42 後始末
窓から差す日の光が、室内を柔らかく照らす。
キラキラと舞うほこりを眺めて、私はぼんやりとため息をつく。
毎日毎日掃除はしてるけど、この部屋は紙や布が多いから、どうしてもほこりが立ってしまう。口惜しいけど、原因が解決できない以上はどうしようもない。
なので、私は諦めて手元の本へと視線を戻す。この世界の文字にも、随分馴染んできた。
「ん~? ごめんクレム。この字なんて読むの?」
と、私はソファの隣に座る親友に話しかける。彼女はひょいと可愛らしく首を伸ばすと、私の指し示す単語を見て、
「「継承権」ですね」
そう教えてくれる。
――シーラさんを巡る闘いの夜から、既に七日が過ぎていた。
私たちが今いるのは、紙とインクの匂いが漂う一室。ユニスさんが契約しているアパートメントだ。
あの夜、警備隊の追跡を振り切ってオストバーグ市外へと逃げた私たちは、その実夜明け前にオストバーグへと舞い戻った。
ミリーがテオドラさんと密に連絡を取ってくれたし、毛糸の聖示物があるから市壁を越えるのだって簡単だ。むやみに外を逃げ回るよりは、市内に潜伏する方が安全だと考えたのだ。
でも、馬鹿正直にピアソン一家の事務所に戻る訳にはいかないし、私たちも顔を覚えられたかもしれないから、酒場にも帰れない。
そんな私たちを匿ってくれたのが、ユニスさんだ。
彼女は何のためらいも無く自分の家を提供してくれて、私たちとシーラさんのお世話まで申し出てくれた。
ピアソン一家と表向きの接点が無く、学校関係者で市警も手が出しにくいユニスさんの家は、まさにうってつけの隠れ家だった。けど、
「う~ん……」
泊まらせてもらっておいて何なんだけど、ユニスさんの部屋は結構凄い状態で。
職業柄仕方ないのかもしれないけど、それなりに広い部屋なのに、動線以外は本で埋め尽くされていて、居住スペースが殆ど無い。
壁には本棚がずらりと並んでいるのに、さらにそこからあぶれた本が床に積み上げられている。私たちの座るソファとベッド、あと机のまわり以外は座る場所もない。
っていうか、本棚はあるのにクローゼットが無いのはどういうわけだ。化粧品とか、女性の必需品もあんまり見当たらないし。
あの人すっごい美人なのに、いまいち服装に頓着無いのがもったいないと思ってたんだけど、この部屋を見れば納得してしまう。
で、泊めてもらったお礼に部屋を掃除するんだけど、物が多すぎてどうしようも無い。
仕方がないので、私ものんびり潜伏生活を送ることに。
ユニスさんが部屋の本はなんでも読んでいいと言ってくれたので、比較的読みやすそうな小説を開いてみた。
「う~ん、これは?」
「「遍歴」ですね」
言葉は分かるけど、綴りは覚えていない単語が多くて、引っ掛かるたびにクレムに聞いてしまう。自分も難しい医学書を読んでいるのに、腰を折られても嫌な顔一つしないなんて、この子はやっぱり優しい。
ちなみに私が読んでるのは、王子様と騎士とお姫様の三角関係を描いたラブロマンス小説だ。最近オストバーグで流行っているそうな。
べったべたな展開だけど、意外と過激なシーンもあって、特に若い女性に受けているらしい。まぁ、けっこうおもしろいし、人気も頷ける。
「そう言えばあなたたち、諸々の費用の件、ちゃんと計算しておいてね?」
静かに読書タイムを過ごしていると、落ち着いた女性の声が聞こえる。
本の山からひょいと顔を覗かせるのは、滑らかな褐色肌の美女、シーラさんだ。
彼女はユニスさんの机を借りて、熱心に書き物をしている。
市警から彼女を助け出したはいいものの、脱獄囚となってしまった彼女は、私たちと一緒に潜伏生活を続けている。
けれど、彼女はもう日常に復帰しており、こうしてピアソン一家の仕事に勤しんでいる。
「いやぁ、別に持ち出しでもいいんですけど……」
「そんな訳にはいかないわよ。うちの沽券に関わる話なんですからね。耳を揃えて払わせてもらいます」
椅子の背もたれに身を預けたシーラさんに、可愛らしくそうたしなめられる。
ピアソン一家といえば、救出作戦に参加してくれた若衆さんたちにも大きな被害がなくて一安心。
剣や槍で武装した兵隊と乱闘騒ぎを起こしたのに、重傷者が出なかったのはホントに奇跡だ。警備隊にも目立った怪我人は出なかったらしく、一連の騒動では、結果的に死者は一人も出さずに済んだ。
「でも、そろそろ家に帰りたいよねぇ」
「大丈夫です。きっともうすぐですよ」
のんびり呟く私に、クレムが優しく励ましてくれる。
実の所、オストバーグを騒がしたこの大事件は、既に解決済みとされている。
市警の手からシーラさんを助け出して数日後、貴族たちの意見書が王様へと提出され、王様直々にこの騒動へのお裁きが下されたのだ。
それは正式な命令の形をとっていて、警備隊には役所と協力して、貧民たちの実態を調べるよう指示がなされた。
そして困窮した人々には、かなり寛大な処置が下された。
住居がなく、何の資産も持たない人々は、役所の管理を受けることを条件に、貧民街への居留が認められたのだ。
また、余程体調が優れなかったり、自活できないほど弱った人々は、救貧院に収容されることになった。
路上で暮らす方がまだマシ、ってぐらいに評判の悪い救貧院だけど、教会が支援を申し出てくれたから、環境はきっと改善される筈だ。
そんな感じで、貧民たちはお叱りを受けたけど、実質的には行政の保護を受けられるようになったのだ。
で、警備隊の方はというと、どうやらかなり複雑な政治取引があったらしく、あれだけの暴走を仕出かしたにしては、何の処分も無かった。
ジェフリーはそのまま隊長の地位に残り、兵隊たちもお咎めなしに済んだ。ゲインズ家が裏から手を回したらしい。
それどころか、市警の活動が王様の耳に入ったことで、彼らの待遇が見直され、遅れていた給料も払ってもらえることになったらしい。
結局、貧民も警備隊も、特にダメージを受けることなく事件は終息を見た。まあ素晴らしいことなんだけど、何だったんだろうって思いもある。
そんな中、まだまだ不遇な生活を強いられているのは私たちだ。
脱獄犯とその手引きをした重罪人なので、人前に出るのは流石に憚られる。
普通に考えればもうオストバーグには居られないし、一日でも早く街を出るべきなんだろうけど、現在ピアソン一家が市警と秘密裏に交渉を進めてくれているそうな。
面子を叩き潰された向こうが私たちを許すなんて、普通に考えたらありえないんだけど、政治的な話もあるし、それに何より、市警の隊長ジェフリーはクレムの聖示物をその身に受けた。何か心情的な変化が起きていないか、ミリーに調べてもらっているのだ。
「…………」
無為に過ごす時間が増えると、考え事も頭に浮かんでしまう。
私は小説に意識を戻すことができず、ぼんやりと視線を泳がせる。と、
「どうかなさいましたか?」
クレムが優しくそう気遣ってくれる。この親友には、やっぱりすぐ見抜かれちゃうな。
「……ううん、やっぱりお店のことが気になっちゃって」
私は当たり障りのない話題を返す。
貧民街に戻れることになって、ロレッタちゃんたち家族も引き上げて行った。
呼び売りの子も仕事を再開できたみたいなんだけど、私たちの酒場は現在休業中。
テオドラさんはまだピアソン一家で事後処理に尽力してくれていて、あんまり酒場には帰れていないみたい。
盗られて困る物はないけど、仕入れた食材とか、掃除とか、色々気になることは多い。
……まあ、私が一番悩んでいるのは、そのことじゃないんだけど。
親友には包み隠さず話すべきなんだろうけど、私自身、まだちょっと気持ちの整理が出来ていなくて。ゆっくりできる時間は、かえってありがたいのかもしれない。
私はクレムと雑談をして、それからまた読書に戻る。
部屋に人が訪ねてきたのは、日も暮れかかった頃だった。
× × ×
「みんな! 来ても平気なの!?」
潜伏場所にやってきたのは、ミリーにユニスさん、それにテオドラさんだ。
私たちが潜伏しているのがばれないよう、部屋に出入りする人間は最小限に抑えている。部屋の主のユニスさんと、連絡役をお願いしているミリーはともかく、テオドラさんまで来るなんて珍しい。
どうしたのかと尋ねると、
「朗報だ。市警はこの件から完全に手を引いた。もう外を出歩いても安全だぞ」
待ちかねたように幽霊少女が教えてくれる。
なんでも、水面下で進めていた市警との交渉が上手くいき、この件については双方水に流すということで手打ちになったそうな。
シーラさんの脱獄も不問。というか逮捕そのものが無かったことになったらしい。そもそもが冤罪だし、市警も明るみに出ると不味いと判断したのだろう。
で、諸々のトラブルも、これ以上蒸し返さないことで話が付いたそうな。まあ、実際どちらも損害を出さずに済んだから、あんまり触れたくないのだろう。
「本当に、本当に……良かったですよぅ……」
と、ユニスさんなんて涙交じりに私たちの潔白を喜んでくれる。
「まだ手続きが済んだ訳じゃないんだけど、早く教えてあげたくて、ね」
テオドラさんも嬉しそうにほほ笑む。そして、
「表に馬車を回してるわ。出ましょうか。……どっちみち、中には入れなさそうだし」
と、部屋を覗いて苦言を溢す。
ユニスさんは恥ずかしそうに頭を掻きつつ、
「いやぁ、大家さんにも、「これ以上本を増やすな」って怒られてるんですよぅ。なんか、根太が曲がってきてるみたいで……」
笑ってそう答える。
私たちは自由の身になれたことを喜び合って、それからユニスさんの部屋を後にした。
彼女のアパートメントはエトリッジ区の西側にある。窓から覗けばシーラさんが捕まっていた市壁が見えるんだから、随分な場所を潜伏先にしたものだ。
ピアソン不動産の馬車は暮色に染まるオストバーグを進み、私たちを酒場へと送ってくれる。
ようやく我が家に帰ってくることができて、なんだか安心で腰が抜けてしまいそう。
「ん、あれ?」
酒場から明かりが漏れていることに気付き、私は首を傾げる。誰か中に居るのだろうか。
「平気よ。さ、入って入って」
と、テオドラさんは疑念を浮かべる私にそう語りかけ、クレム、シーラさんと纏めて追い立てるように背中を押す。
そうして酒場の扉を開くと、
「「お帰りなさい!」」
私たちはたくさんの人々の笑顔に出迎えられた。




