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ナオのゴスペル  作者: 花時名 裕
第一章 旅の始まり
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9 王都オストバーグ



 藍色の空に、曙光がほのかに入り混じる。

 延々と続く街道の周囲には、青々とした麦畑がどこまでも広がっている。


 吹き抜ける風と、鳥の(さえず)りしか聞こえない静寂の世界。

 そんな緑の海を、私はごとごとと荷馬車に揺られて進んでいた。


「すごいなぁ。これ全部小麦ですか?」

「あーそうだよ。刈り入れが始まったら、そりゃあ忙しくなるんだわ」


 野菜の詰まった木箱に挟まれるように座った私は、御者台のお爺さんに話しかける。


「こんだけあったらどれだけパン焼けるんだろう? 食べ放題ですね」

「そんなことないさ。これを全部持って行っても、都の人の口を満たすにゃあ全然足りないよ。ま、どっちにしろ半分はお(かみ)に収めなきゃならないんだけどなぁ」


 車輪が石を踏むたびに、荷台がごとんと大きく跳ねる。布きれを敷いてるけど、ぼちぼちお尻が痛くなってきた。


 マトヤの村を出発してから、早いものでもう十日余り。

 私たちはいよいよ、イシダール王国の首都、オストバーグへと近づいていた。


「しかしまあ、あんた方も若いのに、巡礼たあ熱心なことだなぁ」

「あはは、私はまあぼちぼちです。でも、大きい街なんて初めてで楽しみ!」

「はは、若い子にゃそっちのほうがいいだろうなぁ。でも気を付けな、都会は危ない場所も多いんだから」


 街道を歩いたり、時々馬車に乗ったりして、私たちは特にトラブルに巻き込まれることもなく、順当に旅程を消化していた。


 このお爺さんは近隣の農家の人で、昨夜泊めてもらった村で知り合った。丁度朝からオストバーグに野菜を売りに行くらしく、馬車の隅に乗っけてもらったのだ。


「それにしても、この料理はうまいなぁ。お嬢ちゃん、大した料理上手だ」


 そのお礼にと用意した軽食を、お爺さんは手綱を取りながら美味しそうに食べる。


 サワークリームに香味野菜とハーブを刻んで混ぜたディップを、パンに塗っただけの簡単な料理だけど、結構満足してくれたらしい。


「口に合って良かったです。さ、私たちも食べよっか。朝ごはん朝ごはん」


 そう言って、私は布包みを眼前に差し出す。そこには私と同じく野菜箱の合間にちょこんと座るクレムさんが。


「はい。頂きます」


 相変わらずコートを頭からすっぽり羽織ったクレムさんは、私からパンを受け取ると、お行儀よく食べ始める。


「ほい。お待たせ」


 そして私は、お爺さんが前を向いているのを確認してから、千切ったパンを虚空へと差し出す。すると、小さな口がぱくりと私の指先ごとパンを咥える。


「むぅ……ほのかな酸味と牛乳のコクに、野菜の甘みとハーブの香りが加わり、これはなかなか……」


 見事な食レポをしてくれるのは、荷車に乗る三人目のお客、幽霊少女のミリーさんだ。


 そうして食事を終えると、もう完全に夜は明けた。

 眩い太陽が、平原をきらびやかに照らし出す。そして小高い丘を越えると、


「わあ! すっごい!」


 そこから見える景色に、私は思わず歓声を上げた。


 大地を区切る、長大な城壁。そしてその向こうには、石と煉瓦と瓦で出来た壮麗な街が何処までも広がっている。

 一望しても果てが見えないほどの広さ。これが、王都オストバーグ。


「すっごいなぁ……こんな大きな街、私初めて見た」

「そりゃあそうさ。此処より広い街は、大陸中探したってそうは無いだろうさ」


 と、御者台のお爺さんも誇らしげだ。地元の人は、やっぱり我が町を褒められるの嬉しいのかな。


「……いやでも、ホントに初めて見るよ、こんな巨大建造物」


 と、ひとしきり景色を堪能した私は、冷静になってそう呟く。


 大きな街とは聞いていたけど、いやちょっと大きすぎないか? 建物についてはまあわかる。人が居ればそれだけ家も作るだろうし。

 おかしいのは、それを取り囲む城壁だ。


 まだ遠くてはっきりとは分からないけど、石を組み上げて作られた城壁は、高さ二十メートル以上は有りそう。それが、地平の彼方まで延々と延びているのだ。これ、総延長何十キロになるんだろう。


 現代の地球でも、ここまで大掛かりな建物はなかなかない。人の手で作ったのなら、どれだけの労力が掛かったんだろう。


「あれが有名なネスティア公ゲインズ家の市壁ですよ」


 と、私の疑問を察したのか、クレムさんがそう教えてくれる。


「お、そっちのお嬢ちゃんは詳しいなぁ。そうさ、あれをゲインズ様の御先祖様がお造りになられたんだよ」


 お爺さんも上機嫌そうに頷く。そして、


「確かルテール王の治世だったか。そこいらの農夫が、砂や泥を石にする聖示物(ミュステリオン)を手にいれてな」

「え、あれ聖示物(ミュステリオン)で作ったの!?」


 ミリーさんの解説に、私は驚きの声を上げた。


「ん、んー?」

「あーいや、なんでもないです!」


 おっといけない。話が飛んじゃったので、お爺さんがちょっと変に思ってる。

 私は適当にお爺さんとの話を切り上げ、荷車での内緒話に戻る。


「原料も手間賃もかからないから、それで石材を作って荒稼ぎしていたんだが、当然ながら石切り親方たちの恨みを買ってな」

「…………私の知っている話と、随分違いますが」


 ミリーさんの解説に、クレムさんが困惑した様子で意義を唱える。


「ロディナとの戦争の折に、泥で作った砦を石造りに変えた話か? あれは後世の創作だ。確かに似たような時期に争いはあったが、精々小競り合い程度のものだったよ」

「な…………」


 なんてことない風に話すミリーさんに、クレムさんが絶句する。まあ、自分が教えられた歴史の話が、当事者によって覆されるのは結構な衝撃なんだろう。私にはあんまり関係ないけど。


「そのゲインズが優秀だったのは、石切りや石工を上手く抱き込んだことだ。巧妙にルテール王に取り入り、あの長城を作り上げ、莫大な利益を手にしたのだよ。そして地歩を固め、王の姪御を嫁に取り、公爵の位を授かったという訳だ」


 と、ミリーさんが話を纏める。いや、面白い話だったけど、クレムさん呆然としている。そんなにショックだったのか。


「でもまあ、聖示物(ミュステリオン)ってすごいんだね」

「何を他人事のように。君も似たような物を持っているだろう」


 私が素朴な感想を述べると、ミリーさんがぴしりと突っ込みを入れる。


「あはは、うーん……」


 その話をされると、私も困ってしまう。私は偶然手に入れた魔法のスプーンを、未だにどう扱うか決めあぐねている。


 まあ、旅の途中では節約の為に食料を増やしたことはあるけど、これを使ってお金儲けしようとか、王様とお近づきになろうとかは、あんまり思わないけどなあ。


 そうこう話しているうちに、市壁はどんどん近づいて、もう街の中を見ることはできなくなった。大きな門の周りには、沢山の人が溢れている。


「さて、それじゃあ儂はこの辺りで……」


 と、市門から離れた場所で、馬車が一旦止まる。


 これから門で入城審査を受けなければならないので、巡礼目的の私たちと商売に来たお爺さんとは分かれる必要がある。


「あ、はい。ありがとうございました」


 クレムさんと二人でお礼を述べて、馬車から降りる。その時、


「ところでお前さんたち……いや、あんまり尋ねるようなことじゃないんだが、旅費に余裕はあるのかね?」


 と、お爺さんが小声で問うてきた。


「え? ――は「何故ですか?」」


 反射的に頷きそうになる私を遮って、クレムさんが鋭く聞き返す。

 あ、そうか。確かに旅費はまだそれなりに残ってるけど、それは人に話していい事じゃなかった。


「……」


 いきなり懐具合を尋ねてくるお爺さんに、クレムさんは警戒した様子。けど、


「いやあ、なら良いんだ。……最近は警備隊の連中もがめつくてな。通行税も何割増しかで取られるんだよ。あんたらは可愛らしいから、金が足りなきゃ面白くない目に遭うかもしれないからなぁ」


 と、お爺さんは深刻そうにそう話す。


「へ……」


 何の話を聞かされたのか、理解するのに数秒かかった。

 え、なに、入城検査でそんなこと起こるの? だってそれ警察とかがやってるんでしょ? 


「一昨年までなら……一人当たり二ルナートと決まっていた筈ですが」

「なんだ。そっちのお嬢ちゃんはオストバーグに来るのは初めてじゃないのか」


 お爺さんの話に、クレムさんが問い返す。その口調はやけに静かで丁寧だけど。最近気付いた。これ、怒ってる時の声だ。


「そりゃあメナード様が失脚なされる前の話だろう。あの方はめっぽう厳しかったけど、その分役人も真面目に働いて、儂らみたいな領民には有難かったさ。今は警備の連中も、お(かみ)の威光をかさに着てやりたい放題しやがる。奴らの機嫌を損ねたら、難癖を付けられて売り荷を全部取り上げられることもあるんだ」


 だから、くれぐれも彼らに幾らか握らせるように。とお爺さんは私たちに忠告して去って行った。


「…………」


 クレムさんは悲しげに目を伏せ、何か言いたそう。確かに私だって信じられない。治安を守る人たちが、大手を振って賄賂を要求するなんて。


「そう気落ちするな。(まいない)を取る者は何処にでもいる。人間の(さが)のようなものだ。むしろ、貴重な忠言を得られたことを、あの老人に感謝したほうがいい」

「それは、そうなんですが……」


 ミリーさんにそう励まされても、クレムさんはまだ不服そうだ。


 いや、私だって不満だよ。ていうか、そもそも入城税が高過ぎる。ルナートっていうのはこの国で流通している銀貨の事で、それが二枚ともなれば結構な額だ。普通の町の宿でも、素泊まりなら銀貨二枚で十分お釣りがくるのに。


「まあ、ここでいくら不満を並べても、彼らの勤務態度が改まる訳でもなし。それより、早く列に並ばないか? このままでは昼を過ぎても街に入れないぞ」


 と、ミリーさんが市門の方を眺めて言う。


 門の前には黒山の人だかりができている。荷馬車や幌馬車もわんさか。これがいちいち検査を受けるんじゃ、確かにめちゃくちゃ時間かかるかも。


 私とクレムさんは、急いで市門へ向かった。




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