恐怖の対象、トラウマ
幼い頃は怖かった、だめだったものでも、大きくなれば何という事はない。誰しもそういったものはあると思う。私は、日本人形が怖かった。実家の和室の隅に置いてあり、市松人形だったと思う。それは当時小学生だった私にとっては恐怖の対象でしかなかった。わずかに下がった目じり、上がった口角。人形の無機質な微笑みはどこにいても見られているような感覚に陥ってしまう事に加え、普段あまり入らない和室という事もあり、より近寄りがたい存在となっていた。和室に近寄ることすら嫌がる私を見かねて、父が荒療治で和室に物を取りに行かせた事がある。
「人形の前に置いてある財布を取りに行ってきてほしい。もし取ってこれたら好きなおもちゃを買ってやる」
まんまと釣られた私は恐怖を押し込めて和室に侵入した。
「………」
日はまだ高く、明るいが障子戸で光は遮られ、薄暗い。電気を点けようにも、壁にスイッチはなく、天井から釣り下がった電球の紐を引っ張らなければならない。これが薄暗い中だと絶妙に分かりづらく、普段入らないから猶更感覚が分からない。10秒ほど試した後あきらめて、薄暗いまま人形の前に立つ。
「うわ……」
人形は相変わらずほほ笑んだままこちらを見ている。すぐに財布を取って逃げ出したいが、財布を取ろうとした瞬間、人形が動くのではないかという考えに至ってしまい、手が出せずにいた。それでも、ここまで来たのだ。私はそっと手を伸ばし、財布に手をかけた、その瞬間。ガタン、と背後から物音。
「ああああああああ!!」
財布を放り投げて私は部屋を出ていく。物音が何だったのか確認する余裕もなく、逃げ出した。泣きじゃくる私を見て父は驚き、無理をさせたなと謝ってくれた。結局財布は父が取りに行き、おおちゃも買ってもらえたのでこの話はここで終わりだ。物音の正体は、わからないままだが。
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中学生になった頃に引っ越し、私は一人部屋をもらった。押入れがあるのでしょっちゅう家族の出入りがあって当時思春期の私からしたら嫌で仕方がなかったが、他に部屋もないので渋々受け入れていた。だが、高校を卒業し、大学に進学、一人暮らしを始めるので部屋を掃除していた時だった。押入れに不要なものを入れておこうと整理していると……押入れの一番奥に、見慣れない箱があった。何だろうかと思い開けると……
「っ!」
そこには、あの人形があった。見た瞬間、過去のトラウマが思い出され、手が震える。それでも逃げ出さなかったのは多少成長したおかげだろうか。私は人形を押し入れから引っ張り出す。興味本位で、髪で隠れている人形の顔を拝む。すると……
「え?」
人形の表情が、変わっていた。目じりは上がり、口角は下がって不機嫌そうな表情に。加えて、私は今髪をかき分けて顔を見た。以前はこんなに髪は長くなかったと思う。そうでないと、人形に近づいて触れることすらできなかった私が人形の顔を覚えているわけがない。人形を箱に戻し、私はすぐに部屋を出て両親に報告した。両親も人形を見て私と同じように違和感を感じていた。
「供養してもらおう」
その後、人形は供養してもらい、私の恐怖の対象であった人形は家から無くなった。だが……一つ、気づいてしまった。私は幼い頃に、人形がある和室ごと恐怖を覚えていた。そして引っ越し、私の部屋の押入れの奥から人形は出てきた。つまり、意図せず私は人形のある部屋でずっと生活していたことになるのだ。実害があったわけではないが、今さらこの部屋に住んでいたことが怖いと思ってしまった。今でも、私は人形が怖い。
完