黒井との議論
稲田と接触したことはすぐに大熊に伝えた。想像よりも早く接触してきたため大熊も驚いているようだった。
「デミヒューマンの暴走が他国によって仕組まれたものである、と。まあ、全くあり得ない話ではないでしょうね」
稲田の考えを聞いても大熊は大きな反応を見せなかった。そのことを指摘すると、
「私はいろんな方と交流がありますからね。噂話は色々と聞きます」
と事もなげに言った。それにしたって、思うところはないのだろうか。
俺が不満そうな顔をしているのを見てか、大熊は弁明するように言った。
「それが本当なら私も不愉快ですがね。今はそれを言っても仕方ない。私たちがこのプロジェクトを成功させれば十分他国の鼻は明かせるでしょう。まずは目の前の課題に取り組んでください」
「……すみません」
大熊に諭されながらも、俺は釈然としなかった。大熊は日本に並々ならない思いを抱いている。そんな人物が、この程度の反応をするだろうか?
一方、開発の方はかなり順調に進んでいた。
稲田からのアドバイスも参考に、俺は新たな機構の開発に取り組んでいた。二の腕や前腕など比較的スペースに余裕がある部分には油圧式を、指のような細い部分にはワイヤを使用する。
今回は物を持たせるのは諦め、指が出さなければいけない力を小さくした。おかげで指の細さを再現できた。
外部にチューブを取り付けなければならない油圧式の課題を解決するため、人工筋肉の開発を始めた。
強い力を発揮するには大量のオイルが必要になり、腕の中でオイルを溜めるシリンダの体積の割合が増える。だから外部にチューブをつけないといけない。
だが、物を持たないなら腕が強い力を発揮することはないのでは?
そう思い、シリンダを小さくし、チューブを腕の中に通すことを考えた。チューブを高強度の繊維で囲んで保護すれば、チューブが傷ついてオイルが漏れることはないはずだ。
ここでも、黒井に手伝ってもらうことにした。
「できると思いますか」
「んーそうですねー、ゴムとか化学繊維とかになってくると結構専門外なんですけど、まあ何とかなると思います!」
……今回も頼りになるのかは分からない。
「ゴムチューブとか化学繊維って、車のタイヤとかにも使われている技術なんですよねえ。なのでその辺り調べたらそれっぽいのはできるんじゃないかな」
前言撤回。ものすごく頼りになる。
「黒井さんは最近はどうですか? 進捗のほどは」
「進捗ですか? まあまあですね。バッテリーの開発は目途が立ってきました。なので最近は通信システムの改良をやってます」
「通信システム? 今でも十分だと思いますが」
「そう思うじゃないですか。でも、今はまだ胴体と腕と脚が別々ですけど、多分一緒に動かすとなると実際の人よりも動き出しが遅くなると思うんですよね。
今のところ胸の部分から指令信号を送って体を動かす、って風にしようかなと考えてるんですけど。例えば足先みたいに、当然胸から遠くなるほど信号が届くのは遅くなるので」
「なるほど。それはそうですね。そっちは何とかなりそうですか?」
「うーん、結構どうしたらいいかわかんない、って感じだったんですけど。でも、アジトの本棚漁ってたら面白いの見つけたんですよ!」
そう言って、黒井は紐で綴じられた一つの論文を見せてきた。
タイプライターで書かれたタイトルは「疑似シナプス理論」。著者名は、黒井達彦。黒井の祖父の名前だ。
「ほら、ここの本棚って加東教授が使ってた時のままじゃないですか。だから加東教授とロボットを作ってたとき、おじいちゃんは通信システムどうしてたのかなって思って探してみたんです。そしたらこれがでてきて」
黒井がどこか自慢げに言った。
「興味深いタイトルですね。どういう内容なんです?」
「情報を伝える神経伝達物質は人工的に作ることができるから、情報を熱いとかざらざらしてる、みたいな種類分けすることができれば人間の情報伝達システムは再現できるよ、って内容ですね。神経細胞の接点の名前を取って、疑似シナプス理論」
かなり面白そうな、画期的な内容だ。だが、黒井の祖父が書いた論文、ということが気になる。黒井の祖父が研究者として活躍していたのはかなり前だ。こんな論文を書いていれば、俺の耳に届いていてもおかしくない。だが俺は知らなかった。
「これ、どうも未発表の論文みたいなんですよね」
俺の疑問はすぐに解決した。
「私、おじいちゃんの論文は全部目を通してるんですけど、こんな論文見たことなくって。気になって当時の論文誌とかも漁ったんですけど、やっぱりなかったんです。それで、なんで発表しなかったのかなーって考えたんですけど、多分これが原因じゃないかなって」
そう言って、黒井は論文の最後、結論のページを見せてきた。
黒井の祖父の堅苦しい文章が並んでいる。研究の今後について綴られた、よくある体裁のものだ。しかし、タイプライターの文字で埋められた余白に、メモ書きと思われる手書きの文章があった。
そこには、「体があって電気信号で動く仕組みはロボットも人間も変わらない。人間が特別であるとするなら、それは心があるからだ」 と書かれていた。
「私が思うに、多分おじいちゃんはこの論文を発表することで、誰かが疑似シナプス理論を完成させて、人間とロボットの区別がつかなくなるのが怖くなったんだと思います。このメモ書き、よく見ると最初と最後で書いた時期が違うのわかります?」
そう言われて、もう一度メモ書きの文章を見た。すると確かに、一文目と二文目でかすれ具合が微妙に違う。一文目の方がより古い時期にかかれたようだ。
「おじいちゃんは疑似シナプス理論がロボットの性能を高めて、人間と違いがない動きを達成できることに気づいたんだと思います。それで、人間の存在意義が無くなるように感じてしまった。
多分、後ろの『人間が特別であるとするなら、それは心があるからだ』っていうのは、自分に言い聞かせるために書いた気がします。でも結局、発表はしなかった。いずれ心も再現できてしまうことを悟ったから」
納得できる説明だった。それが本当かどうかはわからないが、答えを知る人間ももうこの世にはいない。
「私はロボットが感情を持っても面白いなとしか思わないから、おじいちゃんの不安は理解できないけど。でも、だからこそ私なら疑似シナプス理論を完成させられるんじゃないかなって。そうしたらおじいちゃんが見なかった景色が見れるし、おじいちゃんが何を恐れたのかもわかる気がするんです」
そう話す黒井の目には、確かな覚悟が表れていた。
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