幕間 山羊の見た夢
「お義父さん、おとうさ~んッ!!」
「お義父様、起きてください」
耳元から聞こえる声に反応して、私は眼を開いた。
どうやら私は椅子に腰かけたまま眠ってしまっていたらしい。
「お義父様、お疲れですか?」
「いやいや、良い良い気だったのでな……つい、うたた寝をしていたようだ」
「お義父さん、もう準備ができたってお兄ちゃん達が言ってるよ」
「私とアルちゃんでお義父様をお迎えに来たのですけど、大丈夫ですか?」
……準備? 何の事だろう?
私が怪訝な顔をしていると、末っ子のアルベールが私の手を引っ張る。
「ほら、お義父さん!」
「分かった、分かったからあまり引っ張らないでおくれ!」
「こら、アルちゃん! お義父様が困っていらっしゃるでしょう?」
「むぅ……分かったよぉ~! お義父さん、ごめんなさ~い」
カーリサに叱られて、アルベールはむくれていた。
アルベールは素直で良い子なのだが、少々甘えん坊な所がある。
末っ子故に私も甘やかしていた所もあるので、それは仕方が無い。
一方でカーリサは、普段は内気な物静かな子だ。
でも、一つ下のアルベールの前ではしっかり者のお姉さんを気取りたがる。
そんな二人のやり取りを見てて、私は思わず顔が綻んでしまった。
「お義父様?」
「ああ、なんでもないよ。 皆が呼んでいるのだろう?」
私は二人の子供達の手を取ると、家の外へと向かった。
「お義父さん、ご機嫌だね!」
「うむ、お前達から元気をもらったからな!」
「まあ、お義父様ったら」
家から外に出ると、普段は殺風景な家の前の広場が見事に飾り付けられていた。
並べられたテーブルの上には、大量のご馳走や酒が並べられていた。
「お兄ちゃ~ん! お義父さん、読んで来たよ~!!」
「お、アル坊、リサ、ご苦労さん! こっちの準備も大体終わったよ!」
陽気な笑みを浮かべた青年…私の四男、エステバンは二人の弟妹をねぎらう様に、二人の頭をガシガシ撫でる。
エステバンは、いつも明るい皆のムードメーカーだ。
何事も大げさなくらいの表現をする。
”オレは頭悪いから、身振りで表現するしか無い”とよく言っているが、この子は頭で考えるより、感性で読み取る子だと私は思っている。
しかし……この準備は一体?
何かの祝い事なのだろうか?
「提督、どうぞ」
あたりを見渡していた私に、私の部下であるパーヴィルが飲み物の入ったグラスを渡してきた。
「あー! ヴィル兄ちゃん、もうお酒飲んでる!! 馬師匠に言い付けちゃうよ?」
「俺にとっては、ワインなんてジュースと変わらん。 酔っぱらったりしないから大丈夫だ」
「え~、お義父さ~ん! ヴィル兄ちゃんが~!!」
パーヴィルは、普段は冷徹なくせに妙に人間臭い所のある男だ。
仕事中は、元軍人らしく規律正しく冷静なのだが、平時ではこの様にだらける。
我慢強くはあるのだが、ある一点だけ沸点が低かったりと、中々につかみ所の無い男だ。
私は、アルベールを宥めてから、パーヴィルにも”程々に”と釘を刺しておいた。
「お、義父ちゃん起きたんだ?」
「もうすぐ料理も準備が終わるので」
「義父さんは、座って待っててください」
広場の隅で、五男のユリアンと、次男、三男のロッソとヴェルデが料理をしていた。
ユリアンは、自分で狩って来たであろう鳥を捌いて焚火の火で炙っていた。
この子は、何か祝い事がある度に獲物を狩って来ては皆に振る舞っていた。
”皆で一緒にメシを食う時が一番好き”と、笑顔で語ってくれた事もある。
ロッソとヴェルデは、器用な包丁捌きで魚介を調理していた。
この二人には料理の才能があったらしく、最近では家族の料理はもっぱら双子の担当になっていた。
二人で顔をつき合せて試行錯誤している姿は、もはや家族の中では当たり前の光景と化している。
ここでふと、気が付いた事があった。
先程のアルベールやカーリサは元より、今料理をしている三人まで”質素ながら着飾った恰好”をしていたのだ。
普段から着るものに頓着の無いエステバンやユリアンですら、余所行きと言っていい恰好をしていたのである。
「提督、どうです? お言いつけ通り、坊ちゃん達の服装をそろえておきましたよ」
ふと、横から声をかけられた。
横に立っていた小男…物資の仕入れを担当しているエルナンだ。
「いやぁ、全員分の一張羅をそろえるのには苦労しましたよ! 特に馬さんの服は、合うサイズが無くて特注したぐらいですからね」
エルナンは、私の配下の中でも少し変わった立ち位置の男だ。
言うなれば、”我が家の執事”とでも言えばいいのか。
本人もそのつもりの様で、子供達を”坊ちゃん”、”お嬢様”と呼んでいる。
「ああ、提督。 アルマさんから、”此方の準備はそろそろ終わるので”と伝えておいてくれと」
準備?
そう言えば、先程から何の準備をしているのだろう?
「お、そろそろ始まる様ですね。 提督は所定の位置にお願いしますよ」
そう言うエルナンに背中を押される形で、私は広場の中央付近に立たされる。
一体、何が始まるのだろう?
「ほっほっほっ、流石の提督も緊張なされているのですかな?」
”見慣れぬ黒い服を着た”私の知恵袋であるメントル教授が、私の前に立っていた。
メントル教授は、我々の中でも最高齢の人だ。
元々教職者だった為か、自ら進んで子供達の教育をしてくれている。
年少の子達にとっては、先生でありお爺ちゃんの様な存在だ。
「何はともあれ、今日はめでたい日ですじゃ。 提督も”父親”として、精一杯祝ってあげてください」
教授は私に一礼すると、広場の中央に設置された低めの踏み台の上に立った。
「おら、ガキ共ッ!! そろそろ始めるから遊んでないで整列しなッ!!」
突然、私の部下のアルマが近くの家から出て来て声を張り上げる。
彼女も、普段の女らしさの欠片も無い恰好からは想像もできない様なドレス姿だった。
アルマは姉御肌で気風の良い女性だ。
姉貴分として子供達の面倒をよく見てくれている。
男所帯の我々にとっては貴重な女手でもある。
アルマの言いつけに従って、子供達が広場中央に集まって来た。
しかし、これから何が始まるというのだろう?
「ほら、いつもみたいに澄まし顔で出て行けばいいんだよ!」
「い、いや…しかし」
「ああもう、じれったいね!」
アルマに引きずられる様にして近くの家から出て来たのは、私の長男で副官を務めているレーヴンだった。
何時もは、他人から強い印象を持たれない様にと、地味な恰好をしている子であったが、家から出て来たレーヴンは白いタキシード姿をしていた。
何と無く、服に着られている様な印象があったが良く似合っていると思う。
この子…レーヴンは、私がデウス・カルケルに来る前に引き取った、私にとって最初の子供だ。
常に影となって私を支えてくれていた。
私の頼もしき息子であり部下だ。
「主役のアンタが何怖気づいてるんだい?」
「こんな大事にして……僕はいいと言ったはずだが…」
「アンタは良くても、アコはやりたいって言ってたよ! アンタは女の子に恥をかかせる気かい!?」
「ぐ……。 お前達も何か言ってやってくれ!」
アルマに論破されてぐうの音も出ないレーヴンが、義弟妹達に助けを求めた。
「いいかげんに観念しろよ兄貴ッ!」
「オイラもエス兄に同意ッ!」
「私、アコ姉様のお姿、早く見たいです!」
「兄ちゃん、頑張れ~!!」
ああ、なるほど……。
私はここで初めて”今、何がこの場で行われるか”を悟った。
「と、義父さん……」
「お前がそんなではアコナイトが不安がるのではないか? あの子は、お前以上に”こういう事が苦手”だったのではないか?」
「それは……」
愚図るレーヴンを私は宥めて落ち着かせた。
まあ、普段から進んで事の中心に立とうとしない子だ。
緊張するのも分かるが……。
「それじゃ、いよいよ……」
ここで、誰が流しているのか…どこかで聞きなれた曲が流れ始めた。
「”花嫁”の入場だよ!!」
我々のいる広場に”純白の花嫁衣裳”に身を包んだアコナイトが、馬英にエスコートされて入って来た。
先程から馬英の姿を見かけないと思ったら、エスコート役を任されていたようだ。
「わぁ……姉様、綺麗です!!」
カーリサが感嘆の声を上げた。
花嫁衣装を着たアコナイトは、今まで暗殺家業をやっていた裏社会の人間とは思えない程に輝いて見えた。
今まで血で汚してきたその手に、色鮮やかなブーケを持って、一歩一歩レーヴンの方へと歩を進めて行く。
レーヴンの前まで行くと、馬英がアコナイトのエスコートをレーヴンへと引き継いだ。
そして、大仕事をやり終えた馬英は、大きく安堵の溜息をついて二人を見送った。
弟妹達や、部下達に祝福されながら二人は”牧師役”であるメントル教授方へと歩いて行く。
幸せそうな子供達……。
子供達を支えてくれる部下達……。
そして、最愛の人と結ばれる我が子……。
……ああ、私の人生は何と満たされているのだろう。
これが夢であるならば、覚めないで欲しい……。
そう、思えてしまう……
夢であるならば…………
◆
カペル島の奥にある小屋の中で、”ソレ”は眼を覚ましてムックリと起きた。
既におぼつか無い思考を働かせて……
変わり果ててしまったその手に武器を持って……
記憶も曖昧で、何が真実で、何が幻想かも分からずに……
それでも、ただ一つを成し遂げるために……
声にならない呻きを上げて、”ソレ”は立ち上がった。
その眼に怒りと絶望を宿し、ただ……いとし子達の仇を討つ為だけに
その”怪物”は立ち上がった。




