プロローグ1
最初に見えたのは、風に揺れる木々とその間から洩れる木漏れ日だった。
(あぁ…いい天気だ。 最近、あんまりゆっくり出来なかったから丁度良いや…。)
…………あれ?
「あ、気が付きました? 大丈夫ですか?」
不意に頭上から声が聞こえた。
一人の少女が覗き込んできた。
綺麗な金髪をセミロングにした蒼い瞳の少女だった。
(外人? いや…それにしたって流暢な日本語だな…。 それに……)
目を引いたのは少女の恰好だった。
黒い地味なロングドレスに、フリル付きのエプロン。
頭にもフリルが…
(って、メイド!?)
「ん? どうしたんですか?」
驚いて固まっていた俺を心配したのか、少女は更に顔を近づけてくる。
(うぅ…なんか、いい香りが……。 ん?ちょっと待て……もしかして、今俺は……)
頭に柔らかい感触を感じる事に、今気が付いた。
つまりは膝枕だ。
「え~と…お、俺はどうしてこういう状態に…?」
なんとか、気恥ずかしさを抑え込みながら少女に問うてみる。
「私が通りかかった時に倒れてたんですよ。 恰好から悪人には見えなかったので、放って置くのも目覚めが悪いですしね」
「それは、感謝するけど……も、もう少しやり方とか……ねぇ?」
「やり方? 何か、間違ってました?」
素で返されてしまった…。
「あー…いや、いいや…。 兎も角、介抱助かったよ」
「はい、どういたしまして」
少々勿体無い気もするが、少女の膝から頭を上げて周りを見渡した。
そこは、大きな木の根元で四方を見渡しても木があるばかりで他に目立った物は無いようだった。
「え~と、聞きたい事が山ほどあるんだが…。 あ、その前に自己紹介ぐらいしといた方がいいか」
「そうですね。 お話するにも、お名前が分からないのは不便ですし」
「んじゃ、俺から…。 俺は、切原 魁だ」
「”キリハラ カイ”? では、キリハラさんとお呼びすれば?」
少女は、首を傾げながら答えた。
それだけ日本語が流暢なのにそんな事も分からないのか、この子は…。
「いや、多分そっちの呼び方だと”カイ キリハラ”だと思う。 だから、”カイ”が名前だな」
「ああ、なるほど。 ”カイ”さんとお呼びすればいいんですね?」
「ああ。だけど、”さん”はいらないよ。 堅苦しいのは苦手だから」
「解りました、カイ。 それでは私も…私の名前は、プリムラと申します。 家名は…ありません。 私に近しい人は、”プリム”と、愛称で呼んでくれますね」
プリムラと名乗った少女は、笑顔を浮かべて自己紹介した。
改めて見てみると、中々の美人だ。
「プリムラか…。 綺麗な名前…だと思う」
「そうですか? そう言って貰えると嬉しいです」
彼女の笑顔を見ていると、妙に照れくさくなってくるのでちょっと視線をそらしながら話しかける。
「で、質問なんだけど…」
「はい」
「此処って……どこ? 俺は、さっきまで新宿南口あたりに居たと思うんだけど?」
「どこでしょうね? 私も目が覚めたら森の中で倒れてたので…」
嫌な予感がした。
なんだか、映画とかラノベでよくありそうな展開な気がしてきた。そんな馬鹿な……
「一応、確認の為に幾つか質問するけど…いい?」
「どうぞ」
「今年って何年?」
「帝国歴624年です」
うわ、想像以上の答えが返って来たよ。帝国歴って……
「西暦2012年って、聞き覚えある?」
「せい…れき? いえ、初耳です」
「じゃあ、東京とか新宿とかって地名は?」
「トウキョウ…シンジュク……珍しい響きですね」
嘘を言っているようには見えない。
信じがたい事が、起きてしまったとしか……
「最後の質問」
「はい」
「…プリムラの出身地を教えて貰えるか?」
「ウェールス帝国、帝都トロヌスです」
「やっぱり…」
「え…?」
もし、悪い夢でなければ間違い無い。
この場所がどこかは分からないが、一つだけハッキリした。
この少女が、頭の逝っちゃった中二病患者じゃなければ、俺と違う世界の住人だ。
「…カイ」
不意にプリムラが俺の事を呼んだ。
「何か聞こえませんでしたか?」
「え?」
周囲を見回す。
風が強くなって来たのか、周りの木々が枝を揺らしている以外は、特に変わった事は無いようだった。
「気のせいじゃ無いのか?」
「何か、近づいてきます。 多分…人じゃ無いです」
「じゃあ、何が……ッ!!」
今、木々のざわめきに混じって何か聞こえた。
俺の横でプリムラが、スッと立ち上がる。
「…野生動物か何かかね?」
「恐らく、もっと危険な生物か何かです。 魔法生物か、魔物の類かと…」
魔法生物に魔物と来たよ…。何でもアリだな、異世界……。
「カイは、下がって居てください。 私が、何とかします」
そう言うとプリムラはスカートの横をはだけ始めた。
「ちょッ!??」
俺が赤くなってあたふたしている間にプリムラは、スカートの中から何かを素早く取り出す。
それは短い棒の様な物だった。棒の真ん中あたりにも棒が生えていて、プリムラはそこを握っていた。
スイッチ一つで棒が伸びた。
「と…トンファー?」
「この通り、武器も持ってます」
「だからって、幾らなんでも一人じゃ…」
非常時とはいえ、女の子に庇われる事に不甲斐なさを感じて反論してみたが…
「大丈夫です。 こう見えても場数は踏んでますから、安心してください」
あっさりと、言い切られてしまった。
(クソッ!! 情けないにも程があるぞ、俺ッ!!!)
この場で何も言い返せなくなった自分に歯噛みする。
「来ます!!」
プリムラの声に反応して、森の一点に目を向ける。
そこには見た事の無い異形が、キチキチという、耳障りな異音を響かせながら茂みから出て来た所だった。
例えるならば、蜘蛛に似ているだろうか。だが、足は六本しか無い。
その体は、岩の様な外皮に覆われて、所々に鋭い突起が見られた。
黄金色に光る一つしか無い目玉が此方を不気味に見つめている。目玉の下には、SF映画の異星人を思わせる巨大な口があり、粘質の唾液を垂れ流している。
全高は、俺の腰の辺り位。全長は、俺の身の丈ほどにはありそうだった。
正しく化け物と、呼ぶに相応しい生物(?)だった。
「カイ」
プリムラが、小さく俺に囁く。
「私が気を引きます。 その間に、安全な場所まで下がってください」
「ちょ…!?」
その言葉を言い終わると、俺の答えも聞かずにプリムラは駆け出だした。
それに”蜘蛛モドキ”は、両の前足を振り上げて待ち構える。
”蜘蛛モドキ”が振り下ろされた前足をプリムラは、華麗なステップで横に回避する。
逃げるプリムラに”蜘蛛モドキ”は、執拗に追い縋る。
(って、くそッ!! このまま黙って見てるしかないのか俺はッ!!! 何か、何かやれる事はッ!! 使えそうなモノぐらい無いのかッ!?)
ガッ
俺の手に何かが触れた。それは……
「…剣……か?」
それは、刃の付け根に宝石がはまった直剣だった。鞘の無い抜身で、全長は俺の肩にも届きそうな大剣だった。
(これなら、あのバケモノ相手でもやれるか…? って、迷っている暇は…)
俺は、真剣なんて握った事もないし、剣技に関しても高校の授業で少し剣道を齧った程度だったが、迷わずその剣を手に取った。
(無いッ!!!!!)
持ち上げた剣は、ズシリと腕に重みを感じさせた。
だが、それでも振り回せない程では無かった。
剣を両手で握り、下段に構えて後ろに切っ先を振る。
そして、意を決して叫んだ。
「プリムラーッ!!! こっちだッ!!」
紙一重で”蜘蛛モドキ”の攻撃をトンファーで受け止めていたプリムラが此方を振り向いた。
よく見れば、身に着けているメイド服があちこち小さく裂けていた。だが、目立った負傷は無いようだった。
「カイ!? まだ、逃げて無かったのですか!?」
「いいから、早くッ!!」
俺は、地面に剣を軽く叩きつけ、ニヤリと笑って見せた。
それを見たプリムラは、意を決して俺の方に駆け出す。
俺の方に駆け出したプリムラを、唾液をまき散らしながら”蜘蛛モドキ”が大口を開けて追い縋る。
(よし、状況は整えた! コイツの重量をあの速度で動く奴に叩きつければ…)
プリムラは、”蜘蛛モドキ”の執拗な攻撃を避けながら俺の方まで駆けてくる。
(プリムラがあそこまで頑張って引きつけてくれてたから、状況が整えられたんだッ!)
剣を握る力を強める。
(ここでやらなきゃ……男じゃないッ!!!)
ふわぁ……
目を覚ました時と同じ香りをさせながら、プリムラが俺の横を通り抜ける。
その一瞬、彼女と目が合った…
「お任せします!」
「任せろッ!!」
すでに”蜘蛛モドキ”は、俺の目の前まで迫っていた。
チャンスは、一回。 それで決める!
(生き残る道を……”切り開く”!!!!!!)
両腕に力を込めて、剣を下段から一気に切り上げた。
ドンッ!!!
「!?」
剣は、俺の予測を大きく超える速度で斬り上がった。
剣は、俺に飛びかかってきた”蜘蛛モドキ”に襲い掛かった。
剣は、呆気無く、そして問答無用に”蜘蛛モドキ”を粉砕した。
そう……切り裂くだけでは飽き足らず、その速度と重量で”粉砕”したのだ。
一瞬、何が起こったのか理解が出来なかった。
分かっている事は…
剣が、突然加速して斬り上がったと言う事。
剣が、”蜘蛛モドキ”を粉砕した事。
剣の勢いに抵抗できず、俺の体が持って行かれそうになっている事。
剣は、俺の真上まで振り上がっても勢いは止まらず、俺の身体ごと後ろに勢い良く倒れる。
ズダンッ!!!!
「ガハッ!!?」
強かに背中を強打し呻き声を上げた。痛みと衝撃で呼吸が止まる。意識が霞む。
「カイ! 大丈夫ですか!?」
プリムラが駆け寄って来る。
「カイ!!」
「ぉぉ……き…きこえ…てる。 無事か?」
「はい、私は無事です。 でも、それは私の台詞ですよ?」
「いや、お互い様だろう。 俺もプリムラも無茶しすぎだって…」
にひひと、笑って見せる。プリムラも「しょうがないですね」とでも言いたげな笑顔で答えてくれる。
とりあえず、俺達は危機は脱した様だった。
まあ、問題は山積みなのだが……