第五話
アリシアがウィナードへ旅立った後、一志は都内の繁華街にあるコーヒーショップへと訪れていた。
職場の先輩に弟に贈るプレゼントの相談をされたためである。
待ち合わせの時間より幾分早く到着した一志はコーヒーを注文し、席に着くとおもむろにスマホを取り出した。
アリシアのこともあり、本来は放置ゲーであるMIST WANDERERを頻繁に触るようになっていた。
現在、アリシアもイッシーも同じ黒霧の森を攻略する形になっている。少しでもアリシアの役に立つ事がないかと、イッシーも黒霧の森に潜っているのだ。
まずはイッシーの冒険ログを確認してみる。初めて黒霧の森に冒険に出てからというもの、イッシーの冒険ログ上ではアリシアが遭遇したというグールはまだ出現していない。
これが単純に出現頻度や探索している位置に起因するものなのか、或いはアリシアがグールを撃破した事が原因なのかは不明である。
もし仮にアリシアが倒してしまったことによって、イッシー側に影響が出ている場合、裏を返せばイッシーの行動がアリシアに影響を及ぼす事が可能という事である。
そうだったら面白いな、と考えながらも、実際はたまたま遭遇していないだけだろう。そもそも相互に影響を与えられるなら、パーティーを組めない理由が説明出来ない。
いや、そもそも説明出来ないことのオンパレードな訳で、深く考えても仕方ない事ではあるのだが。
色々な事を頭に浮かべつつ、ログを流し読みしていた一志の目に、真っ赤なフォントで危険を告げる文章が飛び込んできた。
これはそのエリアに存在するエリアボスと遭遇した際に表示されるものである。
「イッシーってば後続なのに先にボス戦かい。」
「ってか、これイッシー戦闘不能になって戻って来てたよな。やっぱり初見撃破は難しいか。」
MIST WANDERERはハクスラ、トレハンをメインに据えたゲーム性である。多くのハクスラ系ゲームがそうであるように、基本的に倒せないようなボスは出てこない。
倒してナンボ、周回してナンボなのだからある意味当然であろう。
ただ、この黒霧の森は本来MIST WANDERERに存在していたエリアではない可能性が高い。
それはこれまでイッシーが冒険していた本来のMIST WANDERER世界を探索した時のログと黒霧の森でのそれを比較すれば明らかである。
出てくる敵の強さが全然違うのだ。
MIST WANDERERにおいて出てくる敵は所謂雑魚であり、数こそ多く出てくるが、単体で考えるとほとんど一発殴れば倒せてしまう。
だが黒霧の森で出てくる敵で最も登場する機会が多いゾンビでも場合によっては3回攻撃しないと倒れない。
ほんの数回分多く攻撃する必要がある、ただこれだけの事がハクスラというゲームにおいては致命的になるのである。
一般的なRPGゲームと違い、ハクスラでは途轍もない数の敵が同時に出現するのが当たり前だ。
そんな中、敵一体に時間をかければそれだけ、他の敵から攻撃される危険性が増すのだ、気付いた時には囲まれていてなす術なく殺されてしまう。
幸い、黒霧の森では敵の出現率はそれほど高くはないが、それでも複数を同時に相手しなければならないケースも出てくるため、これまでのハクスラと同じ頭で臨んでも攻略は難しいだろうと一志は考えている。
そんな状況で未知のボス戦、一体どんな敵でどんな攻撃をしてくるのか。そんな完全にゲーム脳になっていた一志のすぐ傍でー
「宮田君。」
不意に声を掛けられた一志は驚いて危うくスマホを落っことすところであった。
「あ、遠見さん。お疲れ様です。」
一志はスマホをポケットに仕舞うと、目の前の女性に向き直り挨拶をすると、改めてその相手を確認する。
遠見冴、一志と同じ部署の2つ上の先輩であり、チームリーダーを任されている。
緩くパーマがかったボブカットに非常に整った目鼻立ちをしており、控えめに言っても美人である。
他部署にもその存在を知られており、男性社員に言い寄られては、笑顔であしらう姿を何度も目撃している。
「ごめんね、待たせちゃったかな。」
「いいえ、お気になさらず。僕もさっき来たところですし。」
そう言ってコーヒーを口につける。一志の席の向かいに腰を下ろした遠見はどうやらラテ系のオーダーをしたらしい。
カップの表面を泡立ったミルクがふわりと覆っている。
「弟さんの誕生日でしたっけ。もうどんなものを贈るか考えてはあるんですか?」
一志の質問に口に運んでいたマグカップをゆっくりとテーブルに戻すと、一息ついてから遠見は口を開く。
「そうだねぇ…。弟は今年新成人だから、お高いお酒とかどうかなって。」
「お高いお酒って、それ家族に飲まれてあっと言う間になくなりそうですね。どうせ遠見さんも飲むんでしょう?」
「それは当たり前よね、値段相応に美味しいのか確かめる義務があるでしょ?」
これはあれだ、自分が飲みたい酒をプレゼントとして贈って、実際はほとんど自分が飲むつもりのやつだ。
そう考えると会ったこともないが、なんだかその弟が不憫に思えてならない。
「遠見さん、ここは形として残るものを贈ってはどうでしょう。」
「それを見るたびに弟さんは姉からのプレゼントだと思い出して、感謝と尊敬の念を感じるんです。」
遠見は両手で包むようにマグカップを持ち、口を付けながら視線で続きを促す。
「新成人という事でもう立派な大人の仲間入りを果たす訳です。」
「大人としてこれからどんどん新しい世界に触れて、様々な経験を積んで自分をブラッシュアップしていく。」
「そんな激動の日々の中で自分を見失ってしまわないために、大切になってくるのが自己管理です。」
マグカップをテーブルに置いた遠見は一志から視線を外さず、テーブルに肘を付き顔の前で指を組んでいる。
「続けて。」
「自己管理を行う上で基本となるのが行動の管理、ひいては時間の管理です。」
「ここは一つ、腕時計などは如何でしょうか。定番と言えば定番ですが、それ故にハズレもないかと。」
「時間に流されず、自分を見失わずという意味も込めて、錨をモチーフにした良いデザインのものがあるんですよ。」
そう言うと一志はスマホのネットページを見せつつ、件の腕時計の詳細について説明を始めた。
「あ。」
「ん?どうしたの?」
コーヒーショップを出てから遠見の買い物に連れ回された後、夕方になり辺りもすっかり暗くなってきていた。
スマホの通知に気付き内容を確認した一志から思わず声が漏れた。
通知内容はMIST WANDERERからでアリシアが拠点に帰還したというものであった。
アプリ内からの設定で登録キャラのアクションを通知出来るようにしていたのである。
現在一志は外出先だ、まだほとんどこちらの世界に慣れていないアリシアをマンションの自室とはいえ、
独りきりにさせておくのは何ともしのびない。
「すみません、急遽家に帰らないといけなくなりました。」
「あらら、彼女からの呼び出し?」
「残念ながら違います。何というか、非常に説明し辛いんですが…。」
そう言って黙り込み、何か考え込み始めた一志をニヤニヤしながら見つめる遠見。
「遠見先輩、今日これからまだ時間ありますか?」
「お?何々?流石に後輩の痴話喧嘩に首突っ込むのは嫌よ?」
そんな事を言いながら目は嗤っている。
「だから違いますって!細かい話は道中説明します。行きましょう。」
「まぁ、いいけど。弟に電話だけするね。」
そのまま二人は最寄り駅から一志の住む郊外へと電車に乗り移動を始めた。
一志は道すがらこれまでの経緯を遠見に簡単に説明した。
アリシアと異世界の事、MIST WANDERERとの関係性などについてである。
「…とまぁ、現状そういう状況になっておりまして…。」
「うーん。そうねぇ…。そうだねぇ。」
「正直、はいそうですか、と信じられる内容ではないわね。」
ばっさりと斬られた一志だったが、ある意味それが当たり前だろうと予想はしていた。そりゃそうだろうと。
「でも、そんなしょうもない嘘を吐く人間じゃないって事も分かってるつもり。」
「おや、それは嬉しいですね。ありがとうございます。」
「…まぁ、実は全部嘘で、単純に私を家に連れ込むのが目的だったとしたらー…。」
「…したら?」
遠見は不敵に笑うと右手を自分の首に添えてスライドさせる。
「物理的に落とす。」
「怖っ!」
「元ガールスカウト隊員の恐ろしさを存分に教えてあげるわ。」
「いやいや、ガールスカウトのイメージ悪くなるような事言わないで!」
冗談よ、と笑顔で言われたが背中に感じた寒気は本物だろう。
電車とタクシーを駆使し、取り急ぎ自宅へと戻ってきた一志と遠見。
「ここが宮田君のマンションか。思ったよりしっかりとしたとこなのね。」
「都内に比べれば家賃安いですからね、駐車場代を家賃に回せるって考えれば、そこそこいい所に住めるんです。」
玄関のカギを開けて中に入る、女性を招くのは何気に初めてだな、などと考えながら遠見を招き入れる。
玄関にカギを掛けて、ダイニングに視線を送る。思った通り、床に白いワンピースから覗く白い足が見える。
一志の視線を何気なく追った遠見が、同様に床に倒れこんでいる白人女性を見つけると足早に駆け寄った。
「本当だったのね、流石にお姉さんも驚いたわ…。」
「だから嘘じゃないですって。取り合えず、僕がベッドに運びますので冷蔵庫から冷たいものをお願いします。」
「わかった。」
一志がアリシアを抱きかかえベッドに寝かせると、遠見が麦茶を注いだコップを人数分持ってきた。
そこで二人はアリシアが目を覚ますまでの間に、現状の整理を行うことにした。
一志はまず、原因の一つであるMIST WANDERERについて改めて説明を始めた。
元々自分がプレイしていたオフライン専門のハクスラ&トレハンゲームであったこと。
そこにアリシア曰く聖石が何かしら作用して、超常現象じみた効力を宿していること、それがさながらゲームそのものであることなどを説明した。
「ちょっといいかな?そのキャラクター登録っていうの、宮田君は出来ないのよね?」
MIST WANDERERの持つ異常性とも言うべき効果の説明中、遠見が確認してくる。
「はい、何度やってもダメでしたね。マスターは登録出来ないとエラーが返ってきます。」
「ふむ。マスターね…。」
そういうと遠見はバッグから化粧ポーチを取り出し、コンパクトミラーでメイクと髪をチェックする。
「オーケー、綺麗に撮ってね。」
「…いいんですか?厳密には何が起きるか分かってないんですよ?」
「でも気になるでしょ。検証出来る事象はクリアにしないと気が済まないわ。っていうか撮る気満々じゃない。」
遠見に念を押すような言葉を吐きながら何食わぬ顔でアプリを起動しキャラクター登録画面を操作している一志を見て、
遠見は呆れ顔でツッコミを入れる。
「問題は手放しで放置するな、と会社の有能な先輩にいつも言われてるものでして。行きますよー。」
登録された遠見のキャラクターは、やはりというべきか、2Dドット絵になっても美人だった。
続いてステータス画面を開いて確認する。ここで一志は前回と同様に小型プロジェクターにスマホを接続して、家の壁に大画面で映し出した。
遠見 冴
職業:レンジャー
年齢:25
性別:女性
スキル種別:近接戦闘/弓術・投擲術/索敵・分析
自分が2Dドットになった姿を見てどうやら気に入ったらしく、上機嫌になった遠見を尻目に遠見の持つスキルツリーに目を通す一志。
レンジャーは一般的なハクスラゲーにおいては、ローグやらアーチャーやらと同じく弾幕を張って近付かれる前に敵を殲滅することを第一とする職業である。
よって基本的に近接戦闘は不得手であり、移動や回避に特化したスキルを持っているのが一般的な筈だ。
「…遠見さん、何か格闘技とかやってました?」
壁に映し出された大画面に表示されている自身のスキル構成をぼんやりと眺めながら遠見が答える。
「友達と一緒にジムでボクササイズみたいな事はやってる、かな。」
遠見の近接戦闘スキルのツリーで最初に出てくるのが近接格闘スキルであり、グレーアウトされている。
詳細を確認する限り、格闘と短剣を包括したスキル構成のようだ。シーフやスカウト、アサシンなどと同系統のスキル構成である。
当然それら専門職と比べると、より深度の低いスキルが多そうだが、レンジャーの本領はあくまで遠距離にあるため全く問題ないだろう。
ちなみに弓道やアーチェリーなどはやったことがない、との事であった。
ただし、ダーツは好きでマイダーツも持っているという。
残りの索敵はガールスカウトを子供の頃にやっていたというのが関係しているのだろう。
「なんか遠見さんが想像していた以上に戦闘職なのにビビりました。」
「あんまりゲームの事は分らないけど、遠近どっちもそこそこいけるけど、中途半端で終わる、みたいな感じなのかな?」
「そうですね、最終的にはどちらかに寄った構成になるでしょうね、尖らせるというか。」
ゲームは分らないと言いつつ、細かい部分まで質問してくる遠見とMIST WANDERER について、より掘り下げた話をしていく一志であった。
「ここは…。そうか、私は…。」
目を覚ましたアリシアは初めて見る訳ではない、でも未だ慣れない天井を見ていた。
異形の者たちに殺されて此処でこうして目を覚ますのも三回目、早く王都に戻らなければならないのに、
足止めを食っている自身が腹立たしい。
無意識に首に触れる。先ほどアンデッドと化した仲間の騎士に叩き落されたのだ。
だが何の痛みも傷跡もない。ただ記憶だけが残っている。
神に仕え自らの信仰を拠り所に剣を振るう聖騎士が、アンデッドに堕ちる事はどれほど無念だっただろう。
恐らくもう自我なんてないだろう。ただ剣を振り舞わすアンデッドだ。ただ、かつて仲間だっただけだ。
ダンばかりではない、もしかしたら他にもアンデッドになってしまった騎士がいるかもしれない。
「私が、この手で断ち切る。」
仲間の無念を晴らし、その魂を救ってみせる。アリシアはそう決意した。
その時アリシアの耳に誰かの会話する声が聴こえた。
「一志殿だろうか。」
前回ここに来た時は家主である一志は留守中であった事を思い出し、取り合えず「だいにんぐ」という場所に行く事にした。
ベッドから起き上がり、何となく髪を整えて一呼吸する。それとなく着ている白いワンピースのしわを伸ばしてみる。
よし。
寝室の扉を開いて一志に呼びかけようとしたアリシアだったが、それより先に声を掛けられた。
「お。目が覚めたみたいね。」
「あぁ、アリシアさん。お早う、気分はどう?」
一志と遠見に同時に声を掛けられたアリシアは一瞬返答に困ったが、すぐに取り直して返事をする。
「一志殿、問題ありません。何度も、本当に申し訳ありません。」
「貴女は初めまして、ですね。私はアリシア=リオーネと申します。以後、お見知りおき下さい。」
騎士の姿ではないからか、咄嗟に貴族子女としての礼式で挨拶をするアリシア。
自然体で流れるような所作、そこにアリシアの美しさと貴族然とした気品も合わさり、遠見も思わず見惚れてしまった。
「宮田君。」
「何でしょう。」
「今の今まで色々と疑っていたけど、全部信じる事にするわ。」
「彼女との痴話喧嘩でも、連れ込み目的でもなかったでしょ?」
「はいはい、そうね。私が悪かったわよ。」
オーバーリアクション気味に両手を拡げて首を振る遠見を見て、話についていけていなかったアリシアが困惑したように声を出す。
「あの…、どうかされたのでしょうか。」
「ううん、何でもないの。さっ、そんなとこに突っ立ってないで。」
遠見に促されるまま、アリシアはソファに腰を下ろす。
「私も簡単に自己紹介するわね。」
アリシアに向き直ると遠見も自己紹介を始めた。アリシアも自己紹介と簡単な現状の説明を行う。当然ながら一志の補足付きだ。
「そっか。仲間の騎士が…。」
「はい…。ですが仲間の無念は必ず晴らしてみせます。」
決意に満ちたアリシアの表情を見つつ、一志はMIST WANDERER の冒険ログを確認する。
実は今回アリシアが死に戻って来た際に、サイドクエストが発生していたのだ。
サイドクエストのクエスト名は<堕ちた聖騎士に捧げる祈り>となっており、詳細は次のようになっている。
クエスト名:堕ちた聖騎士に捧げる祈り
難易度:★★☆☆☆
達成条件:アンデッド化したレイヤード聖騎士団員の討伐・鎮魂
期限:無期限
MIST WANDERER においてはサイドクエストと言えば、経験値と報酬目当てにこなすものであり、
発生に至る背景や、ストーリー性などは殆ど無視してきた一志である。
流石に当の本人を目の前にして、ちょっと面倒そうだからスルーしようなどと言える筈もない。
「オッケー。王都を目指す道すがらに彼らに遭遇したら、可能な限り救ってあげよう。」
「ちなみに今の時点で判明しているターゲットはダン=ヒュンゼン、リース=マイヤーズとドラン=ドランの3人だね。」
サイドクエストを設定した途端、黒霧の森のマップ上に赤いターゲットアイコンが表示されるようになった。
「そうですか、彼らも…。ですが落ち込んでばかりもいられません。今は王都を目指します。彼らはいずれ必ず…。」
「ちょっといいかしら。」
ここで黙って話を聴いていた遠見が口を開く。
「アリシアさんは急いで王都に帰る必要があるのよね、その理由を聴いても?」
「はい、そう言えば一志殿にもキチンと話していませんでしたね。申し訳ありません。」
「私達は隣国であるグレアヒム王国から帰還する司教様の護衛として、黒霧の森を通過しようとしていました。」
「黒霧の森に入って間もなく、アンデッドの群れに遭遇しました。そしてその戦闘中にあの黒い異形が現れたのです。」
一志は軽く頷きながら続きを促す、ここまでは前に聞いている。
「私達は圧倒的な力の差に追い詰められました。何とか司教様だけでも無事に離脱させようとしたのですが…。」
「私は司教様にゴドの聖石を託され、王都に必ず持ち帰るよう指示を受けました。」
ゴドの聖石、恐らくこの<ロロの朽ちた指先>の事だろう。一志はそこでアリシアに疑問をぶつける。
「アリシアさん、ゴドの聖石はどういった目的、用途があるものなの?」
「申し訳ありません、詳細は私も知らないのです。ただ、今回の聖女の祈りでレイヤード様から王都の大聖堂に持ち帰るようにとの信託が下ったのです。」
「聖女?の祈り?」
「はい、聖レイヤード教の聖女様です。レイヤード様の御加護による奇跡の御業で我々信徒を導いて下さいます。」
「聖女の祈りとは、その名の通り聖女様による祈りの儀式です。定期的に諸外国からも要請を受け、聖女様、司教様が派遣されます。」
こちらの世界でいうところの大規模な集会のようなものらしい。王族など国家の重鎮が亡くなったり、大規模な事故や疫病などが発生した際は慰問、弔問という側面が強くなるようだ。
「少なからず政治家みたいな側面も持ってるって事みたいね。宗教国家だとそれが当たり前なのかしら。」
アリシアの話ではアンデッドを始めとした所謂モンスター、例の狭間に潜む者などに対しても祈りが絶大な効果を発揮するらしい。
従って、聖女を定期的に自国に招く事に関して、国家間で諍いが生じる事も珍しくないそうだ。
「じゃ、そのゴドの聖石は何か特別な意味を持っていて、それを王都に、厳密には大司教様に渡さないといけないって事なのね。」
アリシアが頷く。
「宮田君、ちなみに今の進捗はどれくらい?」
マップ画面を睨んで難しい顔をしていた一志に遠見が尋ねる。
「ざっくりと3割ってところですね、沼地を抜ければ速度も戻るとは思いますが…。」
「如何せん、敵が厄介なんですよね。あと霧で視界が悪いのも影響が大きい。」
黒霧の森は現在アリシアが足止めされている沼地を越えれば、そう遠くない内に抜ける事が出来そうだ。
「ね、アリシアさん。」
遠見がアリシアに向き直り両手を取る。
「貴女を援護出来て、霧の中でもそこそこ索敵出来るような仲間が居たらどう?その王都までの道も少しは楽になるんじゃないかしら。」
「え、はい。それは間違いなくそうですが…。生憎と騎士団の仲間を探している時間もなく、またそもそも生存者がいるかすら…。」
「宮田君。」
「…パーティーを組める事は確認済です。向こうで死んだ場合も恐らくこっちに戻ってくるでしょう。」
パーティ登録に遠見を加えたところ、拠点の登録者数も1増えた。
「でも先輩、100%保障されてる訳じゃないですからね。」
「分かってる。大丈夫、基本的に逃げの一手で真っ直ぐ森を抜けるから。」
目の前でどんどん話が進む事に戸惑うアリシアが声を上げる。
「待って下さい!死んでしまうかもしれないのに、貴女はそれでもいいのですか?」
「一志殿も、貴方のご友人を私の都合で危険な目に合わせる訳にはいきません。」
躊躇いがちに話すアリシアに遠見が笑いかける。
「大丈夫よ、実は貴女が眠っている間に宮田君と話自体は進めていたの。」
「そのための準備と検証もあらかた済んでいるわ。」
そう言って自身のスマホを操作し始めると、遠見の身体が眩い光に包まれた。
金属製のワイヤーと魔獣の革で作られたヘッドバンドに、魔獣の皮をなめして作った軽鎧、
黒いスキニーパンツに黒く塗り潰された膝当て、そしてロングブーツと見るからにスカウトといった装備を纏った遠見が現れる。
武器はダガーと小弓、自身のスキル構成から検討したこのスタイルで行く事に決めたのだった。
「いやー、2Dドットでも良い感じでしたが、実際に見てもやっぱり格好良いですね。」
先ほどまで女性らしい恰好をしていた遠見が、唐突に戦士然といった出で立ちに変わったのを見たアリシアも驚きで声が出ない。
「先輩、改めて装備の確認をしますよ。」
「えぇ、お願い。」
頭:狩人の髪留め<マジック>
体:グレーウルフの軽鎧
腰:アイアンベルト
脚:黒絹のズボン
足:レザーブーツ
右手:アイアンダガー
右手:風の音の小弓<エピック>
遠見の装備一覧がプロジェクターを通して壁に映される。
「先輩に用意出来た装備で特筆すべきなのは、髪留めと弓です。」
「狩人の髪留めはレンジャー、スカウト職が装備した場合、気配察知や索敵にボーナスが付きます。」
「もう一つの風の音の小弓は文字通り、風属性が付与されたショートボウですね。命中補正と飛距離の増加が付いてます。」
一志の説明に耳を傾けながら、遠見はダガーを構えて握りと動きを確かめる。
遠見が取得したスキルは3つあり、内2つがパッシブスキルである。
パッシブスキルとは取得するだけで効果と恩恵を得る事が出来るスキルを指し、反対にその都度使用するスキルをアクティブスキルと呼ぶ事が多い。
遠見が取得したパッシブスキルは<近接戦闘/弓術・投擲術>であり、これは一志とも話し合った結果、アリシアのサポートに必要なものであった。
パッシブスキルを取得した後の感覚を遠見に聞いたところ、それまで自転車に触れたこともなかった人がスキルの習得後は、昔からずっと乗っていたかのような
感覚になるという。事実、遠見も弓に触れたのは初めてだが、ずっと弓を手にして生きてきた、と錯覚する程の感覚を持っているらしい。
そしてアクティブスキルの方だが、これは<索敵・分析>のサーチを取得した。意識を集中させると一志のマンションの両隣り3部屋程度の気配は感知出来るようだ。
「私、既に普通の人間じゃなくなった気がするわ。気のせいだと思うけど。」
「そうですね、アリシアさんがスキルを使えたし、先輩も普通に使えるみたいですね。」
「ちなみに先輩、索敵のスキルも習熟すると、自身の半径数キロの正確な探知が出来るようですよ。人間辞めてますね。」
腰に下げるタイプの矢筒に十分な量の矢を補充しつつ遠見が応える。
「取り合えず、アリシアさんが王都に行けるまでだから…。そんなに強くならないでしょ。」
準備を終えた遠見がアリシアに向き直る。
「私の方は準備出来たわ。いつでも出発出来るよ。」
「本当にいいのでしょうか…。」
まだ迷っているアリシアの手を取り、柔らかく微笑む。
「気を病む必要なんてないの。貴女はただひたすら前に進む事だけを考えて。」
「私の事は気にしないで。だって、善意3割、興味6割ってところだもの。別の世界に行ける機会なんてこの先2度とやってこない。」
そういうと遠見は一志の方をチラリと見る。
「そんな恨めしそうに見ないでよ。プレイヤーだっけ?そういう仕様なら仕方ないでしょ。」
「それよりも向こうで色々検証したい事もあるんだから、戻ってきたら情報共有と検討するわよ。」
職場での絶対的な上下関係からか、遠見の言うことにはノータイムで従う一志。
「イエス、サー。こちらからも諸々試してみます。」
アリシアに目配せし、ステータス画面からアリシアの装備を整えていく。
アリシアの換装を終えて、3人で打ち合わせをしてから2人をウィルナードに送り出す。
霧が晴れるかのように部屋から消失した2人の立っていた所を眺めていると、一志のスマホから通知音が響く。
MISTWANDERER 内のパーティーメニュー画面に新規通知を知らせるバッジが付いており、そこにはアリシア=リオーネと遠見冴が黒霧の森を探索中と表示されていた。