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ナオのゴスペル  作者: 花時名 裕
第二章 麗しき三賢者
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38 分かち合う思い



 ピアソン一家の事務所は、引き絞られた弓みたいに張りつめた空気が満ちていた。


 あの後、私たちは避難民を若衆さんに任せ、とにかくシーラさんが警備隊に逮捕されたことを報せに走った。


 一報を聞かされた皆さんは、まさに鬼のような形相になって怒り狂った。

 このまま市警の本部に殴り込みしかねないような勢いだったけど、トッドさんがさらに凄まじい大声で彼らを叱りつけ、ひとまず場を鎮めてくれた。


 そして彼は私たちから紳士的に事情を聞きだすと、部下を各避難所に派遣し、注意喚起と警備の強化を指示する。


 同時にクレイグさんに遣いをやり、八方手を尽くして情報収集に乗り出した。

 その間に、私たちは奥の執務室へと赴き、テオドラさんとユニスさんに事の次第を伝える。すると、


「――そう。あなたたちだけでも無事でよかったわ」


 衝撃的な報せを受けてなお、金髪美女は微かに驚いただけで、すぐに冷静さを取り戻す。


「な、な、な、なんでシーラさんが……警備隊は何考えてるんですかぁ!!」


 対照的に、見てるこっちが心配になるくらい動揺するのはユニスさんだ。彼女は長身をぶるぶると震わせ、紫の瞳に涙を浮かべ、悲痛も露わにそう叫ぶ。


「とにかく、皆さんにお報せしようと思って……」


 そう告げる私の声も、心なしか震えている。急変する事態に感情が追い付かないのだ。

 それでも取り乱さずに済んでいるのは、きっとシーラさんの毅然とした姿が瞼に焼き付いているからだ。


 警備隊の暴虐にも屈さず、ただ人々の為に訴え続けた小さなお姉さん。

 あの人の思いを、無駄にしちゃいけない。私は恐怖と混乱をぐっと飲み込み、できるだけ詳細に当時の状況を説明する。そして、


「ミリーが警備隊の後を追いかけています。……彼らの狙いはなんでしょうか」


 そう尋ねるのはクレムだ。


 現場に居合わせた時はめちゃくちゃ怒ってたのに、今の彼女はかなり冷静に状況を推し量ろうとしている。……いや、怒ってない訳じゃない。青い瞳の奥には、今も激しい感情が渦を巻いている。


「……ひょっとして、私たちは最初から思い違いをしていたのかもしれないわね」


 テオドラさんが翡翠色の瞳を細め、物憂げに呟く。


 その意味を問いかけようとした時、執務室のドアを叩く音がする。

 入室してきたのはクレイグさんだ。愛娘が警備隊に逮捕されたとの報せを受け、出先から急いで戻って来たのだ。


「いや、君らには苦労を掛けた。二人とも、怖い目に遭わせてしまってすまない」


 開口一番、謝罪を口にするクレイグさん。


 いつもの剽軽な雰囲気はなりを潜め、ピアソン一家の総長として重々しい威風を纏っている。ただ、流石に面差しが硬く強張っているのは否めない。


 私は改めてクレイグさんに状況を説明する。話を聞く彼の胸中は、いかばかりだろうか。


「ありがとう。よく教えてくれたね。……しばらく君たちも身辺には気を付けた方がいい。トッドたちに送らせるから、今日はもう帰りなさい」


 私が説明を終えると、シルバーヘアのおじさんは穏やかにそう言う。


「な――帰るなんてできません! シーラさんを早く助けないと! 私たち、何でも協力しますから!」


 私たちを騒動から遠ざけようと気遣ってくれてるのは分かるけど、そんなことできない。シーラさんは大切な友達なんだから。


 そう訴える私に、クレイグさんは目を丸くして驚き、それから嬉しそうな微笑を浮かべる。けれどもゆっくりと首を振り、


「リンドさんもマクローリン先生も、娘の為に骨を折っていただき、感謝の言葉もありません。……後は私共で方を付けますので、ご両人もお引き取り下さいませ」


 丁重だけど、有無を言わさぬ風にそう頼む。


「ッ……」


 確かに、私たちが協力しているのはシーラさんと友達だからだ。テオドラさんもユニスさんも、彼女の手伝いとしてこの指揮所に入っている。


 シーラさんがこの場に居ないなら、私たちが嘴を入れる権利は無い。

 それに、ピアソン一家としても、問題がここまで進んだ以上、私たちを関わらせるのは嫌な筈だ。


 これから先は、下手をすれば市警との全面戦争にもなりかねない。

 彼らは非力な人々を守る義侠の集団だ。女子供を巻き込むなんて決して認められないのだろう。


 聡明なテオドラさんだって、クレイグさんとピアソン一家の決意には、簡単に反論することはできない。

 辺りに重い沈黙が立ち込める。その時、


「市警はどうやら、シーラの身柄を餌にピアソン一家と取引するつもりらしい」


 鈴を転がすような可愛らしい声が聞こえる。

 市警の後を追ったミリーが、報告に戻ってきてくれたのだ。でも、


「――ん、どうしたんだい? みんなして壁を見て……」


 私たちが揃って幽霊少女に注意を向けたものだから、クレイグさんは不思議そうに首を捻ってしまう。


「クレイグ氏も同席していたか。迂闊だった。……そうか、私も焦っているのだな」


 と、ミリーも独り言を溢して反省中。

 いや、空気が微妙な感じになっちゃった。どう誤魔化したものかと慌ててしまう。


 その時、私はテオドラさんが意味深な視線を向けているのに気が付いた。


「あ……」


 彼女が何を問うているかはすぐに分かった。隣にいたクレムも意図を察したのか、私に目顔で同意を求める。


「クレイグさん!」


 数拍置いて、私は意を決して彼に語りかける。そして幽霊少女を横目で窺い、


「あなたに紹介したい人が居るんです。その子とお話してくれませんか」


 真剣に頼み込んだ。




   ×   ×   ×




 幽霊の存在を初めて知ったクレイグさんは流石に驚いた様子だったけど、それでもすぐに落ち着きを取り戻した。


 むしろ、シーラさんたちに情報をもたらしていたのが誰か分かって、大いに納得した様子。飄々としたイメージだけど、やっぱりこの人もすごく理知的なんだなぁ。


「御息女の危機を察することができず、慙愧(ざんき)に堪えない。この上は、是非とも彼女のために一臂(いっぴ)の労を取らせてもらいたい」

「お気遣い痛み入ります。あなたのような賢者と知遇を得られ、娘と我が身の幸運を喜ぶばかりです。……ですが、アレもピアソンの一員。覚悟はしているでしょう」


 私と手を繋いだクレイグさんが、ミリーと挨拶を交わす。


 見た目はお爺ちゃんと孫みたいなのに、お互いとても慇懃(いんぎん)な態度で、敬意に満ちた話ぶりだ。


 ミリーは警備隊の思惑を見抜けなかったことを謝るけど、クレイグさんはとんでもないとかえってお礼を述べる。


 まあ、あの時はゲインズ家の思惑を調べるのに掛かり切りだったし、警備隊が狂言まで打つなんて予想できなくても仕方ないと思う。そして、


「ジェフリー・アランはクレイグ氏に秘密会談を持ちかけようとしている。先ほど手紙をしたためていたから、程なくここに使者がやってくるはずだ」


 と、ミリーは警備隊の最新の動向について、見聞きしたことを教えてくれた。


 やはり、酒場で問題を起こした男性は、市警の兵隊だったらしい。貧民の一人をお金で懐柔し、入れ替わったそうだ。そしてシーラさんの視察に合わせて警備隊に食って掛かり、責任者として彼女を連座させて逮捕する計画だったとの話。


 そうまでしてシーラさんを狙ったのは、どうやらピアソン一家と直接交渉に持ち込むためらしい。


(れっき)とした市民を冤罪で捕まえるなんて、窮余の一策としても無謀すぎるわ。……ジェフリー・アランは何を考えているの?」


 事情を聞かされたテオドラさんが、眉をひそめてそう呟く。


「さてな……ゲインズ家に見捨てられたのが余程堪えているのか、アランは相当に荒れている。正気を疑いかねない狂態ぶりだ」


 そうミリーが話す。

 あのライオンみたいな大男は、失点続きにめちゃくちゃ切れていて、部下も恐怖に突き動かされているような状態らしい。


「ちょ、そ、それってシーラさん危ないんじゃ……」


 私は背筋に寒気を感じてそう尋ねる。


「シーラ様は、やはり市警の本部に拘禁されているのですか?」


 と、クレムも彼女を案じているみたい。


「いや、彼女が連行されたのは市壁南東の側防塔だ」


 ミリーが言うには、シーラさんは市警の本部ではなく、彼らが守る市壁へと連れていかれたらしい。市壁の合間に立つ塔の上層部は牢屋になっていて、そこに閉じ込められているそうだ。


「なるほど、連中も本気ね」


 と、テオドラさんが忌々しげに呟く。


 普通、犯罪の容疑者を収容するのは市警の建物で、城壁の檻は敵の捕虜を捕まえておくための施設だ。そんなところに市民を放り込むなんて、公になればそれだけで市警は非難を免れない。


 ただ、城壁内は市警の建物よりもさらに頑強だし、囚人を秘密裏に移送するのだって簡単だ。要するに、彼らはシーラさんを絶対に逃がさないつもりなのだ。


「そうまでして、市警は何を要求するつもりですかぁ?」


 泣きそうな声で訴えるのはユニスさんだ。彼女はとっても優秀だけど、誰より気優しい人だから、警備隊の暴虐ぶりに強いショックを受けているのだ。


「……済まない。そこまでは探れなかった。どうやら余程の重大事なのか、アランも部下には語らなかったし、クレイグ氏への書面にも記されてはいなかった」


 と、ミリーは申し訳なさそうに答える。


「世論が敵にまわり、後ろ盾にも見捨てられた警備隊の要求だ。いずれにせよ並大抵のことではないと思うが……」

「で、でも、交渉が上手くいけばシーラさん解放されるんだよね!?」


 渋い顔をするミリーに、縋るように訴える私。


 只でさえ粗暴な兵隊たちが、今ではさらに狂暴になってるというのだ。シーラさんは彼らにとっては敵も同然だし、どんな酷い目に遭わされるか気が気じゃない。けど、


「どのような要求があろうとも、我々が折れることはありませんな」


 クレイグさんの落ち着き払った一言に、私は心臓がどきりとする。


「な、な……」

「ミリー殿。……アレはなんと言っていましたか?」


 軽い声音に重い決意を乗せて、クレイグさんがそう尋ねる。きっとシーラさんの意思を問うているのだ。


「彼女は、救出は無用だと。……貧民と、ナオたちの身を第一に考えて欲しいと頼まれた」


 無表情で、それでいて悲痛な雰囲気を纏い、ミリーがシーラさんの意思を伝える。


「…………」


 それを聞いたクレイグさんは瞑目して深く頷く。

 娘への深い愛情と、それ故の心配。そして彼女の決意の尊さを喜び、悲しんでいるのだろう。


「確かに、お聞きしました。――ピアソン一家(われわれ)はアレの決意を無駄にはしません。必ずや、皆様を御守りいたします」


 どこまでも誠実に、仁義に溢れる心意気でそう告げるクレイグさん。

 でも、その頼もしい言葉を聞いて私の胸に溢れたのは、底抜けの不安と恐怖だった。


「だ、駄目だよ……」


 ほとんど無意識に、私はそう呟いていた。


「――ナオ?」


 震える私を、クレムが心配そうに覗きこむ。けれど、私は親友の気遣いさえ受け入れることができず、


「駄目です、駄目なんです!!」


 沸き起こる感情に突き動かされるまま、大声を張り上げる。

 興奮のあまり、クレイグさんの手を放してしまったのも忘れてしまう程だ。


「ど、どうしたのナオちゃん!?」

「あ、あの、えっと、落ち着いて……」


 テオドラさんとユニスさんが驚いて話しかける。けれど、私の胸の暗黒は、どんどんその大きさを増して……


「シーラさんはクレイグさんのたった一人の家族なんでしょ!? 見捨てていいはずないじゃないですか!?」


 辺りもはばからず、そう叫ぶ。


「……君の心遣いは嬉しいが、これは我々の責務なんだよ。娘の決断を、私は親として褒めてやりたいくらいだ」


 クレイグさんは冷静にそう諭すけど、興奮した私は収まらない。


「責務ってなんですか!? 二人がすごく仲良しなの知ってるんですよ!? シーラさん、酒場でよくあなたのこと話してくれましたもんッ! なのに、なんで簡単にそんなこと言えるんですかッ!!」

「落ち着けナオ! 何をそこまで激しているのだ!?」


 ミリーが間に割って入るも、私は止まらない。

 訴える声が、だんだん震えていく。


「家族なんですよ!? お互い大事に思ってるのに、愛してるのに……離れ離れになっていいはず、ないじゃないですか……」


 視界が滲む。ついに私は堪えきれず、涙を溢してしまう。


「……ありがとう。君のような友人を得られたことを、ピアソン一家(われわれ)は誇りに思うよ」


 クレイグさんはそう言うけど、私は泣きながら首を振るばかり。


 駄目だ、家族のことになると、どうしても抑えがきかない。愛する人と永遠に別れてしまうと思うと、胃がひっくり返りそうになって、頭が真っ白になって、つい訳も分からず反発してしまう。


「君の気持ちは嬉しいが、娘を助け出す手立てはない。それに、仮にあの子を助けられたとしても、誰かに犠牲を強いたというなら、彼女は決してそれを許さないだろう」


 優しくそう諭してくれるクレイグさん。でも私は涙を袖で拭いながら、


「助ける方法ならあります。私、聖示物(ミュステリオン)持ってますもん」


 癇癪を起した子供のようにそう告げる。


 城壁の塔はすごく高くて、入り口は限られているけど、上には窓がある。あの毛糸の聖示物(ミュステリオン)を使えば、きっと上まで登れる筈。


「そうだ、なら私ひとりででも……」


 激情に支配されたまま、私はぽつりとそう呟く。すると、


「いい加減になさいッ!」


 私を支えていた親友が、かつてないほど鋭い声で叱責する。


「うっ……」


 クレムの青い瞳に睨みつけられ、私は思わずたじろいでしまう。


 みんなの意見も聞かず、自分勝手なことばかり叫んで、挙句ひとりで好き放題しようとするなんて、怒られて当然だ。けれど、


「ナオ……」

「あ――」


 青い瞳に浮かぶ悲しみの色に、私はすぐに自分の過ちに気付いた。クレムはきっと、私が勝手なことを言い出したから怒ったんじゃない。


「ごめんクレム、手伝ってぇ……」


 情けない涙声でそう頼み込む私。


「もちろんです」


 透き通るような微笑を浮かべて、クレムがそう答えてくれる。

 いくら気持ちが昂ったからって、他人を蔑ろにしていい筈がない。それが親友なら、なおさらだ。そして私は、


「お願いしますクレイグさん。どうか、どうかシーラさんを助ける方法を一緒に考えてください。……お願いです。友達に、もう一度会いたいんです」


 涙でぐちゃぐちゃになった顔で、懸命に頼み込む。

 クレムは私を支えながら、共に頭を下げてくれた。そして、


「私からも、お願いいたしますわ。――この子の聖示物(ミュステリオン)があれば、勝算は十分に立ちます」

「わ、私にもお手伝いさせてください! シーラさんが心配なんですよぅ!」


 テオドラさんとユニスさんも一緒になって、クレイグさんに頼んでくれる。

 彼からは見えていないのに、ミリーまで礼をとっている。


 突然なことにクレイグさんも難しい顔をしていたけど、


「……なんとまあ、シーラは友達に恵まれたんだなぁ」


 ややあって、愁眉を開いた彼は、持ち前の茶目っ気たっぷりの笑顔を見せてくれた。




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