26 お目見得
咄嗟には、言葉の意味が理解できなかった。
けれど、頭の中でリフレインする声を、勘違いで済ませることはできなくて。
「見えない友達」
目の前の金髪美女は、はっきりとそう言ったではないか。
「な――み、ミリーが見えるんですか!?」
一拍おいて我に返った私は、反射的にそう叫んだ。すると、
「――ナオ!」
咎めるような鋭い声で、クレムが私の名を呼ぶ。
「え? な、何?」
友人から叱声を浴びる理由が分からず、私は困惑と恐怖に身を竦める。
「……やっぱり、あなたたちには見えているのね」
と、テオドラさんは翡翠の瞳を細めてそう呟いた。
「あ――」
そこで私は、ようやく自分が失態を演じたことに気付く。
テオドラさんは、きっと確証があった訳じゃない。だから私に鎌をかけたんだ。
「……どのようなおつもりですか?」
スカイブルーの瞳をピタリとテオドラさんに据えて、氷のような声でクレムが問う。
知らぬ間に、彼女は椅子から立ち上がっていた。身に纏う雰囲気が一変している。やばい、スイッチ切り替わっちゃった。
「ちょ、ちょっとクレム! 落ち着いて!」
「いたって冷静です。その上で意図を問うています」
私は慌てて立ち上がり、親友を押し留める。
この子、普段は臆病なくらい温和で控え目なのに、一旦何かあると全く物怖じせずに即断即決で動くから、落差が凄い。
そのお蔭で助かったことも多いんだけど、正直ちょっと怖いし、機械みたいな雰囲気が優しいこの子にそぐわなくて、あまり好きじゃない。
「え、どうしたのあなたたち。ミリーって誰?」
剣呑な気配を感じ取ったのか、シーラさんが慌てて場を執り成そうとする。
「ちょ、ちょっとみなさん、どうしちゃったんですかぁ!」
ユニスさんなんて半泣きだ。いきなり喧嘩寸前まで空気が張りつめたら、私だってそうなる。
「……ナオちゃんを試したことは謝るわ。だからそんな顔しないで頂戴。不確定因子を除きたいだけなのよ」
椅子に腰を据えたまま、テオドラさんが物憂げにそう告げる。クレムの視線を真っ向から受け止めて、まったく動じていない。
「……クレム。そう構えずとも平気だ。この娘、しばらく前から私の存在を疑っている素振りがあった」
その時、渦中の幽霊少女が言葉を発する。
「あら、また何か喋ったの? ……そうね、今はそこの書棚辺りに居るのかしら」
と、テオドラさんが確信を持って問いかける。この人、私たちの視線や態度の変化で、そこまではっきり読み取るのか。
「あなたたち、さっきから一体何の話をしているの!? テオドラ、あなたこの子たちに何かしたんじゃないでしょうね?」
強い口調で注意するのはシーラさんだ。彼女は未だに立ちっぱなしのクレムと、悠揚と挑発するかのようなテオドラさんとを見比べ、テオドラさんの方を叱責する。
「ちょっとシーラ、誤解よ。ナオちゃんたちに質問があるだけなのよ」
と、金髪美女は困ったように弁解する。ああもう、なんかよくわかんなくなってきた。
「そうだな。そろそろ打ち明ける頃合いかもしれない。――少々、彼女と話をする必要も出てきた」
パニック寸前に追い詰められた私を、ミリーの落ち着いた声が救ってくれる。
「――」
私とクレムは、書棚の前で佇む幽霊少女に視線を向ける。すると彼女は、
「ナオの身の上が広まることを恐れていただけで、別段私の存在は隠すほどのものではないだろう。……どうだ。彼女たちを信じることはできるか?」
私たちにそう問うてくる。
「…………」
私はクレムと顔を見合わせ、目だけで意思を確認する。
そんな姿を見て、テオドラさんはもちろん、他の二人も何かに感付いたよう。そして、
「……皆さんに、紹介したい人がいます」
私は意を決して、そう語りかけた。
「はい。テオドラさんとシーラさんで私を挟んで座って、あ、ユニスさんは後ろに立ってもらっていいですか?」
その後、みんなに声をかけて席替え。私はソファの真ん中に座って、左右と後ろに回ってもらう。
「それじゃあ私の手を握ってください。ユニスさんは肩を触ってくれますか」
そうお願いすると、
「やはり接触が鍵なのね」
ぽつりとテオドラさんがそう呟く。
「もう。一体なんなの? あなたたちだけで話を進めて……」
「えっとぉ、こんな感じでいいですかぁ?」
シーラさんとユニスさんは意図が分からず困惑気味。
そうして私の身体に三人が触れると、彼女たちの向かいのソファに、白いドレスがふわりと舞い踊る。
「諸姉には初めて御意を得る。私はミリー。この世界の理から外れた者だ」
優雅な所作で、幽霊少女が一礼した。
× × ×
当然混乱が起きたけど、意外と皆さん三者三様のリアクション。
テオドラさんは予想していたのか、少し身構えただけ。
シーラさんは驚いたのち、自分が寝ぼけていないか確かめだした。うん。現実的な彼女らしい。
で、一番大騒ぎになったのはユニスさん。それも、
「あああ、あの、ああなたはひょっとして「上古の民」ですかっ!?」
怖がったり正気を疑ったりするのではなく、好奇心に爛々と目を輝かせ、興奮も露わに食いついてきたのだ。
「……いや、あの氏族とは縁もゆかりもない身だ。残念ながら、私が発生したのは教会暦が始まってからだ」
と、ミリーもやや面食らったように対応する。上古の民って、たしか聖典に載ってる古代の一族だっけ。
「えぇ、そーなんですかぁ……いや、でも凄いです! ――わ、消えた!?」
ユニスさんはほんのりと落胆した様子だったけど、直ぐに気を取り直してあれこれミリーに尋ねようとする。けど、
「あ、手を離しちゃ駄目ですよ。見えなくなっちゃいますから」
幽霊少女の側まで行こうとして、私から手を離しちゃった。
「この子、私と触れてる人としか、見たり話したりできないんです。窮屈な体勢ですけど、しばらくこのままでお願いしますね」
そう、ミリーと交流する際のルールを説明する。
「……ええと、つまり、ナオさんの周りにはずっとこの子が居たと?」
と、シーラさんが困惑顔でそう尋ねる。
幽霊は現実の物として受け入れてくれたみたいだけど、そうすると色々と不都合なことがある。
「そうだ。私は常にこの娘らと行動を共にしていた」
そうミリーが答える。そして、
「ただ、これだけは信じてもらいたい。私は決して、君たちの私生活を覗き見るような真似はしていない。無論、ナオやクレムから依頼されたこともない。――私は神に誓う資格を持たぬやもしれぬが、この娘らとの友誼に掛けて誓う」
そう言葉を続ける。うん。ここが一番大事なところだ。
ミリーにとっては普通のことでも、見えない誰かにずっと近くに居られたなんて、人によっては絶対に嫌だし、薄気味悪く思う筈。
「……納得できた訳ではないけど、信じます」
と、シーラさんは頷く。一先ず諸々の考察は棚上げにして、目の前の出来事を受け入れることにしたみたい。
「……あなたみたいな幽霊は、他にも居るの?」
ぽつりと疑問を口にしたのはテオドラさんだ。彼女は特に驚いた風も無くミリーを眺めているけど、問いかける口調は、なぜか緊迫しているように感じる。
「いや、私はどうやら単一の現象らしい。類似する存在には出会ったことがない。ナオも、私以外の幽霊は見たことがないそうだ」
「そう……」
回答を聞くテオドラさんの面差しに、どこか陰が差している。なんだろう、落胆してるのかな?
「諸姉にはナオとクレムがひとかたならぬ世話になり、感謝の念に堪えない。これからも、この子らと変わらぬ付き合いを願いたい」
と、いつも以上に堅苦しい挨拶で締めるミリー。保護者かな? いや、その通りか。
「っていうか、皆さんあんまり驚きませんね」
顔合わせが済んだところで、私がポツリとそう呟く。割合皆さん冷静だ。クレムなんて、最初にミリー見た時は失神しちゃったのに。
「それはまあ、これだけはっきり見えればねぇ」
と、シーラさんは呆れ顔、
「えへへ、とってもとっても可愛いですし、お話ぶりも知的で、素敵すぎます~」
ユニスさんは嬉しそうに答える。で、
「そういえば、テオドラさんは何時からこの子に気付いてたんですか?」
先ほどから疑問に感じていたことを尋ねると、
「最初に会った日からよ」
と、金髪美女は驚きの答えを口にする。
「えっ、何でですか!?」
「何でって、ナオちゃん私の腕を掴んだじゃない。その時、白い女の子がちらりと見えたのよ」
「あっ――!!」
言われてようやく思い出す。テオドラさんが病身をおして酒場から出て行こうとした時、私は彼女の腕を取って引き留めた。その時に、ミリーの姿を見られていたのだ。
「最初は疲労で幻覚でも見たのかと思ったけど……あなたたち、揃って誰もいないところを見詰めたり、会話の内容が飛んだりするし、妙だと思ったのよ。一緒に暮らしているうちに、疑念も確信になって。――この子たち、見えない誰かと話してるなって」
「あ~」
言われてみれば、納得の理由だ。気を付けているつもりでも、ミリーと話す時はどうしても意識しちゃう。テオドラさんぐらい洞察力に優れた人なら、そりゃあ気付くだろう。
「そういえば、妙に勘の鋭いところもあったわね。説明をすんなり受け入れたり」
と、シーラさんも納得顔。
「え、じゃ、じゃあひょっとして、私とエイコンをしてたのも……」
「はい。ミリーです。私は駒を動かしていただけで……」
わたわたと落ち着かないユニスさんに、真実を伝える。でも、
「ふわぁ! 凄いです! 私、幽霊さんと遊んでたんですねぇ!」
と、彼女は嬉しそうに笑う。
「そういえば、クレムちゃんはどうしてミリーちゃんが見えてるの?」
「ああ、私の髪を編み込んだブレスレットを付けてるんです。今度、皆さんの分も作りますね」
そうして一通り質疑応答が済むと、
「では、そろそろ話を本筋に戻したい。――テオドラ。君は不確定因子を除きたいと話していたな。この事態に介入する意図があるように見える。それも、ナオたちを使って。……君の意図が那辺にあるのか、是非とも聞かせてもらいたい」
ミリーは灰色の瞳をまっすぐテオドラさんに向け、強い口調でそう尋ねた。




