(8) カルス視点
この世界に来た時。
俺は独りのはずだった。
「英雄様だ!」
「こちらを向いてください!英雄様ー!」
花と笑顔を振りまいてくる民に、馬上から手を振る。
「「「キャア~~~~!!!」」」
「「「うおおお~~~!!!」」」
(煩わしい)
笑顔を保っている頬が引きつる。
(さっさと、すべて壊れてしまえ)
その思いを抱いたまま、王城へ帰還する。
すれ違う人々が尊敬を込めた視線を送ってくる。
その視線を心の中で嘲笑した。
破滅をもたらす存在を、救世主と崇めている人々が滑稽でならなかった。
世界を救う存在。
それを召喚するために魔方陣に、カルスは立っていた。
歓喜の声を上げる者たちを見て、あの時の俺はほくそ笑んだ。
(世界を救う異邦人を呼べたと勘違いしておけばいい)
俺は異邦人などではない。
れっきとしたこの世界の住人だ。
ただ、この時代の人間ではなかった。
(未来からの刺客を呼び込んだとも知らずに)
すべての悪縁を断ち切るため、この世界に降り立った。
すべての事実が露見し、すべてから憎悪を向けられようと構わない。
————そう思っていた。
あの本物の異邦人に出会うまでは。
「カルスさん、これすごくないですか!?」
世界を壊そうとしている者に対して物怖じすることなく話しかけてくる人間。
馴れ馴れしいそれが、存外心地よかった。
「そろそろ大樹を燃やすか」
唐突な俺の言葉に、異邦人———キヨカが動きを止める。
そして、挙動不審になりながらこちらをチラチラと見てきた。
「い、いやー、まだ時期尚早なんじゃないっすかね!」
焦りすぎて、言葉遣いもおかしくなっている。
それでも、こいつが俺に恐怖のこもった視線を送ってくることはなかった、
世界を壊すことをどんなに仄めかしても、のらりくらりと躱す。
挙句の果てには、何食わぬ顔でこちらに妨害行為をしてくる始末。
(舐めてるのか?)
当初の俺はそう苛立つこともあった。
だが、今は違う。
その飄々とした姿に、安心している自分がいるのだ。
興味本位で接触しただけの異邦人。
同時に召喚された人間がふと気になり、身を潜めている隠れ家まで会いに行った。
なんの変哲も、面白みもない普通の人間。
ただ、妙に気にかかった。
その勘を信じて会っていくうちに、あいつは俺の真意に気づいた。
大樹を壊すことがバレた以上、殺そうと思った。
(いや、まだ泳がしておこう)
必死に弁明する姿を見て、気まぐれにそう思った。
それ以来、俺はキヨカを監視した。
彼女の隠れ家に入り浸り、彼女が接触する人間たちをすべて調べ上げた。
(最近あいつが接触している“塔”の男。どう処理してやろうか)
彼女のことはすべて知っている。
“塔”所属の魔術師と何か企んでいることも、喋るメガネと部屋の中で密談していることも、王城の奴らに複雑な感情を抱いていることも、すべて知っている。
俺が、俺だけが知っているのだ。
あいつだけが俺の本性を知っているように。
「…………逃がさない」
独りでよかった。
元の世界でも独りが当たり前だったから。
だが、この世界であいつと出会った。
共にいる心地よさを知った。
自分を理解してくれる存在の温かさを知った。
————どうしようもないほどの、この感情を知ってしまった。
「愛してる、キヨカ」
この感情が愛でなくても構わない。
俺はもう、これを愛と呼ぶことにしたから。
「すべてを壊した後、この想いを伝えよう」
それまでは蓋をしよう。
大切に、大切に仕舞いこんでおく。
目の前には、ベッドでぐっすりと眠る愛しい人がいた。
毎夜、こうして不法侵入されていることにも気づかない間抜けさすら愛おしい。
「だが、目移りは許さない」
あの魔術師には渡さない。
万が一、あの男に愛情を抱いたら————。
「記憶ごと、消してやろう」
夜空のような黒髪を一房手に取る。
くすぐったそうに笑う顔に、妙な感情を抱いた。
この感情もきっと、愛なのだろう。
「どうか気づかないでくれ」
俺のこの想いに気づけば、この愛しい人は逃げてしまうだろう。
だからこそ、囲い込むまでは気づかれてはいけない。
これは俺のものだ。
その異様な愛の誓いを見ていたのは、月と————茶色いメガネだけだった。