一騎当千の勇者は歴史を知らない
1
薄暗い天幕の中には、カビと古い羊皮紙の匂いが充満していた。
分厚い木の机の上に山と積まれているのは、ひび割れた粘土板や、虫食い穴だらけの古文書ばかりだ。
王国軍の総司令官であるヴァルゴ将軍は、白髪の混じった顎髭を撫でながら、片眼鏡越しにそれらの「ガラクタ」を食い入るように見つめている。
「……ねえ将軍。そろそろ出撃とかしなくていいんすか?」
俺――カイトは、手持ち無沙汰に指先で小さな火球をポンポンと手玉に取りながら口を開いた。
現代日本からこの異世界に「勇者」として召喚された俺のステータスは、控えめに言ってもバグっていた。
山を一つ丸ごと消し飛ばすほどの絶大な魔力と、鋼鉄の剣を素手でへし折る身体能力。いわゆるチートというやつだ。
現在、我が国と敵対するゼムリア帝国が、二万の大軍を率いてこの国境の砦に迫っているらしい。
外では王国軍の兵士たちが血相を変えて槍を磨いたりバリケードを作ったりしているが、俺からすれば正直、ピリピリしすぎだ。
俺が一人で戦場のど真ん中に突っ込んで、特大の爆炎魔法でもぶっ放せば、二万の兵くらい何とかなるだろう。
それなのに、総司令官たるこの老将軍は、昨日からずっと出撃命令を出さず、古文書の解読にかまけているのだ。
「将軍って歴史マニアなんすか? ぶっちゃけ、今の戦争には関係ないじゃないですか。あんな敵、俺がドカンと一発魔法撃てば終わるんすけど」
俺が現代の学校教育で感じていた本音をそのままぶつけると、ヴァルゴ将軍はゆっくりと顔を上げた。
その深いシワの刻まれた顔には、無知な若者を嘲笑するような色は微塵もない。
むしろ、出来の悪い孫を根気よく諭すような、穏やかな大人の余裕があった。
「カイト殿。君のその絶大な力は、我が国にとって何よりの希望だ。だがね、過去の事象を記録し分析して歴史的文脈を理解することは、現在の指導者の決断を正しく導くために不可欠なのだよ」
「はあ……文脈とか言われても。要は敵を倒せばいいんでしょ?」
「その通りだ。では聞くが、君は今、その倒すべき帝国軍二万が『どこにいるか』正確に把握しているかね?」
将軍の問いに、俺は鼻で笑った。
「え? いや、国境の街道をまっすぐこっちに進んできてるんじゃないすか?」
「二日前から、帝国軍の主力部隊は街道から忽然と姿を消した。我が軍の優秀な空中斥候たちですら、彼らの行方を見失っているのだよ」
「マジすか? いやいや、二万人もいて急に消えるわけないっしょ。透明になる魔法でも使ったとか?」
「確かに、魔法で二万人を透明にする、あるかも知れない。だが、透明になる魔法というものは歴史上、君のような伝説的な魔法使いが使ったとする記録があるのみだ。ちなみに君は、2万人の兵を透明にする魔法は使えるのかな?」
「あー、いや、透明になる魔法は使えない感じっすね」
「となると、君ほどの魔法使いですら使えないものを、帝国が唐突に使い出すのは些か疑問がある。無論、頭の片隅には残しておいてべき、よいアイディアではあるけれどね。しかし我々が対策するなら現実に起こり得る可能性のあるものから、潰していく方が堅実なのだよ」
「現実にありそうなことっすか……」
「それを知るために、歴史を紐解くのだよ。昔にあったことは、現代でも起こり得る。今回でいえば……そうだね。古代の戦争から現在に至るまで、大軍の移動というものは常に地形と物理的な条件に縛られてきた。であれば、彼らは『現代の地図には載っていない道』を通ってこの砦を迂回し、防衛線のない王都を直接狙っている、のかもしれない」
将軍は、机の上に一枚のボロボロの羊皮紙を広げた。
「地形と軍事作戦の関係は不可分であり、過去の記録と古い地図を照らし合わせることこそが、戦場を正確に解釈するための必須のツールとなるのだ。ここを見てごらん」
将軍が指差した先には、ミミズが這ったような古い文字が並んでいた。
「これは今から約三百年前、この地方を治めていた領主の『徴税記録』だ。ある年の春、国境の西に位置する『嘆きの谷』と呼ばれる地域で大規模な水害が発生し、周辺の村の年貢が免除されたという記述がある」
「水害……? でも将軍、最新の地図だと砦の西側に川なんてないっすよ?」
「そうだ。だからこそ、私はさらに二百年前の気象記録と、この地方に伝わる古い伝承を照らし合わせてみたのだよ」
将軍は別の分厚い書物を開き、滑らかな指先で古い絵図をなぞった。
「結論から言おう。西に広がる険しい山脈の底には、数十年に一度、春の異常な雪解け水が溢れた時にだけ鉄砲水が走る『涸れ谷』が存在する。普段はただの深い峡谷であり、上空からは鬱蒼とした木々に隠れて見えない。帝国軍の将は、おそらく過去の気象と地形の記録を調べ上げ、我々の目から逃れるための隠された進軍ルートとしてそこを選んだのだ」
俺はぽかんと口を開けた。
つまりこの老将軍は、今軍隊は水の引いた川の川底を進軍しているといっているのか。
にわかには信じられなかった。
いくら歴史の資料にあるからといって、本当にそこを通るのだろうか。
彼は確信めいた様子ではあるが、しかし、彼が歴史を紐解いてその道を知ったのであれば、敵将も同様に、歴史を紐解いてその道を知るはずだ。
戦争という野蛮な行動において、両将がそんな知的に物事を分析しているとは、どうしても信じられなかった。
「釈然としない様子だね。疑問も最もだ。あくまでも可能性の話をしている。だが、あり得ない話ではない。だろう?」
「……まぁ、確かになくはない、とは思いますけど、みんなそんなに歴史を勉強してるもんですかね」
「しているさ。なにせ『戦争』だからね。負ければすべてを失う。戦争というものは、入念な下調べと準備をして、勝てると確信できなければやるべきではない。帝国軍の将は歴史という学問を重んじ、過去の記録から地形を読み解いて我々の目を欺いた。そのくらいの努力は当然している……ならば、我々も勝てる方法を考える必要がある」
ヴァルゴ将軍は、地図の一点を力強く指差した。
「カイト殿。君に頼みたいのは、敵兵二万と正面かはぶつかることではない。今日の午後二時ちょうどに、この涸れ谷のさらに上流にある『氷の壁』に向けて、君の最大火力の魔法を放ってほしいのだ」
「『氷の壁』っすか……」
老将が、ニッコリと俺に微笑んだ。
「どうやら我々の方が、一つ歴史を詳しかったようだ」
***
将軍の指示通り、俺は飛行魔法で空を駆け、指定された山脈の上流へと向かった。
眼下を透視魔法で覗き込むと、鬱蒼とした森に隠された深い峡谷の底を、音もなく進む二万の帝国軍の姿があった。
完全武装の彼らは、あと数時間もすれば山を抜け、王都の平原へと雪崩れ込む位置にいる。
(……将軍の言った通りだ。マジでこんなところに道があったとはな)
もし俺が何も知らず、「俺最強!」とテンションを上げて街道をまっすぐ突っ走っていたらどうなっていただろうか。
俺が誰もいない荒野で空振りをしている間に、帝国軍は隠し通路を通って、丸裸の王都を蹂躙していただろう。
俺のチート魔法も、敵の居場所を知らなければ、ただのド派手な花火だ。
俺は峡谷のさらに上流、大量の雪解け水をギリギリで堰き止めている巨大な氷の岩壁に狙いを定めた。
敵兵の姿はない。
ただの自然の壁だ。
「よし、いっちょ派手にやりますか! いっけええええっ!!」
俺の手から放たれた極大の爆炎魔法が、氷の壁に直撃する。
鼓膜を破るような轟音と共に壁が崩壊し、数百年もの間堰き止められていた何万トンもの冷水が、一気に解放された。
それは、人為的に引き起こされた三百年前の『嘆きの谷の水害』の完全なる再現だった。
逃げ場のない狭い峡谷の底を進んでいた帝国軍二万は、剣を抜く間も、魔法の盾を張る間もなく、背後から迫り来る鉄砲水の濁流に飲み込まれていった。
直接的な戦闘は一切ない。
俺はただ、指定された時間に岩を一つ壊しただけだ。
それだけで、敵兵は総崩れとなった。
***
夕刻。砦の天幕に戻った俺は、鼻歌交じりにヴァルゴ将軍の前に降り立った。
「いやー、将軍! マジでドンピシャでしたわ! 敵の大軍、一発で綺麗な水洗トイレみたいに流れていきましたよ!」
「ご苦労だったね、カイト殿。君の正確な魔法のおかげで、我が軍は一滴の血も流さずに国を守ることができた」
将軍は静かにハーブティーをすすりながら微笑んだ。
「まあ、最終的に俺のチート級の魔力があったから岩壁をぶっ壊せたわけですし? 俺の活躍が九割ってとこっすけど、歴史の記録もちょっとは役に立つんすね。年号暗記ゲーじゃなくて、隠しルート探しゲームだったって感じっすね」
俺はまだ、自分が成し遂げた戦果の大きさに浮かれていた。
戦術のなんたるかなど深く考えておらず、「自分がすごい魔法を撃ったから勝てた」と無邪気に信じている。
そんな俺の軽薄な態度を見ても、ヴァルゴ将軍は決して怒らなかった。
ただ、大人の余裕を持った静かな瞳で俺を見つめ、こう言った。
「ええ、君の力がなければ成し得なかった見事な勝利だ。だがカイト殿に一つ覚えておいてもらいたいことがある。それは、決して物理的には打ち破れない壁があるということだ」
「え? 物理的に壊せない壁? そんなの俺のフルパワー魔法なら余裕っすよ」
俺は笑い飛ばしたが、将軍の視線はすでに、机の上に広げられた別の資料へと向けられていた。
「さて、現在王国内では、ちょっとした小競り合いのが起きている。帝国もしばらくは大人しくしているだろうし……今のうちにこちらを平定しなければね」
かくして、無敵の力を持て余していたお調子者の異世界転生者である俺と、歴史という最強の知略を操る老将軍の、特別な「授業」が幕を開けたのだった。
2
帝国軍の奇襲部隊を水攻めで壊滅させてから数週間後。
俺とヴァルゴ将軍は、王都から遠く離れた南部の山岳地帯に天幕を張っていた。
「で、将軍。今回の敵はどいつすか? あの山の向こうに陣取ってるっていう『ファルク部族』とかいう田舎者どもでいいんすよね?」
俺は天幕の外にそびえる険しい岩山を指差し、首をポキポキと鳴らした。
今回の任務は、王国南部で独立状態にあった山岳民族「ファルク部族」の平定だ。
「俺がひとっ飛びして、あいつらの村の近くの山を魔法で一つドカンと吹き飛ばしてきましょうか? さすがにビビって土下座してくるっしょ。ゲリラだかゴリラだか知りませんけど、俺の圧倒的なチート魔力を見せつければ一発解決っすよ」
俺が気楽に提案すると、書類の束に目を通していたヴァルゴ将軍は、笑いながらも明確に否定した。
「カイト殿。君も一度、反乱軍やゲリラといった『非対称戦』というものを経験してみるのもいいかもしれないが、今は余裕がないからまたの機会にしてもよいかな?」
「ひたいしょうせん? なんすかそれ」
「端的に言えば、ルールが違う相手と戦う、といったところかな? 例えばカイト殿は、何かスポーツなどはやられるかな?」
「あー、分かんないと思いますけど、サッカーやってましたよ、サッカー。足でボールを蹴って、ゴールに入れたら勝ちなんすよ」
「ふむ。では私はトリケッターのルールで、そのサッカーに参加してもよいかな。トリケッターは、棒切れで相手を倒しながら、相手の陣地を奪うゲームだ」
「いやいや、トリケッターが何か分かんないっすけど、サッカーは武器持っちゃダメっすよ。殴る蹴るで相手を倒したりとかもダメ。反則っすよ。試合にならないって」
「つまり、そういうことです。非対称戦というのは、武器も考えも異なる相手同士が戦うということです。これが中々大変なんですよ。帝国と王国は、戦争をしているとはいえ、一応のルールの上で、そのルールは守りますよという前提にたって戦争を行なっている。これは戦争が、あくまでも『外交』の一形態であり、そうでなければ、戦争というものはどちらかが滅びるまで続けなければならない」
「んー?」
「つまり、君のいうサッカーも、試合には終わりがあるだろう? 戦争にもルールがあって、終わらせ方がある、ということだ」
「あ、そういうことっすね。理解理解。それで、今回の話とは、どんな関係があるんすか? あー、つまり、ファルク部族とは話が通じないってことっすか?」
「話が早くて助かるよ。乱暴に言ってしまえば、そういうことだね。言葉が分からないから、通じない。ことかつては、あらゆる手段を用いて、我々は反乱軍を、その社会基盤ごと暴力で破壊していた。しかしそれは、誤りであった」
「何が間違いなんすか? 敵なんだから力で倒せばいいじゃん」
「真の対反乱作戦とは、単なる暴力の行使ではなく、反乱軍と地域社会との結びつきを弱め、国家の制度を構築していくための政治的な事業なのだよ」
「んー、政治とか小難しいこと言われても分かんないっす。話聞かせたいなら、俺の魔法でビビらせればいけるんじゃないっすか? ちょっと行ってきますわ」
「あっ、待ちたまえカイト殿!」
将軍の制止を振り切り、俺は飛行魔法で空へ飛び立った。
歴史だの政治だの、面倒くさい。
俺の最強魔法で山を吹き飛ばして力を見せつければ、野蛮な部族なんてすぐに平伏すに決まっている。
俺はファルク部族の集落の上空に降り立ち、威嚇のために巨大な火球を放ち、近くの無人の岩山を木端微塵に吹き飛ばした。
「どうだお前ら! 逆らったら次はこの村がこうなるぞ! さっさと王国に降伏しろ!」
だが――村人たちの反応は、俺の予想と全く違っていた。
土下座して命を乞うどころか、彼らの目にはギラギラとした憎悪の炎が宿っていた。
族長らしき男が叫ぶと、戦士たちは一斉に複雑な地形の山中へ散開し、あっという間に姿を消した。
直後、死角となる岩陰や森の中から、無数の矢が降り注いできた。
「うおっ!?」
俺は慌てて魔法の障壁を張った。
矢は難なく弾き返せたが、地面に落ちた矢をよく見ると、その矢尻には黒々とした毒が塗られていた。
中世において、毒矢を使ったり、動物の死骸を投擲したりする生物兵器的な戦術は一般的に使用されていたという。
「くそっ、焼き払えれば楽なんだが、殺すなって言われているし……」
彼らは完全に山と森に隠れてしまい、姿が見えない。
広範囲の爆炎魔法を撃てば彼らごと村を焼き払えるが、それでは「平定」ではなくただの「虐殺」だ。
国王からの命令はあくまで治安維持であり、領民となるはずの彼らを皆殺しにしてしまえば、裁かれるのはこちらの方だ。
せっかく築いた今の地位を、追放なんて結末で終わらせたくない。
手を出せない俺に対し、部族の戦士たちはさらなる追撃を加えてきた。
決定打にはならないが、それはお互い様だ。
俺のチート魔法は「見えない敵」と「殺してはいけない相手」には全くの無力だった。
(ヤバい……これ、どうやって収拾つければいいんだ……?)
俺が冷や汗を流し、完全に包囲されて身動きが取れなくなったその時だった。
「――武器を収めよ、誇り高きファルクの戦士たちよ!」
麓から、丸腰のヴァルゴ将軍がたった一人で歩み出てきたのだ。
しかも彼は、王国の言葉ではなく、彼ら独自の荒々しい部族語で語りかけていた。
族長が驚いて攻撃を止めると、将軍は懐から古い羊皮紙を取り出した。
「カイト殿、覚えておきたまえ。無知とは罪だ。知らなかったでは許されぬこともあるのだ」
将軍は俺を庇うように前に立ちながら、しかしいつものように優しい口調に、確かな怒気をはらんで、静かに教えを説き始めた。
「かつて、大陸を支配した『征服者』は、戦争に学者を連れて行ったという。その学者たちの目的は、古代の建造物から動植物、人々の風習に至るまで、その国のあらゆる側面を体系的に探求し、記述し、記録することだった」
「が、学者……? 戦争にですか?」
「そうだ。効果的に統治し、国家を再建するためには、現地の文化やインフラに関する包括的な情報が必要不可欠だからだ」
将軍の目は冷徹な光を帯びていた。
「真に効果的な征服には、支配される側の人々についての深い知識が要求されるのであり、彼らを知ることによってのみ、彼らを所有し支配することができるのだよ。つまり、彼らの『歴史』を知るのだ。そこに彼らの『強さ』と『弱さ』が記されている」
将軍は族長に向き直り、部族の言語で再び対話を始めた。
後から聞いた話だが、将軍が提示したのは「王国に屈服しろ」という高圧的な要求ではなかった。
彼は、部族の言語や神話、過去の対立の歴史を事前に徹底的に研究していた。
異国の学者が現地の言語や文化を翻訳し、支配のための知識体系を構築したように、彼もまた歴史の知識を武器としたのだ。
将軍は彼らの神話を巧みに引用し、彼らの流儀に従った形での『併合』を持ちかけたのだ。
交渉自体は数日を要したが、力で屈服させられることを何よりも嫌う部族のプライドは完全に満たされ、族長は武器を置き、将軍と熱い抱擁を交わした。
「……マジかよ」
俺のチート魔法で最悪の泥沼になりかけた戦場を、将軍は「言葉」と「歴史の知識」だけで一瞬にしてひっくり返してみせたのだ。
「カイト殿。かつての戦史には、現地の文化や地域の歴史を深く理解し、その知識を用いて不正規軍を指導し、見事な非対称戦を展開した軍事顧問がいた」
老将が続ける。
「相手の文化への理解と地域の知識は、軍事作戦において極めて強力な武器になるのだ」
俺は、歴史学というものを、恐ろしく感じた。
相手の歴史を学び、文化を尊重しているように見せかけて、その実、相手のアイデンティティや神話すらも利用して精神的に支配してしまう。
俺のド派手な魔法よりも、歴史学という名の知略の方が、ずっと恐ろしく、タチの悪い武器だった。
「将軍……俺、ちょっとだけ歴史とか、勉強してみます」
俺が素直に頭を下げると、老将軍は「そうかそうか」と満足そうに頷いたのだった。
3
ファルク部族との無血同盟から数ヶ月後。
王都の王宮は、かつてないほどの緊迫した空気に包まれていた。
「将軍、マジでヤバいじゃないすか! 帝国が周辺の国を全部味方につけて、王国の豊かな穀倉地帯をよこせって脅してきてるって!」
俺は会議室に飛び込み、机に広げられた巨大な大陸地図を指差して叫んだ。
事の発端は、最大の敵国であるゼムリア帝国が突如として発表した「歴史的発見」だった。
彼らは「現在王国が領有している国境の穀倉地帯は、500年前に結ばれた条約によって、本来は帝国のものであると定められていた」と主張し始めたのだ。
帝国は他国との領土問題において、自国の主張を裏付けるために都合の良い歴史的文書を引用し、国際社会にアピールを展開していた。
結果として、周辺の独立国たちは「正当な歴史的権利を取り戻す」という大義名分を掲げた帝国を支持し、王国は完全に外交的な包囲網を敷かれてしまった。
「カイト殿、落ち着きなさい」
ヴァルゴ将軍は、相変わらず分厚い古文書を虫眼鏡で覗き込みながら、静かにお茶をすすっていた。
「落ち着けるわけないっしょ! 相手は『領土を返さないなら、国際法に基づく正当な武力制裁を行う』って言いがかりをつけてきてるんすよ! 条約だか何だか知りませんけど、俺が今すぐ帝国の首都に飛んで、魔法で城ごと吹き飛ばしてきましょうか?」
俺が両手に特大の魔力を込めて息巻くと、将軍は静かに首を振った。
「カイト殿、君の魔法で帝国の城を吹き飛ばせば、我が国は『歴史的真実を暴力で隠蔽した野蛮な侵略国家』として、全大陸を敵に回すことになる。明確な記録が失われてしまえば条約の根拠が揺らぎ、領土の境界をめぐる争いは力のみが支配する終わりのない泥沼へと発展してしまうのだ」
「うっ……でも、じゃあどうするんすか! このままじゃ、戦う前に領土を取られちまう!」
魔法の火力では「外交の包囲網」は焼き払えない。
俺のチート能力が、言葉と紙切れの前に完全に無力化された瞬間だった。
焦る俺に対し、将軍は一枚の羊皮紙の写しをコツンと指で叩いた。
「剣や魔法で切り裂けないなら、『歴史』を紐解いてみよう。帝国が、歴史を武器に侵略するのなら、我々も、歴史を武器に国土を守ろう。明日、周辺諸国を交えた国際調停会議が開かれる。時間はあまりないが、よくよく調べてみよう。カイト殿は、帝国が『発見』した条約の写しを用意してくれ」
***
翌日。
中立国で開催された国際調停会議の場は、帝国側の圧倒的な優位で進んでいた。
豪華な円卓の対面に座る帝国の全権大使は、仰々しい木箱から古びた羊皮紙を取り出し、各国の大使たちに見せつけた。
「各国代表の皆様。これこそが、我が国の地下書庫より発見された500年前の条約書、その原本です。この歴史的証拠が示す通り、王国の国境地帯は我が帝国に返還されるべきなのです!」
周辺国の大使たちが深く頷く。
俺は将軍の後ろで護衛として立ちながら、悔しさで唇を噛んだ。
いくら俺が最強でも、あの紙切れ一枚のせいで手出しができない。
しかし、ヴァルゴ将軍は悠然と立ち上がり、白手袋をはめた手でその条約書を受け取った。
「帝国大使殿。後世に書き写されたものではない、作られた当時のオリジナルの記録は『一次史料』と呼ばれ、歴史研究において過去の事実を証明するための最も重要な一次情報となります。歴史家はこうした一次史料を議論の根拠として組み込み、自らの解釈を決定的に裏付けるのです」
「いかにも! その一次史料こそが、我が国の正当性の証明……」
「ええ。ですが大使殿。この『一次史料』は、極めてお粗末な偽造品だと、ここに宣言いたします」
将軍の言葉に、議場が静まり返った。
「何という言いがかり! 我々には、しっかりと証拠の条文が残されているのだぞ!」
「確かに、その羊皮紙は、古い時代のものでしょうか。しかしよくよく見れば、インクが新しいものにも見える。果たして、本当に500年前のものでしょうか? 記事の内容が信じるものに値するかどうか、科学的な分析をしてからでも遅くはないかと、私共は思います」
大使の顔から、スッと血の気が引いた。
だが、将軍の追及は止まらない。
彼は文書のテキストそのものを指差した。
「さらにもう1点、疑問に思いますのは、ここに使われている言語です。3段落目に『領土の恒久的な割譲』という文言がある。しかし、当時の古ゼムリア語において、『ユドラス』という単語は『貸与』という意味でしか使われておらず、現在のような『割譲』という意味で用いられるようになったのは、概ね200年ほど前のこと。そもそも、条約とは両国が同意の上取り交わすもの。しかし王国には、いくら当時の記録を探しても、条約を取り交わした記録はなく、さらに言えば当時の帝国は前身となるゼムリア王国であり、我々もかつての王統は途絶え法規的には連続した王国ではない。故に仮に条約が本物であったとしても、取り交わしたのはそれぞれ別の国同士の話であり、これを有効とするのであれば、全ての私有財産、領土は神に返上すべきとなるが、いかがでしょうか」
将軍は条約書をテーブルに放り投げた。
「ただ、我々はこの文書が、近年になって王国を侵略するために捏造された偽書であると断定している。……帝国は、神聖な歴史を改ざんし、国際社会を欺こうとしたのだ!」
議場は騒然となった。
周辺国の大使たちは一斉に帝国大使を睨みつけた。帝国の対しは、苦虫をすりつぶしたように顔を歪め、辱めに身体を震わせていた。
勝負は決した。
帝国の掲げた「大義名分」は完全に崩れ去り、国際的な信用を失った彼らに、もはや王国へ攻め込む理由は1ミリも残されていなかった。
***
「……すげえ」
帰りの馬車の中、俺はポツリと呟いた。
一滴の血も流さず、魔法の詠唱一つすることなく。
ヴァルゴ将軍は、弁舌と史料批判でこの危機を脱した。
「将軍。俺、歴史のこと、完全に舐めてましたわ。……過去の記録って、使い方次第で、俺の爆炎魔法なんかよりよっぽどエグい武器になるんすね」
俺が本気で感嘆すると、将軍は片眼鏡を外し、優しく微笑んだ。
「過去を知ることは、現在を解き明かし、未来を支配するための最も確実な手段だ。自己の主張を押し通すために、良くも悪くも使われる。歴史を知るということは、『騙されないため』ともいえる。君の強大な力は、間違いなく世界を変える力だ。故に、君の信じた道が、この世界の未来となるだろう。正解も不正解もありはしないが、君の目で見て、よく調べ考えた上で、選択してほしい」
俺は、自分の手のひらを見つめた。
この手から放たれる魔法は、確かに山を吹き飛ばせる。
だが、誰かが用意した偽りの大義名分や嘘の歴史に乗せられて山を吹き飛ばせば、俺はただの「便利な破壊兵器」として利用されて終わってしまう。
「……将軍」
「なんだね、カイト殿」
「俺にも、しっかり、教えてくれませんか。その『歴史』ってやつの読み方を。……誰かの都合の言葉に流されて、間違った相手を吹き飛ばしちまう前に。自分の目で見て、考えて、道を選べるようになりたいんす」
単なる便利な武器としてではなく、世界を正しく知るための術としての教えを請うた俺に、ヴァルゴ将軍は驚いたように少しだけ目を見開いた。
やがて将軍は、今までで一番嬉しそうに、そして誇らしげに目を細めると、馬車の座席に積まれた分厚い古文書の山をポンと叩いた。
「いいだろう。まずは、『考え方』から始めよう。この本は、我らが王国の建国史だ。この本の内容から、疑うべき内容を列挙してみたまえ」
「疑うべき? 嘘があるってことですか?」
「いや、そうとも限らない。『歴史学』というものは、いや、全ての学問も同様かもしれないが、疑うことから始めるのでね。本当にそうか? と思いながら読んでみなさい」
「なんだか、性格が悪くなりそうですね」
「それが、第一歩かもしれないよ?」
俺の、本当の意味での「異世界無双」は、ただ与えられた力に頼ることをやめ、魔法の杖をペンに持ち替えたこの日から始まるのだった。




