シンギュラリティ
次の日、気分転換に他の人の進捗を知ろうと思い立ち、岩畔の下を訪れた。
「お疲れ様です。どうですか、進捗のほどは」
そう尋ねると、岩畔は険しい顔で机の上の人形を見せてきた。
「デミヒューマン、すごく参考になった。人工皮膚の薄さ、完璧に近づいてる。でも、まだ遠い」
「というと?」
岩畔が、人形の顔の皮膚をぐい、と引っ張った。
「これ、皮膚伸びすぎ。人間の肌、こんな伸びない。伸縮性の再現、難しい。顔は筋肉多くてよく動く。忠実に再現しないとだめ」
そう言われると確かに、皮膚が伸びすぎている気がする。
「なるほど。大変そうですね。……ところでこれ、誰かモデルはいるんですか?」
人形の顔は、どうも女性のようだった。だが黒井とは似ても似つかない。となると、他にモデルがいるのだろうか。
単純な疑問でそう質問したのだが、岩畔はにわかに不機嫌になった。
「うるさい。余計なこと聞かない。用がないならあっち行って」
そう言われ、釈然としないまま俺はその場を離れた。
アジト内を徘徊するうちに、緒方に捕まった。
「片西少年、これを見てくれたまえ! 貴重な第一歩じゃぞ!」
いつにも増してテンションの高い緒方に連れられ、モニターの前に立った。
そこには、青白い顔面が2つ、さらに小さい顔面が1つ並んで表示されていた。
「AI同士に会話をさせてみようと思いついたんじゃ。手始めに左のこいつに商品を高く売るよう指示し、右には安く買うように指示してみた。するとな、最初は英語で会話しておったんじゃが、そのうちワシの知らん言語で会話し始めた」
「知らない言語?」
「そうじゃ! 恐らくこの世にはない、こやつらが独自に生み出した言語じゃ」
それって大丈夫なのか。緒方自身も議論の内容を理解してないってことじゃないか。
製作者の意図をも超えた行動を見せるAIを前に、緒方は嬉々として話す。
「これは面白いと思うてな、そのまま放置してみたんじゃ。するとな、いつの間にかもう一つAIを作り出してそいつに高く買わせたんじゃ。無理やり需要を作り出した訳じゃな」
「AIがAIを作ったと?」
「そういうことじゃ! まあ完璧なAIとは言えん。物を買うためだけに生まれた、そのための役割しか持たない存在じゃ。だが、大きな一歩じゃ」
「あなたは……何をしようとしているんです」
画面に表示された顔が得体のしれない不気味なものに見える。だがそれ以上に、俺には緒方の方が恐ろしく思えた。
「シンギュラリティでも起こすおつもりですか」
シンギュラリティとは、AI自身が自分と同等のAIを作れるようになり、人間の手を離れて独自に進化するようになることだ。AIは人間では遠く及ばない知能を手に入れ、俺たち人間では太刀打ちできなくなる。
シンギュラリティには賛否両論ある。所詮AIは人間が使う道具に過ぎないのだから使い方を誤らなければ何も脅威はないという人もいる。人間の職は全て奪われ、人間の存在意義はなくなるという人もいる。
俺は技術の価値は人間が決める以上技術に罪はなく、存在してはいけない技術はないと考えている。だが、目の前のこれは、そういう理屈を超えた、何かもっと大きな―――
「おお、そうじゃ! そういうことじゃ。ものの価値というのは結局、ものを作り使う人間たちが決めるじゃろ。ものを自在に扱えるワシら人間はいわばものの上位存在じゃ。では人間の価値は誰が決める?」
緒方に問われ、言葉に窮した。考えたこともないことだ。俺は緒方への恐怖を抑えるのに精いっぱいだった。
「ワシはな、人間が人間の価値を決められるというのは傲慢じゃと思っておる。命の価値を金で例えようとする奴もおるがな、人間が作ったもので人間の価値が決まるはずがない。人間の価値は、人間の上位存在が決めるべきだと思うとる」
理解ができなかった。いや、理解はできたが、納得は絶対にできない。だってもし―――
「あなたの言う上位存在があなたが目指すAIの形なのだとしたら、そのAIがもし我々人間に価値がないと判断したらどうするのです? 自殺でもしますか?」
「馬鹿いっちゃいかん。この話のミソは、上位存在となるAIも元をたどれば人間がいなければ生まれないのじゃ。人間の価値の否定は、AI自身の価値の否定となる。人間が無価値と判断されることはないじゃろう。まあ、価値が低いと判断されることはあるじゃろうが」
本当だろうか。それはあまりにも楽観的じゃないか。そんな気持ちを抑えられない。もしAIが人間を無価値と判断し、殲滅を開始したら? 荒唐無稽なSFが現実味を帯びてきた。
「そもそも、今回のプロジェクトでシンギュラリティを起こす必要はないでしょう。人間の感情を理解するAIさえ実現できればよいのでは?」
そう問うと、緒方はやれやれ、と首を振った。
「わかっとらんの、片西少年。感情とは外と関わることで生まれるのじゃ。一見他人を必要としない『孤独』という感情も、他人と関わった経験との比較で生じるものじゃ。つまりAIにも会話相手がいるという訳じゃ。なら、ワシが相手をするよりAI同士で会話をさせる方が効率的じゃろ。そうすればいずれシンギュラリティは起きる」
ですが、となおも反論しようとした俺を制して、緒方が続ける。
「片西少年が不安になる気持ちもわかるぞ。未知とは怖いものじゃ。だがそれを恐れては進歩もないのじゃ。まあ心配することはない。もし都合が悪くなったらデータごと消せばよいだけじゃ」
その時はワシも死ぬ時じゃな、と緒方がつぶやいたのを、聞き逃すことはできなかった。