表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
中の人がヒロインになりました  作者: 笹目結未佳
◆本編後・結婚済み◆
114/119

閉ざされた言の葉・5


 

 屋敷での環境の変化について、俺は悩みながら仕事をする日々が続いていた。



 いつも通りに王都の巡回と部下の鍛錬を見てやった後、

自分の部屋に戻る為に、騎士団本部の廊下を一人で歩いていると、

いつもとは違う異変を感じて、部屋の前で立ち止まる。




「……俺に何か用か?」


「お、やっと帰ってきたか」



 俺の部屋の前に、紅蓮騎士団の部下数名とラミルスが立っていた。

勝手に俺の部屋に入ると、この俺が怒るから外で待っていたのだろう。

用は何だと聞いたら、「用件があるのは俺たちじゃない」と答えられた。

意味が分からない……部屋の外で待っていると言われて、俺は部屋に入ろうとした。



「いじめたりすんなよ」


「……っ」



 ラミルスに言われたのと、中にいるものの存在に気付いたのは同時だった。


 ドアを開ける前から、いだことのある人間の匂いがするのに気づく。


 部屋の中には、淡い花の香りがする一人の人間の娘がソファーで寝ていた。

騎士団では若い娘が出歩くことがとても珍しいが、待ちくたびれて眠ってしまったようだ。

天敵の龍のテリトリーに、戦う術もない人間の娘がこんな所で無防備な。


(ここは花嫁も持ってない、飢えた獣が多いと言うのに)


 番の居ない雌に飢えた雄達が多いせいか、人間の娘でもいいという者さえいる。

ここに居るだけでも危険だというのに。まさか眠っているほど油断しているとは。


 近づいてみると、その娘は俺の花嫁だと言っていたユリアという娘だった。

その娘を守るように、二匹の守護獣と化した俺の分身たちが傍にくっついている。


……娘の体に俺の制服の上着を掛けている辺り、こいつらが勝手にやったのだろう。



「ホンタイ、カエッタカ」


「キュイ、オレ、オソカッタナ」


「……いったい何しに来たんだ。お前達」



 おかしな姿をした俺の分身……まさか、こんな所までやって来るとは。

自分から生まれた分身だと言うのに、俺の言う事はほとんど聞かない厄介な存在。

だが同じ匂いと声に、魂の本質は俺と同一のものを感じている。


 つまり、この分身がする行動は俺がやっている事ということになり、

俺がする行動も、分身がしているということになるのだが。


 その物体に問いかけると、二匹の分身は目の前のテーブルを指し示す。

そこには見慣れない大きなバスケットが乗っていた。



「チュウショクダ、ユリアガ、ツクッテキタ」


「キュイ、ホンタイノタメ、アリガタクモラエ」


「昼食だと?」



 確かにそろそろ昼時だ。いつもは食堂や購買などで手に入れているが、

騎士団は体を動かすので、いつも腹を空かせた男達が多く、食いっぱぐれる事も少なくない。

じっとバスケットから漂ってくる良い匂いに、俺は恐る恐る中身を見てみることにした。


 中身は焼き立てだと思われるライ麦とごまのパンに、

エビとイカを揚げたものを挟んだものに白いソースが添えられ、

芋と野菜のサラダ、傍にある水筒の中には、海藻と数種類の野菜が入ったスープが入っていた。


 先日食べたものとはまた違う。

これまでいだことのない良い匂いに、ごくりとつばを飲み込む。



「キュイ、キョウハ、ユリアモスキナ、エビトイカ」


「ツクリタテ、モッテキタガ、ホンタイノオレ、イナカッタ。

 イランナラ、オレタチガタベル」


「キュイ、ユリアノキモチ、オイシイ、ムダニシナイ」


「……」


 これが、この娘の気持ちだというのか。

……今朝もうまく応えてやれなかったのに、俺の為に用意してくれたというのか。


(俺は、求愛した娘になにをしているんだ)


 理性では分かっている。花嫁は自分の意思でこの娘を選んだのだと。


 俺は思わず眠っている娘に手を伸ばそうとした。俺の花嫁だと言う、その娘を。

綺麗な金色の、はちみつ色の髪の娘、俺とは対照的な色を持つ髪だ。

そして俺の印を瞳に持っているせいか、

この娘は俺の物だと言う意識が働いてくる。


(その意思が、俺の本能からきているものだから恐ろしく感じる)


 まるで俺の気持ちが勝手に引きずられていくような、そんな錯覚を覚えた。



――それと同時に、その相手に牙や爪で壊してしまいたい衝動に駆られる。



 まるで、俺が娘に興味を持つのを何かが拒むかのように、

仄暗い何かが俺の感情を支配しようとする。



(おかしい……確かに俺は人間を憎んでいたが)



 その時に感じた自身への違和感。

この娘にだけ、これほどの異常な憎悪・・・・・が沸くのはなぜなんだ。

人間の世界に来て5年、これ程に荒れ狂う感情を個人に抱いた覚えなど、ないというのに。


 それをかろうじて堪え、俺は口元を引き結んだ。

なぜかこういう時、俺は無意識に自分の左手を見つめて必死に衝動を抑えていた。

どうしてなのかは分からない。ただ、この娘に関係する事なのではないかと思う。



「……」


 先日は彼女の手を払いのけただけで手首が赤くなっていた。

何てもろい生き物か、うろこがないだけでこれほどに違うものなのだろうか。

そんな娘を、かつての俺はとても慈しみ、とても大切にしていたのだろう。

娘に接する分身の俺を見ていると、そう感じさせられる。


 その娘の閉じたまぶたからは、いつの間にか涙が伝い落ちていた。



「――……アデル……さま……」



 呼ばれたのは、他でもない俺の名前だった。

色づいたその唇から呼ばれる俺の名前、切なげに呼ぶその声は、俺の胸を締め付ける。



「――……っ」



 ああ、泣かせた。今度こそ本当に泣かせてしまった。


 大切なはずの花嫁を、俺はここまで不安がらせていたのだろう。

本能と感情が一致しないその中で、彼女を俺は拒絶してしまったせいだ。


 だが今は触れたいと、そう本気で思った。この娘に、俺の花嫁に。


 心の中に巣食った憎しみによる衝動をこらえ、俺は震える手で彼女へ手を伸ばす。



「すまない……」



 そっとその手に触れようとしたが、寸前の所で握り締めて堪えた。

こんな状態の俺が、彼女の名を呼ぶことを許してもらえるのだろうか、

触れる事は許されるのだろうか?



『――アデルバード、ユリアはお前の正体を知った上で花嫁になったんだぞ? 』



 昨日の夜、別れ際にラミルスに再度言われた言葉が脳裏を過る。


 相手は天敵である人間の娘だ。天敵を産んで数を増やすことが出来る娘。



(分かっている)



 誰にも祝福されない時が来るかもしれない。


(それも分かっている)



 だが、そんな茨の道を、この娘は、ユリアは選んでくれたのだろうか?



(俺と共にあるという事は、そういうことだ)



 天敵同士で結ばれたと言う俺達、他の同胞がそれを知ったら裏切り者と俺達を襲うだろう。

この娘も魂を俺に売ったと言われて、恐ろしい目に遭う事だって考えられた。

俺達の婚姻はそれだけ危険が伴う。ただでさえ騎士団長の伴侶というだけでも危険なのに。


 頬のあざになって現れたこの印は、自らが抱いた憎しみ、呪詛のようなものだ。

その影響が、ここ最近特に酷くなっている気がする。同時に憎しみも増しているように感じる。

気をゆるませるだけで、うちに潜む闇が俺自身の自我を飲み込んでいくような……。



(確かに、人間にされた仕打ちを忘れたわけじゃない。わけじゃないが……)



――ここまで、この娘を憎む必要があるのかといえば、疑問がわく。



”ニクメナカッタ”と分身の俺は言っていたはずなのに。



(ならばなぜ、俺はこんなにも憎んでいるんだ。この娘にだけ特に)



 衝動を払いのけて再び手を伸ばす。

傷つけてしまった手首を恐る恐る持ち上げ、それに口づけた。

払いのけた時、すぐに赤くれてしまったその手を。



(あのまま俺の傍に居たら、壊してしまいそうだった……)



 傷つきやすいこの娘を見て、今まで自分から触れるのは躊躇ためらわれた。

力の加減ひとつで俺は簡単に物が壊せるのだから。こんな細腕ならなおさらだ。

だが、なぜだろう、このままにしておくのは嫌だった。



「ユリ……ア……」


 本当は、その名の意味を……俺はずっと知りたかった。


(俺は、壊したくなかった。これ以上傷つけたくなかった)



 遠ざける事でしか、今は守ることが出来ないと思った。


 同胞を家族を、目の前で次々に奪われたあの出来事を忘れたわけじゃない。

だが、俺はそういう気持ちがあったのを無理やり心の奥底に沈めた。



(俺は……本当に君を信じてもいいのか?)


 俺達の関係をこのままにしておくことなどできない。

許したい、許せたらいいのにとそう思う。思ってしまう。

これが龍の本能からくることなのか、それとも俺の本心かは分からない。


 この娘が向けてくる視線はいつも穏やかで、まるで陽だまりのようだ。


「ユリア……」


 薄情な伴侶の俺にこれだけの信頼を見せてくれる。

疑り深い俺でもそう感じ取ることが出来る。この短期間で嫌と言うほど分かった。

傷つけてしまった愚かな俺を許し、まだ歩み寄ろうとしてくれていると。

それなのに、それなら俺は……。


「なら……ならば俺の中にあるこの憎しみは、どうしたらいいんだ……」


 日に日に人間を憎む心が強くなっていく。生まれた衝動は人間へ対する破壊欲求だ。

それは今でも体の奥深くでくすぶり、俺の中でふとした時によみがえる。


 あの時受けた苦痛、同胞の無念を目の前で気が狂うほどに見てきた俺は、

それを忘れることが出来ない。


 だが聞けば復讐は既に果たされており、同胞も故郷に帰って来ているらしい。

ならば俺も親友を連れて故郷に戻り、皆の回復を待っていればいいじゃないか、

なのになぜここに俺は残った。人として生きてこの娘とつがいになるなど、

かつての俺には考えもしなかったことだろうに。



「……ホンタイ、ソノニクシミハ、ユリアニ、イヤシテモラエ」


「ユリア? この娘にか?」


「キュイ、ユリアハ、イヤシノムスメ」


「……回復術師なのか?」



 そう言えば以前、触れられた後に痛みが消えた事があったな。



「イヤ? ユリアハ、マホウツカエナイ、 トテモヨワイ……コワレヤスイ。

 ダガ、ソノココロデ、イヤセル」


「キュイ、ユリアノヤサシサ、スクワレルモノ、イル、

 ユリアハ、ユルス、ユルシトヤサシサデ、エンヲムスブ」


 だから、その優しさを穢されぬよう、傷つけられぬよう、自分達が居るのだと。

人間であって、人間の世界では生きづらいかもしれないその娘。

利用されぬよう守ってやらねば、邪な人間の毒牙にかかってしまうのだと。


「ユリアハ、オレトキョウゾン、デキルムスメ」



 その言葉に、親友リオの言葉が蘇る。


――“アデル、僕はいつか、人間と龍が共にあれる世界を目指したいんだ”



「オモイダセ、オレハ、ニンゲント、キョウゾンノタメ、

 ココへクルコト、エランダノダロウ?」


「キュイ」


「……」


「「ユリアハ、イマノオレデモ、スクオウトシテイル」」



 だから、伸ばされた手をもう払いのけるなと、拒むなと言いたいのだろう。

俺は分身が発したその言葉に……ようやく静かに耳を傾けた。


 悩んできた答えがその時、分かった気がした。

この心の中にある空虚な”何か”の手がかりが、やはりこの娘にあるのだと。




※ ※ ※ ※



「ん……っ、あれ……私、今まで何を……あっ!?」




 しばらくすると、ユリアは目覚めた。

涙の痕は拭ってやったが、まだ少しぼうっとしているようだった。

俺と視線が合うと、ぎょっとした顔をして固まってしまったが。


「……起きたか」


「あ、アデル様!? は、はいごめんなさい。こんな所で勝手に眠ってしまって。

 あの……上着ありがとうございました。アデル様、昼食はもう召し上がられましたか?

 もしよろしかったら 私、アデル様の昼食をお持ちして……」


 慌てて髪の乱れを直し、起き上がってきた彼女は掛けられていた上着を俺に返そうとした。

どうやら俺が気づかって貸してくれたものと勘違いしたらしい。


……本当は分身が勝手に判断してやったことだが、

元々俺から生まれたのなら、自分のやった事と同じ事かと思って、彼女の行動を制し、

俺は彼女の背中と膝裏に手を添えて、ユリアを抱き上げた。


「へ?」


 横にある宿直用の部屋に足を踏み入れる。

そこには昨日、仮眠用に使ったベッドがそのままになっていた。

俺はベッドにユリアを寝かせ、上掛けを掛ける。



「疲れているんだろう……まだ寝ているといい」


「あ、あのアデル様、もう私は十分休ませていただいたので……」


「――君は……体が、弱いと聞いた」


「聞いた? あの、誰からそれを……」



 ユリアが視線を下げると、ベッドに飛び乗ってきた二匹の俺の分身。



「あ、ちびアデル様、ちびちびアデル様?」


「ユリア、シバラクヤスンデイロ」


「キュイ、ユリアハ、ハナヨメ、キニスルナ」



 戸惑う彼女に俺が近づくと、びくりと彼女の肩がわずかに震えたのが分かった。

ああ、これは俺がしてしまったことへの代償だ。そのせいで怯えさせたのなら、

俺が責任を持って癒してやらないといけない。この小さな花嫁を。


(体が弱いと言っていた。その体であれを届けてくれたのか)



「別に俺は何もしない」


「……」



 その言葉を言うとユリアは何度か瞬きし、なんだか嬉しそうに微笑んだ。



「なんだ?」


「あ、ご、ごめんなさい。

 私がアデル様に初めてお会いした時も似たような事を言われて、

 つい……懐かしくなってしまって。また同じセリフを聞くとは思いませんでした」



 そう……なのか。



「昼食を届けに来てくれたと聞いた。礼を言う……ありがとう、ユリア」


「――っ、あ、名前……」


「君の名前はユリアと言うのだろう?」


「は、はい! はいそうですアデル様」



 名前を呼ぶだけで頬を染めて、花が咲くように笑ってくれた。


(そういえば、今まで名前で呼んでやる事もしていなかったな)


 先日俺を出迎えてくれた時と同じ顔をされ、ああ、俺はこんな顔で見られていたのか。

だから俺は今でも完全に突き放すことが出来ないのか。

気づけば自分のテリトリーに入れる事を俺は許してしまっていた。



「俺の仕事が終わったら、一緒に帰ろう……それまでここで休んでいるといい」



 かつての俺はどのように接していたのだろうか?

そう思って、娘が眠っている間に俺はいろいろ分身に接し方を教えてもらった。

人間の娘はちょっと力を加えただけでも簡単に肌が傷つき、骨も砕けてしまう。

優しく、自分が思うよりもとても優しく触れないといけないらしい。



「……君に、この俺が触れてみてもいいだろうか?」


「え? ……あ、は、はい」



 緊張気味な娘に近づくと、影が彼女にかかりユリアが顔を見上げる。

重なる視線に俺は引き込まれ、彼女の前髪にそっと唇で触れた。

唇から受ける感触と娘の匂い……だが思ったよりも不快ではなかった。


 以前拒絶した娘の手を持ち上げ、そっとなでる。

赤みは消えている……が。



「手は……まだ痛むか?」


「え? い、いえ大丈夫です」


「いや、神経も詳しく調べた方がいいかもしれない。

 帰る前に騎士団に居る医師にきちんと見せよう……すまなかった」



 記憶は戻るかどうかわからないから、今後をよく考えねばならない。

とにかく、今は花嫁だと言う娘と歩み寄りを試みてもいいのかもしれない。


 ユリアは俺の言葉に静かに頷き、嬉しそうに微笑んでくれた。

ほっとすると同時に、俺の意思と反してくすぶった闇が心の中で更に広がるのを感じた。


「……っ!」


「アデル様?」


「い……いや、なんでもない」



 俺はわずかに眉間のしわを寄せて、込み上げてくるこの衝動に耐えた。



「……ジタイ、サッシタ」



 そんな俺の様子に、小さな俺の分身が小さな声で何やらつぶやいていた。





※ ※ ※ ※




 王都への行き来は俺にとっては地獄だ。

帰りの王都はいつも通り、やかましく賑わい、人間が嫌と言うほど群れて歩いている。

だが、今日は俺達が歩くと、人垣が左右に別れて道を開けるように動き出す。

そしてなぜかこちらを好奇な目で見ている者達に、不快になってにらみ付けた。


 一体なんなんだ。俺は見世物じゃないぞ。



「お、おう、誰かと思ったらユリアちゃん達じゃないか。今日は旦那も同伴かい?」


「あ、お肉屋のおじ様、あの、えっとこれは……」


 横の店の店員が話しかけてきたと思ったら、どうやらユリアの知り合いらしい。


「いや~いつも一緒に手を繋いで買い物とかしているのを見ていたから、

 前から仲がいいとは思っていたけどさ、本当に睦まじいねえお二人さん。

 気を付けて帰んなよ!! また二人で店においで、サービスすっから」


「は、はい……ありがとうございます」



 仕事を終えた午後、俺はユリアを横抱きに抱いたまま、王都の中を歩いていた。

これ以上具合を悪くしたら大変だと思い、家路までこうして運んでいるのだが、

何かおかしなことでもしているのだろうか? 


 やたら人間どもが見てくるし、とてもうるさい。甲高い声で俺を指さす者さえいる。

失礼な奴らだな……龍気を使ってにらみ返しても構わないだろうか?

いやだめか、傍にはユリアが居る。恐怖で失神されてはかなわない。




「ねえ? 見てみて! アデルバード様よ!!」


「腕の中の女性って奥方よね? 奥方をお持ち帰りしているわ!!」


「往来のど真ん中でよくやるわね! 溺愛しているって本当なのね!!」


「周囲の反対を押し切って結婚したんだものね。

 そりゃあ、お嫁さんを見せびらかしたいのよ! 新婚だそうだし」




 そしてユリアは羞恥プレイだとブツブツ言いながら、

先ほどから両手で顔を覆って震えているではないか。



「うう、違うんです、違うんですよ……私こんなつもりじゃ」



 可哀そうに……震えるほど辛いのか、やはり歩かせるべきではないな。

俺は歩調を早めて急ぐ、屋敷で早く休ませてやらなくては。


「あ、アデル様、どうかお願いします! やっぱり歩かせてください!!

 私達、すごく悪目立ちしてますよ? すごく見られています。

 きっと皆さんにバカップルだって思われています!!」


「……牽制けんせいの為に見せつけてやればいいのではないか?

 君は俺のもので、俺は君のものなのだろう?」


 伴侶とはそういうものだ。今は記憶が無く、彼女への情がまだ確かでないが、

人間嫌いなこの俺が自ら選んだ娘なら、きっと再び愛する事も出来るだろう。

だから今は、この娘が俺の物であること、俺がこの娘のものであることを証明していけばいい。


 未だ俺を苦しめる衝動があるのは問題だが、俺は散々悩みぬいて一つの決断をした。

龍が自ら花嫁を手放す事なんて、そんな愚かな真似を出来るわけがない。

もう一度、俺も歩み寄って彼女を知っていこうと。


(……これまで俺がやってきたという行動を真似していけば、

 この娘を理解できて、上手くやっていけるかもしれん)



 結論としては以前の俺を見習うことにした。

幸いなことに過去の俺は、ユリアへの接し方の記録と対策をいろいろ書き残していたようだ。

だから若い人間の娘の愛で方は、これからもう一度学んでいけばいい。



 当然ながら、これまで避けていた伴侶がかまってくることにユリアは困惑しているが、

俺が『とても時間がかかるかもしれないが、やりなおせないだろうか……』と聞いたら、

ユリアは涙を浮かべて『はい』と嬉しそうに頷いてくれた。


 あんな態度をした後だったので拒まれる可能性が高かったが、

ユリアがそうして受け入れてくれたことにはほっとした。



「……」


 これで、きっと良かったのだろう。

俺は置き去りにしてしまった。かつての自分を取り戻す決断をした。



 ユリアは今の所、こんなに近くで接してきているのに泣き叫ぶこともなく、

口から泡を吹いて気絶したり、発狂する事もない。とても珍しいと思う。

そんなユリアは俺の発した言葉に頬を染めていた。



「俺は君のものになったんだから、君は俺に甘えていればいい、そうだろう?」


「……っ、わ、私のもの」


「俺は何かおかしなことでも言ったか?」


「い、いいえ! ……う、嬉しいです。はい」


「む? ユリア、そこで花を売っているが好きなものはあるか?」



 かつての俺はよく花を贈っていたらしい。 俺もやってみるか。



「花? えっとアデル様が作って下さった花が一番好き……ですが、

 いえ!? ちょ、今はいいです。いいですからっ!!」



 ユリアの言葉を聞いて、傍にベンチを探して座り込む。



 それにしても花か、確かに自分で用意したものは、

他者をけん制するに十分な効果がある。


 彼女を自分の膝の上に乗せたまま、俺はしばし考えた。

俺は魔力で薔薇を作るような芸当もやっていたらしい。


……かつての俺は、実にまめな雄だったようだ。


「……おい、俺の小さい方、俺はどうやって花を作っていた?」


「キュ?」


 俺の声に、ユリアの胸元に隠れていた俺の分身が顔を出した。

こいつはあろう事か、龍の誇りは二の次にして花嫁へ愛嬌をふりまき、

母親に甘える可愛い子供役を普段は演じているらしい。


……分身とはいえ、見ていてイライラするのはなぜだろう?



「キュイ、コウスル」



 主な力は闇属性の魔力、柔らかな花弁を作り小さなつぼみが出来て、

分身の前足がそれを包むと、ゆっくりと花開いていく。

ぽんっと小ぶりな紫色の薔薇が、そうして出来上がった。


「キュイ、ユリア」


「あ、ありがとうございます。ちびちびアデル様」


 膝の上にいた小さな俺が、出来たばかりの薔薇をユリアに差し出している。

ユリアが嬉しそうに受け取ると、むふーっと満足そうに鼻息を立てている小さな俺。

しっぽが上下にパタパタ揺れているのを見ると、まるで犬だな。



(……俺はこんな態度をできるようになったのか?)


 俺も見よう見まねで作ろうとする。こんな小さな分身でも出来たんだ。

きっと俺はもっと上出来なのが作れるはずだと。


 だが……俺が作ろうとすると、ぽすんと煙が出るだけで、花のつぼみすら作れなかった。



「……案外難しいな」


「……ホンタイ、レンシュウシロ」



 なぜか、憐みの目で見られた気がする……俺の分身のくせに。


 感情と比例するかのように、魔力は安定していない。

そのせいか、簡単そうに見えて薔薇の花を作るのは、すごく複雑な魔力構成だと気づいた。



「……不甲斐ないものだな。俺は自分の花嫁に花1つ作ってやれないのか」


「あっ、あの、アデル様お気持ちだけで十分ですから!」



 きっと花が作れないのは、俺の気持ちと覚悟が失われているせいだろう。



(俺は今、ユリアへの感情が分からない)



……いや「感じ取れない」と言った方が正しいか。一部の感情が今もマヒしていた。


 それを素直にこの娘に言えば、きっと彼女は泣いてしまうだろう。

申し訳ないと思う、心からそう思ったが自分は何も回復する術が分からなかった。


(いったい俺の体はどうなってしまったんだ)


 俺が項垂れていると、花売りが傍を通りかかったので声をかけて花を買い、

それを膝の上に収まったままのユリアに手渡して、ユリアを再び抱いて立ち上がる。


 転げ落ちた俺の分身が、ムキ―ッと怒りながら俺に飛びつき、

よじ登ろうとしていたが、もう一匹の大きい方の分身がユリアの影から出てきて、

小さい俺を抱いて影の中に引きこんだ。



「コンカイダケダゾ」



……気を利かせてくれたのだろうか。その目はじっと俺に訴えているようだった。



 だが、俺が贈ったのは金さえ払えば誰にでも手に入りやすい花、

それしか今の俺は贈れないのは屈辱的でしかない。



「ふふ」



……しかしユリアは、俺が渡した花と小さな俺が渡した花、

それを区別する事もなく、どちらもとても嬉しそうに眺めていた。




「あの、お花ありがとうございます。お部屋の窓辺に飾りますね」


「……そうか」



 白い肌にほんのり染まった頬を見て、胸のあたりがうずく。

これまで感じた事のない感覚……なんだろう、不思議と嫌ではなかった。

だが、同時に芽生えたはずの感情が何かによって奪われていくのを感じた。



「……っ」


「あのところでアデル様? 私やっぱり歩いて……」


「……それは却下だ」


「うう……こんな時ばっかりアデル様は頑固です。

 記憶あってもなくても、そういう所は変わりませんね」


 そう言われて俺は、初めてユリアの前で口角を上げて笑った。

するとこみ上げた衝動はいつの間にか消えていた。


(ああ……笑ったのはいつ以来だろう。俺は、また笑えるようになったのか……)


 笑い方などもう……忘れたと思っていたのに。


 時間はかかるかもしれないが、今はやれることをやっていこう。

ここへ残る事を決めた意味が、きっとあるはずだから。



 そんな事を思い、俺は家への帰路を急いだ。

不思議と帰りの歩調は軽くなった気がした。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=613025749&s

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ