43 喜びの輪。そして
酒場に居たのは、クレイグさんにトッドさんらピアソン一家の人々に、メル君にロレッタちゃんら呼び売りの子たちだ。
避難所として開放していた酒場は綺麗に掃除されていて、すっかり以前の店構えを取り戻している。壁やテーブルの燭台には皓々と明かりが灯り、長テーブルの上には豪勢な料理が所狭しと並んでいて、花瓶には花まで活けてある。
「お帰りなさいお姉さま!」
「ほら、早くこっち来てよ!」
呆然と立ち尽くしていた私を、小さな手が引っ張る。
ロレッタちゃんとメル君が、喜色を満面にして駆け寄って来たのだ。
「みんな。聖女様たちのお帰りだぞ」
そうはやし立てるのはクレイグさん。
ピアソン一家の若衆たちや子供たちが歓声を上げて、口々に私たちの名を呼んでくれる。
「ほらほら。主賓がぼんやりしてると、始められないわ」
と、背後から茶目っ気たっぷりにテオドラさんが囁いてくる。
「君らは十分すぎるほどに働いた。皆、労をねぎらうために集まったのだ」
と、ミリーがどこか嬉しそうにそう教えてくれる。
「えへへぇ。ナオさんの料理には敵わないかもですけど、お料理もお酒もいっぱい用意したんですよ?」
と、ユニスさんも微笑みながら背を押してくる。
くそう、みんなしてサプライズパーティーを企画してたなんて、すっかりしてやられてしまった。
「皆様……」
クレムも息を呑んでびっくりしている。呟く声は、歓喜に満ちていて。そして、
「……シーラも、よく戻ってくれた」
「お父様……」
ようやく直接の再開を果たしたクレイグさんとシーラさん。人前を憚ってかあまり大仰ではないけど、二人の喜びはみんなに伝わる。
――ああ、ようやく事件は終わったんだ。
急に実感が湧いてきて、私はなんだか気が抜けてしまう。でも、
「早く乾杯してくれよナオ姉ちゃん! 御馳走食べれないじゃん!」
「こらメル! はしたないわよ!」
はしゃぐ子供たちに釣られて、なんだか気分が高揚してくる。
「えーっと、……色々大変で、危ないこともあったけど、こうしてまた皆さんの顔が見れて、とっても嬉しく思います。――お疲れ様でした!」
私は酒場の中央へと進み、クレイグさんからグラスを受け取ると、乾杯の音頭を取る。
宵の酒場に、賑々しい声が響いた。
× × ×
楽しい時間は、あっという間に過ぎて。
美味しい料理に舌鼓を打ち、あれやこれやと苦労話に花を咲かせ、子供たちや若衆さんたちの座興を大いに楽しんで、気が付いたら夜も遅い時間だった。
「それじゃあみんな、気を付けて。――皆さん、よろしくお願いします」
パーティーが御開きになって、子供たちも家に帰らなきゃいけない。夜道は危ないので、若衆さんたちが送って行ってくれることに。
人が居なくなると、酒場はなんだかがらんとしちゃって。
「ホントに楽しかったです。こんなパーティーまで開いてもらっちゃって、ありがとうございます」
私はクレイグさんに改めて礼を述べる。
これだけ盛大な催しなら、きっと手間もお金もかかっただろう。
事後処理で忙しいのに、時間まで作ってくれて、彼らの真心が嬉しい。
「いやいや、礼をせねばならんのは我々の方だよ」
と、クレイグさんは微笑を浮かべてそう返す。
「君たちが居なければ、オストバーグは途轍もない混乱に見舞われていたことだろう。下層民だけじゃあない、街そのものが、大きく道を踏み外してしまうところだった。――君たちは、街を救ってくれたんだよ」
街を代表する偉いおじさまにそう褒められて、けれど私は素直に喜ぶことができない。
あらためて事の重大性を示されると、かえって表情が硬くなる。
「ん? どうしたんだい。そう怖がることはないよ。君らは私たちがずっと守る。――娘まで助けてもらっては、私が生きてる間に恩を返しきれるか分からんなぁ」
私の困惑を見て取ったのか、クレイグさんが笑いながらそう茶化す。
でも、私の憂色はますます濃くなって、
「ナオ。あなたの憂いを、私たちにも背負わせてはくれませんか?」
傍らのクレムが、優しくそう告げる。
見れば、ミリーも心配そうな顔をしている。やっぱり、いつも通り振る舞おうとしても、この子たちは誤魔化せない。
「……あの、私、やっぱり皆さんに祝われるようなこと、してないと思うんです」
私は観念したように、ぽつりとそう呟く。
先ほどまで無理してはしゃいでいたからか、絞り出した声は硬く、掠れていた。
「……トッド。先に出ていてくれないか」
「はい。表を見てますよ」
すると、クレイグさんが若衆さんたちにそう指示する。
気を使ってくれたのだろう。彼らはすぐに酒場の外へと出てくれて、中にはテオドラさん、シーラさん、ユニスさん、そしてクレイグさんだけが残った。
「……私も、席を外した方がいいかね?」
優しくそう尋ねるクレイグさん。
私はしばし迷って、首を横に振った。私の悩みは、街の人々にも関わり合いのあることだ。彼には聞いてもらわないといけない。
残った人たちの手首には、私の髪を編み込んだ組紐のミサンガが付けられている。潜伏生活をしている間に作ったモノで、これを付けている人は、ミリーの存在を知り、彼女と会話することができる。
「案ずるな。私たちは何があっても君の側に居る。――だからナオ。君の想いを教えてくれないか」
幽霊少女が慈愛に満ちた眼差しでそう問いかける。
私は意を決して、胸に蟠る暗い感情を言葉にする。
× × ×
「みんなが騒動に巻き込まれたのって、本ををただせば私の所為なんです」
恐怖に声を震わせながら、私は自らの罪を告白する。
「私、みんなに隠し事ばっかりしてて、それで、こんなことになっちゃって……」
市警の隊長ジェフリー・アランは、はっきりと騒動を引き起こした目的を話していた。
彼が狙ったのは、食物を増やす聖示物。私が手にした、奇跡のスプーンだ。
「どこで聞きつけたのか知りません。けど、あの人たちが貧民街をひっくり返そうとしたのは、私を探そうとしたからなんです」
ジェフリーは言った。多くの人を救える聖示物を、自分の為だけに使うのは罪だと。
あの時は彼に反発したけれど、言葉そのものはずっと胸に引っ掛かっている。
聖示物は、大きく強い、奇跡の力だ。好むと好まざるとに関わらず、沢山の人とその思惑を引き寄せる。
――私は、間違えたのかもしれない。
ずっとその思いが、胸から消えない。自由を無くすのが嫌で、親友とずっと一緒に居たくて、私は奇跡の力を秘蔵した。
その所為で、こんな大事件が起きてしまった。
何の関係も無い大勢の人に迷惑をかけて、悲しませて。
結果的に丸く収まったからよかったものの、クレイグさんの言う通り、一つ間違えれば街全体にまで騒動は波及したんだ。軽く済ませていい事じゃない。
私は訥々と、自らの罪を告白する。
ここまでくれば、もう隠し立てすることなんてできない。
私は改めてこれまでのこと、地球からこの世界にやってきた経緯を詳しく説明する。
聖示物を得たことも、デニス・ラーナーとの騒動の顛末も、全て包み隠さず。
長い長い話になって、しかも時系列はてんでバラバラで、分かりにくいことこの上ない。けれど、みんなは全てを黙って聞いてくれて。
「だから、みんなに迷惑をかけたのは、私なんです」
そして、私は長い独白をようやく語り終えた。
酒場には沈黙がたれこめる。荒唐無稽な、それでいて現実を大きく動かしてしまった私の話を、みんなすぐには消化しかねているのだろう。
私は判決を待つ被告のように、その場に立ち尽くす。すると、
「――私からも、テオドラ様とユニス様にお話があります」
傍らで私を支え続けてくれたクレムが、凛然とそう切り出した。
「私の名はクレメント・アングストと申します。……オストバーグの刑吏を務めた、ウェイドリィ・アングストの娘です」
と、彼女は自らの家名を高々と名乗る。
「え、ちょ、ちょっとクレム!」
彼女は御両親と自分の家を誇りに思っているけど、身元を明かせば酷い差別を受けかねないから、家名はずっと伏せてきた。
シーラさんとクレイグさんは知っているけど、テオドラさんとユニスさんには今まで明かさなかったのに。
「私も皆様に隠し事をしていました。授かった聖示物のことも、皆様にお伝えせずに……」
隣に立つ親友は、切々と自らの過去を語る。
堂々とした立ち姿、誠実な弁舌。彼女の言葉を、みんなが聞き入る。そして、
「さて、こうなると私も語らねばならぬのだろうが、来歴全てとなると、何日かかるかわからんな」
クレムが自らの過去を語り終えると、ミリーが珍しくも冗談めかしてそう告げる。
「まあ、私の過去はこの場には関係ない。割愛するとしよう。――我々の物語は、今の所これで全てだ」
幽霊少女はそう言うと、ふわりとドレスの裾を持ちあげ、
「諸兄姉に願いがある。私には対価として差し出せるものは何もないが、よければこの娘たちの力になってやってほしい」
みんなに向けて、そう頼み込む。
「――み、ミリーっ!?」
思わぬ成り行きに、驚愕が漏れる。
私の罪をみんなに聞いてもらおうと思ったのに、なんでこの子は協力をお願いしているのか。
「このような娘たちなのだ。私も常々気に掛けているのだが、この体では如何ともしがたいのでな」
そう語るミリーに、テオドラさんたちが忍び笑いを溢す。
え、ちょ、なんか空気がまったりしてる? 私真剣に悩んでるのに。
「もちろんよ。お願いされるまでもないわ。私たち、もうナオちゃんたちの友達だもの」
「はい。何でも頼ってくださいねぇ」
「とはいえ、改めて聞くと凄い話よね」
お姉さんたちは目配せを交わしてから、笑声と共にそう頷く。
「君らにどんな事情があろうと、私たちの恩人に変わりはないよ。……是非、これからも娘と仲良くしてほしい」
と、クレイグさんも破顔してそう告げる。
「で、でも、この騒動って、私が起こしたようなものですし……」
あまりにあっさり受け入れられて、私は困惑してしまう。こっちは一世一代の覚悟で告白したと言うのに。
「さてクレム。君から話してやったほうが、ナオも受け入れやすいのではないか?」
すると、ミリーが訳知り顔でそんなことを呟く。うう、やっぱりこの子、保護者みたいなこと言うんだから。
「ナオ。あなたは思い違いをされています。騒動を起こしたのは警備隊の方々です」
と、その意を得たクレムが静かに語りかける。
「で、でも、あの人たちが動いたのは、私のスプーンを欲しがったからだし……」
「他人の物を欲しがり、奪おうとするのは盗人の所業です。彼らは正しい手順を踏むこともできた。相手がそうしなかったのは、あなたの咎ではありません」
「そう言われても……」
優しく道理を説かれても、私は素直には頷けない。
だって、騒動を引き起こしてしまった原因には変わりないもの。
「あなたは自分が皆に迷惑をかけたと仰いますが――皆を救ったのも、あなたが成し遂げたことなのですよ?」
と、心を頑なにしてしまった私に、親友がそう告げる。
「そ、そんなことないよ。私なんて、あんまり役に立ってないし……そりゃあ、聖示物は使えたけど、アレだって持ってきてくれたのユニスさんだし……どう考えても、頑張ったのはみんなの方だよ」
項垂れた私がしどろもどろにそう答えると、クレムは堪えかねたようにくすりと笑みを溢す。
彼女の青い瞳が、嬉しそうにキラキラと輝いて。
「そうかもしれませんね。確かに、騒動を終結に導いたのは皆の努力です。ですが、それらの人々を結びつけたのは――他ならぬナオ。あなたなんですよ」
「――へ?」
親友の言葉に、私は驚いて顔を上げる。
すると、みんなの視線が一身に集まっていて。
「あなたが居てくれたから、皆が出会うことができた。あなたが居てくれたから、皆が諦めないで立ち向かえた。
――あなたが居てくれたから、皆が救われたんです」
歓喜に満ちた声で、クレムがそう褒めてくれる。
「な、な――」
とんでもない持ち上げられ方をして、顔が一気に熱くなる。
けれど、羞恥に身悶えする私を眺めるみんなは、楽しそうに肯定の言葉を並べる。
「ナオ。自身が授かった力に、あなたが戸惑っていることはよく知っています。――ですが、以前仰ってくれましたよね。神を信じることはできずとも、友ならば信じることができる。と」
そして、クレムは胸に手を当てると、
「だから、私たちを信じてくれませんか? あなたの成した奇跡に、救われた私たちを」
一言一言に心を込めて、そう訴える。
「…………うん」
清らかで、切なる願いを耳にしてしまえば、私はもう強情を張ることはできなくなってしまった。
やばい、胸が熱くなる。悲しくも無いのに、目がうるんでしまう。
私は懸命に涙を溢すまいと、精一杯の元気を振り絞り、
「わかった。私もう迷わない。――違った。迷ってもみんなに聞くことにする。友達のことなら、絶対信じられるもん!」
心からの笑顔でそう告げる。
私がこの世界に来た理由は、まだ分からない。
神様が何を求めてるかなんて、知る由も無い。
けれど、私がここで紡いだ縁は、疑いようも無く本物だ。
だから、私は友の為に祈ろう。彼女たちとの絆と、歩む道を祝福しよう。
――だって私は、こんなにも恵まれているんだから。
いろんな感情が胸に溢れて、そのすべてが溶け合って幸せになる。
私がこの世界で歩む日々は、まだまだ続いていく。――掛け替えのない人々と共に。
× × ×
峻厳な神の御家は、墓所のような静寂に包まれていた。
人々を導く聖女の立像は深い闇に包まれ、柔らかな面差しを窺うことはできない。
オストバーグ大聖堂をも上回る広壮な堂内は、しかし聖域には相応しくない凝った空気に満たされている。
そして、夜の堂内に響く乱雑な足音。
聖女の御前で不遜な振る舞いに及ぶのは、古びたブーツを履いた若い男だ。
「いやー、見事に失敗したみたいです。もう直接身柄押さえちゃった方が早いんじゃないですか?」
軽薄な男の声が、暗黒に溶け消える。かと思いきや、
「貴様にその裁量は委ねられていない」
低くしわがれた声が、堂内に響く。
闇の奥から現れたのは、黒衣を纏った枯れ木のような男だ。
長身痩躯の男は室内と言うのに漆黒のつば広帽を被っており、その表情は窺えない。
「仔細を報告せよ」
男は底響きするような声で、ブーツの若者に告げる。
「なかなか興味深いモノが見られましたよ」
若者は薄笑いを絶やさぬまま、遠く離れたオストバーグの騒動を語り始めた。
「公爵殿に指図したり、警備隊にそれとなく情報を流したり、いやいや、けっこう大変だったんですよ? 結局警備隊の連中は暴走するし、影から操るってのも難しいですね」
そう若者が告げると、堂内からため息や憫笑が零れる。
闇に包まれた信徒席には、まだ複数の人間が潜んでいるのだ。
「で、確認なんですけど、スプーンの聖示物を持ってるのは、あの栗毛の女の子でいいんですよね?」
「そうだ。騒がしい小娘だ」
若者がそう告げると、黒衣の男は静かに首肯する。
「いやぁ、どうもその子、別の聖示物を使ってたんですよ。自由に動く紐で市壁を乗り越えたりしてましてね」
「ッ――」
そして若者の次なる発言に、堂内に潜む者たちは一斉に押し黙った。
「……複数の聖示物を扱う託宣者、だと?」
「それも、どうやら天然物っぽいですね」
極北の冷気を纏った黒衣の男の言葉に、あくまで世間話のように答える若者。
堂内に立ち込める重い沈黙。
それを破ったのは、第三者の声だった。
「実に興味深いな、少々本腰を入れて探ってみるとしようか」
高く澄んだ、麗しい少女の声が静寂を打ち破る。
しかし、その語調には侵し難い威厳と、幾星霜を経た老人のような狡猾さが匂っている。
「これはこれは、もうお休みになられたかと……」
と、それまでの浮ついた態度を引っ込めた若者が、祭壇前の人影に向って頭を下げる。
黒衣の男も寸時の間を置き、礼を執った。
「もう一仕事頼まれてくれぬか。その娘に興味が湧いた」
「かしこまりました」
聖堂の最奥から呼びかける少女の声に、若者は凛然とそう答える。
そして彼は踵を返すと、堂内を一歩進む。
――若者の姿が霞のように消え去ったのは、次の瞬間だ。
彼の履く古びたブーツが光り輝いたのを、堂内の全ての者が見届けた。
「メードローナの七里靴」の託宣者たる若者は、もう国境を越えてしまっただろう。
「諸君らにも、まだまだ働いて貰わねばならない。全ては、世の安寧のために」
闇夜に包まれた聖堂に、少女の声が響く。
黒衣の男は懐の笛を握りしめ、恭しく拝跪する。
堂内に潜む練達の託宣者たちも、揃って頭を垂れる。
神の奇跡を授かった者たちの会合は、誰にも知られることなく続けられた。
次章に続く
第三章はただいま執筆中です。気長にお待ちください。




