敵①
緒方の言動にそこはかとない不安を感じつつも、研究は続いた。
夏も終わり、短い秋が終わろうとしていたある日。大熊に早めに来るよう言われ、アジトに到着した俺は違和感を覚えた。
「なんだ、あれ?」
注意してみなければ人の住んでいない民家に見える建物のその周りを、子猫サイズの、蜘蛛のようにも見える何かがうろついている。
「ロボット、だな……。須田が作ったのか?」
よく見るとそれは複雑な機構の胴体に8本の脚がついたロボットだった。赤く光るライトがより一層不気味に見せている。
よく見ようと近づいたところで、蜘蛛型ロボットがアジトを囲む塀に接触した。途端にアジトの扉が開き、バットを持った須田が飛び出してきた。
「また来やがったかこいつ!」
妙に焦った須田がロボットを破壊しようとした瞬間、蜘蛛型ロボットが飛びずさって後退し、素早くどこかへ消えていった。
「ちょこまかと鬱陶しいぜ。……なんだお前、来てたのか」
そこでようやく須田が俺に気づき、俺は須田の後に続いてアジトに入った。
「おはよう片西君。早くにすまないね」
部屋に入ってすぐ、空気が張り詰めていることに気づいた。全員どことなく緊張しているようだ。
大熊に促され、会議用の長机についた。始まるのがいつもの進捗報告でないことは嫌でも察せる。
「今日早く来てもらったのは、一つ重大な共有事項ができたからでね。なるべく早く知ってほしかったんだが、電話だと誰に聞かれているか分からないのでね。一番安心できるアジトで話すことにした」
「早い分には構いません。それで、その共有事項というのは……?」
そう問うと、大熊が眉間に深い皺を寄せた。よほど深刻なことなのだろう。周りの空気もあって、言い表せない不安が俺を襲う。
「昨夜、稲田君から連絡が来てね。監視のこともあるのでなるべく連絡は取らない約束なんだが、緊急事態だと言われてね。どこから漏れたか分からないが、森がこのプロジェクトの存在を嗅ぎつけたらしい」
「森、というと?」
森の名前に聞き覚えがなく聞き返すと、黒井が苦い顔をして言った。
「稲田教授と一緒にデミヒューマンを作った、あの森忠弘教授です。稲田教授によると、今はヒューマノイドロボット規制派として活動しているそうです」
「森忠弘教授! ……ということは、森教授が私たちの研究を中止させるために動いているということですか?」
ビッグネームの登場に一瞬心が躍ったが、その意味に気づきすぐに絶望が襲ってきた。
「そういうことだね。全く、もし味方だったら心強かったのだが、敵に回るとこうも厄介とは」
不快感を隠すこともせず大熊が言う。その後ろで、岩畔が「あの人、敵……」と暗い顔で呟いた。森はデミヒューマンの造形を担当し、岩畔と同じデザイナーの側面も持つ。岩畔が森を尊敬していただろうことは想像に難くない。
そこで俺は、先ほどの蜘蛛型ロボットのことを思い出した。
「さっき、アジトの近くで蜘蛛のようなロボットを見ました。須田さんが追い払ってくれましたが、そうするとあれは」
「森が作ったロボットだ。私もいつまでもここを隠し通せるとは思っていなかったがね、こんなに早くばれるとは予想していなかったよ」
あっけらかんと言う大熊に、俺は焦りを感じる。
「まずいですね。拠点を変更した方が……」
「いや、その必要はないよ。森は活動家であって警察ではない。どこから私たちの話を聞いたのかは知らないが、まだ私たちがヒューマノイドロボットを作っているという確固たる証拠は得られていないはず。だからこうして、ロボットを使って情報を集めようとしている、という訳だよ」
そこで俺は、ロボットが近づいてすぐ須田が出てきたことに違和感を覚えた。
「さっきロボットがアジトに近づいた時に、須田さんがすぐに出てきましたよね。あれはどうやって」
「稲田君から森の話を聞いてすぐ、黒井君に依頼して監視体制を整えてもらった。私たち以外の不審物が近づけばすぐ、私の下に通知が来るようになっている。つまり、森のロボットがアジトに侵入する余地はない、ということだよ」
「なるほど。だから拠点を移す必要はないと」
「そういうことだね。ここは設備も整っているし、手放すには惜しい。森も証拠が得られない以上は下手な手は打てまいよ。騒ぎを起こして困るのは森も同じだからね。森もデミヒューマンの開発者である以上、怪しい動きを見せて警察に目をつけられるのは困るはずだ」
納得しながらも、俺の頭に新たな疑問が浮かんだ。デミヒューマンを開発した森がなぜ、ヒューマノイドロボット規制派に?
私の疑問を察したのか、大熊がまた話し始めた。
「これは稲田君からの又聞きだがね。彼はどうやら、ヒューマノイドロボット規制派となることで政府に研究することを認めてもらったらしい。私から言わせれば、寝返った、ということだな。ただまあ、研究の内容に制限はあるようだから、このプロジェクトの存在を密告することで制限を緩和させたいんだろうね」
全く忌々しい、と大熊が吐き捨てるように言った。大熊がここまではっきりと怒りを見せるのは珍しい。
「とにかく、アジトにいる間は情報が洩れることはないから安心してくれたまえ。だが、アジトから一歩外に出れば自己責任だ。くれぐれも、このプロジェクトについて口外しないように頼むよ。アジトの外では常に監視されていると考えてくれ」
俺はとんでもないことに加担してしまったのだ。今更ながらそう実感し、寒気が止まらなかった。