして切り捨てる事はとても出来なかった。
だから万一の事があれば、私の方が囮になって皆を逃がそうと思った。
私は戦うすべが無いけれど、騎士団の人達が生きていたら戦況はきっと変わってくる。
何か対策を練って後続隊と合流し、再戦する事だって可能なはずだ。
(アデル様もラミスさんも主力戦闘員。ここで失う訳にはいかない。
彼らを失ったら、今後の戦況は圧倒的に不利になる。
なんとか彼らを逃がして、対策を練って陣形を立て直せば……)
足手纏いにだって、きっと役立つ方法がある。
凄く怖い考えだけれど、自分が回復以外に何か出来るとしたら、
きっとこれ位しかないと思った。
「うおおおおおーっ!!」
ラミスさんが剣先に炎を纏わせて、特攻し敵に切りかかる。
けれど倒せたと思っても直ぐに再生してしまい、魔法も物理攻撃も効かない。
何か仕掛けがあるんじゃないかと思ったのはこの時だ。
急所はどんな魔物にでもあるはずだから。
「再生するのならば核を探すしかない! 其処を狙うんだ!!」
アデル様はそう指示しながらも、ちらちらと私に振り返って逃げろと叫ぶ。
私は出来ないと必死に首を振った。リファも引く気は無いようで、その命令を拒む。
リファも主人である彼を残して逃げるのが嫌なのだろう。
それに目の前にはローディナが助けを求めているのだ。
今、ここで自分だけ戻っても皆が危険な状況なのに、自分だけ逃げたりなんて出来ない。
どうにか隙を突いて、ローディナ達を解放できないだろうか?
そうすれば無理に戦う必要なんてない。逃げれば済むのだから。
そんな甘い考えを私は考えていた。とても愚かだった。
(アデル様……ローディナ……みんな……)
ローディナ達にも近づけず、あせりの色だけが浮かぶ。
何度も何度も繰り広げられる攻防戦、一進一退を繰り返すも解決の糸口は見つからない。
「くっ、このままじゃ、私達の体力が尽きた時点でっ!」
――どうすれば……どうすればいいの……っ?!
この魔物が本当に、アデル様の家族を殺したものだとしたら……。
これを創造したのは人間だ。これは人の悪意が凝り固まって生まれた魔物。
誰かを出し抜きたい、潰したい、優位に立ちたい、奪いたい。
そんな、そんな身勝手な人々の醜い欲求が、この地に集まって生まれた。
そして物語の終盤に出てくる筈の、ボスクラスの化け物である。
倒さない限りは、どんどん進化していくという厄介なものだ。
(こんな……こんなに早く出てくるものだっただろうか?)
何かがおかしい。これもまた私の知らない物語の部分に含まれるのだろうか?
(落ち着いて、怖がってちゃ駄目だ。何か、何か手がかりを探さないと……)
体が震える。全滅という恐怖もあった。それでも必死に助かる方法を探した。
アデル様の言うとおり、こういう化け物にはそれぞれ何かしらの弱点がある。
唯一、それだけは攻撃できる何かがある筈だ。
(でもおかしい……戦闘のプロのアデル様達の攻撃すら効かないというのは)
彼の剣は特別製だ。戦闘でも武器を替える必要がない程に強い効果がある。
つまりこれは……私が知らない「想定外すぎる事態」なのだろう。
そうしている間に、耳をつんざくような魔物の雄たけびと共に、
黒い稲光が私達の方へと解き放たれた。
「うわああああーっ!!」
かわす事も出来ずに、アデル様を含めた騎士団の人達は、
あっけなく爆風と共に後方へ吹き飛ばされる。
私は悲鳴を上げる事も出来ずに、リファにしがみ付いて必死に爆風に耐えた。
そして、辺りを轟音が鳴り響く。
「――うっ……」
目が覚めると……私以外の者は全員倒れていた。誰もが動かずに反応がない。
強いと思っていたアデル様やリファでさえも意識を失っている。
ぴくりとも動く気配はなかった。
「う……うそ……アデル様……リ、リファ……?」
傍にいたリファの体をゆすって見る。何度も何度も。
私を自身の体で庇い、守ってくれたリファも反応がない。
動けるのは……何の役にも立たない私だけだった。
戦う力もない私だけ。
「うそ、やだ、やだよ……」
最悪の事態が、私の目の前に突きつけられていた――……。
「あ……ああ……っ」
慌ててリュックから回復アイテムを取り出して、倒れている皆に使う。
恐怖で手が震えて、上手く物がつかめないのを必死になって力を込める。
「みんな!」
回復アイテムの小瓶のふたを開けて皆に投げる。
それでも目が覚めない……アイテムは効果をなさず弾き飛ばされてしまった。
目を凝らして良く見ると、皆の体の表面が薄い闇の膜のような物で覆われている。
きっとこれが原因だろう。
回復も状態回復も出来ない事に、私は呆然とする。
これでは、特殊攻撃の治療もできないではないか!!
(どうしよう、どうしたら、このままじゃ皆が食べられてしまう……っ!)
皆が倒されてしまう。リファも気絶したようだ。
なんて強い……強すぎる魔物が今回の事件には絡んでいたのか。
私は見ている事しか出来ないのだろうか、このまま黙って倒されるしかないのだろうか。
頭は混乱しながらも助かる方法を必死に考えている。
でも経験の浅い私が思いつくのは、この場では再現が不可能なものだった。
ここには主人公がいない、彼らに助けてもらう事は無理だろう。
「!?……くっ……」
誰かの剣が足元近くに飛んできていたので、
思わずそれを掴み、持ち上げようとするが、
ずしりと重たくてとても扱えそうもなく、振り上げる事すら叶わない。
無力感と恐怖で涙が零れる、死と言う恐怖が迫ってきている。
「嫌だ……こんなの嫌だ……誰か、誰か」
私が救う手立てさえも分からずにいるうちに、
一人、また一人と、騎士団の人達が黒い結晶の中に閉じ込められていく。
抵抗する事も、悲鳴を上げる事すらできぬままに。
「あ……あああ、やめ、やめて……っ」
こうして、こうしてローディナ達は水晶に変えられていったのだろう。
私には回復する方法しか思いつかなかった。毒消しも効果なんて無い。
死の恐怖が徐々に迫っているのに、何も思いつかない。
体はがたがたと震えながら、飲み込まれていく皆を呼び続けた。
「みんな……っ!! アデル様! リファ! ラミスさん!
起きて、お願い、みんな起きて!!」
”逃げろ”という言葉が鮮明に浮んだ。アデル様が私に言ったあの言葉が。
でも、今ここで逃げたりなんてしたら、私は一生この事を後悔するだろう。
皆を犠牲にして見捨てて、自分だけ助かる為に逃げ帰った事に……。
例えそれを皆が許してくれたとしても、私はそんな自分を絶対に許せない。
私は脳裏に響くアデル様の声に首を左右に振り、
その選択肢を捨ててこの現状からの突破口を必死で探す。
(だめ、最後まで諦めちゃ駄目だ。今動けるのが私だけなら私がやらないと)
しっかりしなさい、私が今、ユリアなんでしょう。
サポート役なら私がここで動けなきゃだめでしょう!?
魔物はゆっくりと移動をはじめ、そしてローディナの水晶へと近づくと、
その姿を覆い尽くそうとしていた。
先程とは違う動きに気が付く。
(――食べる気だ……っ!?)
ざっと体中の血の気が引いた。
「やだっ!! 駄目!! ローディナを、その子を離してえええ――っ!!」
考えている暇もなく、私は無我夢中で走り出していた。
あんなのに敵うなんて最初から思っていない。でも助けたかった。
腰元に下げていた短剣を鞘から再び引き抜き、私は魔物目掛けて飛び掛かる。
振り上げた短剣、響き渡る轟音。巻き上がる土ぼこりが視界をさえぎる。
それでも、振り絞ったありったけの勇気で、剣先を目の前の魔物目掛けて振り下ろした。
「うああああああ――っ!! その子を離せ! 離せええええーっ!!」
私の叫び声を上げた瞬間、体中がかっと熱くなった。
胸元の中心が白く発光し、胸元に下げられたペンダントが共鳴して光る。
手に持っていた短剣さえも白く光り輝いて、辺り一面の闇を払うように照らしていた。
「ギエエエエエー―ッ!?」
「!?」
魔物は私の突然の攻撃に躊躇したのか、
私が刺した直後に、私と捕まえていたローディナの入った水晶を突き飛ばし、
雄叫びを上げながら後方に下がる。
ぎょろりとした目が、一瞬だけこちらをにらんだ気がした。
そして闇のうずを直ぐ傍に出現させると、
魔物はずるりと飲まれるように闇の中へと消えていく……。
「うあっ!?」
私はそのまま衝撃と共に地面へと叩きつけられ、
痛みで呻きながら体制を立て直す事も出来ずに、
顔を歪めながらも、魔物が消えていくその様子を震えながら見ていた。
「う……うう……っ」
暫くすると辺りにあった霧も完全に晴れ、闇も消えていく。
これは……もしかして助かったのだろうか……? 信じられずに辺りを見回す。
再びあの魔物が出てくる気配は感じられない。
腕にぐっと力を入れてなんとか起き上がる。どうやら魔物は驚いて逃げたようだ。
体の震えはそれでもなかなか収まらなかった。
「ぐ……っ、うう……」
「あ、あれ……? 体が動くぞ?」
「そうだ魔物!! ユリアちゃん大丈夫か!?」
「は、はい……全身は打ちましたが何とか……皆さんの方こそご無事で……?」
直後、倒れていた騎士団の人達の体は、
びくりと体を震わせた後に、一斉に目を覚ましていた。
どうやら即死は免れていたようで、仮死状態のまま動けなかったらしい。
私が魔物に飛び掛った時も意識はあったけれど、指ひとつも動かせなかったそうだ。
そう聞かされて、ああ、だからリファも目が覚めなかったのかと思った。
強い力で地面にぬい付けられたような感覚だったそうだ。
何か魔法のようなもので縛られていたのかな。
「でも良かった……」
こうして私だけ魔物の影響がなく無事だったのは、
リファが身をていして、私をかばってくれていたからだろう。
そうでなければ、私が真っ先に倒れていたと思う。
お陰で、相手の不意を突くことができたんだから。
「クウン~クウン~?」
リファは目が覚めるなり、おろおろしながら私の怪我を確かめ始めた。
幸い、リファがクッションになってくれたので、私は打撲とかすり傷程度で済んでいる。
さっき突き飛ばされた時も腕でかばったから、それほど大怪我には至っていない。
だから大丈夫だよ、と、リファの頭をなでて、私もリファの怪我を確かめた。
リファは私よりも怪我の状態が酷く、後ろ左足を引きずっている事に気づいた。
痛々しいその姿に、私は直ぐに皆の怪我を回復アイテムで治療してあげると、
怪我が治ったリファは嬉しそうに、くるくると目の前で回って見せた。
今度はきちんと作用してくれたらしい。私はほっと安堵の息を吐く。
「良かった……」
リファの体にぎゅっと私はしがみ付く。
「ユリア」
「アデル様……」
アデル様は辺りを警戒しながら急いで私に近づいてきた。
そして頬に手を添え「体は大丈夫か?」と質問される。
顔が未だに青ざめているのだろうか、先程から私の体の震えが止まらない。
アデル様はそんな私を見て、自分のマントで私の体を包み込んでくれた。
手に残った魔物を攻撃した時の事を思い出し、怖いと感じた。
(――これはリアルなんだ……)
先程の恐怖が蘇える。 涙があふれてきて、拭っても拭っても流れてしまう。
怖かった……物凄く怖くて、無我夢中で短剣を振り下ろしていた。
短剣を握るのも本当は凄く怖くて、でも……皆があの時に死ななくて済んで、
色々な感情が込み上げて来る。
「ふ……ううう……アデル様」
「大丈夫だ。もう怖い事は無い、頑張った。よく頑張ったな……。
君の機転のお陰で、俺達は助かったようだ」
アデル様は抱きしめながら慰めてくれた。
もう大丈夫、大丈夫だからと彼に励まされて私は頷く。
そしてまた勝手な事をしてすみません……と、小さな声で謝った。
私は結局、彼の命令に最後まで聞く事が出来なかったから。
「そうだ。ローディナ! ローディナ達を元に戻さなきゃ、でもどうやって?」
囚われたままの友人を思い出し手我に返る。
アデル様やラミスさん達もそれに悩んだらしい。
硬い強度に包まれた黒水晶の中で眠ったままのローディナ。そして同行した仲間達。
よく見たら、さっきの事で騎士団の数名の人達も、
黒水晶の中に取り込まれてしまっているではないか。
でも皆は水晶の中で眠っているだけらしく、生存反応はあると分かった。
「じゃあ、皆さん無事なんですね……良かった」
それでもこのまま放置すれば、きっと命は危ういだろうとの事なので、
街へ急いで連れて帰って専門家に話を聞く事になり。助ける手がかりを探す事になった。
直ぐに帰還の準備を始めた皆を背に、私は一人、ローディナの眠る水晶へと近づいた。
やっと会えたのに、こんな状態の再会はとても辛かった。
助かるよね……? きっと大丈夫だよね……?
「ローディナ……私だよ、ユリアだよ? 貴方を助けに来たよ。
皆も一緒に来てくれたんだよ?」
ローディナは応えない。彼女が何時目を覚ましてくれるのかも分からない。
「怖かったよね? でももう大丈夫だよ。きっと大丈夫。
一緒に帰ろうね? ローディナのお父さん、お母さん、妹さん、
みんな、みんなローディナの事を心配していたんだよ。
早く帰って……元気な姿を見せて、安心させてあげようね?」
この水晶から助けられる方法があるはずだと、アデル様は言っていたもの。
大丈夫、絶対に大丈夫だから、錬金術師や魔術師の人達がきっと助けてくれるから。
私はローディナと手を重ねるつもりで、水晶の上からそっと手を触れた。
――その時だった。
「!?」
私が触れた所から水晶がぴしぴしと割れ目が入り、それがどんどん広がっていく。
私は慌てて振り返り、背後で待機していたアデル様を呼んだ。
「アデル様!! ローディナの水晶にヒビが!!」
「……っ! 一体なにをした!?」
「何も……ちょっと触っただけで、どうしようローディナがっ!!」
ひび割れが酷くなれば、中に居るローディナも粉々になってしまうのではないか?
そう思った私は、慌ててこれ以上のひび割れを抑えようと、水晶に覆い被さった。
すると余計ひび割れは広がっていくではないか。
「嫌、嫌だよっ! ローディナーッ!!」
私が叫ぶと、また体が光を放つ。先ほどと同じ白い光が水晶を照らす……。
直後、水晶は粉々に砕け散った……中で眠っていたローディナだけを残して。
砕け散った欠片は、砂塵の粒のように地面に吸い込まれて消えていく。
「ローディナ……?」
私はその様子を呆然と見つめた……腕の中には、眠るローディナだけが残った。
水晶の中で青白く顔色の悪かった頬は、徐々に赤みが差し始めており……。
そして……ゆっくりと閉じられていた瞼が開いた。
自分を見つめるのは、私が良く知る彼女の緑色の瞳……。
綺麗な草原の色の瞳が私の姿をとらえる。
「あ……れ……? ユリア? 私どうして……」
「ローディナ!? うそ……本当に? 良かった……良かったあ……」
ぎゅっと抱きつく私に、ローディナは訳も分からずに私の背に腕を回す。
肩越しに見えるのは、自分を取り囲むように見つめる騎士団の人達の笑顔。
そして、ローディナの知人である冒険者達。
取り込まれた騎士団の人達の水晶も砕け散って解放されている。
ああ、全てが解決したんだ……そう思うと、ぐったりと疲れが出てきた。
たいした事なんてしていないけれど、緊張が解けると疲れが凄い。
途端に、また涙が再び溢れる。
みんな、ここで死んでしまうと思ったから尚更だ。
「ちょっ!? 重いわユリア……ユリア? 泣いているの?」
「良かった。もう大丈夫だよローディナ……大丈夫」
「大丈夫って……あっ! あの黒い魔物は!?
私達あれに逃げ道を塞がれて、逃げられなくなって……!!」
「うん、なんとか追い払えたみたい……倒すのは流石に無理だったけど、
私の威嚇に驚いて逃げたみたいだよ。無事で本当に良かった……。
あのね、ローディナ達を助ける為に、騎士団の皆さんが来てくれたんだよ?」
今回の件は、偶然の幸運が積み重なって助かったらしい。
リファがかばってくれなかったら私は動けなかったし、
倒したと思っていた獲物が、刃物を持って抵抗するとは思わなかっただろうし。
「う……っ、わた、わたし……怖かった。怖かったの」
ローディナは、騎士団の人達が自分達の為に救助に来てくれた事を知ると、
恐怖が蘇ったのか、先程の私のようにわんわんと泣き出した。
「もう大丈夫、もう怖くないよ。みんなが一緒に居るからね?」
「うん、うん……っ! もう、もう私は駄目だと思っていたの、ありがとうユリア」
こうして私は無事にローディナと再会を果たせた。
その後、ローディナ達に水と食事を摂らせてから、少し休んでから帰還する事になり。
帰りは至って簡単。帰還用のリターンアイテムがある。
これがあると分かっていたから、今回の私は少々無茶な冒険にも出る事が出来たのだ。
ただ、敵と遭遇した時に使うと、街中に敵を招き入れてしまう恐れがある。
その為に敵がある程度離れた頃合を確認しなければ、使う事が出来なかったけれど。
「じゃあ、帰ろう」
「ええ」
私とローディナはリファの背に乗ってボトルを開けると、ボトルは光と共に空へと弾けた。
すると辺りが一瞬にして揺らぎ、見慣れた光景が目の前にあった。
蔦の這う白い彫刻の施された石造りの門、王都の出入り口だ。
アデル様は到着すると同時に、全員がそろっているかを直ぐに確認する。
「全員そろっているな? ……よし。
では各自、分担して報告する者と送り届けるもの、
体調の悪いものは俺に言ってから先に帰るといい。ここで解散しよう
事情聴取は後日改めることにする」
誰一人欠けることなく無事に帰って来られた事に、皆は一斉に安堵の溜息を吐くと、
保護した他の冒険者三名を宿へ連れて行き、医者を呼び、
残る人達は、本部へ今回の件を報告しに帰っていく。
アデル様とラミスさんは、ローディナを家に送る為に私達に同行してくれることになった。
(本当に帰って来られたんだ……)
まだ慣れていなかったこの喧騒が、やけに心強く感じる。
ゆっくりと流れる人の波をローディナと共に、リファの背に乗りながら見ていると、
前に座っていたローディナは、後ろから彼女の体を支えている私の手に、
そっと自分の手を重ねてきた。
「ローディナ?」
「あのね。ユリアありがとう……私を助けに来てくれて。
とっても怖かったでしょう? 本当にごめんね。
貴方を守る為に行ったはずなのに、貴方を危険にさらす事をしてしまったわ。
でも、あんな所にまで助けに来てくれて、私、本当に嬉しかった。
本当にありがとう……リファも、ありがとう」
ローディナはそう言って、自分を乗せて運んでくれるリファの体もなでた。
だいぶ衰弱もしているようなので、帰ったら安静にしないといけないだろうな。
早く回復してくれる事を願いつつ、私は首を振る。
「ううん、私こそ、私の為にあんな所まで行ってくれたの知っているもの。
無事で本当に良かった。早く元気になってね?」
「うん……お父さん達には怒られちゃうなあ。
これは暫くは外出禁止にさせられるわね」
「ふふふっ、それはさすがに覚悟しないと駄目ですね」
今は当たり前のようなこの平穏が、とてもありがたいという事だと気づき、
私達は幸せを噛みしめる。
それにしても……どうしてあの時、私の攻撃はあの魔物に効いたのだろうか?
騎士団の人達の物理攻撃も、魔法攻撃も効いた試しは無かったのに……。
「あ……そう言えば……」
ローディナから貰った守りのペンダントが光った気がした。
魔物がこれで逃げて行ったみたい、ローディナがくれたお陰だねと話した。
そして、「もしかして、凄い魔力があるとか?」と聞いてみる。
確か守りの石は、魔除けとして使われているものだとかで、
魔物にも効くと、出かける前にローディナは言っていましたよね。
だから私は、お守りとして身に着けて行きましたから。
「ええ? ないない! あんな化け物を倒せるのなんて流石に私作れないし!
作れたら今頃、私というか妹は立派な錬金術師として、
世界中に知られていると思うわよ」
「そうなのですか? でも確かに光った気がしたんですが」
「う~ん……もしかして、短剣とペンダントが銀製品だったからなのかも?
銀は魔物には効果あるそうだし、私もそれで素材を銀粘土を使う事にしたの。
普通の剣では効かないものでも、銀には弱い魔物のは結構多いそうだから」
「ああ、そうなんですか。なるほど……」
……と言う事は、たまたま貰っていた短剣が銀製品だったから良かったと。
(言われて見れば、吸血鬼とかは銀に弱いとかいうよね。魔物もそうなんだ)
こうしてみると、アデル様の選んだチョイスは良かったという事ですね。
ピンチを救ってくれるものを手配してくれたのか。
でも、さっき貰った短剣を魔物に持って行かれてしまいましたよね……がっくり。
後でアデル様に頼んで、またしっかりした剣を用意して貰おうかな。
今回の事で、私は十分に思い知りました。王都の外の危険を。
そして、いざという時に、強くなければ誰も守れない事も分かった。
(このままじゃ駄目なんだ……)
今回は幸運だったにしても、戦えないんじゃ役立たずです。
だから少しだけでも外の世界に出る努力もしようと思いました。
勇者クラスになりたい訳じゃないけど、後悔しない為に動かないと。
闘うのはまだ怖い。こんなのに慣れる日が来るのでしょうか……?
(でも……もう逃げてばかりもいられないよね)
今回の様な事が起きない事を願って……私も強くならなきゃ。
ローディナを無事に家へ送ると、彼女の家族は泣きながらローディナを迎えた。
その姿を見て、帰りを待つ家族が居るローディナをうらやましく思う。
私には、そんな家族はここには居ないから。家族のありがたみを改めて感じる。
「……」
(でも、良かったねローディナ)
すると、アデル様は私の手を握り外へと連れ出した。
「帰ろうユリア」
「はい……アデル、様」
そのまま、アデル様に手を引かれながら帰り、私は途中でお説教されたりもしましたが、
私はこうして皆で無事に帰る事が出来て、本当に本当に嬉しくて、
その時はちっとも怖くありませんでした。
帰ろうと言ってくれた彼の言葉が、どんなに私にとって嬉しいかなんて、
きっとアデル様は分からないだろう。
でも、アデル様の言葉が今の私にとっての支えになっている。
私にも帰る場所があるのだと教えてくれたから。
(アデル様が傍に居てくれるだけで、こんなにも安心する……)
だから、そんな彼のことを失ってしまいたくは無くて、
気づけば私がつないでいた手はもう震えなくなっていた。
伝わる手の温もりで、もう大丈夫だと……それが分かったから。