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中の人がヒロインになりました  作者: 笹目結未佳
◆本編後・結婚済み◆
110/119

閉ざされた言の葉・1



――新婚生活を満喫していた私達に、嵐はある日突然やってきた。




「――君は一体誰だ? どうして俺の屋敷に居る」


「え……?」




 それは、いつものお出迎えの予定だった。

その晩はアデル様の帰りが遅くて、更に連絡もなかったので一体どうしたのかなと思い、

不安になって玄関先のソファーに座って彼の帰りを待っていたら、

同僚であり、龍仲間のラミスさんを同伴して彼は戻ってきたのである。


(これは珍しいパターンだ。何かあったのかな)



 そして、駆け寄った私にアデル様は衝撃的なその一言を言ってきたのだ。



”誰だ?”と……。



「あ、あの……」


「あーっと、夜遅くにごめんな? ユリア

 アデルバードの奴さ、ちょっと困った事になっていて……ごめん」


「え? 困った事? どういう事ですかラミスさん」



 私の夫になったアデルバード・ルーデンブルグ・ラグエルホルンは、

龍である事を世間では隠し、普段は人の姿をして王都で王家直轄の騎士団長をしている。


 そんな彼といろいろな縁の巡り合わせにより、私達は出会い、

いろいろあって、私は彼の求めで色々な設定をまるっと棒に振りつつ、

晴れてアデル様の番、つまりは龍の花嫁になった。


 現在の私はメイド職も引退して、日々奥様稼業に専念している。


 そこまではいい、なぜふりだし以前のアデル様になってしまわれたのか。

向けられる視線はいつもの優しいものではなく、周りのものを拒絶するような、

あの全てにおいて諦めきったお顔をしている。


 そして、私を見つめるその瞳は温かみを持ったものではなく、

私に言い放った言葉は、まるで、そうまるで――……。



「あ、あの、アデル様?」


「……」



 まるで、時間があの頃に巻き戻ってしまったかのようだ。

全てを拒絶するかのように孤独に暮らしていたあの頃のアデル様に。


 アデル様の頬には消えたはずのあの痣が、再び浮かび上がっているではないか。

人間を憎むあまりに浮かんでいたそれ、そんなのが再び彼の頬に……。


 呆然とそれに触れようと手を伸ばそうとして、目の前のアデル様に払われる。



「やめろ、俺に気安く触るな」


「……っ」


 強く払われたその手が痛い。 向けられた視線は温かみもなかった。

突き放されるように言われただけで、涙腺があっけなく壊れそうになる。

普段、アデル様に言われ慣れない言葉だから、心がえぐられるように胸が痛い。


 今まで私はこんな拒絶を、アデル様にされたことが無かったから。


「あ……あの、ごめんなさ……わた、私……っ」


 動揺のあまり、上手く話せない。

見下ろされた威圧感は、私がこれまで感じた事のないものだった。


「……」


「このバカ! アデルバード! やりすぎだ!!

 ……ご、ごめんな? ユリア、こいつさ、今日の仕事の際に、

 騒動起こしていた魔術師の魔法をもろに喰らったらしくてさ、

 どうやら記憶が混乱していて、ユリアと会う以前に戻っているようなんだ」



 言われたことが理解できずに、アデル様に拒絶された自分の手首をさする。

振り払われた手、忌々しそうに見下ろされる視線。

私が今まで知らなかったもの、向けられたことがなかったものだ。



 そう、アデル様は出会った時からいつも優しくて……優しかったからと思っていたら、

これは物語で主人公が初めて接する頃と、とても似ている状況だと思った。



(そうか、私達の出会い方が違っていたら、こんな風になっていたかもしれないんだ……)




「つまり、今のアデル様は、私のことを全く覚えていないという事ですか?」


「うん……そうらしい……んだよね。

 どうやら、ここ一年分の記憶がごっそりと抜かれているらしい。」



 私だけじゃない、私を通して出会ってきたみんなとの思い出も、

培ってきた絆も忘れてしまったという事だ。



「アデル様……じゃあ私のことは……」



 ただの憎らしい人間で、天敵の一人でしかないということなのか。



「……ラミルス、この女はお前の知り合いか?」


「いや、あのさ……」



 今のアデル様は、私を見ても何とも思っていないのか、

いいや、それよりも嫌いな人間の一人だと思われているようで、

とても警戒している様子がうかがえた。




「なぜ俺の屋敷にお前の知り合いが居るんだ。ライオルディが手配した新しい使用人か?

 ……いやそれより、なぜこの娘に俺の所有の印があるんだ」


 自分の意思で付けた覚えもないのに、マーキングされた印があるんだから、

それは驚くだろう、アデル様は既に混乱状態になっているようだし。



「アデルバード、ユリアはお前が自らの意思で選んだ龍の花嫁だよ。

 もう式も済ませてつがいになっているんだ。 気配でそれはわかるだろ?

 今のお前は忘れているけど、手荒な真似だけは絶対にするなよ。

 あ、もちろんユリアはお前の正体も全て承知の上で、番になったんだからな」


「……花嫁? 馬鹿な、なぜ俺が人間の雌なんかを花嫁に貰うんだ」



 そう、以前のアデル様なら、絶対に選ばないであろう選択肢だろう。

あれほどに憎かったはずの人間の娘を、自ら望んで花嫁に貰うなど。


 カモフラージュの為にでも貰ったとしか思われていないのか、

アデル様は私のことを、頭の上から足の先までじろじろ見た挙句、

かなり警戒して距離を保とうとしていた。


 その、あからさまな態度に胸がずきっと痛くなる。


 アデル様の視線には、いつもあった労わりや温かみが宿っていなかった。


 それは、私が物語の中でしか知らなかった。アデル様のもう一つの一面だった。



(こんな冷たい目をすることもあるんだ……)


 突きつけられた現実を受け入れられず、足元から震えてしまう。



「――術を掛けた奴は、こいつが倒れる前に切り捨てたんだけど、

 どんなものだったか分からない以上、今の所は様子見になっているんだ。

 こんな状態だからさ、一応仕事は支障ないようだから通常通り出来そうなんだけど、

 肝心の私生活の方はな……だから家でも念のために様子を見ていてほしいんだ」


 つまり、記憶が戻るかは分からないという事なのだろう。



「そう……なんですか、かしこまりました」


「……大丈夫? あ、あとさ、これ」



 ラミスさんに手渡されたのは、白い花弁の野の花だった。




「アデルバードが記憶を失う前に、ユリアに渡そうと摘んでいたんだけど、

 こんな状態だし、しおれないうちに代わりに渡しておくよ……俺からでごめんな?」


「あ、ありがとうございます」



 アデル様が目の前に居るのに、他の人を介して渡されるいつもの贈り物。

それに現実を思い知らされているようで、再び涙が浮かび始めた。


 ふと、これが記憶のあったアデル様が、

私のために用意してくれた最後の贈り物になるかもしれない……と、

私はそう思ってしまった。危険な仕事が多い騎士団の仕事、

こんな形で私を好きになってくれた相手を失うなんて、思ってもみなかった。


「……本当に、私の事を覚えていらっしゃらないんですね。アデル様」


「……」


 もう返事もまともに返してさえくれないのか。

視線まで反らされてしまった。きっと視界に入れる事すら不快なのだろう。

私が、得体の知れない人間だから。そう、以前のアデル様ならきっとそうする。

そうして当然なんだ。



(もう……私を必要としてくれたアデル様は……)



――二度と……会えないかもしれないんだ……。



 視界がどんどんぼやけて落ち込んでいると、そこへ小さな乱入者が現れた。



「ホンタイノオレ!! ユリア、ナカセルナ!

 ユリアダイジ! イチバン、タイセツニシロ!!」



 背後から、キシャ―! と獣の威嚇する声が聞こえたので振り返ると、

ちびちびアデル様が私の脇をすたたーっ! と通り抜け、

本体のアデル様へめがけて勢いよく突進し、 盛大な頭突きを喰らわせていた。



「ぐおっ!?」



 アデル様はそのまま、ちびアデル様と共に後方へと吹っ飛んだ。



「あ、アデル様!?」



……あ、そういえばこの子の存在を忘れていたわ。

アデル様の留守中は、お屋敷の警備をしてくれているんですよね。


 本体の自分を容赦なく踏み台にし、着地をしたちびアデル様は、

くるっと振り返って私の方へ、あわてたように駆け寄ってくる。



「ユ、ユリア、ダイジョウブカ? オレ、コワガラセタカ?

 オレ、ヤッツケタゾ? メッ、シタゾ? コレデイイカ?」



 おろおろと後ろ足で立ち上がり、こちらへ両前足を差し出してくるちびアデル様。



「だ、大丈夫です……って、あれ? 

 でもちびアデル様は私の事を覚えて……ということは」



 胸元を見下ろすと、私の懐ですやすや眠っていたマスコットのちびちびアデル様も、

この騒動に起きてきたのか、胸の谷間から急いで出てきて顔をのぞかせる。

前足を服の端に引っかけて、ぷんすか怒っているようだ。



「キュイ、ホンタイ、ユリア、ナカセルナ」



 目を前足でこすりながら、目の前のアデル様を睨むちびちびアデル様が。


 アデル様の分身である、ぬいぐるみサイズのちびアデル様と、

手のひらに収まるマスコットサイズのちびちびアデル様。


 どうやらこの子達は、 本体のアデル様の受けた被害を受けていないらしい。

てっきり本体と繋がっているから、連動して同じ状態になっていると思っていたんだけど。



「わ、お前らも居たのかよ……あれ? なんでちび達の方は何ともなってないんだ?」


「オレタチ、ユリアノタメ、ウマレタ。ユリア、サイユウセン」


「キュイ、ホンタイガ、ユリアキズツケナイヨウ、オレタチガイル」


「……つまり、本体が暴走した際のストッパー役もあるってことか?」



 こっくりと頷く、小さな分身達。



 確かに、この子達はアデル様が、私の為だけに用意してくれた彼の分身だ。

その為、本体の意思よりも私を優先して行動してくれる事が普段から多い。


 聞けば、今回の件では感覚を遮断していたお陰で、影響は免れたらしい。


 普段、アデル様が私とのやりとりについて、独占して感覚を遮断していたので、

その意趣返しでこの子達もやっていたりする事があるけど……。

これが今回、難を免れる結果となったのかな?



「という事は……やっぱり、ちびアデル様達は私の事を?」


「オボエテイル、ユリア、オレノハナヨメ」


「キュイ、オレノシホウ、オレノサイワイ」


「……っ」


「「オレハ、ユリアノモノ、ユリアノツガイ」」



 だから泣くなと、私にぎゅっと抱き着いて慰めてくれる二匹の小さなアデル様達に、

私は嬉しくなって、ちびちびアデル様達を抱きしめ返した。



「あり……がとうございます」



 忘れられていないことが、拒絶されない事がこんなにも嬉しい。

あ、でも分身が無事なら、この子達がアデル様に戻ったら記憶が取り戻せるんじゃ?

なんて思ったんだけれども、すぐにちびアデル様は顔をぷるぷると振って否定する。



「ソレハ、マダ、キケン。ダカラデキナイ」


「え?」


「……確かに、今は他にどんな影響があるか分からないからな。

 それは止めておいた方がいいと俺も思うよ、ユリア。

 もしかしたら、感覚を繋いだだけでこいつらも同じようになるかもしれない」


「ラミスさん……そんな、じゃあどうすれば」


「ホンタイノオレ、ムノウデモ、ユリア、シアワセニスル」


「キュイ」


「……ん?」




 なぜだろう、ちびアデル様達はこの事態をあまり困ってもいなそうな。


「ソレニ、ホンタイノオレ、ヤクソクヤブッタ。

 ユリアヲ、ナカセテイイノ、ベッドノナ――」


「うわああっ! それ以上言っちゃダメです!!」



 私がちびアデル様の口を塞いでいるやり取りを、

本体であるアデル様は頭突きされた顔を抑えながら、呆然と見ていた。


 そして内容を察したラミスさんは、顔を真っ赤にしてこっちを見ているので、

私は恥ずかしさでぷいっと顔をそむける。




「あ、あの、えっとユリア?」


「うわああ、そ、それ以上聞かないでください。お願いします!!」


「う、うん、ごめん」


「ホンタイガ、ジャマシナイノハイイ、ユリアトイッショデキル、ウレシイ」


 ちびアデル様は私に抱っこされて、ご機嫌に喉をゴロゴロさせている。

ああ、邪魔されずに独占できて喜ばれていますよ、これは。



「……っ、な、なんだその珍妙なものは。

 俺の声か? 中から俺の気配も匂いもするが」



……そうですよね。今の彼からしたら、知らないうちに自分の分身が出来ていて、

好き勝手に動いている訳ですから。


 あ、でも待って? アデル様が過去に戻っているというなら――。



「――ネエ、ドウシタノ?」



 そこへ、ぽてぽて、よちよち歩きに最近は慣れてきた。

ぬいぐるみのちびリオさんが、この騒ぎを聞きつけてやって来たのである。

なぜか、赤ちゃんが使うスタイ……よだれかけを着けているちびリオさん。

きっとアンががんばって作ってあげたのだろう。努力の跡がうかがえる。


 そんな姿を見て、ラミスさんは盛大にぶふぉっと吹いた。


「……そ、蒼黒龍によだれかけを」


 ラミスさんが、その姿を見て四つんばいになって困惑していた。

誇り高い龍の長の一族にこんな事をして許されるのは、私達だけだろうと。

いや、でもアンも元は主人公だったからさ、

悪気はないと思うし、チャレンジャーな所はしょうがないと思うんだ?



「あれ、ちびリオさん、それ……」



 ちびリオさんの小さな小さな前足には、

私がお夜食用に作っておいたフルーツどら焼きがありました。

落とさないように大事に大事に抱いて、機嫌よく喉をゴロゴロしています。



「ウン、ミテ、オヤツモラエタヨ、ボクノブン」


 おじ様におやつをもらいに行ったようで、とってもご機嫌なちびリオさん。


 そう、そうなんですよ。元のアデル様に戻ってしまったのなら、

彼が人間の世界に行くきっかけだった親友との死別も、そのままになっているんだよね。

振り返るとアデル様は、現れたリオさんの姿に驚愕して震えていた。



「……この気配、この声……ま、まさかリオなのか?

 人間の実験材料にされて、そんな姿にされてしまったのか!?」


「い、いえ……正確にはこの子は、リオさんが作った分身なんです。

 依り代となる器のぬいぐるみは私が用意して、

 本体のリオさんの目と手足の代わりになって日常生活を送っています。

 それで、こっちの子達はアデル様が作ってくれた分身で」


「分身? 魔力の練り合わせで作った影か、ではリオの本体は何処に……」


「アデル、オカエリ、ナニカタベル?」



 事情を知らないちびリオさんは、のんきに尻尾をふりふりしながら見上げてくる。




「いえ、ちびリオさん、今はそれどころじゃ……」


「キュ? ナニカアッタノ?」


「本当にこれがリオが? いやまさか……だがこの気配、そして匂い、

 では本当に……生きていたのかリオ」


 がしりと、ちびリオさんの両脇に手を添えて持ち上げたアデル様。

どら焼きを持っているちびリオさんは、きょとんとした目で親友を見つめる。


 今のアデル様にとっては、これが初めての「再会」という事になるんだろう。

彼の目には死別した筈の小さなリオさんが映っていた。

そう「ぬいぐるみ」のリオさんが、ちまっとしたサイズのリオさんが居るんです。

しばし無言で見つめ、かつての親友にアデル様は……。



「……しばらく会わないうちに、ずいぶんと変わったなお前」


と、ぼそりと呟いた。



「キュ? キニイッテイルヨ、コノカラダ」



 いろいろツッコミたい気持ちはありますが、

蒼黒龍はマイペースでゴーイングマイウェイなお方です。

感動の再会と言うよりも、アデル様は親友のボケに付き合う結果となりました。


 そんな訳で、後はとにかくよろしくと丸投げしてきたラミスさんを見送り、

ちびリオさん経由で、これまでの事を説明してくれることになりました。


 私から説明しようとしたんですが、きっとアデル様が警戒してしまうでしょうから、

気心の知れているちびリオさんから話してもらう方が、きっと良いと思ったんですよね。


 ただ、後になって気づいたんだけど、その肝心な説明が、

リオさん主体のものになってしまったのは言うまでもなく……。



※  ※  ※  ※



「――……デ、ホンタイノボクハ、ココデ、カラダヲ、ヤスメテイルンダ」



 案内したのはお屋敷にある温室、現在はリオさんの私室になっています。

其処ではアンが窓を閉めて、カーテンをかけている最中で、

振り返った彼女に向かい、ぴょんっとちびリオさんが飛びついて行った。




「きゃっ!? あ、ちびリオさん、おじ様にお夜食をもらえましたか?

 あれ? アデルバード様お帰りなさいませ」


「アデル、コノコハアンダヨ、アンフィール。

 ボクノセワヲ、シテクレテイルンダ……コワクナイヨ?」


 アンの腕の中でちびリオさんが、彼女と自分の本体を紹介していた。


 リオさん本体は今も殆どベッドで眠っている事が多く、一進一退を繰り返している。

浄化はされたものの体力の消耗は激しいらしく、分身のリオさんが力を蓄えて、

本体に還元しているとかなんとか聞いている。


 けれど5年以上も、ほとんど飲まず食わずで頑張ってきた影響か、

ちびリオさんは、すっかりはらぺこキャラみたいになっていて、

よく私達に食べ物をおねだりしている。


 今もぬいぐるみから出てきて、小さい龍体のままどら焼きを食べ始めていた。


 おーい、フォローになってないよ、ちびリオさーん?



「……ソレ、ユリアノテヅクリカ?」


「タベル? マンナカノアデル」


「タベル」


 ちびアデル様がじいっとその姿を見つめていたので、ちびリオさんが半分こにすると、

嬉しそうに頷き、説明そっちのけで尻尾をフリフリして食べている二匹がいた。


 一口一口を、大事に前足で持って食べている姿がとても可愛いんですが、

あの、だから今はそれどころじゃなくてですね?



「……ここは、確か開かずの部屋の1つだったはずだが」


「あ、あの、アデル様が龍体でもくつろげるように温室として用意したんです。

 リオさんは特に療養が必要なので、今はこちらにベッドを置いていて」



 説明役のちびリオさんが、食べる事に夢中になってしまわれたので、諦めた私が説明。

ちらりと私の方を見るアデル様。けれど、ふいっと視線をそらされてしまった。



「……っ!」



 そんな些細なやりとりなのに、なぜか酷くショックを受けてしまう私が居る。


(わ、私とは話もしたくないという事ですか)



 き、気にしちゃ駄目なのに、これまでアデル様に一度もされた事がなかったから、

余計にショックが大きい。しょぼんと掛ける言葉が見つからずにうつむいてしまった。

夫婦喧嘩だってまだした事なかったのに……。



「キュイ、ユリア、ゲンキヲダシテクレ」


「ちびちびアデル様……」


 ぽんぽんっと、ちびちびアデル様が私の足先をなでて、慰めてくれる。

……お口がクリームでべたべたになっているよ? ちびちびアデル様、君も貰ったのね?

私はしゃがんで、口元のクリームをふき取ってあげた。



「他にも嗅ぎ慣れない人間の匂いがするな……」


「あ、あの新しい女性の使用人が、他に2人程居まして……」


「なに?」



 アデル様の眉間のシワが深くなった。

今のアデル様は現在進行形で、ウラシマ現象にみまわれているんだろう。

記憶がぶっ飛んでいる約一年ちょっとの間に、彼の周りはガラッと変わっていたのだから。


 彼の知る記憶では、若手の従業員がいないままで屋敷の中も荒れており、

女性の使用人なんて、一人も残って居ない状況が当たり前だった。


 更に花嫁だっていない独身状態だったので、

この変化に戸惑わずにはいられないのだろう。


「……ねえユリア、アデルバード様は一体どうされたの? なんだか、雰囲気が……」


 アンが様子のおかしいアデル様を見て、何かを感じ取ったのだろうか。

不思議そうな顔をしたので、彼女にもアデル様に起きた事情を話す。

後で他の人達にもこの事は話しておかなければならないだろう。



「……ええっ!? それって本当に? そんな事になっているの?

 ユリア、大丈夫? 元気出してね……私にも出来る事があれば協力するから」


「うん……ありがとうアン」



 私達がそんなやり取りをしている間に、

アデル様はベッドに横たわったままの本体のリオさんを、無言で見下ろしていた。


「……」



 ゆっくりと伸ばされた手は、眠るリオさんの頬にそっと触れる。

伝わる体温に、生きているんだとようやく実感できたらしい。



「アデル様……あの、実はアデル様の同胞の皆さんも生還されていて、

 今は故郷で元の生活に戻っているんです。だからアデル様のご家族も……」



 実はラミスさんには、今は故郷の事を話さない方がいいと言われていた。


 人間を憎むままのアデル様では、ここでの生活を捨てる事を選ぶだろうからと。

ここに眠るリオさんを連れて、天敵である人間の世話になどなりたくないと、

この場所から出ていく可能性の方が高かったから。



(……でも、それでは彼の抱えた闇を放置してしまう事になる)



 私は正直に、今ある状況を話しておいてあげたいと思った。


(だって、あの頃のアデル様はとても苦しんでいたもの)


 記憶はとてもデリケートだ。この先、失ってしまった記憶が戻るとは限らない。

アデル様が人間である私との結婚生活を嫌がるかもしれない。

ならば、アデル様には帰る場所が他にもあるんだという事を、

彼の妻になった者として、伝えておいてあげなくてはいけない。


(ここに居て、私の傍に居て欲しいなんて……言える訳ない)


 そんな事を言えば、アデル様を苦しめてしまうだろう。


 これからアデル様がどんな選択肢を選ぶのだとしても、

私はどんな時でもアデル様の味方でありたいと思うし、

幸せを第一に考えてあげなくちゃいけないと……そう、思うから。



 本音を言えば、そんな事になるのをとても恐れているけど、

私の身勝手でアデル様を縛り付けるのは、ためらわれた。



(このままなら最悪の事態も……覚悟しなくちゃいけない)


 本当なら、結ばれるはずもなかった相手なのだ。

こうしてわずかな間だけでも、夫婦として一緒に居られただけでも幸せだったと。


 そう、この短い時間でそこまで考えはしたけれども、気持ちはついていってない。



(出来る訳ないよ、こんな、どんでん返しがあるなんて)



 もしもアデル様がここでの生活を捨てて、自分が育った故郷に帰る事を望むのなら、

そこには私の存在は必要じゃなくなるんだ。そうなると私はどうしたらいいのだろう?

アデル様と一緒にいる為に、全てを引き換えにしてこの世界に残る事を決めた私は。



――もう二度と、元気な姿を見る事すら叶わなくなるのだろうか。


 


「……これは、俺は夢を見ているのか? それとも幻覚を見せられているのか?」


「アデル様?」


「知らない、俺は君の事なんて何も覚えていない、分からないんだ。

 なのになぜこんな夢を、この俺に残酷な夢を見させるんだ。

 こんな未来などあるわけがないのに、俺にはその未来さえ奪われたのに」



 その戸惑いの矛先は、怒りとなって私へと向けられていた。


(ああ……)


 記憶にない自分の花嫁、混乱の中心にいる私を全ての元凶だと彼は思ったようだった。

私が彼を惑わす為にしているのだと。


 それは私達に初めて起きた夫婦としての試練で。

もう二度と戻れないかもしれない岐路きろへと立たされている気がした……。





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