3 大樹の記憶
「すまない。少し話をしたいのだが」
「はははー、勿論です……」
訪ねてきた英雄を一般人が拒絶できるわけがない。
私は連日、英雄と顔を突き合わせることになった。
「粗茶ですが、どうぞ」
ストックしていたお気に入りのお茶を英雄に泣く泣く差し出す。
そして、自分の前には水の入ったコップを置いた。
「それで、その、英雄殿ってお呼びしても?」
「ああ」
彼が頷くと、銀色の髪がキラキラと反射した。
本当に眩しいほどの容姿だ。
「英雄殿は何のご用件でこちらに?」
さっさと用件を言って帰ってくれ。
私には二度寝という義務がある。
そんな思いをこめて見つめる。
「……実は、“万象の大樹”に異常が現れた」
「え?」
二つの思いを込めた「え?」だった。
一つは、“万象の大樹”は大丈夫だと言っていたメガネに対する疑念。
もう一つは、「それ一般人に言っていいの?」という不安だ。
「貴殿は、私が召喚されたもう一人の人間だとすぐに気づいただろう」
「そ、そうですね」
言えない。
まさか髪色しか把握してなくて、気づくのに時間がかかったなんて言えない。
「あの召喚の目的が、この世界を———“万象の大樹”を救うためだというのは知っているだろうか」
「え、そんな目的が?」
一切聞かされることなく、ここに放逐されたんですけど。
まあ、私が大樹の救世主だと考える人はいなかったのだろう。
私自身も、自分が救世主だとは思えない。
「まあ、私は巻き込まれた一般人……いや異邦人ですから」
言外に、大樹のことは任せたという意味を含ませる。
まかり間違っても、私は巻き込んでくれるな。
巻き込まれるのは、もう懲り懲りだ。
そういえば、この人が英雄と呼ばれているのは、世界各地で起こっている異常現象を鎮めているからだ。もしかして、その異常現象の原因が“万象の大樹”のせいだったり……?
「貴殿の協力が必要だ」
「無理です」
断る、断固として断る。
一般人に何をさせようというのだ。
「危険なことはさせない。ただ、大樹に触れてほしい」
「?」
困惑する私に、英雄は詳細を説明した。
「———なるほど、魔術が使えない私は大樹の記憶を読めるんじゃないか、ということですね」
「ああ」
近頃起きている異常現象は、本当に大樹が原因だったらしい。
そして、その原因は未だ不明。
理論上、大樹に触れればその記憶を読み取れるはずだが、魔術を使える者が触れると大樹の強すぎる力に狂って死んでしまう。
そこで、白羽の矢が立ったのが魔術を使えない私というわけだ。
「私が読み取れるとは限りませんよ?」
「それでもいい。試してくれないか」
損もしないが、得もない話だ。
大樹が枯れてしまえばみんな魔術を使えなくなって私と同じになる。
正直ちょっとだけ「大樹が枯れてしまえばいいのに」と思っている自分がいる。
「……本当に大樹に触っても死なないんですよね?」
「ああ、本当だ」
まあ、王宮であれだけ検査されたのだから間違いない。
私に魔術は使えない。
「わかりました。協力します」
「そうか!」
彼の声色は喜んでいた。
しかし、私は彼の目を見て固まった。
その目が、声色とは正反対の色をしていたから。
(なんで、そんな目をしているの?)
協力を仰いできたのは、そっちなのに。
どうしてそんな厄介者を見るような目で私を見るのだろう。
あくる日、私は英雄に連れられて王宮へ来ていた。
世界には“万象の大樹”がそこかしこに根付いている。
そして、王宮の中央に“万象の大樹”のひとつがある。
その大樹に触れるため、私は嫌な記憶しかない王宮に出向いていた。
「英雄様だ」
「あれが……」
「美しい」
城ですれ違う人々が、隣を歩く人物に目を奪われている。
場違いさに気まずくなった私は、少し歩く速度を落とした。
……隣にいると比較させそうで嫌になったからだ。
「あれ?」
「あの顔は……」
「召喚されたもう一人の?」
(やばっ、バレた!)
下手に動いたからバレてしまった。
比較されたくなくて歩く速度を落としたのが仇になるとは……。
藪蛇だったか。
「キヨカ殿」
「え、ああ、なんですか?」
斜め前を歩いていた英雄が、隣に並ぶ。
せっかく横並びから脱していたのに……。
ゼロに戻った。
「歩くのが速かったな、すまない」
「い、いえいえ、全然そんなことなかったですよ!」
申し訳なさそうな顔をしている英雄。
そんな顔をさせた私に対して、周囲から冷ややかな目が向けられている気がする。
「ほら、早く行きましょう!」
先程と段違いのスピードで廊下を歩く。
いや、歩きではなくもはや競歩といってもいい。
そんな必死な私の横を、英雄は優雅に歩いていた。
「これが“万象の大樹”……」
洗練されたガラスの温室に立っている一本の大樹。
降り注ぐ日光が、とても神秘的だ。
「……めっちゃ普通の樹だ」
「くっ」
ボソッと呟いた私の言葉に、抑えるような笑い声が聞こえてきた。
隣を見ると、口元をおさえた英雄がいた。
「さあ、こちらに」
さっと手を引かれ、私は大樹の前に立つ。
じっと見てみるが、いたって普通の樹にしか見えない。
(本当にこれが“万象の大樹”?)
半信半疑の状態で、ゆっくり大樹に手をつけた。
「………………」
何も起こらない。
どうやらあの仮説は立証されなかったようだ。
まあ、記憶を読み取れるだなんてそんなことできたらすごすぎる。
さっと手をひこうとしたその時だった。
「…………っ!?」
記憶が流れ込んできた。
『頼むッ!助けてくれ!!』
地べたに這いつくばる貴族の男。
その周囲には死屍累々が積み上げられていた。
使用人、騎士、この男の家族であっただろう者たち。
『力ならくれてやる!儂はもう大樹なんぞいらん!』
その言葉に視点が動いた。
あの男の机と思われる場所に、ひとつの植木鉢があった。
それには、一本の木が植えられている。
(あれは……“万象の大樹”?)
大きさは違うが、おそらく“万象の大樹”だ。
なぜあんなに小さくなっているのだろう。
それに、力ってもしかして魔術のことだろうか。
『アレが欲しいんだろう?持っていけ!だから命だけは———』
声が途切れた。
地面には血だまりができている。
そこに映っていたのは————。
(………英雄?)
そう、英雄だった。
服装は違えど、確かに彼の顔。
もしかしてこれは、英雄の記憶……?
視点は、どんどん例の植木鉢に近づいていく。
英雄の手がおもむろに木を掴んだ。
そして次の瞬間。
ボキッ
(え?)
折った。
おそらく“万象の大樹”である木を折った。
(え、え!なにしてんの!?)
極めつけには、その木に火をつけた。
英雄の手から放たれる炎は、折れた木だけでなく周囲まで包み込む。
大樹の記憶は、そこで途切れた。
「———殿。キヨカ殿!」
「はっ!」
目を開けると、私は英雄の腕の中にいた。
「うわっ!すみません!」
すぐに距離をとり、彼に向きあう。
記憶の中で会っていたからか、さっきまで一緒にいたような気分だ。
(いや待って。この人、大樹の記憶の中でヤバいことしてなかった?)
貴族の男を切るわ、“万象の大樹”を折るわのとんでも大パレードだったような?
「キヨカ殿、体は」
「うわっ!」
伸ばされた手を思わず避ける。
空を切った手を見つめた後、彼は私を見る。
その目は、明らかにこちらを探っていた。
「その、触れられるのはちょっと……」
頬を染め、もじもじと英雄から距離をとる。
脳をフル回転させた結果、乙女を演じるという結論になったのだ。
もうこの際、私はこの英雄に恋してる乙女ってことにしよう。
じゃないとこのヤバそうな人物を欺けない……!
恋愛漫画を読み漁ってきた私ならできる!
心を乙女に!
「そうか、失礼した」
「ほっ……」
「大樹の記憶で私のことを何か知ったのかと思ったんだが」
「…………」
鋭い。
この人ナイフより鋭いんだけど。
え、大丈夫?この人、ほんとに騙せてる?
「い、いやー、記憶は流れてきたんですけど……ちょっと曖昧で」
上手な嘘は、真実と織り交ぜたもの。
記憶を読めなかったと嘘をつけば、この人は百パーセント気づく。
それなら、読めたけどよくわからなかったと嘘をついた方がバレにくいはず。
「そうか、読めたか」
英雄の顔色が僅かだが曇る。
この表情の変化も、あの記憶がなければ気づかなかっただろう。
おそらくこの英雄、“万象の大樹”に対して良い感情を抱いていない。
むしろマイナスな感情を抱いていると断言できる。
(……あれ?となると、私ってこの人にとって邪魔な存在?)
記憶の中で大樹を折って燃やしていた大樹アンチな英雄。
大樹の記憶が読めて、大樹の救世主になりかねない私。
うん、コロされそう☆
(ヤバいヤバいヤバい)
心の中で阿鼻叫喚する。
このままでは、私の命が危うい。
「ああー!眩暈がー」
とりあえず、今は一時的離脱をはかった。
「すまない!すぐに医者に」
親切な英雄におんぶされ、私は王宮の医務室へと連れて行かれた。