繋ぎ合うその手を握りしめて・3
3度目の鐘が鳴り、婚姻の告知義務はこれでようやく最終の義務を終える。
有無を言わせぬアデル様の強固な意思表示によって、
3度目には起きていた騒動もすっかりとなりを潜めた。
……いや、騒動を起こそうものなら、その報復が恐ろしいからなのだろうが、
平穏無事というのはありがたいものなので、放っておくことにした。
誰だって魔王様より強いと思われている英雄扱いのアデル様に対して、
力で叶う人は居ないと言われているからだ。勿論その通りなのだろうけれども。
しかし、これで結婚秒読み段階となったことで、
マリッジ何とかの症状に見舞わられた方が居た。
一応前もって先に言っておくが私のことではありません。
ええ、私ではないんです。
そう、その不安に駆られていたのは他でもないあの方で……。
「……ユリア……」
「あ、あのアデル様、私まだ仕事が……」
「他のものにやらせればいいだろう、俺はユリアに触れていたい」
耳たぶを甘噛みしてきたと思ったら、人の膝をなでてきたりして、
そのまま首筋に顔を埋められ、抵抗しようものならキスをされ、
肩がびくりと上下して呼吸が乱れるが、逃げる隙を与えてはくれない。
「ああ、まだ震えているな……大丈夫だ。ユリアが怖がるようなことじゃない」
私の手を取り、指先や手の甲にまで口づけしてくるアデル様。
「は、あ、あの……アデル様?」
言ってくれることは紳士なのですが、触れてくるアデル様の手がどうもあやしい……。
一瞬でも気を抜こうものなら、そのまま寝室へ連れて行かれるのではないかこれは。
まごまごしているうちに、私の履いていた靴を大事に大事に脱がした挙句、
足の甲に、うっとりとした顔で口づけまでしてくるんですよこの人……!!
(絶対にこれ! ユーディのコレクション小説を読んで影響されたんだ!!)
以前のアデル様なら、こんな芸当やらなかったもの。
そのまま当然のようにスカートの裾に手を掛けようとしていることに気づき、
それまで羞恥で固まっていた私は、ようやく我に返って彼の手を必死に止め、
アデル様の誘惑を必死に防いだ。ここで負けたらアウトだアウト!
くっ……まさかこんな所まで来て、演技力が要求される日が来るとは!
「ま、まだ駄目……です。アデル様」
――なんて、うるうるっと(恥を我慢して)瞳を潤ませた演技をして断ってみたら、
「……っ!」
……一応は止めてくれたけれども、
アデル様が頬を染めて余計に興奮した気がするのはナゼだ。
あれ、諦めるどころか逆効果な事をしてしまったんじゃないか。私。
しかもこれやると私の方に精神的にダメージが来るわきっと。
(そもそもなぜ私が、こんな恥ずかしい事をせねばならんのですか!)
アデル様は人間の様式での婚礼を挙げてくれる事には承諾してくれたけれど、
それ以外については思考がやはり野生よりなんだよね。
形式だけ人間の夫婦になるまでの工程に従ったふりをしているけれども、
既に夫婦の関係になるのは先になっても、なんら問題ないのだと言う思考回路となり、
あろうことかルディ王子様もそれを後押ししているようなので、
こうして毎日、毎朝、毎晩のように私を誘惑してくるようになった。
「ユリアはもう俺の婚約者だろう?」
「……ひゃっ、で、でもですね……」
「ユリアは俺の事だけ……考えていれば……いい。
ああ、恥ずかしいのか? それなら大丈夫だ。
他の者が入ってこないよう、周辺には小型の結界が張ってある」
耳を舐められ、有無を言わせずアデル様によって唇を重ねられる。
現在、私の右手はアデル様の指と絡んでソファーの上に固定されていた。
そして執拗なまでに繰り返されるこの行為。最早逃げるすべも断たれている状態です。
アニマル思考で言うなら、これは親しい間柄の毛づくろいの一環なのでしょうけども。
(お、おかしい……私は先程までふつうに部屋の掃除をしていた筈なんだ)
それなのに突然持っていた箒をアデル様に取り上げられ、更に気づけば、
私はそのままアデル様の私室へと有無を言わせずに拉致されてしまい、
我に返った時には既に押し倒されていた。
頬に口づけをしてきたり、首筋に唇を這わせたり、
匂いを嗅がれたりはいつものことだけど……。
私の髪をすくいあげて、それに唇を寄せるという事まで目の前でやってのけた。
(うわあああ!)
羞恥に染まって震える私の耳元で延々と愛しているだの、君だけだの色々囁くのもされた。
そう、それはまるで……物語でよくある恋人たちの逢瀬のシーンそのもので。
未だ慣れない私はこの求愛行為にもじもじと反応させながら、
この場をどう切り抜けるかと考えていた。
私……今日こそ本当に危ないのではあるまいか? と本気で考えてしまうよ。
それというのも私が彼を拒否するのを良しとしない、
“ある強い意思”が私の中で働いているからだった
「俺から逃げないでくれ、君だけが俺の幸い、俺の花、俺の、俺だけのユリア……」
いや、逃げたくても無理ですからアデル様。
逃げようにも逃げられないこの状況、何度も口づけられたりして、
今はもう体に力が入らなくなっているのに……というか耳元に囁かれる事だけで、
私は腰がくだけそうだよ。イケメンテロリズムの威力がすごいよ。
時折強く吸い付かれているから、きっと後で赤い印が出来てしまっているだろうな。
「あの、式でドレスが着られなくなってしまいますから」
「善処する……隠れる所ならいいのだろう?
でも大丈夫だろう。俺の体が治癒の道具になるからな、すぐ治せる」
そこで止めようとは思わないの!?
ちょっ、服に手を滑り込ませるのはだめだから!
「ユリア……俺は君が欲しいんだが、その手を離してくれないか?」
「……」
必死にぶんぶんと顔を左右に振って、拒否の意思を示す。
無言で見つめられる事数分……やがて諦めたように溜息を吐かれた。
というのも3度目の告知は花嫁、もしくは花婿が逃亡できるラストチャンス。
誰もそんな発言をした覚えはないのだが、
この期間は特に婚姻を控えたものは特に慎重になるものらしい。
まあ、実際に、この期間に冷静になって取りやめるケースもあるそうだけれども。
(例えば、駆け落ちしたり、相手の本性を知って婚約破棄したりとかね)
アデル様はその話を誰かから聞いて、心配になってしまったようだ。
3度目の告知を行った直後、アデル様はルディ王子様の許可の下、
騎士団の仕事を無理やり強制的に休むことにしたらしく、
その代わりに私をかまい倒す(実際に倒されている)と言ったらあれなんだけれども、
私が式の日まで逃げたりしないように、私を束縛するようになったのである。
――こんな事をしなくても、私は逃げたりしないんだけどね。
むしろ、アデル様の為にこの世界に留まる事を決めた私としては複雑だ。
「いつも君は……気づいたら俺の手の届かない所に行ってしまうから……な……」
「それは……不可抗力で……」
言葉を遮るように口を塞がれてしまった。
「人間の雄より大事にするから、だから俺を選べ、ユリア」
――選ぶも何も、私はもうとっくに貴方を選んでいるんですが、アデル様……。
なんて言いたいのに、言う隙すら与えてくれない、我が婚約者様。
(私がアデル様の楔だっていうけど、全然制御出来ていませんよ私!!)
バンバンと彼の背中を叩いて抗議の意を示すも、彼はどこ吹く風だ。
ごりごりと私の羞恥心を刺激し、気力体力をアデル様に飲み干されている気分だった。
まさか私が逃げる為の体力を奪うのがそもそもの目的でやっているのか、この御仁は。
その代わりに注がれているのは、祝福を受けている今なら分かる。
これは龍のマーキング行為で、それもかなり念入りに施されている辺り、
すごく執着しているのがうかがえる。淡い紫色の粒子が私の体の周りを包み込むのを、
私は自分の瞳からしっかり見ることができていた。
(本気で嫌がることができない私も悪いんだけど)
彼の両腕に手を添え、ついついアデル様の我儘を許してしまう。
「アデル様……」
アデル様が私にこんなことを強いるのは、
未だに彼の心の奥底に眠る深い傷があるせいだろう。
かつてのユリアが彼の魂に刻んでしまった。喪失の傷を彼は本能で覚えているのだ。
だから私がその気になったら、神鏡で彼のマーキングでさえも消して関係を消化し、
出会った頃のように突然いなくなってしまうのではないか、
そんなことが起きるのではないかと、アデル様は恐れている。
いや、実際にやろうと思えば出来るかもしれないんだけれども、
試そうなんて私は一度も思ったことがないんですが。
(そもそも神鏡でも、絆で紡がれた縁だけは消せないようだし)
「アデル様……」
「俺の前からいなく……ならないでくれ……」
頬に手を添え、潤みそうなその瞳で見下ろす彼は私の心を捕えて離さなかった。
(そ、そんな瞳で言われると……っ!)
まるで、アデル様と別離したあの出来事を思い出してしまうではないですか。
人間達の悪意によってユリアが殺され、狂っていくアデル様の慟哭の声が私の中で蘇った。
思わず身をよじってしまったら、アデル様が腰を掴み、再度アデル様の方へ向かされる。
「駄目だ。ユリアは俺を見ていてほしい」
「アデル様……」
アデル様は不安からか、最終告知をした直後から私に外出禁止令を出した。
たぶん式をあげるまでは屋敷から一歩も外に出すつもりはないのだろう。
頭では理解していても、魂に刻まれた恐怖がそれを突き動かしているようだ。
(私がアデル様から逃げるなんて、そんな事ありえないのに)
――こんなに誰かを好きになったのは、あなただけなんですよ? アデル様。
龍と人間の婚姻は慎重にならなければならない、そうラミスさんは以前教えてくれた。
人間は短い命で沢山の恋をしやすいが、龍は数が増えすぎて縄張り争いが激しくなったり、
体を維持するための食料の確保が困難になり、生きていくのが難しくなる可能性がある為、
恋をするのは1回のみと限られている。
ただでさえ黄金龍になり、魔王すら凌ぐ力を手に入れたアデル様。
そう簡単にあの姿になる事は出来ないとは思いますが、
もしも私がアデル様との婚姻に怖気づいていなくなったら、
私を探す為にその力を使ってあらゆるものを破壊しつくすのではないか、
第二の魔王になってしまうのではないかという危惧も含まれていました。
そんな訳でですね。私、生贄よろしくってルディ王子様からも、
念入りに言われておりまして、
『絶対に逃げないでね。逃げたくてももう遅いからね』
……って言われているんですよ。
彼の正体を知っている人からすれば、花嫁とは生贄の娘という構図になるらしいんです。
(きっと本気で私が逃げようとすれば、ルディ王子様は私の敵になるな)
連れ戻してアデル様の元へ送り届ける事は、容易に想像できそうだ。
言っておくけれども、私、そんな事をしたいなんて考えてないんですけどね?
「アデル様……あの……まっ」
「ユリア、ユリア、俺のものだ。誰にも、誰にも渡さない」
(でも熱烈な抱擁に耐えなきゃいけない、この私の身にもなってほしい!)
神鏡が婚姻すら邪魔してくるのではないかという不安から、アデル様は現在、
出来る限りの抵抗を見せ、私が逃げないようにとあらゆる手段で束縛している。
そのせいで今、私はアデル様に襲われていた。喰われているも同然だった。
いえ、そんな言い方どうかと思ったんですけど、それ以外にどう説明できようか。
消されるかもしれないと、連れて行かれてしまうのではないかと、
何度も何度も私の魂に執拗にマーキングの印を付けているのだ。
彼の誘惑に必死になって抵抗を試みる一方で、
いっそ彼を安心させる為にも、ここで受け入れてあげてはどうかという考えも過る。
その理由はユリアそのものの本能が働いているせいだ。
(“あのアデル様がこんなに求めてくれているんだから”)
……なんて思いが浮かんでくるのだが、
結理亜としての意識がそれを必死に留める、理性という名の防波堤になっていた。
これはきっと私の半身が、アデル様の誘惑にあっさり簡略されたのだろうな。
(くっ……そうか、彼に愛されなかった記憶もユリアにはあるから)
むしろアデル様に愛されるのなら、ユリアとしては万々歳な展開なのかこれは!
ガンバレもう一人の私! このアデル様の色香にここで負けてどうするんだ。
私達は数々の困難を乗り越えた同士なのに! ここで最強の伏兵がアデル様だったとは。
流石はメインヒーロー兼ラスボスのアデル様、その実力は伊達じゃないね!
最近になって気づいたのだが、元々ユリアという存在は、
「アデル様を完全には拒否できない」という恐るべき体質があるようだ。
隠し設定、隠し体質ということだろうか、ことアデル様に対しては本当に弱い。
ユリアの弱点イコールアデル様なのだ。
(前のユリアだったら、アデル様の為に喜んで身を捧げているよこれは!)
それを自覚したのは、もう一人の私が持っていた因果まで引き継いだせいだ。
つまり、彼が本気で要求する事には体の行動が制限されてしまう。
だから逃げられる確率も制限され、この状況に翻弄されている。
アデル様のフェロモンには勝てる私でも、この体質には勝てないと言う状況なのである。
その上アデル様はマーキング効果からか、私を魂レベルで愛でている状態なのだ。
頬に口づけされようものなら、体を通り越して魂にまで口づけしているというわけ。
受ける感覚は約2倍……これでは本気で逃げようがない。
この深く交わされるこの口づけ自体が、アデル様の印を私に付けるものなのだと、
なんとなく分かるようになったけれど。
(こうなってしまったのは、私のせいだから)
アデル様が不安がるのは仕方ない事なのだろう、
一度ユリアはアデル様を残して目の前で死んだ事がある。
記憶はなくても不安は残してしまった。
それを癒してあげられるのは、きっと今いる「ユリア」しかいないのだ。
「……私は居なくなったりしませんよ? アデル様」
だから、頬に触れる彼の手にすり寄るように、私は手を添えて瞼を閉じる。
アデル様の危惧はもっともなのだ。私は神鏡と、そして自分の真名が、
“亜”らゆる“理”を“結”ぶというものがある限り、別の未来を結ぶ事も出来ると思う。
それはすなわち、私が水上結理亜としてやり直せるという別の未来も、
きっと今なら望めば出来ると思うんだ。その抜け道を作り、帰る道が。
(でも、そんなこと私にはできないよ)
その副作用がどんな弊害をもたらすかは、私には分からない。
ただでさえ、一度あった事を無にすることは……私達の出会いがなかったことには出来ない。
両親には会いたいとは思うけど、アデル様を見捨てでも元の世界に戻りたいと、
そこまではどうしても思えないのだ。そう思えるだけの想いがもう元の世界にはないから。
時間の経過とともに、私はユリアとしての意識が強くなってきたせいでもある。
もしも元の世界に戻れたとしても、私も彼への想いを消し去る事はできないだろう。
この役が終わったら、元の自分に切り替わるようなことはできるわけがない。
(だから耐えろ私、耐えるのです!)
……しかし、いくら婚姻を間近に控えている身とはいえ、これはまずくないか?
いや、既に婚約者といつも添い寝している段階でもう遅いのだろうが。
一応、一つ屋根の下で過ごしているとはいえ私は嫁入り前なんだよアデル様、
まあ、もう責任とってもらうつもりだから、いいのかな? いいか。
(いや、まだよくないし! 危ない危ないユリアの意識に引きずられる所だった)
悩んでいる間にアデル様の手の動きが……え?
ちょっと待ってと言おうとしたら、アデル様は私の額に口づけしながら、
私の胸元のボタンを手際よくプチプチ外してきたので流石に叫び声が出た。
うああああああ、そこはまだダメ! 何てことするんですか――っ!!
私がパニックになりかけた叫び声をあげる一歩手前で、
アデル様は、はだけた人の胸をじっと見下ろしてこう言った。
「……おい、そろそろ俺と代われ」
「……キュイ?」
「ユリアは俺と過ごす。だからどけ。お前は邪魔だ」
あ……そういえば私の胸元にはアデル様の分身、
マスコットサイズになっているちびちびアデル様がいたんでした。
龍の子を育てるという、人間の娘の精神的なショックを緩和させる為、
私は疑似親子ごっこを、このちびちびアデル様にやってもらっていたんですよね。
アデル様もユリアが乗り気ならって、少し嬉しそうに協力してくれたんですが。
(いかんいかん。母が子ども(仮だけど)が居るのを忘れちゃ駄目だわ)
「キュイ」
中身がアデル様の分身だって事は分かっているんですが、
こうなんでもかんでも小さいと、どうしても顔がにやけてしまいます。
しぐさの一つ一つがもう可愛らしいのなんのって。
ただ、アデル様の声で話されるとイメージが台無しになるので、
普段は、龍の鳴き声がいいとお願いしたら、すんなり応じてくれましたよ。
……ちびちびアデル様、何気にプロ意識が高くて役者の才能があるわ。
(分身のアデル様は、色々な側面が顕著に出てくるようですね)
ぬいぐるみのちびアデル様は、無邪気で本や周りに影響を受けていたりするし、
マスコットのちびちびアデル様は、甘えん坊な所が出てきているようです。
(そして、その総合が……目の前のアデル様になると)
一番小さなちびちびアデル様は、仕草がとても幼さを感じますね。
前足をたどたどしくも、ちょこちょこ動かしている姿がまさに幼児で、
ついつい中身がアデル様の分身だという事を忘れてしまうんですが。
「……」
「……っ!」
目が合ったアデル様ズはお互いににらみを効かせ、
ちびちびアデル様は、私と離れるのが嫌だという意思表示で、
私の胸にぎゅっとしがみ付き、ぷるぷると顔を左右に振って拒否の意を示し、
まるですがるかのように、私の方をじっと見上げてきた。
「か、可愛い……っ」
その姿はまるで母と離れたがらない幼子そのもの。
でも、そんな可愛らしい子供役になってくれている分身でもある存在に対し、
本体のアデル様は無情にも有無を言わせずそれを掴みあげ、
背後にぽいっと放り投げてしまった。
ああっ!? 私のやや子(仮)になってくれていた、ちびちびアデル様がっ!!
「アデル様、私の子(仮)になんてことをするんですか!」
「あれは俺の分身だが、ずっとユリアのぬくもりを独占していて気に入らん」
子どもですか! と思わず叫びたくなった。
感覚は共有しているんだから、どっちもアデル様じゃないですか。
「キュイ!」
飛んで戻ってきたちびちびアデル様は、放り投げられて怒ったらしく、
本体のアデル様の頭をぽかぽかと叩いたり、髪を咥えてあむあむと引っ張ったり、
キュイキュイ鳴いて反抗しておりました。
ぬいぐるみだし、本物の爪も出していないから、
たいして痛くはないでしょうが、見ていてやっぱり可愛いと思う。
(お屋敷の中だから、建物を壊すような事を控えてもらっているのもあるけど)
ちびちびアデル様は、その点は良い子に守ってくれているんですよね。
……良い子にしていると、私に甘えられるのを知っているせいでもあるが。
ああ、母親を父親に取られた子供ってこんな感じでしょうか。
そんなことを微笑ましくも考えていたら、
ちびちびアデル様の反抗を受け、睨み返すように顔を上げたアデル様は、
むんずと自分の分身を右手で掴み、すうっと大きく息を吸う。
すると目の前のちびちびアデル様の動きがぴたりと止まり、
かたかた震えた後、くたりと上半身が垂れて、
……そのまま動かなくなってしまった。
「あ……」
――私の、私のちびちびアデル様がああああっ!?
私の涙腺は崩壊した。
「……これでいい、自分にユリアとの時間を邪魔されてたまるか。
さあ、おままごと遊びは終わりだ。ユリア……おいで?」
ころんとベッドのわきに転がったちびちびアデル様……のマスコット、
本体へと吸い上げられ、今は空の状態のマスコットが転がっていた。
可愛かったのに……とちびちびアデル様のマスコットに手を伸ばし、
とても残念がる私の心情をよそに、当の本人はと言えば、
「また用意してやるから」と私を引き寄せ、頭をなでてきて、
先ほどのちびちびアデルがしていたように、胸元にぽふっと顔を埋めてきた。
うわあああっと悲鳴を上げて、彼を思わず突き放そうと上げた両手だったが、
とても幸せそうなその顔を見て、私の手は宙をさまよった。
(そうだ……あの小さい子はアデル様の分身だから)
元々寂しがっていたのはアデル様の気持ちの一部でもあるんだよね。
ずっとこれまで、アデル様は寂しく辛い思いをしていたんだと思うと……。
「……」
ぱたりとソファーの上に手を落とす。ええい、ままよ。
触れられるごとにビクビク過剰に反応して顔を赤らめながらも、
私はアデル様が触れてくるのに耐えた。人型だから意識してしまうんだよこれ。
龍体だったら、ただの毛づくろいじゃないか、うん。
「ああ、ユリアの体はどこもかしこも本当にやわらかいな……。
鱗で覆われていないむき出しのこの肌は、脆くて直ぐに傷つきそうで、
壊れてしまいそうで……前は触れるのも怖い位だったが、
こうしていると温かくてとても安心する」
それはアデル様が、小さなアデル様を作ってから知った経験らしかった。
「ア、アデル様、本当に子供が出来たら、絶対にあんなことしちゃだめですよ?」
もしそんなことしたら、私は本気で怒りますからね?
「……分かっている。それとこれとは別だ。我が子は庇護するべきだからな」
本当だろうか……と内心では思いつつ、私はアデル様の頭をなでた。
自分と張り合ってどうするんだろうか。なんていまさら言っても遅いよね。
私はアデル様の気持ちが収まるまで、私はアデル様をぎゅっと抱きしめてあげた。
だがしかし、自分の胸の谷間からアデル様の顔が見えるのは刺激が強いわ。
「もうすぐ……本当にユリアは俺の花嫁になってくれるんだな?」
「は、はい」
「そうか……ならいい。
それにしてもユリアは子作りに協力的なようで安心した」
「え?」
その言葉に顔がかっと赤くなったのを自分でも分かった。
私の叫び声はアデル様に飲み干され、その日もしっかりとマーキングされた私でした。
……が。
「オレ、コロス!」
間もなくのこと、突然の来訪者はやってきた。
ぬいぐるみタイプのちびアデル様が結界をドアごと蹴破って乱入し、
右前足には食器用ナイフ、左前足にはフォークを器用に握って飛び込んできたのだ。
なんでそんなものを握っているんだろうと思っていたら、
ちびリオさんを抱えたアンが後から追いかけてきて教えてくれた。
「さ、さっきパンケーキを皆で焼いてお茶にしていたんですが、
突然小さいアデルバード様が飛び出して行って……」
「ユリア、アブナイッテ、イッテタ」
分身その1である、ぬいぐるみアデル様、別名ちびアデル様は、
普段依り代で使用しているぬいぐるみから出てしばしの間、
ちびリオさんとパンケーキを仲良く半分こして食べていたらしい。
(ああ、だからこの子達、お口の周りがジャムとかでべたべたなのか)
しかし、その恰好では食べられないはずなんだけど?
なんて思っていたら、後からそれに気づいて依り代のぬいぐるみから出て、
ちび龍の姿で食べていたらしいのだ。勿論ちびリオさんも。
(パンケーキが出て嬉しくて、つい飛びついちゃったのね。それって)
ちびリオさんは、パンケーキの欠片を前足でしっかり持っていたけれども、
追いかける際にぬいぐるみ姿に慌てて戻ってしまっていたから、食べられない事に気づき、
心なしか少ししょんぼりとして、パンケーキをじっと見つめておりました。
人間の世界の食べ物がとてもお気に召したようですね。ちびリオさん。
で、ちびアデル様達のおやつタイムの隙を狙って、
本体のアデル様が私に急接近し、迫っているのが一瞬伝わって見えたので、
慌てて妨害と私の救出に来たとのこと。
……って、本体が死んじゃったら、ちびアデル様も消えちゃうんだよ!?
「ユリアドクセン、スルナ!! ハナレロ、オレ!!」
「……ユリアは元から俺のものだ。お前もさっさと戻れ」
「イヤダ! オレモ、ユリアトイッショダ!
キサマ、サッキ、カンカクシャダンシテ、ユリアドクセンシタナ」
「ユリアは恥ずかしがり屋だからな、他の俺に覗かれていてはたまらんだろう。
お前達と共有していたユリアとの感覚は切らせてもらった」
……アデル様、また変な所で才能の無駄遣いを。
でも結局、バレてしまったようですけど。
どうやら、ちびちびアデル様が本体のアデル様によって消される時に、
ちびアデル様の方に救援信号を出したようです。
変な所ですごい連係プレーをしているんだね。この子達。
「オレ、ユルサン、キエロ!」
ぴょーんっと宙へと飛んだちびアデル様は、
持っていたナイフとフォークを、本体のアデル様へと投げつけ、
それを私に覆いかぶさっていたアデル様はさっとよけた。
すると投げられたナイフは壁にダンダンッと突き刺さる。
両者にらみ合いの中、そのまま取っ組み合いの喧嘩になった。
私はこれ幸いと思い、いそいそと胸元のボタンを締め直し、身なりを整え、
転がっていたマスコットのちびちびアデル様を回収し、
アンとリオさんと共に、部屋をこっそり後にしたのは言うまでもない。
「ねえユリア、良かったらユリアもパンケーキ食べる?
ティアルちゃんがね。ラルクスの実のフルーツソースも欲しがったから、
それも皆で作ってみたんだ。甘さ控えめで美味しくできたの」
「うん、いただこうかな」
その後私は、アンのお誘いに応じて、
余りのパンケーキを分けてもらいご機嫌を直した。
ああ、美味しい……平和って素晴らしいね。うん。
遠くで激しい物音がするけど、知りません。
※ ※ ※ ※
……しばらくして、どうやって勝負に勝ったのか、
ぬいぐるみのちびアデル様が私の部屋にたずねてきて、前足をこちらに伸ばし、
ちびちびアデル様のように抱っこをせがまれたので、それに応じてあげた。
すると先ほどのアデル様よりも過激……いえ、激しく胸元に顔を埋め、
ぐりぐりとして甘えてくるちびアデル様の姿が。
「ホカノ、オレバカリ、ズルイ」
「ひああああっ!? あの、あの、ちょっと!?」
「シフク」
張り合っている……自分同士なのに、他のアデル様と張り合っているよこの子。
それでいて、うっとりと恍惚状態になってしまった気が。
前足でぽんぽんっと、私の胸の感触を触って確かめてもいるようなんですが、
……中身があのアデル様なのに、この姿だと怒る気にならないのはなぜだろう。
「ユリアハ……チイサイオレダト、サワッテモ、オコラナイナ」
「そ、そんなことないですよ?」
指摘されてぎくっとし、声が裏がってしまいました。
「イヤ、イイ、コノスガタ、ユリアガヨロコブカラ。
オレモ、コノスガタナラ、ココロオキナク、フレラレル。
ソレニ、ホンタイノオレニ、カッタシナ」
「は、ははは……」
そうですねー……人型のアデル様だと色々抵抗してますものねー……。
だってこの姿は龍の子供みたいで可愛いんだもん。仕方がないじゃないか。
「……ユリア、キョウハ、トモニネテ、イイカ?」
「え? はい、いいですよ。でも本体に戻らなくていいのですか?」
いつも夜眠る時は、アデル様の本体に戻っているんですが……。
すると、ちびアデル様はぷるぷると首を振って嫌がっておりました。
「アイツハダメダ、ユリアドクセンスル」
「えっと、でもご本人、いえ龍には違わないんじゃ?」
「オレハ、ユリアト、コウシテ、ネタイ。ダメ……カ?」
……と、ぱふっと胸に顔を埋めたあと、
しおらしく此方を見上げてくるアデル様が。
「……っ!?」
か、可愛すぎる……っ!?
だ、ダメだよ。中身はあのアデル様なんだよ。騙されちゃ……。
「イツモ、アッチノオレガ、ユリアドクセンスル、カラ」
そ、そんな首をかしげて上目づかいで聞いてくるなんて反則だわ。
「ユリアガ、イヤナコト、オレハ、シナイ、ムリジイモ、シナイ」
……ダメかと、目の前でしょんぼりするちびアデル様が。
――なんて良い子なのっ!?
(もしかしてこの子はアデル様の良心なのかしら?)
はい、あっさり陥落しました私。もうどうにでもなれです。
そう言えば最近は、ちびちびアデル様をずっと懐に入れていたから、
こっちのちびアデル様がやきもち焼いたのでしょうかね。
……そうか、弟が出来たお兄ちゃんってこんな感じかな。
(……お兄ちゃん。で、いいんだよね?)
物理的に先に生まれている訳だし。
「分かりました。じゃあ今日はちびアデル様と一緒に寝ますね?」
そう言うと、ちびアデル様は、ぱっと嬉しそうに私を見上げ、
小さなしっぽを上下にたぱたぱ揺らして喜んでくれた。
その姿、まさに小動物。
(可愛い、可愛すぎる。この子本当にアデル様の分身なのかしら)
とりあえず、お口のべたべたを洗ってあげなくてはね。
私の服にも付いちゃったからエプロン外さないと。
そんな訳で私は、ちびアデル様を抱き上げて浴場へと向かうことにしました。
その夜、私は久しぶりに小さなちびアデル様を腕に抱いて一緒に眠った。
ティアルじゃないけど、童心に戻ったようで落ち着きます。
子どもの頃はこんな風にぬいぐるみのを抱いて寝たんですよね。
うつうつとまどろみながら私はそう考え、やがて夢の中に入っていった。
……が、事態はそこで終わらなかった。
深夜、ただならぬ奇声と悲鳴と轟音にたたき起こされ、
気づけば傍でべったりくっ付いて眠っていたはずの、
ぬいぐるみのちびアデル様が居なかったのに気づく。
「あれ……ひっ!?」
代わりに暗がりの中に居たのは、背中をこちらに向けて立っている男の姿。
不審なその姿に驚いて慌てて起き上がり、月明かりに目を凝らしてみてみれば、
仁王立ちして天井を見上げているアデル様だった。
「あ、アデル様? び、びっくりするじゃないですか」
「……」
ゆっくりと振り返ったアデル様は機嫌が悪そうだ。
さっきまで彼が見ていた視線の先をたどってみれば、
ぷらーんと天井に頭部を埋め込まれたちびアデル様の姿が。
「あ、ああああっ! 私のちびアデル様になんてことをするのですか!」
すると押し殺す声でこの方はこう言ってのけた。
「あいつは、俺のユリアがあの姿に弱いのを利用していたようなのでな。
俺の花嫁を分身に寝取られてたまるか、それも毛玉の」
「寝取られるって……添い寝をしていただけですよアデル様……。
それにあの子はアデル様の分身じゃないですか」
「分身でもゆずれないものがある。中身が俺だけに、
ユリアへの執着は蛇よりも強いからな、こっちの俺はユリアに触りすぎだ」
「え、でも中身はアデル様だし、アデル様だってさっき……」
「さあ、もう一匹の俺は放っておいて、一緒に寝ようユリア」
「む~……」
両腕を伸ばしてきたアデル様に私は枕を投げつけた。
いい加減にしないか君達! 同じ声と中身でややこしいんですよ!
だから私は、今日はちびアデル様と眠る約束だからと言って、
部屋を飛び出してはしごを調達、天井からぶら下がったままのちびアデル様を救出すると、
ちびアデル様はアデル様に対し、キシャ―ッと威嚇の声を上げ、両足をじたばたさせる。
「どうどう、ちびアデル様」
私がそれを制し、キュイキュイ鳴くちびアデル様を抱きしめて頭をなでた。
するとちびアデル様の動きがピタッと止まった。
「ユリア、スマナイ、ユリアノネムリ、マモレナカッタ……」
そう言って、しょんぼりしているちびアデル様に哀愁が漂う。
そんな子をどうして放っておけますか。
「ユリア……そいつの事は放っておいて……」
「いやです。分身でも私にとっては大切なアデル様に違いありませんから。
この子を傷つけるってことは、ご自分をないがしろにするも同然ですよ?
このままここで喧嘩するなら、もうアデル様とは一緒に寝ませんからね」
「なっ!?」
だってそうじゃないか、魔王討伐の際に貴方は私に約束してくれたんだよ。
自分を犠牲にしない、自分を大切にするって、出立する前に約束させたんだから。
ならば、ここに居る小さなアデル様とも仲良くできなきゃダメでしょう。
「さあ、ちびアデル様、怖かったですね。一緒に寝ましょうね?」
その言葉がアデル様にとって決定打になった。
ちびアデル様は嬉しそうに、喉をゴロゴロ鳴らしながら私の胸に顔を埋めて眠り、
一方アデル様は、私の背後から私を抱きしめるような形で眠る事になった。
……背後でぎりぎりと歯ぎしりするような音が聞こえたけど、知らない。
うんそう。私は知らないふりをして今度こそ朝まで寝ました。
そんなこんなで私の慌ただしい一日は、今日もなんとか過ぎていく。
※ ※ ※ ※
2日後、私はアデル様の溺愛行為から解放してもらい、
なんとかして外出の許可をお願いしてみることにしました。
彼の故郷……彼の名前の元になったルーデンブルグへ連れて行って欲しいと。
やはり両家のご両親へのご挨拶はお約束ですからね。私の方は複雑な事情で、
結理亜としては不可能だし、ユリアとしては絶縁状態なので仕方ないとしても、
アデル様にはこの世界の故郷にご両親が居るんだもの。ここはちゃんとご挨拶をしなくては。
「……ぶちのめしに行くのか?」
真顔で返されました。そう言えばアデル様は前に私の父親が見つかったら、
「お前の娘をよこせ」とか言って、戦ってねじ伏せて従わせるとか、
なんだか穏やかじゃない事を言っていたけど……そのレベルで考えているらしい。
野生の龍の婚姻って、なんでそんな殺伐としているんでしょうか。
「いえいえ、菓子折りを持ってですね、アデル様との結婚のお許しをいただきたく」
「その後、俺の父と母を力ずくで屈服させて、
つがいになる事を認めさせようと言うんだろう?
ユリア1人では無理だ。君がのぞむなら俺も一緒に戦おう。
確かに口で言っても納得しない堅物が多いからな、俺の同胞は。
力で訴えるのが一番いいと思う」
だから違いますから! どうしてアデル様はそんな事を考えるんですか!
リオさんが魔王となり城を構える予定だったその地は、かなり荒れ果ててはいたものの、
蒼黒龍の暮らす場所だったこともあり、比較的早く回復が望める場所になっているという。
(きっと行くなら今だと思うんだ)
これまでアデル様は故郷へ何度か顔を出すものの、
彼は家族が戻ってきても故郷へ本格的に帰ろうとする様子はなく、
私を王都で1人にはさせられないという事で、すぐに私の元に戻って来てくれている。
でも婚姻を控えた身の上として、やはりここはきちんとご挨拶に行きたいと思っていたので、
アデル様が先日故郷へ行こうと言ってくれた提案は、
私にとってもありがたいものだった。
リオさんの一件が落ち着いた事で、私はずっと気がかりだったことがある。
アデル様がこの王都へやって来たのは、魔物により故郷を奪われ、同胞を失い、
もう帰る場所が無くなってしまったせいだ。
けれど今は、家族も兄弟も無事に故郷に戻ることができているので、
本当ならいつでも帰れるんじゃないか。そう思ってはいるのだけれど……。
「やっぱり、アデル様の同胞の方達から見たら、
アデル様が人間に加担した形になりますし、難しいことだとは思いますが……」
「そうだな、ユリアを連れて行ったら、君がいわれのない罪で責められるだろう。
ユリアは何も悪くない……だからまだ連れて行くのは」
あの一件は、一部の邪な野望を持つ人間が起こしたものだ。
当然ながら蒼黒龍と人間との禍根は残ってしまったままになる。
いくら人間が彼らの救出に一役買ったのだとしても元凶は元凶。
それまで人間に恨みを持っていなかった同胞の中にも警戒心を持つものも少なくない。
だから人間の娘を花嫁にしようとしているアデル様は、
皆に裏切りともとれる態度を取られているという。
それはアデル様の家族も同じで……戻ろうにも戻りにくいのかもしれない。
私の意識が戻り落ち着いた折にも、一度故郷に様子を見に行ったことがある彼だが、
折角家族と会えたのに、溝が残ったままというのはとても悲しいことだ。
蒼黒龍はその種を守る為に、他の龍とは一線を画した生活をしていたという。
当然ながら、花嫁を持つのなら同じ故郷の群れの中にいる雌と……と考えられており、
アデル様にもそうなると思われていたようだ。
『俺はユリア以外愛せない……だからここの掟にはもう従えない。
彼女がいたから、俺は生きている事の喜びを知ることができた。
孤独だった俺に寄り添い、正体を知ってもなお愛してくれたユリアを俺は手放せない。
人間を恨む気持ちを忘れろとまでは言わない、だがユリアまで憎まないでやってくれ、
あの娘はあの件には関係ない。困っているものに手を差し伸べるとても優しい娘なんだ。
俺や故郷の皆を救ってくれたのは他でもない彼女だ。それを忘れないでくれ』
故郷を失うまで、龍の掟は当然と信じていたアデル様。
でもアデル様は人間の世界に触れ、色々な人と知り合って変わった部分もあった。
その最たる理由が私になるのだろうけれども、彼はかつての暮らしを捨て、
人間の世界で暮らさなければならない私との生活を選んでくれていた。
けれど、当然ながら家族の同意は得られなかった。
花嫁が人間の娘だと知って反対する親兄弟たちに向かい、
アデル様は一瞬だけ黄金龍の片鱗を見せ、驚く同胞に向かいこう言ってのけたと言う。
『――そうか、じゃあ、ユリアと駆け落ちする』
制止する声を振り切り、そうしてアデル様は再びローザンレイツに帰ってきたのだった。
……うん、そこは「縄張りに帰る」って言っておこうよ。
駆け落ちなんて言ったら大げさになるでしょうよアデル様。絶対に勘違いされたよ。
なんて後で経緯を知らされた私はアデル様にそう言って教えたけれども、
『訂正するためにまた故郷に行くと、ユリアと居る時間が削られるから勿体ない』と、
しつこく絡まれるのを面倒くさがって、未だに訂正するのを放置したままなんだよね。
支援の為にあれ以降もこっそり行くことはあっても、家族とは会っていないらしいし。
黄金龍はアデル様の感情の高ぶりによって時折その姿へ変わる事が出来るようだ。
龍の最高クラスである黄金龍となったアデル様、長の中の長と言っても過言ではない、
そのアデル様が「人間の娘を花嫁にする」という決定事項は、
他の龍の異を唱える余地はなく、これで反対する者はいないだろうという事だ。
「なので、ユリアの挨拶は必要ない。ユリアは自分の体を大事にしていればいい」
うん、やっぱり解決方法は力ずくなんだねアデル様。
こういう時、メサージスバードとかで連絡出来れば便利なのに。
野生育ちの皆さまに、そんな事をしたら魔道具を餌と勘違いされて壊されそうなので、
私はぐっと言いたいのを耐えていた。このままアデル様任せにしていたら、余計こじれる気がする。
だからここは私が間になんとか入って、少しずつ親睦を深めてはどうかと思ったのですが。
「――だからですね。ご挨拶はぜひ今のうちにですね」
「必要ない」
「でも……」
「確かに最初はユリアを連れて行こうと思ってはいた。
ユリアなら古い慣習に染まっている同胞とも仲良くなれるかとも。
だが、それよりも重大な問題にぶち当たったからな」
「問題ですか? それは一体どのような……」
「ああ、俺の故郷には蒼黒龍の雄が沢山いる」
「はあ……そうでしょうね」
「ユリアは俺を選んでくれると言ってはくれるがな、
他の雄がユリアを好いてしまう可能性は出てくると思う、
元々が人間嫌いだったこの俺でも君に惚れたんだぞ?
それこそ他の龍を魅了する能力がユリアにはあるのかもしれない」
「えー……それは絶対にないと思いますが」
断言できる。だってそもそものアデル様とのきっかけは、
私が関わったゲームの仕事だったんだもの。
そんな所業が出来るのはメインヒロインのローディナか、
女主人公のアン位だろう。
「いや、絶対にそうなりそうだ。ただでさえ君は紅炎龍の奴らも……。
と、とにかくだ。そいつの息の根を止めなくてはと思ってしまうからな」
そう言いながらアデル様は私の首筋に顔を埋めた。そして匂いを嗅いでいる。
要するに嫉妬するから嫌なのですね……私は盛大に溜息を吐いた。
蒼黒龍だったら誰でもいいわけじゃないのにと言っても、
アデル様はやっぱり不安なんだ。
(私がアデル様を好きでも、他の龍に好かれた場合に面倒だからってことだよね)
アデル様はとても私を労わってくれる方だけれど、
龍によっては強引にさらってしまう者とか、力に訴える凶暴なのもいるらしいので、
私はアデル様の言葉にこくりと頷いた。
仕方ない、じゃあご挨拶は一旦保留にすることにして、
いつか行くときの為に持っていくお菓子のレシピでも研究しようかな。
蒼黒龍は卵料理が好きなようだから、プリンとかでも作って……。
あ、日持ちするように焼き菓子の方がいいかな、木の実を使った物とか。
そんな事を考えていると、自分がアデル様に抱き上げられている事に気づく。
「……アデル様?」
「……ユリア部屋に戻ろうか」
私の額にアデル様の熱が宿る、そのまま頬ずりされた。
「え? あの、いえ、間に合っております」
じたばたと動いて逃げようとしたけれど無駄な抵抗だった。
彼の背後から伸びてきた黒い龍の尾が、私の腰をぐるぐると巻いて逃げられない。
(ひ、人型で龍の尾が出ているの、初めて見た……っ!)
アデル様に聞くと、もうこの屋敷で姿を隠す必要が無くなったからとのことらしい。
その後私は、アデル様に日課となった「毛づくろいという名のマーキング行為」を、
更に念入りに済まされた。
私はやっぱりそんなアデル様の求愛行為に逆らえるはずもなくて、
むしろ受け入れ態勢になりつつある自分を叱咤しつつ、
他のちびアデル様達に助け出されるまで、遠い目をしておりました。
……花嫁修業? むしろどこにそんなことする余裕が?
そうこうしている間に、時間はどんどん過ぎていきました。