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08 一つの花
「私、ずっと考えていたことがあるんです」エマが言った。「ヴィクトルさんは、私を通じてしか自分を経験できないんじゃないかなって」
ヴィクトルは息を呑んだ。
「永遠に生きるということは、全ての可能性を含んでいるということ。でもそれは同時に、何にもなれないということ。ヴィクトルさんは一つの花として咲くことができない。他の全ての花であることをやめられないから」
エマは微笑んだ。
「でも私は一つの花です。このパン屋という土に根を張って、このパンという花を咲かせている。だからヴィクトルさんは毎晩ここに来るんじゃないですか? 私という一つの花を通じて、咲くということを経験するために」
「……お前の言う通りかもしれない」
「じゃあこれからも毎晩来てください。私を通じて、生きるということを経験してください」
エマは竈から完璧な黄金色のパンを取り出した。
「食べられないのはわかっています。でも受け取ってください。私の今日が、詰まっているから」
それは世界で最も美しいものに見えた。
「ありがとう」ヴィクトルは言った。八百年の間、一度も言ったことのない言葉だった。




