繋ぎ合うその手を握り締めて5
アデル様によってマントで包まれ、大事に大事に運ばれた私は、
本日私達が式を挙げる予定の、小さな教会へとたどり着いた。
「ついたぞ、ユリア」
地面にそっと降ろされ、私は背後を振り返った。
王都郊外にあるその教会は、森に囲まれた静かな空間にあり、
地元の敬虔深い人達が、週1回のミサの為に大事に使っている古いものだそうで、
いつも私が弟のリイ王子と面会していた、あの王都にある大聖堂教会とかのような、
無駄にだだっ広くて、大それた装飾のあるものではなく、本当にこじんまりしたものだ。
絵本の挿絵に出てきそうな、まるでおとぎ話にでてきそうな雰囲気があり、
とても可愛らしい素朴な白いレンガで作られた教会だった。
「わあ、可愛い……」
小さな色とりどりの野の花が、教会の周りを囲むように咲いており、
木々の間からさしこむ木漏れ日に照らされ、蔦で少し覆われたその教会、
水の流れるせせらぎの音が聞こえるから、近くにはきっと小川が流れているのだろう。
「気に入ったか?」
「はい、こんなに素敵な所があったんですね」
「良かった……俺の都合でこの場所を選んでしまったが、
ユリアが気に入ってくれたのなら、俺も嬉しい。
ライオルディ達が、もっと大きな所を用意してくれると言う話もあったんだが」
「こういう方が、私達には合いますね」
「ああ、そうだな」
人々の喧騒から離れたここは、アデル様には都合がいいのだろう。
騎士団長という肩書の上に、魔王を直接倒したとか思われている彼は、
以前よりも注目を浴びやすいから、今日の式は人目を避ける必要があった。
例外として、囮の為にとユリアの実家の一族には、陽動の理由で、
本日結婚することを知らせてはいるものの、この場所は知らせていないんですね。
「お、やっと来たな、本日の主役が」
「ラミスさん、こんにちは」
「無事に着いたようでよかったよ、首尾は?」
「終わった。ライオルディ達は後で来る」
「ん、了解、こっちも異常なしだ。
じゃあ、俺達は周辺の警備をしているからな」
入り口ではラミスさんが待っていてくれて、部下数名を引き連れていた。
彼らも式典の時に着る、紅蓮騎士用の紅い制服を着てきてくれたらしい。
数名が森の間からぞろぞろと姿を現した所を見るに、
不審な者が居ないか、今まで見回りに行ってくれていたようだ。
(何から何までお世話に……)
ラミスさんの傍らには、リファと背に乗ったままの子ども達と、
ちびアデル様ズとティアルがお行儀よく待っていた。
「みい、ユリア、オカエリ~」
「「ユリア」」
ティアルが出迎えてくれる横で、小さなアデル様ズは私の姿を見つけると、
嬉しそうに駆け寄り、ちびアデル様は私の腰に飛びつき、そのままぴたっと静止。
ちびちびアデル様の方は、私の胸元に飛びついてきたと思えば、
よいしょ、よいしょと胸元にもぐりこんでくるではないか。
「わ、ちょ、ちびちびアデル様、ちょっと、だ、駄目ですよ」
「キュイ」
そして、そのまま定位置だった私の谷間に収まると、ふーっと満足げに息を吐いていた。
いや、親子ごっこしていたけどね? 流石に今日はやってはあれかと思うのよ。
ちびアデル様の方はまるでウエストポーチのように動かなくなったし。
ゴロゴロ喉を鳴らして、ご機嫌な様子だ。うん……可愛いしこれは困った。
「お前ら……ユリアから離れろ」
背後から、がしっと、私の谷間と腰に居た小さな分身の頭を掴んだその方は、
勢いよく教会の奥へとぽいっと放り投げ、それをティアルが面白がって、
「みいみい、マッテ~」
てちてちと追いかけていき、リファの子ども達もまねっ子で、よちよちついて行く。
「あー……分身とはいえ、アデルバードが増えると始末に負えないな。
さっきまでは、周辺に結界を張るのを手伝ってもらっていたんだが」
「は、ははは……」
ラミルスさんによると、滞りなく式を済ませられるようにと、
ルディ王子様より派遣され、今日はこちらの警護をするために来てくれたらしい。
彼らは先にこの辺りに異常がないか警戒をしつつ、
小さなアデル様達には結界を張ってもらい、悪意ある者を退けるようにしてくれていた。
その小さな分身たちに対し、アデル様はここでも容赦なかったな。
強い龍が雌を制すっていう本能のせいらしいが、出来れば仲良くしてほしいものだ。
「ユリアを組み敷く前に、あいつらはどうにかしないとな……」
……アデル様、不穏な言葉を言うのは止めてください。
「えっとラミスさん、部下のみなさま、今日は仕事でお忙しい中、
私的な用件で来て下さって、本当にありがとうございます」
ドレスのスカートの両端を摘まんで軽くひざを折り、ラミスさん達に会釈する。
「お、おう、おめでとうユリア……その、よ、よく似合ってるよドレス」
照れくさそうに、ラミスさんが髪をかいて頷いてくれた。
「はあ……でも、ついにこれで、ユリアちゃんは花嫁になってしまうのか。
相手がアデルバード様じゃ、最初から勝ち目がなかったな」
「ついにユリアちゃんも人妻……ううう、俺は寂しい」
「ああでも、すっごい綺麗だよユリアちゃん。幸せにな」
「くっそ、アデルバード団長だけずるい、俺もお嫁さん欲しい。
その前に可愛い彼女が欲しい……はあ」
今日はみんなでヤケ酒だな……なんて言っている皆様に苦笑する私。
前方ではアデル様同士での喧嘩が始まっているので、みんな好き勝手に談笑していた。
「……その様子だと、もう心配はないようだな」
「え?」
ラミスさんの声に振り返ると、少し寂しげな様子で彼は笑っていた。
「本当に綺麗になったなユリア、これがあいつの為かと思うとくやしいけどさ、
でも俺は、ユリアに出会えてよかったと思うよ。幸せにな?」
私を見つめるラミスさんの表情に、ふと違和感を感じたけれども、
深く追及するのはあれかなと思い、そのまま受け流すことにした。
「は、はい、ありがとうございますラミスさん」
「声がすると思ったら……やっと来たんだね。二人とも待っていたよ」
「わ、ディータさん!? うわあ、お久しぶりですね!」
建物の中から顔を出したのは、元男主人公のディータさんだった。
魔王戦からひと段落し、冒険者としてローザンレイツの王都から出て行った彼は、
その後、色々な土地を旅していて、たまにアン経由で近況が分かる程度だった。
王都を出てから安否が気になっていた彼、こうして会うのは久しぶりだ。
だからまさか、今日来てくれるとは思わなかった。
「うん、妹がギルド宛てにメサージスバードを飛ばしてきてくれたんだ。
今日の事を教えてもらって、妹含めて君にはいろいろと世話になった事だし、
せっかくだから顔を出しておこうと思ってさ」
「わあ、アンも喜びますよ。大歓迎です。ね? アデル様」
「……ああ」
そこへ、せわしなく鳴る車輪と馬のひづめの音、
アデル様に引き寄せられて背後を見れば、先ほど見かけたルディ王子の馬車がやってきて、
制止する前に扉を開けて飛び出してきたのは、アンとぬいぐるみのちびリオさんだった。
「あ、お帰りなさい、アン、け、怪我とかしなかった?」
「え? うん、大丈夫よ……って、
ちょっと待って待って……もしかして、もう終わっちゃった!?」
「い、いえまだこれからですよ」
「ほんとに!? 良かったあああ、間に合わないかと思っちゃった。
――って、兄さん!? 来てくれたんですか!?」
「あ、ああ、元気だった? アン」
「はい! うわあ、うわああ、嬉しい」
兄のディータに再会できたのが嬉しくて、アンは満面の笑みで近況を話している。
そしてそのまま腕にちびリオさんを抱いたまま、中に入っていった。
……ディータさんはまだ知らない。妹のアンが現在リオさんといい感じな事と、
アンが今抱いていたものの正体に……。
ちびリオさんの方は、さっきからディータさんを思いっきりガン見していたし。
(元魔王様と、元男主人公のバトルの日は近い気がする。うん)
その間に、背後からルディ王子様が馬車から降りてくる。
「やあ、ユリア君、それにアデルバード、我が友よ。
本日はおめでとう。うら若き二人の門出を祝いにきたよ」
「……ああ、世話をかけたな、ライオルディ」
「いやなに、大事な友のよしみだ。こんな時くらいは任せたまえ。
君とその奥方には余りある恩が出来たからね」
ルディ王子様はそう言いながら手袋をはめ直す。
能力が向上したので、もうあの鱗が人前で晒されることはないのだろう。
「それはそうとユリア君、君は実に勇気のある、愛情深い女性だね」
「え?」
こそっと耳元でささやかれた。
「春先と言えば、龍の世界でも恋の季節、そう発情期がある。
そんな雄達が鼻息荒くなる季節に、わざわざ嫁入りするんだから、
君はとても勇気がいる事をしているんだよ。うん」
実に晴れやかな顔で言ってくるその言葉に、私はさーっと顔を青ざめた。
「あの……それってもしかして、時期を見誤ったということで?」
「龍は愛情深いからね。子づくりの際には2、3カ月位は巣に籠ってしまうんだが、
ユリア君は人間のお嬢さんだし、まあ、アデルバードも手加減はしてくれるだろう。
奥手そうに見えたユリア君も積極的なようだし、意外だったよ」
「え? いえ、待ってください……に、2、3カ月!?」
アデル様と一瞬目が合い、さっと目をそらした。
貪り喰われる……脳裏にそんな言葉がよぎった。
後でアデル様とは交渉の余地が必要だな、うん。
呆然としている間に他の皆と合流し、
ローディナ達や後輩のユーディやイーアに、身なりの最終チェックを受ける。
「よし、シワとかないわよね。
あとは仕上げね、私達からの贈り物よユリア」
リーディナは傍で一緒に手伝ってくれていたアンに合図すると、
アンはいそいそと鞄から白い箱を取り出した。
彼女が箱を開けると、それは丁寧に編み込まれた手編みのレースでできたもので。
ふわりと私の頭の上からかけられたそれは、するりと肩まで覆う白い布のようなもの。
「こ……れは」
「みんなで作ったベールなの、リーディナが材料を採取して、
ローディナが機織りで折って、私は教えてもらいながらひたすら編んだわ。
で、メイド仲間のユーディちゃんとイーアちゃんにも手伝ってもらって、
こうしてみんなで協力して作ったんだよ。こないだやっと出来たんだ」
アンが満面の笑みでそう答える。
一部が歪かもしれないけれど許してね? なんて苦笑気味だけど、
嬉しそうに言ってくれたアンに、私は思わず目頭がうるっと潤んでしまった。
みんな、色々と忙しいのにこんな立派なものまで用意してくれていたなんて!
ドレスだって、最終的にはかなり手伝ってもらったのに。
「あ……」
「幸せになってねユリア」
そう言ってくれたのは双子の姉、ローディナで。
「そうよ。ユリアは苦労していたんだから、これからは沢山幸せにならなきゃ。
まあ……アデルバード様が全力で守ってくれるだろうけど」
ついで妹のリーディナが顔をのぞきこみ、にかっと笑った。
「……私とユリアは、他の人達より知り合うのが一番遅かったけれど、
でも、どんなことがあっても私達は大切な友達よ」
赤紫色の髪をふわりと揺らして、アンがそう言って微笑んでくれる。
「アデルバード様と、お幸せに」
アンが私にくれた言葉は、かつてのユリアが彼女に贈ってあげた言葉だった。
そしてそれは……私が声の仕事で発した大切な台詞の中の1つでもあって……。
ユリアという役作りの中で、きっと色々な感情が見え隠れしたその大事な言の葉。
以前ユリアが言った時は、アデル様への失恋からか寂しさと切なさ、
そして大事な親友の幸せを祈って言っていた言葉だったが、
それを今度はアンが言っている。その言葉に微塵の悲しみも含まれることなく。
今のアンは友達の幸せを本気で喜んでくれていた。その事に私は密かに安堵する。
正しい関係性が築けたことで、アンはアデル様への想いは抱いていないようだ。
そしてアデル様も……だから、後ろ髪引かれる必要はないのかもしれない。
(実は気になっていたんだよね。前の世界がそうだったから)
「うん、うん……っ! ありがとうみんな」
だから素直に受け入れることが出来た。
感極まって泣きそうになるのを、ぐっとこらえて私は笑った。
これから新しい時間が始まっていく、その期待と不安に包まれながらも、
1人じゃないという事がこんなにも心強くて、とても嬉しかった。
――1年前の今日、私はこの世界に放り出された。
――不安で心細くて、でもそれを乗り切れたのは、みんなが居てくれたから。
あの頃には分からなかった今日の自分、それを誇らしく思う。
こうして沢山の縁を繋げることが出来たことが嬉しかった。
「ユリア……さあ行こう、皆が待っている」
「――は……」
私はアデル様に差し伸べられた手に、触れようとした手を、
一瞬ためらって、そっと自分の胸元に手を添えた。
この婚姻はいろいろな意味があるものだけど、1つだけまだ引っかかる事がある。
「ユリア? どうした?」
「いえ、私が結婚したら、神鏡はどうなってしまうのかなと」
ふと、思ったのだ。結婚した後のことを。
ほら、私が神鏡を守る巫女だっていうなら、婚姻前の娘じゃないといけないよね?
だとすると、私がアデル様のお嫁さんになったら、
私には所有の資格が無くなったとして、
次の宿代になる者を探して、離れていくのではないか。
もしもそんなことになれば、私の命と神鏡は密接しているらしいから、
私は生きていられるのだろうか、なんて、
そんな事を今になって思うようになってしまって、私は少し怖気づいてしまった。
私は結婚する事で“また”アデル様と離れ離れになってしまうのではないか、
そう思ってしまったのだ。
するとアデル様は私の手を取り、両手で包み込んでくれた。
「それは俺も思いついた……だからリハエルに以前に聞いたことがある。
俺がユリアに触れる事で、ユリアの命を脅かしたりはしないかと。
リハエルの見解では、巫女たちは守護者の不在時の管理を行うもので、
ユリアが覚醒まで行い、神鏡は君を主人と認めているから、
神鏡は君のために力を貸し、傍にあり続けるだろうということだ」
正式な所有者が現れ、覚醒という形で私に認定されているので、
その心配はいらないらしい。
「これまでは管理を守護する一族が担う事で、君の実家は繁栄したらしい。
だから君を王家ではないものにやり、手放すのはしたくなかったようだ。
王家へ恩が売れないからな……けれどもう、その心配もなくなるだろう」
ほっと息を吐いた私の手を、アデル様は自分の肘へと添えさせた。
「さあ、行こう」
「はい!」
進行は弟のリイ王子様が行ってくれた。
普段、とんでも行動が多いリイ王子様だが、この時は聖職者の正装姿で、
とっても失礼なんだけど、この人は聖職者だったんだなって改めて思った。
みんなが参列に並んで静かに見守る中、二人そろって祭壇の前にゆっくり近づき、
揃ってひざまずいて頭を下げる。緊張で体が震えてしまった。
(うう、オーディションでもこんなに震えなかったのに)
リイ王子様が持つ十字の形をした、長い杖のような物に聖水をかけると、
私達の両肩にそっと触れ、夫婦とはなんたるかの話が始まった。
「今、この日を持って神の身元の前で夫婦となる二人に、永久の祝福を捧げ……」
この体制でそれを聞くのは、正直ちょっときつかったが、
ちらりと見上げた目の前のリイ王子様は、きらっきらと輝いていた。
私とアデル様の式に直接立ち会えるのが、すごく嬉しいらしい。何せ神の領域の婚姻だ。
顔が既に真面目な顔ではなく、今にでもでろでろになりそうだった。
だから思わず、参列している皆からも、くすくすと笑い声が漏れる。
ああ、こんな時でも皆はいつも通りだな。
(指輪の交換とかはないんだ……)
進行は、誓いの言葉もなく、用意された金のゴブレットに入れられた葡萄酒を、
二人で分け合って飲み干すのを行い、額に聖水で夫婦の聖印を刻まれる。
その後は婚姻の証明書となる羊皮紙に二人のサインを書くらしい。
「ではこちらを」
重々しく手渡されたゴブレットに、お酒を飲んだことない私は一瞬ためらった。
中身の私からしても、まだ未成年なんだけどな……。
こちらの世界ではそういう制約はないらしい。
「大丈夫だユリア、中身は果実水に変えてもらった」
「え?」
言われるままにゴブレットを傾けると、確かに葡萄ジュースだった。
「ユリアは酒が飲めないからな」
「アデル様……」
私の為にわざわざ合わせてくれたんだ。
私が持っていたゴブレットを今度はアデル様が受け取り、中身を飲み干す。
触れた手が僅かに熱を持っている気がする。こんな些細なやり取りでも恥ずかしい。
瞼を閉じて、金の皿に注がれた聖水にリイ王子様が触れ、
私達の額に聖なる印を刻まれた。
次はいよいよサインだ。
「――ではこちらの婚姻証明書に、二人でサインを」
静かに見守られる中、震える手でぎゅっと握った羽ペンで、さらさらと名前を書く。
ユリア・ハーシェス。
意味は私の真名と同じだから、偽りにはならないだろう。
ただ、こちらの世界でいう漢字とかの言霊がないというだけだ。
(ここへ来たばかりの頃は、こんな簡単な字すら書けなかったんだよね)
思わず、くすっと笑ってしまう。なんだか感慨深い。
ついで、アデル様が羽ペンを受け取り、書類に名前を書く。
書類に二人の名前がそろったのを確認すると、リイ王子様は頷き両手を上げた。
「――これで、二人は正式な夫婦と認められました。
新たに夫婦となった二人に、永久なる主の祝福を」
「おめでとー」
「おめでとうユリア!」
リイ王子様の言葉を合図に、皆が次々に“おめでとう”と言って拍手をくれる。
私はアデル様と顔を見合わせて微笑み合い、皆の方を向いた。
やがて、皆が「良い式だったね」と和やかに笑って、
ぞろぞろと教会から出ていくのを見送りながら、一息つく。
……これで式は一通り終わったけど、やっぱりなんだか物足りない。
ローザンレイツの方法なせいか、緊張はしたけど実感があんまりなかった。
そう、だって誓いの言葉もなかったし……。
だから、みんなに続いてアデル様も歩こうとするのを、
私はつい、彼の袖を指先でつまんだ。
「ユリア……?」
「……は?」
「ん?」
「……誓いのキスは、ないの……ですか?」
だから上目づかいで、ついそうアデル様に聞いてしまった。
その言葉を合図に、アデル様は目の前でフリーズする。
(……はっ!? これって私がキスを催促したみたいじゃないか)
「あ、あの、私てっきり誓いの言葉とか、誓いのキスとかあるのかと」
「……」
慌てて何でもないです……と。
言ったそばから顔を真っ赤にして、両手を目の前に出した私に対し、
アデル様は私の両手を掴んで自分の方へ引き寄せた。
そこで懐から取り出したのは、一つの指輪。
それは、アデル様が用意してくれたあの指輪で……。
「あ……」
私の手を取ったアデル様は、私の願いどおりに「左の薬指」にはめてくれた。
「――ユリア……何度でも誓おう、俺は君と共に生き、共にあると」
嵌めた指輪の上から、その手を口づけられる。
ぽっと私の顔は更に火照ったのが分かった。
「あ、アデル様」
「ユリアから、こうしてキスをねだられるのは初めてで、俺は嬉しい」
両脇に手を添えられ、体を持ち上げられる。
そしてそのまま、腰を支えられる形でアデル様の唇と重なった。
「ん……っ」
アデル様の両肩に私の両手が触れる。先ほどよりも高鳴っている鼓動。
みんなが背を向けているのをいいことに、アデル様と深く口づけを重ねた。
「ねえ、ユリアも――……って」
そんな私達のやり取りを、振り返ったリーディナが気づき、
ぎょっと固まった後、隣に居た姉のローディナの腕を叩いて指を指していた。
「ちょ、あれ」
「え? ……あらあら、ごちそうさま」
その言葉に傍に居たアンも振り返った。
「わあ……まだ続いていたんですね。お熱いです」
「ほらほら邪魔しちゃだめよ。アン、リーディナも先に行きましょう」
名残惜しげに唇が離れると、既に人影はなくなっており、
私達はそのまま互いを静かに見つめていた。
「……」
「……」
視線を交わすだけでも満たされていく想い、叶えられた未来の形。
ああ、これで本当に私達はようやく夫婦になれたんですね……。
なんてことを思って、幸せの余韻に浸っていたら、
私が床に降ろされたと同時に、アデル様の頭を容赦なく踏みつける黒い物体が。
「ぐっ!?」
「え? んん?」
前のめりになったアデル様の頭の上に乗ったのは、ぬいぐるみのちびアデル様だった。
ちびアデル様はそのまま飛びつくように、私の顔に前足を添えてキスをしてきて、
幸せそうにしっぽをたぱたぱ揺らし、そして顔を離すとこう言ってきた。
「オレモ、チカウゾ、ユリア」
つぶらな瞳で誓いを立ててくれる、ちびアデル様の姿はあざといほどに可愛い。
「キュイ、チカウ」
すると今度は、マスコットの方のちびちびアデル様が、
ふわ~っと飛んできて、ちびアデル様の上にちょこんと座り、
その子も私に誓いのキスをしてきたではないか。
「あ、あわわ……」
まさにアデル様ズからのキス攻撃。
ありがとうございます……顔が火照りながらそう言うのが精いっぱいでした。
両手で顔を覆ってお礼を言うのが精いっぱいで。
でもそっか、こちらもアデル様でしたものね。連動するのは当たり前か。
「お前ら……次から次へと邪魔を」
「ユリア、オレノハナヨメ」
「キュイ、ユリアノオネガイ、ゼッタイ」
そのまま二匹で、本体のアデル様の頭をゲシゲシと無駄に踏みつけると、
「わー逃げろ―」と言いたげに、すたこらと逃げ出すアデル様ズ。
喧嘩するほどなんとやらだ。アデル様も分身には手加減は一応しているようだし、
これは放っておこうかな、うん。
(これでようやく私も、アデル様のお嫁さんか)
長いようで短かったこの一年は、大切な思い出だ。
(これからも頑張って生きよう。この世界、ローザンレイツで)
本編である物語が始まる前に、全てが終息した異例の状態だけど、
まあ、そんなものがあっても良いんじゃないかと思うんだよね。
皆が外から私達を呼ぶ声がし、私もそれに元気よく返事をする。
「アデル様、私達も行きましょう」
今日はこれからみんなで宴会がある。
歩き出そうとした私を、今度はアデル様が引き留めた。
「……ユリア」
「はい?」
「ユリア、ありがとう……俺と出会ってくれて、
俺の魂を救うために辛く長い旅をしてくれて、ここに残る事を選んでくれて。
そして君の故郷と家族から引き離す事をしてしまうこの俺を、どうか許してほしい」
「……えっ?」
その言葉に、どくりと心臓が跳ね返った気がした。
「ユリアと交わした約束は絶対だ。それは今でも思うし叶えてやりたい……が、
戦いとは無縁だった場所から連れてこられた君を、俺は結局帰してやることができない」
それは、まるで私が「この世界の人間ではない」という事を、
知っているかのような……ううん。
「アデル……さま?」
――もしかしてアデル様は、既にどこかで気づいていたのではないか。
(そうだ。私とアデル様は、魂同士をマーキングされているから)
神格クラスとなれば、たとえ全てではなくても見えてしまうものがあるのでは。
だから私に関する何かを、彼は垣間見えてしまったのではないか?
金の髪のユリアが、私の世界の事を知りえたように……。
(それにアデル様はあの時、誰よりも強い神鏡の力を受けているから……)
浮かんだ涙はどちらの「ユリアのもの」だったのか。
私は震える手で、アデル様の手に自分の両手を重ねる。
知られたくなかった。どんなに私自身が辛くてもアデル様を悲しませたくなかった。
真実を知ればアデル様は自分を責めると思うから。
どこまで気づいてしまったのだろうか。
まさかユリアが、アデル様を救うために世界の理を覆し、大罪を犯したことまで?
(ダメ、これ以上アデル様に気づかれたら、これまで頑張った事が……)
今ようやく固定されてきたこの世界が崩壊し、
全ての因果がめぐって、かつての世界が確定してしまう……っ!
アデル様を生かす為に金の髪のユリアが、そして私が行ってきたことが、
全て無になってアデル様の滅びる道が決まってしまう。
「どこ……まで」
どこまで知ってしまったのですかアデル様。
「君が神鏡を使ったあの日、俺は光の中でここではない世界の断片が見えた。
最初は訳が分からず……でも不思議と受け入れられた。君はこの世界の人間なのに、
こことは違う文明、違う姿で居たのも確かに“君だった”のだと、なんとなくわかる。
そこで君は別の人生を歩むはずだったのではないかと……そう思ったんだ。
そして、俺を助ける為にそれを引き換えにしたのだと、
本当になんとなくだが、それだけは分かるんだ」
「……っ」
「だが、この世界で暮らしていた君の幼い姿も見えた気がした。
君は何者なのだろう、俺と同じ世界にこうして息づいているのに、
ユリアの魂は異質な部分もある気がする。そう思ったが君を手放したくはなかった」
それは……二人分の“ユリア”の記憶だろう。
見えたのは断片的なもので私の世界のものが多い、鉄でできた乗り物や学校の風景、
家族と過ごした思い出とか、それにはアデル様を傷つける事や、
タブーとなる件は幸いにして含まれていなかった。
けれど、相当な覚悟の上で私がこの場に居るのだと、アデル様は気づいたのだろう。
「花嫁の幸せを願うなら、君を手放してやるべきなのだろう。
俺の持てるすべてで、帰るべき場所へ送ってやるべきだと。
……だが、俺は君の望む場所へは共にいけないのだと、そう思った」
「アデル様……」
「ユリア、君の残してきた者達に会いたいか?」
私は戸惑い……それでも素直に頷いた。
今を生きる事を決めた。でも、大切なものがあの世界にあったのも事実だ。
記憶の欠片を見てしまったアデル様に、嘘はつけない、つけなかった。
「そこには……君の幸せはあるのか?
何があっても君を愛し、守ろうとしてくれるものは?」
それはまるで、以前アデル様が問いかけてきた言葉に似ていた。
「……私を取り巻いていた世界は、とても優しいものでした」
だから私は、言葉を選び、話せる内容だけを話した。
もう一人のユリアがその存在を明かせない代わりに。
同じ真名で別の時代を、世界を生きてきた結理亜としての物語を。
「別の世界で、私は違う人生を歩んできました。
幼くして兄を亡くし、その分も私を可愛がってくれた両親が居ました。
兄の代わりに私の事を妹分として見守ってくれた先輩も、でも……」
「センパイ……“アオヤナギ”出会った頃に君が言っていたものか」
「はい」
「俺に似ていたのか?」
「ふふ、声だけ似ていますね」
そう言うと、目の前のアデル様は複雑そうな顔をした。
頬に触れてくるアデル様の手を、私は上から重ねる。
「でも、誰かをこんなに大事に思う事はありませんでした。
私はそんなに器用な性格じゃないから、そこでは恋愛をする余裕もなくて、
なにより、私を一人の女性として愛してくれる人は居ませんでした。
……アデル様以上に愛せる方も居なかったんですよ?」
私に誰よりも価値を見出してくれたのは、他でもないアデル様だけだ。
「お気づきの通り、私は前の姿も立場も居場所も失ったけれども、
でも、大丈夫です。今はこうしてアデル様が居てくれるから、
私はもう一人じゃないから……それだけで」
「ああ、ありがとうユリア……大切にする。
失ったものを埋める事はできないが、君の好きなものをたくさんここで作ろう」
静かに頷いて並んで歩き出す私達、建物の外へ出る際に、
ふとアデル様は何処までも広がる青空を見上げて、こう呟いた。
「……そうだ。君は失ったものは確かに多いが、変わらないものがあるな」
「え?」
「姿かたちは変わっても……君のその声は、今も同じだ」
「あ」
「……俺は、ユリア、君の明るい声が好きだ。優しく語りかけてくれる声が好きだ。
ずっと傍に居て、もっともっと聞いていたいと思う。
そう、人間の言葉で確かそういうのを“ファン”というのだろう?」
「――っ」
まさか、こんな所でそんな言葉を聞くとは思わなかった。
役者を目指していた頃、いつか私の声にファンになってくれる人が居ればいいなと、
志す者なら誰しもが抱いていたその願いを思い出す。
そうか、ならアデル様がその一人目になってくれたということなんだ。
「あのころの夢……これで全部叶いました」
自分の声が好きだと、そう言ってくれる人がいつか居てほしいと願っていた。
まさか最後の願いまで、別の形で叶えてくれるとは思ってもみなかった。
この世界は私の沢山の願いを叶えてくれた、とても大切な場所だ。
だからこれからも大切にしていきたいと、私はそう思えた。
「共に生きよう、ユリア、この地で俺と共に」
「はい、アデル様」
差し出された手に自分の手を重ねる。
互いに故郷から離れて、違う生き方を決めたのは、紛れもない私達だ。
繋ぎ合うその手を握り締めて、私達は再び前へ歩き出した。
ここで出会った沢山の出会いと縁に、感謝をしながら……。