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倉庫の埃と、小麦のシミュレーション


 太井炭たいたい巡府・準備倉庫。  そこは、華やかな宮廷行事の熱気から最も遠く、ひたすらに埃と沈黙が堆積する場所だった。

 私、とう 真葉音まはねは、煤けた官服の袖で鼻を抑え、検品札を虚しく眺めていた。幼い頃に目にした「黒炭祭」――夜の闇を裂いて舞い踊る火の粉と、幻想的な宮廷装飾。あの光景に心を奪われ、猛勉強の末に典礼院の門を叩いたはずだった。  いつの日か、あの華やかな祭典を差配する側へと上り詰める。そんな己の姿を何度、脳裏に描いたことか。


「……なのに、現実はどうなの」

 口をついて出たのは、白く濁った溜息だった。  文華推進局へ配属された同門は、香の薫る優雅な執務室で筆を走らせている。食膳局の同門は、活気溢れる厨房で旬の食材を捌いている。だというのに、我が「行事運営局」が新人に宛てがった研修先は、この埃っぽい倉庫であった。食材ですらない、いつ使われるかも分からぬ調度品の墓場。  疑問しかない。否、煮え切らない憤りばかりが、胃の腑の底におりのように溜まっていく。

 そんな私の腐りかけた心根を、辛うじて繋ぎ止めているのは、この煤けた場所で共に時を刻む「同門」の存在だった。


「真葉音! ぼうっとしない。あと五分で黒炭祭の装飾品が着くわよ。シャッター前へ!」

 倉庫の奥から響いたのは、凛とした、それでいて耳に心地よい涼やかな声。  普現寺ふげんじ和尚かずな。通称「和尚さま」。  同門でありながら、誰もが自然と敬称をつけて呼んでしまうのは、彼女が纏う賢明さと、竹を割ったような性分のせいだろう。入庁面接の折、緊張で舌が凍りついた私に助け舟を出してくれたのも彼女だった。私にとっては、入庁前から今日に至るまで、仰ぎ見るべき北極星のような存在である。


「宮廷画家・中祐ちゅうゆうの作品解説集も、今回の便で届くらしいわ」 「……本宮に勤務になったら、御本人に御目文字おめもじ叶うかしら」

 私の期待に満ちた問いに、和尚さまは不敵に口角を上げた。

「そりゃあもう、向こうからひれ伏しに来るわよ」 「うーわー、もう、最高……!」

 刹那、背後の静寂を切り裂くように、鋭い咳払いが響いた。  私たちは弾かれたように姿勢を正し、気まずさに身を縮める。


「……すみません」

 人差し指を唇に当て、互いに静粛を誓い合う。けれど、一度跳ね上がった胸の高鳴りまでは抑えられない。

「もう十一節だっていうのに、お目付け役が未だに厳しいわね……」

 和尚さまが小声で零した愚痴に、私は深く、深く首首肯しゅこうした。

 重厚な鉄のとばりが上がり、倉庫内に太井炭の冬の光がなだれ込む。 「……流石、和尚さま」  私が溜息混じりに呟くと、和尚さまは事もなげに肩をすくめて見せた。

〇昼膳の刻

 倉庫に隣接した「控えの間」は、ささやかな休息の聖域だ。  私は和尚さまの到着を待ちきれず、懐から「魔導通信鏡」を取り出した。鏡の縁に彫られた古い紋様に指を滑らせると、微かな青い魔力が走り、鏡面が揺らめく。  映し出されたのは、立体的なホログラムとなって立ち上る、一杯の刀削麺の湯気であった。

 ――「天速渡線で行く! 刀削麺名店堪能の巡行たび」。

 画面越しですら、削りたての麺の不規則なエッジや、濃厚なスープの照りが食欲を激しく突き動かす。私はその幻影を吸い込むように見入っていた。

 背後から、小気味よい足音が近づいてくる。 「はい、これ。中祐ちゅうゆうの作品解説集。しっかり読み込むように、ってさ」  和尚さまが、ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべながら二冊の冊子を差し出した。 「もちろん、穴が開くほど読むさー!」  私も同じような笑みを返し、一冊を恭しく受け取る。 「「最高……!」」  二人の声がぴたりと重なり、控えの間に響き渡った。

 刹那、周囲で静かに食事を摂っていた同僚たちの視線が、無言の圧力となって飛んでくる。私たちは慌てて姿勢を正し、声を潜めた。 「……もう、今日の昼膳は黙読ね。私に話し掛けないでよ」  私が鏡を仕舞いながら先制すると、和尚さまも頷く。 「そうね。各々、至福の読書タイムにしましょう」

 数秒間、紙をめくる清潔な音だけが空間を支配した。  ……が、その静寂は長くは持たない。

「あ、『聞いて~、推しの演出が尊すぎる~』とか、独り言禁止だからね!」  私が釘を刺すと、和尚さまもすかさず言い返してくる。 「そっちこそ、『聞いて~、気になる刀削麺屋を見つけた~』とかいう報告はナシよ!」 「……。あ、でも……私、今日は刀削麺だから。食べながら本を汚さずに読むのは、至難の業かもしれない」

 私の告白に、和尚さまは本を閉じ、呆れたような視線を向けてきた。 「また刀削麺なの……? あなた、毎日食べてて飽きないわけ?」 「飽きるわけないじゃん! 官吏としての疲労を癒やすには、この小麦の暴力的な弾力が必要不可欠なの!」

 私は拳を握り、力説した。真理はいつだって、この「コシ」の中に隠されているのだ。

「入庫量に関係なく刀削麺を啜るくせに。でもね、飯箱めしばこに刀削麺を詰めて登庁する奇人なんて、典礼院広しといえど貴女くらいのものよ」

 和尚さまが呆れたように吐き捨てた、その時だった。  背後で、ふっと短く笑いをこらえる気配がした。


「何かといえば、いつも刀削麺の話をしているね」

 ひょっこりと顔を出したのは、 もとだった。  彼は通りすがりに軽妙な調子で声をかけると、私たちから二席ほど間を空けた隣の席に、滑り込むように腰を下ろした。

「真葉音が刀削麺を溺愛しすぎているのよ」  和尚さまの言葉に、本は不思議そうに首を傾げる。 「刀削麺が、恋人……?」 「刀削麺は同志、といったところかしら。ちなみに、彼氏の方は絶賛募集中よ」

 余計な情報を付け加えられた私は、慌てて周囲をキョロキョロと見渡した。誰かに聞かれてはいないだろうか。私は顔を赤らめ、精一杯の反論を試みる。

「ちょっとー!……彼なら、出来ます!」 「「で、出来ます?」」

 和尚さまと本が、見事なまでに声を揃えて問い返してきた。二人の視線が突き刺さる。  私は焦って「魔導通信鏡」を操作し、光り輝く画面を二人の前に突き出した。

「じゃーーーん!」

 鏡面に浮かび上がったのは、先ほどまで眺めていた「天速渡線で行く! 刀削麺名店堪能の巡行たび」の極彩色な案内図だった。  本が、無言のまま一席ぶん、するりと距離を詰めて画面を覗き込む。

「……なるほど。計画だけは、もう出来ているんだ」 「えっ、えっ? まさか、彼氏と行くの?」  驚く和尚さまに、私は人差し指を立てて、堂々と宣言した。 「彼氏が、出来るんです!」 「あー、はいはい。……本くん、中祐ちゅうゆうの作品集はもう受け取った?」  和尚さまは鮮やかな手並みで私の妄想を切り捨て、本に話を振った。本が「もらえた」と短く応じると、彼女は再び私に向き直る。


「さ、私たちは読書タイムに入るから。お静かに!」

「もー、待って! 私と彼氏の『運命の出会い』、聞きたくないの?」 「……今の話のどこに、時空が歪まない余地があるんだい?」  本の冷ややかなツッコミを無視して、私は熱弁を振るう。 「私には、理想の運命の出会い方というものがありまーす!」 「そこにも理想があるんだ……」 「それが原因で、幸せが地平線の彼方へ遠のいていなければいいけど」

 二人の呆れ顔をよそに、私は身を乗り出した。脳内では、すでにその光景が鮮やかな色彩を持って動き出している。 「私の理想の運命はね、混雑した名店の『連珠式配膳』で始まるの。列がぐちゃぐちゃに乱れて、誰が先か分からなくなったその刹那、隣り合わせた彼と、同時に注文を口にするのよ――!」 「はいはい。図書館で同じ本に手が触れるといういにしえの様式美を、刀削麺で再現しようってわけね」  和尚さまが鼻で笑う。本も神妙な面持ちで補足した。 「……本当だ。自ら幸せを遠のけている」

「ちょっとー! 出発は明日なんだから、そんな現実的なことを言ってられるのも今日が最後なんだからね!」 「強気だなあ」 「無謀だなあ」


 二人の溜息が重なる。私は必死に、その溜息をかき消すように声を張り上げた。 「だから! 実際に運命が訪れた時の対処法を、今ここで一緒に考えてよ!」 「……仕方ないわね」

 和尚さまが、観念したように本を閉じた。  こうして、埃っぽい倉庫の控えの間で、前代未聞の「刀削麺的運命シミュレーション」が幕を開けたのである。


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