14・紅蓮騎士ラミルスの観察録
ことの発端は数時間前にさかのぼる。
その日の昼頃、アデルバードの元で働き始めたユリアが、
泣きながら騎士団の寄宿舎に飛び込んできた時の事だった。
(なんだなんだ?)
ここ最近、縁あって騎士団に顔を見せるようになったその女の子は、
ここで保護してくれたという恩を感じているせいか、下々の者にまで分け隔てなく、
丁寧に挨拶してくれる。とても感じのいい人懐こくて愛らしい娘だ。
少々粗野で取っ付きにくく、近づきにくいとされる堅いイメージの俺達に、
臆せず笑いかけて話しかけてくれる子なので、俺達も嬉しくて好感を抱いていた。
ただでさえ女性とは縁がない俺達は、何時も彼女が来る時は浮き足立っていたのだが、
流石に今回は彼女の来訪を喜べる状況ではないと、顔を見て瞬時に悟る。
『あの、あああ、あの……っ』
俺達が休憩していた部屋に来た彼女は、既に頬を涙で濡らして泣いていたんだ。
つぶらなその紫の瞳は、悲しみに染まって体は小刻みに震えていた。
(なっ、なんで泣いてるのっ!?)
人が大勢集まったその場は一瞬にして凍りつき、静まり返った。
『ど、どうしたの?』
『……っ、あの、私、私……助けてほしくて』
その様子から……ユリアがどこかで何らかの被害を受けたのではないか?
と俺達は思った。
そして俺達の中で、ふつふつと得体の知れない者への怒りが沸く。
もしや誰かがよからぬ事を考え、強引に迫って怖がらせたのかもしれない。
一体誰が泣かせた? ……ま、まさか同じ騎士団の連中か?
年頃の彼女を狙っていた男は結構居ると思われるし……と顔を見合わせ、
俺達ではないと確認し、再度彼女に目を向け、裏でひそひそと話し合う。
『ど、どどうしよう……っ!』
『ユリアちゃんが泣いているなんて!?』
『やっぱり誰かに何かされたのか? されたんだな!?』
『されたって、一体何を……。
ま、まさかしつこく付き纏わられたり、体を……さ、触ったりとかか!?』
『さ、さわっ!?』
俺らの脳裏に、ユリアの体にしがみ付いた不審者の姿がよぎった。
華奢な体、白い手首、それでいて不釣り合いな程に豊かな胸が目に映る。
年頃の女の子の中でも、ユリアは特に女性らしい体つきの娘だと思う。
想像通りならば、きっと彼女は抵抗らしい抵抗もできなかったことだろう。
確かにユリアは龍の雌にはない、魅力的な女の子だ。
だが、だからといって気安く触れていいものではない。
不審者は、ユリアの魅力に興奮して触ったのではないか?
その瞬間、俺達は一斉に頭に血が上り、腰に下げていた剣の柄を握り締める。
――よし、そいつを今から殺りに行こう。
『なっ!? ゆ、許せんっ!! かよわき女性に不埒な真似をする輩は、
即刻、俺達の手で倒さなければ!!』
一人の部下がぶるぶる震えながら、座っていた椅子から立ち上がった。
こいつは以前から、ユリアを気に入っていた男の一人だったな。
ただでさえ、出会いのめっきり少ない騎士団の連中である。
女の子との交流はまさに神の領域であり、俺達にとって貴重な機会。
つまり、知り合った女性は俺達にとって恋人候補、お嫁さん候補にもなる為に、
男達は例え知人程度の娘さんでも、必死でいい男アピールをするものだ。
そして現在、その中でも騎士団によく出入りし、
気さくに接してくれる年頃のユリアは、かなりお近づきになりやすいこともあって、
お嫁さん候補NO.1になっている。
そのことを当の本人は知る由もないだろうが。
(こんな所まで来てくれる一般の女の子なんて、彼女が初めてだからな)
まあ、彼女以外に、余りきさくに話せる娘さんが居なかったという事もあるが、
騎士団は硬派で実直で近寄りがたい印象を女性に与えてしまうせいだろう。
だが彼女は汗臭い俺達を見ても嫌な顔すら見せず、いつもニコニコと笑って接してくれたし、
怪我をして帰ってきた時は、傷の心配をして救護室まで付き添ってくれたこともあるという。
時に俺達のくだらない愚痴を聞いてくれたり、女の子関係の相談にも乗ってくれていたし、
接し方に慣れていない俺達にとっては、とても貴重な存在だったんだよ。
(話しかけやすいっていうのは大事だよな)
伝令役の男なんかは、喉を痛めない正しい発声方法のコツ。
……というものをを伝授して貰ったらしく、以前よりも喉が潰れる事無く、
無理なく大きな声が出せる様にもなり、凄く役に立っていると感動していた。
それ以来、騎士団では「ユリア発声法」が採用されるようになった。
士気を高める上でも彼女が教えてくれた発声法は、騎士団の為にとても役立っている。
そして、何時も来る時には、そのレッスンと称する練習を見てくれたりもした。
其処まで付き合ってくれる子に、はたして悪い印象など持つだろうか? いや、無い。
もしいるのなら、俺達は真っ先にねじ伏せてやるところだ。
――つまり、俺達はみんな恋敵同士だった。
再度無言で俺達は目配せをし、数人は俺じゃないぞと首を必死に振っていた。
”――俺らのユリアちゃんが、どこぞの誰かに泣かされた……許せん!!”
俺達の総意だった。
ただでさえ、若い女の子の出入りなんて彼女位なものなのに、
今回の件で彼女が怖がって騎士団に来なくなったら、俺達にとっては大打撃だ。
このままではユリアの友人も紹介してもらえなくなる。
『す、直ぐに泣かせた犯人を見つけるんだ。被害がこれ以上大きくならないうちに、
もしもこれが騎士団の者だったなら、きつい罰を与えなければっ!』
『血の契約でユリアちゃんへの接近禁止措置を!』
『いや、手ぬるい、拷問部屋へ連れて行こう』
『おお、やろうやろう!』
俺達が妙な結束間を作ろうとしたその時、
部屋にやって来たのは、彼女の主人となったアデルバードだった。
きっとユリアの気配を感じとって迎えに来たのだろう。
『……ユリア?』
あいつは直ぐにユリアの存在に気付き、彼女が泣いているのを知ると、
急に凍てつくような視線を俺達へと向けてくる。
ピリピリと部屋の空間が一気に冷えていく感覚がした。
『いったい何があった? 誰が……俺のユリアを、泣かせた?』
地を這うような奴の低い声が、静まり返った部屋に響く。
あろう事か、その直後に皆の見ている場でドラゴンアイズを発動、
一気に傍に居た者達が、一斉にぴしりと凍ったようにように動けなくなった。
気心の知れた俺も含めて容赦がないなこいつは。
『う……いや、その……』
『まさかお前なのか? ラミルス……そう言えば、お前はユリアを気に入っていたな?』
剣先が俺の喉元に向けられる。目が、目が据わっている……!
『……っ!? いやいやいや!! 俺達は何もしてない!!
ここへ来た時にユリアはもう泣いていたんだよ!! だから何かあったんだと』
だから、その鞘から抜いた物騒な剣を、どうにかしてくれと、
俺は必死に懇願する。こんな所で死んだら死にきれないぞ。
しかも、今、問答無用でとどめの大技までやろうとしただろ!
龍の執着は人よりも遥かに強い。マーキングを付けたものなら尚更だ。
だからアデルバードを差し置いて、ユリアを傷つけた者が居たのだとしたら、
この男は地の果てまでその者を追いかけて、恐ろしい制裁を下す事だろう。
(あ、危なかった。今俺が止めなかったらここが惨劇の舞台になる所だった)
目が既に龍のそれに変わろうとしていたから、
寄宿舎ごと俺達をぶっ潰す気だったのではないか。
龍の尊厳を傷つけられたら、奴は本能で動き、一度暴走したら止めるのも難しい。
野生で本能のままに生きてきた奴にとって、それを抑えるのは難しいだろう。
俺は必死で傍に居たユリアに、『ね? そうだよね?』と同意を求めた。
すると頷いてくれて涙を拭うユリアの姿。
ほっとするのも束の間、俺は頭をつかまれてアデルバードによって投げ飛ばされる。
『気安くユリアに話し掛けるな!!』
『ぐおっ!?』
ああ、すみませんでした……。そう言うのがやっとだったよ。
自分のマーキングしたものに、他の雄の匂いが付くのは嫌だものな。
『アデル様……』
『ユリアおいで、一体どうした? 何があった?』
彼女の傍に近寄り、指で頬を伝う涙を拭ってやる奴の姿がある。
おい、いい所だけお前が取るなよ。
『あの実は……』
※ ※ ※ ※
それからユリアが、アデルバードに頭をなでられながら理由を話してくれた。
彼女の友人が、ユリアの為に素材探しの冒険に出かけたたまま、
帰還予定日を過ぎたのに家に帰って来ていないのだと。
(そういえば、そんな知らせがさっき本部にも来ていたな)
行方不明者の国民を捜索するのも、実は騎士団の大事な仕事の1つだ。
状況を聞くに、人命にかかわるのでこれは直ぐに捜索する必要がある。
話している間に、友人の実家からも捜索要請が出たようで部下が伝達に来る。
俺達は早速、上官に報告の上、旅の準備を始める事にした。
捜索は時間との勝負だ。時間が経てば経つほど生存確率は低くなる。
迅速に行動するのが、遭難者の明暗を分けるんだ。
『アデル様お願いします。ローディナを助けて、助けて下さい……っ!!』
ユリアは友人の安否を心配して、ボロボロと泣いているし、
ここは早く見つけてあげて良い所を見せたい所だ。
それに女の子が危ないというなら、俺達、騎士団の出番だよな?
騎士道精神には、女性に献身する意味も含まれているんだし。
(いや、別にさっきユリアの目の前で、情けなくも軽々と、
アデルバードに吹っ飛ばされたのを気にしてはいる訳じゃないぞ?
……き、気にしてなんかいないからな!?)
救助隊は精鋭ばかりを集めておいた。万一これが強い魔物の仕業ならば、
人を助け出す以前に、自分達が先に全滅する可能性がある。
これまでも冒険者が行方知れずになった時には、そういう事が何度かあったんだ。
……その為、最悪の事態を想定して、各自の判断で行動出来る者を集めていた。
今回の指揮はアデルバードが指名された。
当然だ。あいつは騎士の中で一番強いし、他のものよりも土地勘もある。
そしてあいつは、俺を補佐として指名。まあ、これも当然だろう。
互いの正体を知っているし、俺達は戦闘面での相性がいい。
万一の時があれば俺達は龍体で戦うだろうし、こうして二人がそろっている方が、
何かとフォロー出来て便利だと思ったのは、どうやら俺だけじゃないらしい。
『アデル様、私も……』
『駄目だ。君は屋敷で帰りを待っていてくれ』
『で、でも』
友達を助けに行きたいと、ユリアは俺達に同行を願っていたが、
アデルバードはそれを許さなかった。そうだよな。連れて行っていいものじゃない。
彼女は一般人だし、冒険の経験者でもない。更に彼女は体が弱いという。
それに、もしも万が一にもローディナを助けられなかった場合……。
変わり果てた友人の最悪の姿を彼女に見せてしまう事になる。
そうなった時……ユリアが耐えられず儚くなってしまうのではないか。
そうアデルバードは心配しているのだろう。
(ただの遭難ならいいんだが、手に負えない魔物に出くわしたのなら、
ユリアを危険にさらしてしまうしな)
更に危険な状態に、二次被害の可能性もある。
ユリアを危険にさらす事になってしまう可能性があるならば、
心配して反対するのは無理からぬ事だ。
俺達は口々に友達を必ず見つけ出すからと、そうユリアに約束すると、
直ぐに街を出て、深い森の中へ入って行ったのである……。
――しかし、まさか後で同行を断られたユリアが、
俺達に黙って別行動で捜索に向かうなんて、この時の俺は勿論、
アデルバードも予想できなかっただろう。
どうやら彼女は俺達が思うよりも、思い切った行動をする娘のようだ。
もしかしたら、主人のアデルバードと似ているのかもしれない。
※ ※ ※ ※
そんな事になるとはその時の俺達は露知らず、森の奥へと進んで行った。
俺とアデルバードは嗅覚も優れていた。
だからこういう時、捜索の際には役に立つ。
ユリアからローディナの私物で屋敷に忘れていったとするリボンを借りて、
それを頼りに匂いをたどっていた。
「友達にリボンを返せなくなるかもと、ユリア、落ち込んでいたな……」
「ああ、そうだな」
だが自分達だけならともかく、人間と一緒の行動は制限がある。
体力面にも差がある為、歩く速度を同行している人間に合わせなければいけなかった。
同僚と部下達を置いて行かないように、俺は補佐として周囲に気を配り、
アデルバードは意識を集中し、無言で歩いている状況だった。
「――……っ!?」
「どうしたアデルバード?」
その歩いている途中で、アデルバードの様子が急におかしくなり、
俺達を残して、何処かへ駆け出して行ったのである。
「おいっ!? どうしたんだよっ!? アデルバード!!」
直後、俺の耳にも空気が振動している所があるのに気づいた。
これは龍の第六感によるもので、アデルバードとの差は種族のレベルの差だ。
アデルバードは蒼黒龍、龍の種族の中でも一番力が強い。
人間の感覚ならば純血種とでも言うべきか、レジェンドクラスの力の差がある。
(まずい、このままじゃあいつを見失う!)
俺はアデルバードの後ろに急いで続いた。
傍に居た同僚や部下達を振り返りながら、「団長に続け!」と叫び、
風を足に巻きつけるように地面を蹴って後を追いかける、
何処かで何かが暴れているようだ。
(これは魔物か?)
次いで聞こえてくる人々の悲鳴と轟音。高く舞い上がる土煙。
人が襲われているのか、尚更まずいな、これは直ぐに助けてやらないと。
もしかしたら、行方の分からないローディナ達かもしれない。
直ぐに戦闘態勢に入れるように、俺達は剣を引き抜いて走っていた。
(あ……あれ?)
其処には惨劇の舞台が……と思っていたのに、
俺達が想像していたのとは違い、目にしたのは意外なものだった。
ガラの悪そうな複数の男達が、面白い具合に吹っ飛ばされている異様な光景。
光の中で、一人の女の子と一匹の魔獣を中心にして、男達が周りにちらばっていた。
よく見ると男達は見覚えがある。お尋ね者の盗賊団の一味か。
「さあさあ~没収、没収っと」
女の子はそう言いながら、動けなくなった男達から次々に武器を奪っていて、
背後で暴れている白い魔獣が居るのに気にする様子もなく、
盗賊達は豪快に吹っ飛ばされ続けており、何度も悲鳴をあげていた。
(おいおい、あんなに近くに居たら危ないだろ?!
……って、もしかして、これはあの子がけしかけたのか?)
そんな事を言いつつ近寄っていくと、
ふと、俺は何かに気づいた。あの女の子、どこかで見た気がするぞ?
(あれ? もしかしてあの子って……まさか)
と、俺が彼女の正体に気づきはじめた時。
「こんな所で何をしているユリア!!」
アデルバードの怒声が辺りに響いた。
※ ※ ※ ※
「――……すみません……いえ、申し訳ありませんアデル様……」
騒ぎを起こしていた謎の正体は、俺達がよく知っている娘、ユリアと、
魔獣の正体は巨大化したリファだった。
俺達の方が先に旅立ったのに、彼女はリファに乗って先回りしていたらしい。
確かに俺達龍族だけならともかく、人間を率いて歩いている為に速度は劣る。
一瞬にして先を越したリファは、目を見張るものがあった。
でもよく考えるとリファは風の属性の獣だ。速くて当然かもしれない。
その後、色々あってから、俺はアデルバードがユリアを叱るのをなだめ、
のびて気絶している盗賊達の拘束を、後から追いかけて来た騎士団の同僚達に任せる事に。
「しかし知らなかった……リファは口からブレスを吐けるのか」
それにしても、ユリアはこんなのが傍に居て怖くないのだろうか?
いや、それを言うと俺達も怖がられる部類なんだが。
「リファ……お前が付いていながら、なぜユリアを止めなかった」
アデルバードが自分の使い魔を責めるのも無理はない。
「クウン~キュイイイ……」
「あ、あのアデル様……リファは、リファは」
ユリアは俺やアデルバードに必死に、「リファは良い子なんです」
と必死になって説得していたんだが、先ほどの光景は……うん。俺の胸にしまっておこう。
(しかし、大惨事になっていなくて良かったな。
いや、盗賊どもにとっては充分運が悪かったか)
どうやらさっきの事態は、盗賊にさらわれそうになったユリアを、
リファが必死に守ろうとして暴れたものらしい。
野生の獣なのに懐いていると言うのは本当なんだな。
結局、ユリアはこのまま一人で帰せないという事で、(リファも居るんだが)
このまま一緒に同行した方が良いと、アデルバードも判断したようだ。
先程の事もあるし、悪い輩に遭遇してユリアが襲われる可能性は捨てきれない。
ユリアは同行の許可に喜んでいたが、アデルバードの機嫌は少し悪かった。
(当然だよな。ユリアを危険に巻き込むかもしれない可能性が出てきたし、
彼女の周りに好意を寄せている俺達が居る訳だからな……)
なにより、ローディナという娘と実際に面識があるのは、
このメンバーの中でユリアとリファだけだ。
俺達の嗅覚だけの捜索よりも、直ぐに本人確認が出来る者が居た方がいいかもしれないが。
――って思っていたらっ!!
警戒して周囲を探る俺達の目の前を歩きながら、
さり気な~く、ユリアと手をつなぎ始めたアデルバードの姿が……。
(おいおいおい、アデルバード!?)
俺の動揺は、周りの同僚達も共感したらしい。後ろから痛い視線を感じる。
口々に、「あの団長が……若い女の子と手をつないでいる」と呟く。
それも「自分から」と言う事態だ。
あれ程、人間の娘は面倒で鬱陶しいと前に言っていたのに、
今じゃ青春を謳歌していませんか、其処のアンタ!!
(一体何があったんだよ。お前)
その後、奴は手に持っていた剣をしまい込むと、
歩きながらつないでない方の手で、赤い木の実を見つけて摘み、
そっとユリアの口元に持っていって「口を開けろ、甘いぞ」と差し出している。
(更に女の子に給餌している……)
給餌……それは龍社会における”愛情表現”であり、求愛行為だ。
そんなことを知らないユリアは、奴を不思議そうな目で見ていたが、
素直に口を開けて食べさせて貰うと、すぐに目を輝かせてニコっと微笑んだ。
「美味しい……ここにはこんなに美味しい果実があるんですね」
初めてその木の実を食べたのだろう。とても感動している。
あれは甘酸っぱくて、王都の女性にも人気のある果実「ラルクス」の実。
この時期には沢山収穫できるので、ジャムやジュース等にして利用される。
中には乾燥させて、薬の材料にも使われる事もあるらしい。
しかし、なぜ突然アデルバードは、そんな行動に出たのか……。
(龍の給餌って……普通は愛情表現だよな?)
野生育ちの奴にとって、それがどんな意味かも分かっているはずなのに、
よりによって、忌み嫌っていた人間の娘に自ら給餌していくとは……。
俺は不審に思いながら、彼らの後を追うように歩き、
アデルバードの行動を見守っていた。
「……わあ、いい香りがしてくると思ったら、
白い花がいっぱい咲いていますね。なんて花でしょう?」
「ルルドだ」
「……すごい綺麗ですね。花びらもたくさん舞って」
「ああ、ユリアは花が好きなのか?」
「はい。ローディナも好きで……見たらきっと喜ぶだろうな……」
そう言うとユリアはうつむいた。
きっと居なくなった友人にも教えたいと思ったのだろう。
歩いていると視界に真っ白な世界が広がる。
「ルルド」という、卵型の白い花が沢山咲く場所にたどり付いたらしい。
木々に咲くその花は、蜜が取れる一方で、
甘い香りを放つ事で香水などにも使われていている。
丁度、今は開花時期と重なったのだろう。辺りは花びらで一面真っ白だ。
風に揺られて、はらはらと花の花弁が舞うように落ちてくる。
今だけしか見られない、白で統一された幻想的な空間。
人の手に触れられていなかった事で、これだけの美しさを維持していられるのだろう。
「……」
また歩きながら、アデルバードは木の枝から白い花を摘み取り、
ユリアのはちみつ色の髪にそっと飾ってやっていた。
「アデル様……?」
「ユリアに良く似合っているな」
「あ、ありがとうございます……」
はにかみながらお礼を言うユリア、そして微笑み合う二人の男女の姿。
……もうさすがにこの状況になると、
傍で成り行きを見守っていた俺達には、全く別のものに見える。
アデルバードのユリアを見つめる瞳は、とても優しげなものだったし、
ユリアも恥ずかしげに微笑んでいる。それも頬をほんのりと染めていて……。
――お前ら……言っておくがデートをしに来ているんじゃねえんだぞ!?
「だ、団長が、団長が女の子に、女の子に花を贈って……」
「手を繋いで、きゃっきゃ、うふふの世界に入っているー!?」
「ひ、酷い。俺達だって、まだやった事が無いのに……っ!!」
「流石は団長だ。こんな緊迫した所でも女を口説く余裕があるとは……」
「ああ、俺達のユリアちゃんが……っ!!」
否定はしない。俺にもそう見えているさ。
それ以外、一体何に見えると言うんだ?
傍から見たら、アデルバードの行動は、
恋人と連れ添って歩くデートのひと場面じゃないか。
(緊張感を持って歩けと、何時も言っていたのは何処のどいつだよ。
何か色んなものが駄々漏れしてませんか、今のあんた!)
多分、アデルバードは無意識にやっているんだろう。
そして深い意味も無くやっているのかもしれない。
だが、あれはどう見ても「求愛行動」だ。それも龍の習性にも共通する。
自らの食べ物を分け与え、尚且つ花を贈っている時点でそうだろう。
マーキングの影響でこのような事をしているのか、それとも自分の意思なのか。
それはアデルバードしか分からない事だが、
今そんな事をするのは、止めて欲しいと切実に思う。
(確実に、俺らの視界に入れなきゃいけねえじゃねえかよ)
恋人がろくに出来ない俺達には、居た堪れなくなる光景だ。つか、止めろ。
ユリアはそんなアデルバードの事を、どう思っているのかはまだ分からない。
にっこりと隣の男に微笑み、少しだけ意識しているようだが、
まだ恋をしている娘の目には見えなかった。
※ ※ ※ ※
「え……? アデルバード様ですか?」
「そうそう、ユリアはあいつの事どう思ってるのかな? なんてさ」
俺はユリアが夕食の準備を手伝ってくれるというので、
その隙を狙い、アデルバードの目を盗みながら気になった会話をする。
彼女とは出会ってからというもの、親しげに話してくれるようになった。
もしもアデルバードさえ邪魔しなければ、もっと親密になれるんじゃないか?
(いい雰囲気じゃないか……このまま仲良くなれるかな?)
……なんて、そんな邪なことを考えていたんだが、
やはりアデルバードの存在が気になる。
奴の印が彼女にあるせいか、やたらとユリアに執着しているように見えたし。
既に二人がそういう関係ならば、何もするつもりは無いのだが、
もし違うなら……俺にも希望があるかもしれない。
「ええと、勿論、私の大切なご主人様です」
模範的な解答だ。だが聞きたいのはそれじゃない。
「あ、ああ、うん……そうだよ……な。でもさ、それ以外でどう思ってるかな?」
「それ以外……ですか?」
「うん、それ以外で」
素敵な人とかの返答だったら、あいつには脈があるという事だろう。
今後、恋愛に発展する可能性もおおいにあると思う。
アデルバードは普段、とても無口だが冷静に物事を対処できるし、
同じ種族ではないが、龍仲間の俺の事も気に掛けてくれる。
ただ、俺よりも人として生活をした経験がまだ浅いせいか、間違った行動をする。
それが奴の難点でもある。
何より、種族を超えた恋愛と言うのは……後で色々と障害があるだろう。
(まっ、俺は気にしないが、問題は相手の女の子の方だよな)
普通は正体を知られると、怖がられて怯えられるのが殆どな為、
自分との記憶を消して別れる……そんな事が多いんだ。
もしも自分の存在を受け入れて貰えるのならば、
命を掛けて守り抜くと誓えるだろう。
龍の誇りは絶対だ。一度、懐に入れたのなら尚更。
「そうですね……えっと……リファがお母さんだから、
アデル様はお父さんみたいな感じですね。お父さん」
「は……お、お父さん!?」
「はい、その言葉が、しっくり来るかと思います。
年頃の娘に、変な虫が付かないように気にしたり、
嫁入り前の娘に傷を付けないように、門限をつけて気にする辺り、
ちょっと過保護すぎじゃないかな? と思うんですよね」
「あ、あー……そ、そうなんだ?」
「はい、リファとアデル様はとても仲いいですからね~ふふふっ、
私には分からないけれど、二人でお話をよくしているんですよ」
確かに今のアデルバードは、ユリアの保護者と言う立場だ。
身寄りの分からない彼女を守る為、後見人になったと聞いた事がある。
そうか、あの男を父として見るのならば、これまでの行動は理解できる。
初めての冒険に不安がる娘を気遣い、所々で気がまぎれるよう世話をしていたのだと思うし、
男が彼女の傍に近づくのを嫌がるのも、娘の素行を気にしての事かも知れない。
(と言う事は……俺にもまだ可能性はあるかな?)
ユリアは今もありあわせのもので工夫して美味しい物を作ってくれて、
貴重な女の子の手料理に俺達は感動した。
部下達は凄い勢いで食べていたし、俺も何時もよりも沢山お代わりした。
アデルバードも、最初はユリアの料理を恐る恐る食べていたものだったが、
それが美味しいと気が付くと、夢中になって食べていたのを思い出す。
しかし、その瞬間に男達の中で「お嫁さん候補」と再認定された事だろう。
良い所のお嬢様らしいと聞いていたので、これだけ出来たのには驚きだが、
手際よく後片付けもしてくれて、後方の支援活動は彼女に任せても大丈夫そうだった。
(こんな所で女の子の手料理が口にできるなんてな、生きていてよかった……)
後は同僚や部下達がアデルバードの目を盗んで接しないか、気をつけるだけだろう。
先ほどから、キラキラした目でユリアが見られている気がする。
皆、女の子と出会いが限りなく少ないから、
考える事は一緒だよなー……みんな飢えた獣だ。
「ユリア、そろそろ寝た方がいい。沢山歩いて疲れただろう?」
「はい、アデル様……それではラミルス……ラミスさん、おやすみなさい。
みなさんも本日はありがとうございました。どうぞ明日も宜しくお願いします。
では、お先に失礼させて頂きますね?」
「ああ、ゆっくり休んでくれよ?」
「お休み、ユリアちゃん」
「お休み~」
ぺこりとお辞儀をするユリアに、俺達はそろって満面の笑みで返した。
俺だけ愛称で呼んでくれたことに、周りの男達に優越感が沸く。
アデルバードには内緒で、俺達が牽制しあっている事など、
彼女はまだ分からないだろうなあ。
ヒラヒラと手を振る俺達、ユリアは先にリファがくつろいでいるテントの中へ。
「……」
その姿を確認し、振り返ったアデルバードはぎろりとした瞳でこちらを向いた。
恐ろしい形相のままで。
「……ひっ!?」
一瞬にして凍りつく現場。なんだ? まさか出発前の出来事の続きか?
その時の恐怖は、これまでの死線とは比べ物にならない。
この世界で一番強い、レジェンドクラスの龍に本気でにらまれて、
まともに動ける者はおらず、その威圧感に勝てるものなど居ない。
「ア、アデルバード?」
俺もまた体をがたがたと震わせて怯えた。奴とは格というものが違うのだ。
同じ龍族だけど、あいつのドラゴンアイズは誰より強力で、
一定時間、束縛効果がある。一度掛かると、俺でもなかなか動けなくなるのだ。
「……俺も先に眠らせてもらう。早朝に立つから皆も早めに寝るといい。
最後に寝る者は、周りに再度魔物除けの結界を張り直せ。
何かあれば直ぐに報告を、明日の為に体力を温存しておけ」
そう言ってアデルバードは、当然のようにユリアの使うテントの方へ……って?!
いやいやいや? 確かに余分なテントは持ち合わせていなかったけれども、
ここはユリアにテントを一つ譲ってだな、俺達は仲良く雑魚寝で良くないか!?
(なぜ一緒に寝ようとするんだ……!?)
其処で俺達はそろって顔を青ざめた。
まさか……そうなのか? ユリアに手を出そうとしているとか?
無言で顔を見合わせる俺達、やはり考える事は一緒らしい。
先程までのユリアへの接し方を見ても、ユリアを嫌っているようには見えないし、
嫌々ながら面倒を見てやっているようには見えなかったし。
むしろ……かなり気に入っているように見える。
「――っ」
俺達はテントの中で繰り広げられるであろう事を考えて、
思わずごくりと息をのみ込んだ。
「おいおい……やばい、やばいよ。お前らどうする!?」
「どうするって……た、助けに行くか?」
「いや、でも後見人はアデルバード様だし、それを主張されると……っ」
「お、俺ちょっと様子見てくる!!」
「待て待て待て! もしもお取り込み中だったら、団長に殺されるぞ?!」
俺達の中に動揺が走った。
何をさも当然のように、同じテントで寝る必要がある!?
あの子は年頃の若い女の子なんだぞ? しかも嫁入り前の大事なお嬢さんだ。
お取込み中と聞いて、俺達の脳裏にはユリアに覆いかぶさるアデルバードの姿が浮かぶ。
まさかあいつは、無理やり彼女を自分の嫁にしようとしているのではないか?
「既成事実……」
誰かがぽつりと呟くと、俺達は固まった。
ユリアは身寄りもない娘だ。それを主人が無理に関係を迫りでもしたら――……。
「じゃあ俺が行く!」
俺は万一本当に襲われていたら、死に物狂いでも助けようと思い立ち上がると、
皆もそれに続いて恐る恐る気配を消して、テントの中をのぞきこんだ。
すると――。
「――寝てる……」
「うん、寝ているな……」
「ほほえましいというか、何というか……」
意を決して皆で身構えてのぞき込んだテントの中、
肝心のアデルバードは、リファを枕にするように寄り掛かり眠っている。
その腕の中には、アデルバードの毛布とマントに包まれたユリアの姿。
ユリアはここまでずっと気を張り詰めていたせいか、直ぐに眠りに付いたようで、
すーすーと小さな寝息を立てて、静かに眠っていた。
そんな娘の隣に、当たり前のように隣に横たわっているアデルバードは、
夜の外気から守るように、ぎゅっとユリアを大事そうに抱きしめている。
そして利き手である右手には、剣の柄を掴んだまま眠っていた。
子供を大事に守る父親の姿にも見えるが、
俺には惚れた娘を守る雄にしか見えなかった。
「……」
大丈夫そうだと気付くと、俺達は黙ってそれぞれテントの中に入り就寝した。
少々もやもやしたのは言うまでも無いがな。俺だってそんな事した事無いのにさ!!
アデルバードだけ、女の子を腕に囲って寝てやがるのはなんなんだ。
自分の懐に入れるのを許すとは、相当ユリアには気を許しているらしい。
俺は心の中で負けねえぞとつぶやきながら、毛布を被って眠りに付いた。
※ ※ ※ ※
次の日、俺達の複雑な思いを他所に、
身支度を整えたユリアは、元気に朝の挨拶をして来た。
「昨日、アデル様が寝ぼけて私の居たテントで眠っていたんです。
ふふっ、あれでいてアデル様って結構抜けていますよね」
「いや……あれ、寝ぼけてないから」
「え?」
ユリアはアデルバードの行動を不審に思っていないらしい。
そんな事は無い。あいつは、ああ見えて緊急事態でも冷静沈着だからこそ、
こうして団長となり、指揮も任されているのだ。
なんて事だ。これは知能犯か、彼女を油断させて獲物を狩る手法だな?!
俺はアデルバードからユリアを守る為に行動する事にした。
父親には絶対に負けん!!