第3話 算の崩壊
デート当日。
駅のホームに立つ美智は、鏡の前で何度も悩んだ末に選んだ服に身を包んでいた。
白のブラウスに、淡いマリンブルーのスカート。
(峻くんの好きな色……)
彼の好みを意識した、精一杯の選択だった。
髪は軽く巻き、耳元には小さなパールのイヤリング。
(史織の作戦――ゆらゆら揺れるものを目で追うのが、男子の狩猟本能)
清楚さの中に、ほんの少しだけ大人びたコーデ。
史織から授かった戦略を、頭の中で繰り返す。
――まずは相手の得意分野を使って、気持ちよく話してもらう。
そして少しだけ謎めいた女を演じる。謎は次のデートへの布石。
告白は最後に。二人きりになれるムード満点の場所がいい。
「……謎多き女性……」
小さくつぶやき、自分に言い聞かせる。
切符を握る手は汗ばんでいて、心臓は今にも飛び出しそうだった。
そのとき、改札口から峻が現れた。
休日らしいカジュアルな服装に、相変わらずの爽やかな笑顔。
周囲の視線が自然と集まる様子に、美智は思わず息をのむ。
「風原さん、待たせた?」
軽く手を振る峻に、美智は首を振った。
「い、いえ……私も、今来たところよ」
声は平静を装っているが、内心は大混乱だった。
(来た……本当に来た……!)
二人で並んで歩き出すと、峻がふと美智を見て言った。
「その服、すごく似合ってるね。
マリンブルー、風原さんにぴったりだと思う」
「そ、そう? 別に……普段着よ」
(似合ってるって……うっ嬉しすぎ……っ! 悩みに悩んで買った甲斐あったー!)
必死に口角が上がるのを抑える。
峻は気にした様子もなく、楽しそうに笑った。
「じゃ、行こう」
改札を抜けて電車へ向かう背中を追いながら、美智は決意を新たにする。
(私は謎多き女性……そう、謎よ……)
だが、褒め言葉の余韻は、頬の熱とともに残ったままだった。
***
電車の中。
揺れる車内で、峻が美智のカバンに目を留めた。
「そのキーホルダー、サッカーボールだね。
風原さん、サッカー好きなの?」
(来た!)
史織の作戦通りの展開に、美智は胸の中で小さく拳を握る。
「ええ。アトランティスの……えっと……
サムリ・カムリ、のファンなの」
言い切ったつもりだった。
だが、峻は少し困ったように首をかしげる。
「カリム・サリムね。
……前は俺も好きだったけど」
少しだけ、彼の声のトーンが落ちる。
「この前、記者を殴ってさ。
止めに入ったチームメイトまでボコボコにしたって聞いて、正直引いた」
(え……そんなの、聞いてない……!)
頭の中が真っ白になる。
(どうする!? ……そうだ、さしすせそ……!)
反射的に口から出た言葉は――。
「さ、さすがだわ」
峻は一瞬、きょとんとした。
「え?」
「……あ」
続けようとして、次の言葉も思考も絡まる。
「し、知らなかった……わ」
峻は少し困ったように眉を下げた。
「……風原さんは、あのアリなのかな。
暴力とか」
「す……すてきだわ」
完全に間違えてる。
空気が凍る。
美智は自分でも、何を口走っているのかわからなくなっていた。
「い、今のは……その……」
言い直せない。
やがて、二人の間に重たい沈黙が落ちた。
車内のざわめきだけが、やけに大きく聞こえる。
「……もしかして、サッカーの話、つまらなかった?」
峻の遠慮がちな問いに、美智はパニックのあまり反射的に答えた。
「そ……そうね」
言ってから、激しく後悔する。
空気は完全に気まずくなり、電車はそのまま目的地へ向かって走り続けた。
窓の外には、遊園地の観覧車が見えてきた。
二人は多くを語らないまま、改札を抜け、遊園地へと足を踏み入れる。
***
最初に並んだのは、垂直落下系のアトラクションだった。
(よりによって……!)
美智は必死に表情を保つ。
(私はクールビューティー……。
こんなもので、動揺するはずが……)
だが、座席に固定されると、足がすくんだ。
「大丈夫?」
峻は屈託なく笑う。
「も、もちろんよ……」
声は、完全に裏切っていた。
次の瞬間、急降下。
「ぎゃあああああっ!!」
悲鳴が響く。
髪は乱れ、顔は真っ赤。
必死にバーにしがみつく姿に、クールさの欠片もない。
降りた後、峻は目を丸くした。
「風原さんって、こんなに怖がりだったんだ。
ちょっと意外」
恥ずかしさで俯く美智に、峻はなぜか楽しそうだった。
「じゃあ、次はジェットコースター!」
「えっ、まだ、さっきの衝撃が……」
抵抗する間もなく、次、また次と絶叫系に連れ回される。
そのたびに叫び、しがみつき、すっかり素の自分をさらけ出していた。
――けれど。
(……あれ?)
叫びながら、胸の奥が妙に軽い。
(私……楽しい……?)
峻と一緒に笑い、声を上げ、取り繕わない自分でいることが、思いのほか心地よかった。
「風原さん、意外とこういうの好きなんじゃない?」
その問いに、美智は小さく頷く。
「……かもしれないわね」
計算も虚勢も崩れたまま。
それでも今は、そんな自分を否定する気になれなかった。
クールビューティーとしての完璧な仮面。
それは、必ずしも必要なものではなかったのかもしれない。
そう思い始めた自分に、美智自身が一番驚いていた。




