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本宮の洗礼、烈火の代わりに届いたもの


本宮配属、十二節一日。

運命の出会いは、まだずっと先にあるものだと、そう信じていた。

けれどあのとき、同じ小麦の香りがすぐ隣にあったことだけは、確かだった。

社員食堂へ向かう廊下で、和尚さまは妙に弾んだ足取りをしていた。

「昼食! 昼食!」

その声に釣られるように、真葉音も少しだけ声を張る。

「刀削麺! 刀削麺!」

「運命! 運命!」

「・・・やっぱり配属されたばかりは、疲れが溜まりやすいね」

そう言いながらも、真葉音の足は自然と速くなっていた。空腹というより、期待が腹の底で音を立てている。


「お腹空きすぎて、いつもの真葉音ちゃんくらい食べられそう!」

「ちょっと、和尚さま!」

軽口を叩き合ううち、視界が一気に開けた。

壮築楼――宮廷社員食堂。

高い天井。年月を重ねた太い梁には、換気と保温の魔力を帯びた魔導紋様が刻まれている。 食堂全体に、うっすらと温度を保つ魔法のヴェールが張られているようだ。

昼どきになると、官吏、職人、文官が一斉に流れ込み、衣擦れと食器の音が渦を巻く。それでも騒がしさ一色にならないのは、この建物が持つ古い格式のせいだろう。静謐と喧騒が、不思議な均衡を保って同居している。


「ここが壮築楼」

和尚さまは、ちょっと誇らしげに言った。

「真葉音、入庁準備本は読んだ?」

「最初の三頁で脱落しました。和尚さま、説明お願いします」

「正直でよろしい」

肩をすくめてから、和尚さまは声を潜める。

「壮築楼は、ただの社員食堂じゃないの。宮廷の華やかさをぎゅっと圧縮した、隠れ家みたいな場所。宮女や宦官、下級官吏が息抜きに集まるけど、食材は食膳局から直送の特級品ばかりよ」

真葉音は、行き交う盆の上を目で追った。湯気、油の照り、香辛料の匂い。どれもが遠慮なく鼻腔を刺激する。


「豪華な点心ももちろんだけど・・・麺類の充実ぶりが、半端ないわ」

和尚さまの声が、少しだけ低くなる。

「特に――あれ。『烈火刀削麺』。壮築楼の名物よ」

真葉音の喉が、ごくりと鳴った。

配属初日の昼食にしては、少し出来すぎている気もする。でも、この場所ではそれすら「普通」に見えてしまう。小麦の香りが、運命という言葉を、冗談みたいに現実へ引き寄せていた。

「烈火刀削麺!?」

思わず声が裏返る。

「見て、真葉音」

和尚さまは、麺コーナーを指差した。

「本宮の行事運営局が胃袋を掴まれてるっていう、壮築楼名物・烈火刀削麺よ。ただの麺じゃないわ。

宮廷魔導師が呪文と共に炎を操り、極限の火力を維持する。 その熱気の中を、熟練の職人が“盤流式”で飛ばす麺。まるで熱を喰らうように茹で上がるその弾力は芸術よ。

その弾力は芸術よ。烈火のような辛みの奥に、極上の小麦の甘みが隠れてるの」

説明は止まらない。


「スープは黒炭の遠赤外線でじっくり煮出した牛骨ベース。一口啜れば、配属初日の緊張なんて熱気で吹き飛んで、午後の宮廷業務に立ち向かう活力が湧く・・・戦う官吏たちのための“燃料”ね」

「・・・和尚さま、食膳局に配属された方がよかったんじゃないですか」

「ふふ」

和尚さまは、さらに声を落とした。

「それからね。これは準備本に載ってない話。この壮築楼には、たまに“とんでもない御方”が紛れ込むらしいわ」

「とんでもない御方?」

「次期王――皇雅 一殿下」

真葉音は、思わず周囲を見回した。

「毎日、金銀財宝みたいな宮廷料理ばかりで、心底うんざりしてるらしくてね。だからお忍びで、ここにふらっと現れるんですって」

「・・・嘘。そんなことがあったら、それこそ運命じゃないですか!」

「真葉音はあっち、麺コーナーでしょ。わたしは別のところ。この辺で食べましょ」

「わかりました。じゃ、後で!」

「出会い! 出会い!」

真葉音は思わず頬に手を当て、照れたような仕草をしながら麺コーナーへ向かった。

昼膳の刻の壮築楼は混雑していたが、麺コーナーは一段と人が多い。

(悪くない・・・)

順番が近づき、注文を終えた人と、これから頼む人が入り混じる曖昧な列。その中で、真葉音の番が来た。


「烈火刀削麺」

声が、二重に響いた。

だが、それは何度も想像してきた理想とは、まったく違う形で現れた。

「ふたりとも、烈火刀削麺です」

そう店員に告げたのは――古根。

今や絶滅危惧種と噂される、宮廷唯一の生き残り。指導かパワハラか、その境界線を日々またぐお局。地方の倉庫勤務者でも名前を知っている、本宮の“上位五人”のひとりだった。

「あ、すみません。ありがとうございます」

真葉音が反射的に頭を下げた、その直後。

「すみませーん。烈火刀削麺、最後の一杯なんです。最終杯限定で、半分ずつになりますが・・・」

「いえ、ひとつで結構です。作ってください」

古根は、被せるように言った。

「どちらが食べます?」

はっきりした口調。

「え・・・あの・・・どうぞ、食べてください」

「そう? ありがとう!」

一切の躊躇もなかった。

「拉麺なら、すぐ出来ますよ」

「・・・じゃあ、それで」

拉麺を受け取った瞬間、真葉音の肩がわずかに落ちた。どう見ても、落ち込んでいる。

「美味しそうじゃん」

聞き覚えのある声。

顔を上げると、本くんが立っていた。

「え? どうしたの?」

「黒炭祭の報告書を出しに来た」

「びっくりした・・・」

「絶対そっちの方が美味しそう。変えてくんない?」

真葉音は、これは烈火刀削麺売り切れ特別仕様で、メニューにない付盛の希少な拉麺だと説明するが、本くんはどこか上の空だった。

「じゃ、交換な」

そう言って、本くんは自然に丼を差し出した。

運命は、烈火のように派手じゃない顔で、こういう場所に平然と座っているらしい。


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