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「星新一賞」ボツネタ

自省の檻

作者: 梅津高重

 男が目を覚ましたのは、灰色の部屋だった。

 灰色の天井に灰色の壁。身を起こすと灰色の机と椅子が目に入った。ありふれたくたびれた事務机一式。必要だからそこに置いただけ、という事務的な雰囲気が寝室には似つかわしくない。

 もちろん、刑務所にも似つかわしくない。

 昨日の夜、この部屋に連れてこられて目隠しを取られ、手錠を外され、告げられたのは、

「刑期は明日から始まる」

 という一言だけだった。

 それだけを言い残すと、2人の刑務官は部屋を出て行った。

 男はベッドに静かに腰掛け、そのまま体を横たえた。

 これまでのことを振り返り、ようやく、贖罪の日々を始められることにほっとする。どう償うべきかを常に考え続けなければならないという脅迫観念から、少しだけ解放される。

 言われた通りの日々を、ただただ公的に許される日が来るまで送る。それ以降はまた、考え続けることになるが。

 そんな風にしばらくはいくらか楽ができるという安堵に、また自責の念を覚えるが、ともあれ、ずっと張り詰めていた緊張の糸が急に解けた。

 昨晩は、そうして目を閉じ、睡魔に身を委ね、深い眠りに落ちていった。

 そして翌朝、起き出してきた男は扉の前に立ち尽くしていた。

 カーテンの隙間から差し込む光の加減からは、今が朝のそんなに早い時間帯ではないことがうかがい知れた。

 てっきり、ブザーか何かで早朝に起こされるものだと思っていたのだが。まさか、それを聞き漏らしたなんてことはないだろうし、もしそんなことになっていれば、刑務官にたたき起こされただろう。

 そう思っていると、実は無意識に昨晩から抱えていた違和感の正体に気付いた。刑務官が鍵を掛けた気配がなかったような気がするのだ。

 はたして閉め忘れるようなミスはありうるのだろうか。ただの勘違いか、全く無音で掛けられる鍵なのかもしれない。もし掛かっていないことに気付いていたなら、こちらから申し出て鍵を掛けて貰うべきだったのではないだろうか。気になりだすと止まらなくなる。

 ノブを回せば、簡単に確かめることはできる。だが、もし、本当に開いていて、それを脱獄の試みと見做されると問題だ。

 このまま待つべきか、自分から行動すべきか。

 様子をうかがっていると、時折、扉の向こうに人が通るような気配がある。

 自分には、自分勝手な判断で取り返しの付かないことになってしまった、言葉通りの前科がある。刑務所が、それを戒め、再び社会生活を営んでも良いというところまで人間を矯正する施設だと考えれば、自分で判断せず指示を待つべきだろう。

 そう考え、直立の姿勢で待っていたのだが、男は、そろそろ限界を迎えようとしていた。

 夜中から若干困ってはいたのだが、この独房にはなぜかトイレがなかった。

 恐る恐る手をノブにかけ、回してみると、扉は静かに開いた。

 隙間から外の様子を窺う。

 廊下には、何人かの男が歩いていた。自分と同じ囚人服を着ているからには囚人なのだろう。皆、なにがしかの緊張感を持った風に、静かに通り過ぎていく。

 男は意を決して部屋から出た。

 廊下をきょろきょろと見回したが、目的のマークは見当たらなかった。

「お手洗いですか?」

 不意に声を掛けられ、振り向くと、初老の男が立っていた。

「それでしたら、あそこの扉です」

「え、あ……どうも……」

 挨拶でもしようかという言葉を遮るように、男は続けた。

「新しく入られた方ですね。ひどく緊張されている様子からよく分かります。ここでは特に強制される規律もないようですので、なさりたいようにどうぞ。この廊下を向こうに行くと、食堂と警務作業場がありますので。それでは」

 そして、抑揚のない丁寧な言葉でそれだけ言うと、さっさと通り過ぎていった。

「え?あの……」

 なにかおかしなことを言われたような気がして、呼び止めかけたが、初老の男は聞こえたのか聞こえなかったのか、足早に立ち去ってしまった。

 ともあれ、我慢がそろそろ限界だ。男は足早にトイレへと向かった。

 人心地付きながら、言われたことを思い出してみた。

 規律がない……というのはいったいどういう意味なのか。

 そういえば、ここに来る以前に「心から償いたいと思っているか」と聞かれ、「それならば、最近、試験的に運用している特殊な刑務所がある」と告げられた。

 ここがそうなのだろうが、どういうことだろうか。

 用を足し終えて、男は食堂があると言われた方へと向かった。

 広く殺風景な、やっぱり灰色の部屋で、数十人の囚人達が黙々と食事をしていた。

 静かではあるがどこか雑然としていた。刑務所のイメージからするとずいぶんと清潔に見える。

 端っこの方に居る、山盛りのご飯を掻き込んでいるのか、まき散らしているのか分からないひげ面の男だけが異彩を放っていたが。皆、その男のことは見て見ぬ振りをして、粛々と食事していた。

「ん?」

 またおかしな所に気がついた。山盛りのご飯。

 そう思って様子を見ていると、どうも、いわゆるセルフサービスで各自好きに食べ物を取っているようだ。

 しばらく呆然とその様子を眺めていたが、いつまでもそうしていてもしょうがない。

 男は、申し訳なさからご飯をほんの少しだけよそった。おかずもわずかなみそ汁のみ。

 手近な椅子に浅く腰掛けてそれらを流し込んでいると、例のひげ面が目の前を通り過ぎた。またも山ほどのご飯をよそって、適当な近くの席にどっかり腰を下ろして掻き込みだす。

 それで気付いたのだが、食事を作っているのも、囚人服だった。ひげ面男がほっぽり出したままだった食器を片付けているのも、その食べこぼしを掃除している男も同じく。

 なんであれ、自分には人様に関わる余裕もないし、そもそも説教できるような身の上ではない。

 最小限の朝食を食べ終えると、周りがそうしているのに従って食器を洗って棚にしまうと、人の流れに付いていって警務作業場を目指した。

 作業場も、静かに雑然としていた。皆、必要最小限のやりとり以外の余計な口は開かず、淡々と作業をこなしているようだ。

 作業内容を聞こうにも、監督者も誰も見当たらない。

 そもそも、朝起きてからここまで、刑務官らしき人物の1人すら目にしていないのだ。

 途方に暮れて作業場を見回していると、一角に本棚があった。

 なんの作業に就くにせよ、工具の使い方すら分からないのではどうしょうもない。作業場に置いてある工具は、見回して分かる範囲で、ドリルや回転のこぎり、溶接機やプレス機に旋盤。その他はさっぱり分からないものだらけだった。

 とにかく、目に付いた工具の使い方を片っ端から調べることにして、男はそれらしい本に目星を付けて手に取った。

 そうして一日中、本を読み、工具の使われ方を観察して過ごした。日が暮れてくる頃には作業場に誰も居なくなったので引き上げた。

 部屋に戻る前に食堂に寄り、さすがに空腹に耐えかねて、夕飯はすこし多目によそった。

 ずっと張り詰めていたせいか、部屋に帰ると眠くてしょうがなかった。

 部屋には時計が無いので今が何時なのか分からないが、もう就寝してもいいような時間なんだろうか。服役中の身で不規則な生活を送るというのは許されないことだろう。

 男は、ふと思いついて、カーテンを開いた。これなら、時計が無くても、日が昇ったぐらいに部屋の明るさから目を覚ますだろう。

 そう思っていて、またもぎょっとした。

 カーテンに隠れていたのは、どこにでもある、ただの窓サッシだった。あまつさえ、網戸まで付いている。

 まさかと思ってよく見ても、外側に鉄格子などは見当たらない。鍵も内側から開け閉めできるごく普通のタイプだ。

 窓の外の様子もおかしい。高い壁も監視塔なども見当たらない。山奥のどこかなのだろう、木が生い茂っている。そして、すぐ向こうに、街灯付きの道路が見えた。

 本当に壁は無さそうだった。わざわざ見えないほど遠くに壁を作る理由は思いつかない。

 どういうことかと困惑し、暗いガラスに写った自分の姿を見た。

 自分の首をそっと撫でる。そこには、ここに来る前に付けられた銀色の金属製の首輪がはまっている。

 

 男は、数日、みっちりと本で予習をしてから、恐る恐る、与しやすそうな作業に参加することにした。

 とにかく、刑務作業でもなんでもして、お金を稼がなければならない。賠償金ぐらいで自分の罪が償えるわけはないが、それでも精一杯にそうする以外にできることがない。

 怪我などをして時間をロスするわけには行かない。男は、慎重にも慎重を期して、作業に当たった。

 そうしている内に、食堂の隣に、皆が購買と呼ぶ施設があることを知った。生活必需品を中心にちょっとした小物が並んでいる。「買」とは名ばかりで、ここも、置いてあるものを勝手に持って行けるようにできていた。

 そう、持って行けるのだが、持っていっても良いのかどうかは、周りの、誰に聞いても分からないのだった。

 木材に線を引く作業をしていると、アラーム音が鳴った。

 アラーム付きの小さな腕時計は、購買から頂いて来たものだ。朝日を目覚ましにするプランが、部屋の向きが悪くて今ひとつ上手く行かなかったのだった。

 男は、切りの良いところまで作業を続け、丁寧に片付けをしてから作業場を後にした。

 そんな風にして2週間が過ぎた。

 男がいつものように、体を壊さないようバランスを考えた必要最小限の食事をとり、シャワーを浴びて部屋に戻ると、唯一の私物であるその腕時計が無くなっていた。

 シャワーのために部屋を出るときに、確かに机の真ん中に置いたはずだったのだが、見当たらない。

 部屋には鍵はかからない。一瞬、誰かに持って行かれたか、という考えが脳裏をよぎったが、すぐに否定した。自分は人様を疑っても良いような身分ではない。部屋になかったとすれば、自分が自分の責任で紛失したのだ。

 そう考えて、今日1日に立ち寄った場所を念入りに調べてみたが、時計は見つからなかった。

 購買に行けば新たな時計はいくらでもあるが、せっかく頂戴した物を紛失した上で、さらにもう一つというのは許されざることだと思えたので、そのまま時計無しで過ごすことに決めた。

 幸い、時間通りの生活習慣が身について来ていて、ここのところはアラームが鳴る前に目が覚めている。

 男は、むしろ良い機会でもあったと考えて、時計に頼らない、より真人間に近い生活に移れることを歓迎することにした。

 ……のだったが、犯人はすぐに判明した。

 ある夜中、とんでもない騒音に叩き起こされた。

 慌てて身を起こすと、ドアが蹴破られる勢いで開け放たれた。食堂で物を食っている所以外を見かけたことのない、例のひげ面の男が入ってきた。部屋の中をぎょろりと見回す。

 男がベッドの中で縮こまってその様子を窺っていると、ひげ面は机の上にあった本を掴んで部屋から立ち去っていった。

 すぐに、右斜向かいの部屋から騒音と悲鳴が聞こえてきた。

 扉の隙間から廊下を見ると、枕を持ったひげ面が部屋から出てきたところだった。のしのしと歩き回る。次の部屋を物色しているようだ。

 廊下には、先ほど強奪された本が落ちていた。作業場の本棚に貸し出し簿を見かけたので、夜に勉強しようと持ってきていたものだ。大切な本があまり汚損されなかったことにほっとして拾い上げる。

 丁度その時、どさりと音を立てて、ひげ面が倒れた。

 あちこちの部屋から囚人達が出てきたが、皆、倒れているひげ面を見ると、部屋に戻っていった。

 訳も分からず本を抱いて立ち尽くしていると、廊下の向こうから4人の刑務官が走ってきた。久しぶりに見るその制服。

 刑務官達は持ってきていた担架に手際よくひげ面を乗せると、さっさと去って行った。

 男は呆然とその光景を見送るしかなかった。

 すると、足早に歩いてきた囚人が、とある部屋に入っていった。そして、すぐに、音楽プレイヤーを手に出てくる。それに続いて別の囚人が入り、持って出てきたのは筆記用具だった。そうして、入れ替わり立ち替わり、その部屋から各々何かを持ち出している。

 男は事情を察し、その、ひげ面男の部屋から、無事にアラーム付き腕時計を回収した。

 

 服役生活が半年ほど過ぎた頃には、男は、ここのシステムにすっかり馴染んだと思っていた。

 自省のため、ここがこのように作られた意図を頭の中で復唱することは、毎夜の日課になっていた。

 つまり、どうしても罪を償いたいと自ら言うのであれば、全て自らでやるべきなのだ。

 口では反省したと言いつつ、塀が無ければ逃げ出すようでは言語道断だ。これからは人として正しくあることを決意して心を入れ替えたと言いながら、常に監視して貰いたい、問題があれば指摘して欲しいなどというのは、許されざる甘えだ。

 自分のような、決して償いきれない罪を既に犯した者が自助努力をすると言う以上、社会としてそこまでしてやる義理は無いのだ。自省に任せ、もし、できないようであれば、即、首輪……。

 ひげ面以外でも、ふと気付くと、素行の悪い者が居なくなっているようなことはちらほらとあった。

 ここに馴染めた囚人達は、皆、言うともなく、徳という言葉を意識して生活している。

 最大限の努力で罪を償うべき自分たちが、自分一人でもできることで他人の助けに頼れば、それは徳が下がる行為だろう。だから、相手の徳を下げてしまわないため、皆、必要以上の手助けはしないように距離を取り合っている。

 食堂のひげ面男のような、それでも一方的に助けが必要としか思えない者の振る舞いの後始末は、例外的に、皆、積極的だったが。

 そんな事を考えながら、本のページをめくっていて、ふと、廊下がざわついていることに気付いた。

 ひげ面男の後も、大暴れする囚人は時折現れては消えていた。そろそろ慣れてきていて、男は慌てなかった。常に監視されているのだろう、直接的な暴力は、それがどんなに些細なものであっても不可能だというのは分かっていた。

 が、違和感を覚えて外の様子をうかがう。

 がんがんと壁や扉を叩く音が近づいてくるのだが、いつもの扉を蹴る音とは少し違っているような気がする。念のため、ベッドの隅に待避する。

 と、部屋の扉が勢いよく開かれた。

 部屋にかっと強い光が差し込んできて、男は思わず手で目を覆った。

「顔見せろやこらっ!!」

 どかどかと2人の男が入ってくる。薄目を開けてみると、二人とも何かの棒を持っていて、内、1人がこちらにやたらと明るい懐中電灯を向けていた。

「手ぇどけろ!!」

 そう言って棒で男の手を払いのける。冷たい感触から、それが鉄パイプだと分かった。

「違うじゃねぇかっ!!」

 手に持った紙と見比べ、鉄パイプをベッドに振り下ろす。金属のフレーム部分に当たって甲高い音がした。

「くそっ!」

 2人組はあちこちを叩き回りながら部屋から出て行った。

 男はベッドの上で縮こまって震えていた。もう少しずれて足に当たっていたら確実に骨が折れていただろう。

 そしてなにより、2人組の首には、見慣れた首輪が無かった……。

 早鐘のような心臓の音を聞きながら、膝を抱き寄せた。

「てめぇか、おい!!」

 開け放たれたままの扉の向こうから、怒号が聞こえて来た。

「ぎゃっ!た、助けてっ!!」

 悲鳴に続いて鈍い音。

「死ねっ!この人殺し!!」

 何度も続く鈍い音に、響き渡る剣呑な叫び声が被さった。

 そうだ。ここに居る者の多くは、誰かから、到底許されざる恨みを買っているのだ。

 そして刑務所の壁というのは、囚人達をその恨みから守ってもいるのだ。例え囚人が脱走しないといっても、刑務所に壁を設けなかった場合にどうなるかは、考えれば分かることではないか。なんということだ。

 縮こまってベッドからただ呆然と見ていると、扉の向こうを完全武装の刑務官がぞろぞろと通り過ぎていった。騒ぎの気配がさらに大きくなり、やがて、2人の怒声以外の音が止まった。

「なんだこら!!人殺しを殺して何が悪いってんだ!」

「邪魔すんな!社会のゴミを掃除してやってるだけだろ!!」

 2人の男は、なおもわめきながら、刑務官らに引っ立てられて行った。その後に、担架を担いだ刑務官らが続いた。

 しばらくして、男はようやく静かになった廊下に出た。

 襲撃の痕跡は既に片付けられていた。

 何人かの囚人達が、男と同じようにあまりの事態に呆然と立ち尽くしていた。

 その様子を見ていて、ふと気付いた。

 立ち尽くしているのは男と同様の、最近にここに来た者達ばかりだ。古参の囚人達は、シャワー室に出たり入ったりと、既に普段の生活に戻っている。

 男はその意味に気付いてぞっとした。

 このような襲撃は、古参達が慣れる程度、それなりに起こる事なのだ。

 そして、そんなに起こるにも関わらず、囚人を保護する対策がされていない。

 連れて行かれたあの2人が新たな罪人として裁かれることに疑いの余地はないが、それは、襲撃が起こってからの話になる。囚人間のいざこざのように、襲撃を未遂で防ぐつもりは無いのではなかろうか。それはつまり、後で罪を償う覚悟があるのなら、復讐までは邪魔しないから自由にしろという社会に向けたメッセージ……。

 すっかり理解したと思っていたシステムの闇の深さに目眩を覚えた。

 しばらくして、2人組の襲撃者は、首輪を付けられて刑務所に戻ってきた。皆、見て見ぬ振りをして過ごしていたが、2人組の方が耐えきれなくなり、早々に逃げ出した。建物の玄関を出て、走り出してすぐに2人揃って倒れて動かなくなり、程なくやってきた刑務官達が担架に乗せてどこかへ運び去っていった。

 自らを律して自分の罪を償いたい罪人のための刑務所と聞いていたのだが、どうも、それに該当しない囚人もかなりの頻度で見受けられるような気がした。

 

 そして、幾年もが経過し、男はすっかりここの古参となった。

 淡々と刑務作業をこなし、できる限りの補償を送り続けている。

 刑務作業には時給が出るはずなのだが、恐るべきことに、その計算も自前だった。

 自分の口座から賠償金を支払う申請ができるのだが、肝心の口座に入っている金額が分からない。確実に口座に入っている金額以上を申請してもそのまま通ってしまうようだ。そうやって徳を売って金を得るような行為に走って、いつの間にか居なくなっている囚人も見受けられた。

 男は、刑務作業の内容を徹底的に記録して自分が稼いだ金額を正確に計算し続けている。作業量よりも多めに書くような不正は絶対に許されない。一方で、過小評価することも、ただでさえ足りるはずもない賠償を更に減らすことになるので誠実とは言えない。

 それどころか、問題はそれだけには止まらなかった。

 最初の1年ぐらいは日々の生活に精一杯で、そこまでは気が回らなかった。自分の刑期が分からないのである。

 実は、実刑が確定した場合に収監されるのはこの刑務所である、と決まってから以降、裁判の内容や判決は聞かされていなかったのだ。

 もちろん、早く外に出てより楽しい生活を送りたい、などと分不相応な夢を持っているわけではない。

 より真っ当に生活を送るべきだという思いが理由の一つだった。

 外からの襲撃こそ稀にあったが、全てがお膳立てされているここの施設に依存して生活するのは、贅沢が過ぎると思えた。刑務作業の賃金が極めて低く設定されているとはいえ、試算してみると、その差額だけではとうていこの施設の全ては維持できない。このようにして自分などが社会に余分な負担をかけ続けるのは申し訳が立たない。

 もう一つの理由は、その低賃金だ。自分にはより多くの補償金を支払う義務がある。

 そんなわけで、男は自分の刑期について調べた。

 まさにそのためだろう、六法全書や判例集の閲覧ができる、コンピュータが備え付けられた部屋があった。

 男は、法律独特の言い回しや考え方に苦労しながら、自分の罪の量を算出することを試みた。これも従来の刑罰の仕組みであれば、当然、裁判官から告げられることになる。しかし、本当に償う気がある罪人にとっては、それは開放されるまでの時間の宣告ではなく、専門家に自らの罪の量を算出して貰う計量サービスに他ならない。そのような便利なサービスに頼るべきではないという原理原則は、ここで暮らしていれば常々考え続ける内に身についたものだった。

 先達達の中にも、そのようにして自主的にここを去って行った者が多数居る。

 そして、確信を持って算出した、模範囚として服役すべきと思われる最長の刑期にあたる年月が過ぎ、男はいよいよ出所することにした。

 長年暮らした建物の玄関を出て、恐る恐る進む。

 明らかに刑期の見積もりが甘く徳の足りない者、来てすぐ脱走を企てた者たちが、昏倒させられたラインがどこにあるのかは、分かっていた。

 目を閉じ、その見えないラインをまたぎ越える。

 どうやら、自分の刑期の見積もりが過小すぎることはなかったようだった。

 そのまま、道路まで歩いて行く。収監されてすぐに気付いたことだが、刑務所前の道路には驚くべきことに路線バスが走っていた。エンジン音を注意深く聞いていると、右側の崖の向こうに曲がっていって見えなくなる辺りにバス停まであることがうかがい知れた。

 道なりにしばらく歩いていくと、すぐにそれは見つかった。

 いつもバスが来る時間に合わせて出たつもりなのだが、手に馴染んだ腕時計を見ると、時間まではまだ1時間ほどもあった。

 この刑務所から出て行って戻ってきた者はいない。少し後ろ髪を引かれる思いで男は振り向いたが、山の向こうに隠れて、刑務所の建物は見えなかった。

 

 似たような境遇の元囚人を多く雇い入れている工場があり、男はそこでの住み込みでの仕事に就いた。ありがたいことに、工場の話は、刑務所内で提供されていた情報だった。

 真面目に働き続け、腕も良かったこともあり、補償金の振込額はかなり増やすことができた。

 やがて、十人ほどを纏める責任者に抜擢され、身に余ると辞退しようかとも思ったが、補償金増額のために結局引き受けた。自分には、自分の稼ぎを減らす選択をするような贅沢は許されない。

 誠実な働きぶりから、取引先からも経歴を差し引いてなお聖人君子のように言われているとも聞いたが、そんなことはない。全ては到底取り返しの付かない失敗を、それでもいくらか取り返そうとしてもがいているだけだった。

 ある日、男は、新人歓迎の飲み会を素面で終え、酔いつぶれたその若者に肩を貸して寮へ向かっていた。その時、ふと聞こえて来た怒鳴り声に、男は身をこわばらせた。

「首輪付けてやがる癖に、この犯罪者が!」

 そう怒鳴って、酔っ払った大柄な男が、倒れ伏した誰かを足蹴にしている。倒れている男は、あちこち破れたぼろぼろの服を着て、髪が伸び放題。そして、その髪の間からちらちらと金属の光沢が見えていた。

 すぐに助けないとと思うのだが、足がすくむ。自分の首に今も付けられたままの首輪に触れ、目を閉じる。

 刑務所を出てから、このようなことを見かけたのは一度や二度ではない。自分が襲われることもしょっちゅうだ。

 その度に、首輪をなんとかして取るべきかと考え、その度に思いとどまってきていた。

 あの刑務所の他の全ての仕組みと同じく、首輪が一体なんで、いつかどうやってか取れるのか、勝手に取ってもよいものなのかは、今をもっても全く知らされていない。

 いつまで罰が続くのかと考えれば、答えは明確だ。それはやはり、続く限りは、だろう。

 深く息を吸い、勇気を奮い起こす。新人を壁にもたれかからせ、一歩を踏み出す。

 と、そこにサイレンが鳴り響いた。

 ほっと安堵のため息を漏らす。

 そう、首輪が何らかの方法で監視されている以上、どんな状況であれ、犯罪に巻き込まれていれば早々に対処されるのだった。すぐに警察官らが駆け寄ってきて暴漢が取り押さえられた。

 程なく到着した救急隊員が元囚人を担架に乗せた。その元囚人を見て、男は驚いた。

 それは、いつかのひげ面の男だった。

 てっきり、首輪の仕掛けは命を奪うものだと思い込んでいたが、違ったのだ。刑務官たちに運び去られた後、ひげ面の男は、どこか別の場所で刑期を全うしたのだろう。

 どこかにあそこと同じ仕組みの刑務所があってそこでは品行方正に過ごした……とは考えにくいので、従来方式の刑務所で、周りから矯正された禊ぎを持って自省に代えた、といったところだろうか。

「犯罪者を処罰してやったんじゃねーか!!」

 見れば、ろれつの回らない大柄な男がなおも何かをわめきながらパトカーに押し込められていた。

 以前に襲ってきた相手と再び街で出会うこともあり、最初は恐ろしくてしょうがなかったが、今はもう慣れた。なにしろ、数ヶ月ぶりに再会した彼らは、決まって金属製の首輪を付けられており、もう無害だったからだ。無害どころか、今度は彼らが犯罪者として誰かに襲われる始末だった。そうしてまた襲った誰かに首輪がはまる。

 男は、そういえば、最近、街で首輪をした人を見かけることが珍しくなくなってきているような気がした。

脱獄ものの映画を、何としても絶対に逃げ出してやる、というやつらを無理矢理捕まえておくのって大変なんだなぁ、とか考えながら見ていて。ふと、「刑務所というのは、何かの一線を越えてしまったけど、反省して社会復帰したいという人のためのものなので、膨大な手間暇をかけて無理に閉じ込めておく必要は無いのでは?勝手に出て行こうとするとか暴れるとか、反省していないということは社会復帰する気もないということなので、そういうのは見つけ次第、片っ端からさくっと処すことにしたらコスト削減できない?」という種類の暴論って意外と見たことがないな、と思って。そんな暴論の正当性を主張する気はないけど、あんまり見たことがないということは、新ネタになるのでは?と思って、どこかで見たようなベタな雰囲気をパクって書いてみた。

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