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ナオのゴスペル  作者: 花時名 裕
第二章 麗しき三賢者
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25 警備隊の暴挙



 不動産屋の台所は、小ぶりだけど必要な物はおおむね揃っていた。


 シーラさんに何か食べさせてあげようと思ったけど、食事はついさっき取ったらしい。


 なので、手鍋を借りてワインを注ぐ。あとこっちで必要になるかもと思って持ってきたハーブ、スパイス各種と砂糖を入れ温める。まだ宵の口だし、煮立てないように気を付けながらほどほどにアルコールを飛ばす。


 沸騰直前にカップに移す。滋味あふれるホットワインの出来上がりだ。


 そして部屋に持って行く途中、


「や、早速いただいてるよ」


 と、トッドさんが声をかけてくれる。


 次いで、事務所の各所からいただきますやお礼の声。皆さん、差し入れには喜んでくれたみたいで、パンをかじったりスープを飲んだりしながら、一生懸命仕事をしている。


 うん。やっぱりお腹が減ると気が立つし、むやみに悲しくなっちゃうもん。忙しい時こそ、ちゃんと食べないとね。

 そうして奥の執務室まで戻ると、


「あ、ああぁぁぁ~~!」


 扉越しに、シーラさんの悲鳴が聞こえる。


「おお、どんな具合ですかクレム先生」


 気にも留めずに部屋に入ると、中では施術の真っ最中。

 ソファにうつぶせに寝転がったシーラさんを、クレムが熱心に按摩していた。


「かなり、ご無理をされたようですね。体中の筋が強張っていて、血のめぐりも悪くなっています」

「う、ふぅ……」


 背中をぐいぐいと指で押され、シーラさんが苦悶とも恍惚ともつかない呻き声を漏らす。気持ちはすごく分かる。アレめちゃくちゃ痛気持ちいいもんね。


 明らかにお疲れな様子のシーラさんを見て、私たちはとにかく彼女に休んでもらうことにした。もちろん本人は拒むので、半ば実力行使だ。


 トッドさんも巻き込んで説得。まずは彼女にさっと湯あみをしてもらう。その間に私は軽く温まるものを作って、身を清めたらクレムのマッサージを受けてもらう。


 テオドラさんとユニスさんには部屋の掃除をしてもらった。見られると不味い書類もあるだろうからほどほどに。


「長時間座り仕事をなされていたようで……ふくらはぎも随分と」

「あぃっ!」


 クレムにぎゅっと足を抑えられ、シーラさんが悲鳴を上げる。


 ちなみに彼女は俯いてソファに顔面を押し付けた姿勢。顔には私が用意した蒸しタオルが当ててある。目も酷使してるだろうしね。


「ぅ~~!!」


 今は痛い方が勝ってるのか、シーラさんは呻き声を上げる。大丈夫。終わると生まれ変わったみたいに体が軽くなりますから。


「あ、まだ掛かる? ホットワイン作ったんだけど……」

「分かりました。それではもう少しだけ……」

「だってさシーラ。ま、頑張りなさいな」

「ッ~~!!」


 最後のはテオドラさん。彼女にからかわれてシーラさんは怒るも、顔をソファに押し付けたままだから言葉にならない。そうして――


「……すごい。身体に羽が生えたみたい」


 しばらくして、ソファに腰かけホットワインを飲むシーラさんは、呆然とした風にそう呟いた。


「寝不足まで治った訳ではありませんし、睡眠に勝る養生はありませんから、どうぞ、お早いうちにお休みくださいね」


 と、一仕事終えたクレムがそう説明。


 それでもリフレッシュ計画は功を奏したようで、シーラさんも随分と楽になったみたい。さっきまで、倒れそうな顔してたもんね。


「ええと、それでみんな、今日はどうしたの? それもこんな時間に」


 あらためて来意を問うてくるシーラさん。


「しばらく顔を見せてくれなかったから、ご機嫌伺いに来ちゃいました」


 私は笑顔でそう説明。ただ、


「それに、なんだか街中が大変なことになってるみたいだし……」


 と、市警の取り締まりの強化と、それに伴う市中の混乱に言及する。よけいな心労をかけるかもと思ったけど、貧民街の一部で取り締まりがあって、複数の人が住居を失ったことも報告する。


「……そう。ごめんなさい。あなたたちにも迷惑をかけてしまったわね」


 すると、シーラさんは顔を曇らせてそう呟く。


「そんな、迷惑だなんて思ってませんって! ただ、私たちも心配で、何かできないかって思って……」


 慌てて訂正する私。けれど、シーラさんは悔しそうに俯くばかり。きっと、大勢の人を守るピアソン一家として、責任を感じているのだろう。


「それで、結局どんな状況なの? 明らかに普通の手入れとは違うわよね。相手の思惑と、背景は掴めたの?」


 執務室に漂う重たい空気を払うかのような、洒脱な声。

 いつの間にか応接席に腰掛け、ホットワインを傾けながら、テオドラさんがそう尋ねる。


「……テオ。気持ちは嬉しいけど、あなたには関係ない話よ」


 シーラさんは冷静にそう退ける。あくまで彼女は、部外者をこの問題に立ち入らせる気はないみたい。けれど。


「実害が出てるのに関係ない? 私もナオちゃんも居留民よ。貧民の次に狙われるのは余所者と相場が決まっているわ。騒動の火元と風向きを知りたがるのが、そこまで僭越(せんえつ)かしら」


 テオドラさんが当然の権利のように答える。


「あなた……」


 切りつけるような問いかけに、シーラさんが微かに怒気を発する。いつも口喧嘩ばかりしてる二人だ。私は慌てて諌めようとして、


「みんな、あなたを案じてるって気付いているでしょうに。……私はともかく、この子たちまで信じられないの?」


 テオドラさんの痛切な訴えを聞く。


「ッ――」


 シーラさんの金色の瞳が、微かに揺れる。儚げな表情の彼女を見て、私とクレムはつい身を乗り出してしまう。


「ほら、ね? ――いいじゃない、教えなさいよ、減るもんじゃなし」


 と、テオドラさんは親しげな微笑を浮かべてそう訴える。無邪気な、それでいてちょっとだけ拗ねたような物言いに、私たちも釣られて笑顔になる。


「……まったくもう。仕方ないわね」


 シーラさんは呆れたように息をつき、それから今までの出来事を話してくれた。




   ×   ×   ×




「最初は、市警によるただの点数稼ぎと見ていたの」


 ランプの明かりに照らされた執務室に、シーラさんの声が響く。私たちはそれぞれ椅子に座って、彼女の説明に耳を傾ける。


「ラーナー一家が解散してオストバーグの勢力図に空白が出来たから、影響力を高めようとしたんでしょうね。ラーナー一家の関係者や、所有資産に次々手が及んだわ。――そう、ナオさんの酒場の件もそうよ」


 はっとした私に気付き、シーラさんが笑みを向ける。そして、


「それが、次は非市民への取り締まりの強化につながった。――別に珍しくは無いのよ。街頭販売や、無届での請負仕事の摘発はね。市警にすれば分かりやすい実績にもなるし。……ただ、件数が明らかに多くて。そこから、少し面倒なことになったのよ」


 彼女は続けてそう語る。


「取り締まりが執拗で、しかも容赦が無くなった。暴力行為は日常茶飯事なんだけど、彼らってあまり逮捕まではしないのよ。手続きが面倒で、あとの処置に困るからでしょうね。……それが、廃業に追い込まれる程痛めつけられたり、逮捕者が次々出たりで、大混乱が起きて」


 一旦ホットワインを飲み、シーラさんは唇を湿らせる。


「それで、市警は次に貧民街にまで手を伸ばした。ナオさんの言う通り、まさに最近のことよ。――正直、これはもう意図が分からない。直接的に市警の益になるような場所じゃないのに、何故あれだけの人員を動かしたのか」


 ロレッタちゃんや貧民街の人々の顔を思い出し、私とクレムは無意識に表情を強張らせる。そして、


「で、失業者や家を無くした人たちが大勢出て、彼らの対応に追われていたという訳。……情けない話だけど、騒動終息への見通しは、まったく立っていない状況よ」


 と、シーラさんが長い話を終える。


「っ……」


 想像していたよりもはるかに悪い状況に、私は歯を噛みしめる。すると、


「政府や法院は関与してるの? そこまで大々的な活動だと、市警の一存では不可能でしょうに」


 テオドラさんが質問を差し挟む。


「それが妙なのよ。伝手を頼って可能な限り情報を集めたんだけど、摘発の強化には行政も法院も関与してなくて。……役人たちも困惑してるみたい」


 シーラさんは怪訝そうにそう答える。え、つまり、どういう事?


「市警の独走、って訳ではないと思うけど。……利益と危険が釣り合ってなさすぎるし、たぶんもう少し大きな絵が描かれている筈」


「そうね。私もそう思うわ。ただ、市警が誰とどの線で繋がっているか、ハッキリとは掴めないのよ。ピアソン一家(うち)としても、最優先で調べてはいるのだけど……」


 テオドラさんとシーラさんがあれこれと話を始める。あれ? だんだん何話してるのか分からなくなってきたぞ。


「…………」


 私はちらりと左右を盗み見る。


 クレムもユニスさんも、意見こそ述べないけど二人の会話には聞き入ってる。これ、付いて行けてないの私だけ?


「とにかく、首謀者だけでも判明すれば、対策の方向も定まるのだけれど……」


 と、シーラさんがため息交じりに溢す。よく分からないけど、結局有効な手立ては見つからないらしい。私もつい不安になる。すると、


「……ねえ、ナオちゃんはどう思う? 何かいい考えは無いかしら」


 と、テオドラさんが突然そんな事を言い出した。


「ふぇっ!? いやそんな、無理ですよ! そりゃあ心配ですし、何でも協力しますけど、私なんて、馬鹿ですし……」


 急に水を向けられ、私はしどろもどろに答える。うう、確かに心配だけど、結局二人が何の話をしてるかも分からないし、意見なんて出てこない。けれど、


「そう。――じゃあ見えないお友達は、何か言ってない?」


 さも自然に、何でもないことのように、テオドラさんがそう尋ねてきた。




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