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ナオのゴスペル  作者: 花時名 裕
第二章 麗しき三賢者
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29 急報



 その日の夕刻。テオドラさんの指示で市内各所を走り回った私とクレムは、一旦酒場に戻ると、夕飯の支度を調えてピアソン不動産までやってきた。


「またぞろすまないねぇ」

「いえいえ。余った分は他の人に配ってもらえればいいですから」


 トッドさんと話をしながら、食事の配膳。


 有り余るくらい用意したつもりだったけど、不動産屋さんには失職した非市民や、住む場所を追われた貧民も押しかけてくるから、その人たちに配っていたらすぐに無くなってしまった。もう悠長にパンを焼いてる暇はないので、今晩はお粥(ポリッジ)がメインだ。


「で、実際のトコどうなんですか状況は?」

「昨日までに比べれば随分よくなったよ。お嬢の指示がことごとく図に当たってな。逮捕者は一人も出ずだ」


 給仕しながらそれとなく聞くと、トッドさんがにやりと笑う。

 今日一日は、市警の摘発活動を上手くやり過ごすことができたらしい。


「あとはまあ、次の手が上手くいけばいいんだけどな……」


 トッドさんが真剣な面持ちでそう呟く。


 私も教えてもらった作戦だ。実行のためには市内各所に協力を仰ぐ必要があり、ピアソン一家は準備に掛かりきりになっている。

 私とクレムもいろんなところに手紙を届けたし、必要な物資を買い調えたり、大忙しだった。


「じゃあ私、シーラさんたちにもご飯持って行きますね」


 事務所の皆さんが一通り食べ終わると、今では指令室になっている執務室へ向かう。


「入りますよ~」


 勝手知ったる風に入室すると、中ではシーラさんとテオドラさんが相も変わらず作業に没頭している。これ、昨日の晩からずっとなんだよね。


「あ、お二人ともこんばんは~」


 修羅場には不釣り合いなのんびりした声は、ユニスさんだ。彼女も大学帰りに直接ここに寄ってくれたのだ。


「はい、こんばんはです。ご飯にしませんか?」


 私は作業の邪魔にならないよう、ローテーブルの一画に食事を配膳する。シーラさんとテオドラさんはちらりと目顔で礼を述べると、また作業に戻る。


「で、学校の方はどうだった?」


 ペンをせわしなく動かしながら、テオドラさんがそう尋ねる。

 ユニスさんには、何事かを手伝ってもらったらしい。


「はい。言われたとおりに伝えてみました。皆さん随分憤っていましたけれど、広まるかどうかまではちょっと……」

「それぐらいの加減でいいのよ。あまり露骨だと裏を疑われるわ。自然に感情が湧くように仕向けるのが最上よ」


 自信なさげなユニスさんに、にやりと笑みを浮かべるテオドラさん。

 何事だろうかと私が首を傾げると、


「ああ、ユニスには学生さんに、警備隊が貧民を追い立ててるって噂を流してもらったのよ。まあ、事実だけどね」


 テオドラさんが仕掛けの中身を教えてくれる。


「学生さんは血気盛んな子も多いから、警備隊とは割と揉めたりもするのよ。潜在的な敵愾心があるところに、弱者への蛮行が知れたらどうなるかしら」

「うわぁ……」


 そう嘯く金髪美女の瞳が、怪しく輝いている。私は思わず戦慄に呻く。

 作戦の一環として、警備隊に対して批判的な世論を作ろうとしているのだ。


「知識層は社会正義に敏感だし、学生たちの声ともなれば市民階級にも影響を与える。着眼点としては見事ね。……けど、大学を巻き込むなんて結構危ない手よ。ユニスが首になったらどうするの?」


 と、シーラさんが褒めつつも苦言を呈する。


「すぐにでも街中に知れ渡ることだし、誰が話を広めたなんて分からないわ」


 テオドラさんは悪びれた様子もなく肩を竦める。そして、


「どちらにしても、世論が高まるにはまだ時間もかかる。本筋を先に進めないとね。――収容場所は確保できそう?」


 難しい面持ちでシーラさんに問う。


「万全とは言い難いわ。階層、業種問わず、可能な限り伝手を当たっているけど、色よい返事は中々聞けないものね」


 褐色美女が、難しい顔で答える。

 彼女たちが立てた作戦は、聞いてみれば実に単純な話。


 ――市警に摘発されてしまう前に、貧民を住居から退去させてしまおうというのだ。


 もとより、市警が難癖を付けるのは、貧民が不法に街の一画を占拠しているからだ。ちゃんとした建物に避難させてしまえば、彼らを罪に問うことはできない。


 同じく非市民も、違法な労働さえ控えれば大手を振って街を歩ける。


 要は、市警が振り上げた拳を下ろす前に、標的をサッと隠してしまおうというのだ。


「クレイグ氏はどう?」

「商会、組合には概ね話を通したし、今はオーリン侯爵と会合中よ」


 テオドラさんの問いに、シーラさんがテンポよく答える。

 同時に、シーラさんのお父さんのクレイグさんが、有力市民や貴族に掛け合って市警の横暴を訴えている。


 実際問題、暴走にも近い市警の取り締まりは、各方面に摩擦を生んでいるみたいで、苦々しく思っている人は多いとのこと。そんな人たちを味方に付け、有利な世論を形成する。


 叩く相手が居なくなって、周りからも非難の視線を浴びれば、市警だって引っ込まざるを得なくなるはずだ。

 そうなれば、騒動は街を離れ、宮廷にたむろする貴族たちの問題になる。


「ナオさんにも迷惑をかけるわね。折角新しい商売を始めたばかりなのに……」

「気にしないでください。むしろ、今ほど酒場を譲り受けて良かったと思ったことないですよ」


 申し訳なさそうなシーラさんに、私は笑顔でそう伝える。


 私たちの酒場でも、貧民街の人々を受け入れる予定になっている。建物を名一杯使えば、百人以上は収容できるだろう。


 ただ、避難する人はその二十倍からいるので、受け入れ先を探すのが難航している。


 それに彼らを説得し、家財道具を持たせ、避難先まで連れていくのだって大変だ。ピアソン一家は民衆を市警から守りつつ、それらの計画を直向きに推し進めている。


「手は尽くしているけど、規模が大きすぎてどうしても時間が掛かるの。それまで上手く立ち回らないとね……」


 シーラさんは決意を秘めた眼差しでそう告げる。すると、


「残念な報せだ。我々に残された時間は少ない」


 高く澄んだ、それでいて落ち着き払った少女の声が聞こえる。


「ミリー!」

「ナオ、クレム。離れている間、何事もなかったか?」


 壁を通り抜けて直接部屋へと入って来たのは、純白の幽霊少女だ。

 彼女は私たちの顔を見るや、そう気遣いの言葉を掛けてくれる。


「うん。私たちは全然平気。それより時間がないってどういうことなの?」


 と、不穏な事を告げるミリーにそう尋ねる。すると彼女はシーラさんとテオドラさんへ向き直り、


「市警が貧民街の一斉摘発に乗り出す。明後日の払暁だ」


 信じられないことを口にした。


「明後日っ!? 嘘でしょう!?」


 驚愕に叫ぶのはシーラさん。テオドラさんですら、瞠目して言葉も出ない。私とクレムなんて呆然として立ち尽くしてしまう始末。


「事実だ。既に発令も行われた。明後日には市警が数百人掛かりで貧民を街から狩り出すことになる」

「ふ、不可能よ! そんなこと政府も法院も許可するはずがないわ! 大体、二千人から数える貧民を何処に収容するつもりなの!?」


 シーラさんは狼狽も露わにそう問いかける。


「もちろん許可など得ていない。市警の完全な独断だ。――故に貧民を収容するつもりも無い。一部を除きオストバーグから強制退去させるつもりのようだ」

「なっ……」


 冷酷さすら感じるミリーの説明に、今度こそ私たちは絶句する。


 嘘でしょ? 貧民街には歩くこともできない人だって大勢いるのに、そんな人たちを捕まえて街から放り出そうとするなんて、もう人間の所業じゃない。


「……市警の隊長、ジェフリー・アランは正気なの?」


 いち早く再起動して、質問を投げかけたのはテオドラさんだ。

 まずそう尋ねる辺り、市警の動きはやはり常軌を逸しているのだろう。


「そこまでの暴挙に出て、支持が取り付けられる訳がない。成功しようが失敗しようが処分は免れないわよ。それが分からないほど愚かではないでしょう?」


 やっぱり、テオドラさんも少なからず動揺しているみたい。そりゃあそうだ。エイコンをしていたら、相手がいきなり盤をひっくり返したようなものだもの。


 まさか社会的なルール、行政上の手続きさえ無視するなんて思いもしない。


「さて、当人は大真面目のようだが……ああ、それと、市警の後ろ盾が判明した。どうやらネスティア公爵と通じているらしい」


 あくまで冷静に、淡々と調べてきた情報を開示するミリー。


「ゲインズ家が!? そんな馬鹿な……」


 その報せを耳にするや、又してもシーラさんが驚愕する。


「まさか、どうして……」


 と、ユニスさんも絶句する。なんだろう、とてもショックを受けてるみたい。

 ゲインズって聞き覚えがある。確か街を取り囲む城壁を作った貴族だっけ。


「はい。ネスティア公ゲインズ家。イシダール王国でも屈指の権勢を誇る大貴族です」


 と、クレムが憂い顔で教えてくれる。


「ただ、かなり慎重に繋がりを隠しているらしい。接触があるのはジェフリー・アラン個人だけのようだ。市警の兵隊たちは、アランが提示する褒賞に踊らされている形だな」


 幽霊少女は抑揚のない声でそう説明する。


「…………」


 室内に立ち込める、鉛のような沈黙。


「まだゲインズ家の思惑までは掴めていない。いずれにせよ、政府としての策謀ではないと思うが……」


 ミリーがそう付け加える。


 ゲインズ家は、王家の信頼も篤く、宮廷でも重要な地位にいるそうな。

 そんな貴族が後ろについているなら、市警の暴走もある程度の保証があってのモノなのだろう。


 とはいえ、流石に他の貴族まで関与している訳ではなさそう、とミリーは言う。

 確かに、国としての政策ならもっと大々的に、正面から推し進める筈だ。


 けど、それが慰めになった訳でもない、確かなのは、このまま手をこまねいていれば、明後日にはオストバーグ中に悲鳴が響き渡ることだけだ。


「……さて、これからどうする?」


 と、ミリーは無表情のまま、誰とも無しにそう問いかける。

 沈黙を破ったのは、テオドラさんだ。


「決まってるでしょう。此処で立ち止まっても事態は好転しない。可能な限り早急に計画を進めるだけよ」


 決然と宣言する彼女に、シーラさんも、ユニスさんも、私たちも揃って頷く。


「うん。やってみない内から諦めちゃ駄目だよね」


 私も勇気を振り絞り、賛同する。そして、


「はぁ。みんな悪いけど、しばらく眠れないわよ。覚悟してね」


 シーラさんが呆れたように、でも嬉しそうにそう呟く。

 私たちは今一度お互いを見つめ合い、決意と共に頷き合った。




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