21 魔法の毛糸玉
玄関扉を施錠して、食料庫から地下室へ。
この日の為にスペースは空けておいたし、ランプの準備もばっちり。
ユニスさんは木箱の上にトランクを置いて、中から恭しい手つきで毛糸玉を取り出す。
「可能な限りの文献に当たってみましたけど、ひとまず、大きな危険はないようです」
と、彼女は眼鏡の奥の紫眼を細めてそう告げる。
いつものほわほわした雰囲気は微塵もなく、真剣そのものだ。私なんて雑な扱い方してるけど、本来、聖示物ってそれだけ気を使わなきゃいけない代物なんだろう。
「この聖示物「アニーの毛糸」は、遡ること百四十年ほど昔、イシダール王国の南端、パレトンの村で発現しました」
ユニスさんがすらすらと毛糸玉の来歴を諳んじる。流石、先生だけあって説明が上手だ。
聞けば、この毛糸玉は昔々に農家の女の子が授かったらしい。で、その人が亡くなった後は起動できる託宣者が見つからず、王宮の宝物庫に収納してあったんだけど、なんと火災が起きて、切れ端を残して焼失してしまったのだ。
後継の託宣者を探すどころか、完全に能力が消えてしまったであろう毛糸は、もう誰にも顧みられなくなって、王宮の片隅で埃を被っていたそうな。それを、ユニスさんが大学を通じて研究用に借り受けたのだ。
「伝承によれば、聖者アニーはこの毛糸をまるで生き物のように、自由自在に動かしてみせたそうです」
と、ユニスさんが効果を説明してくれる。
あ、聖者っていうのは託宣者に付けられる一般的な尊称で、別に教会に関係していたとかではないそうな。あと、これも余談として教えて貰ったけど、聖示物のネーミングは基本「人名もしくは発現地+器物」って感じになるらしい。アニーさんは人名の方。私のスプーンなら、「ナオの木匙」か「マトヤの木匙」になるのかな?
「動かせるとは、どのようにですか?」
そう質問するのはクレムだ。
地下室には、他にテオドラさんとミリーも居る。何が起きてもいいように、みんなに立ち会ってもらうことにしたのだ。
「一瞬で服になったり、手のように動いて遠方の物を持って来たり、或いは悪人をしばりつけた。という逸話もあります。総じてそこまで強力な力ではありませんし、死人が出た、などという記録もありません」
と、ユニスさんがテンポよく説明してくれる。関係ないけど、知的な女性って格好いいなぁ。
「う~ん。ぱっと見、どこにでもある普通の毛糸玉ですよね。私、編み物はあんまりしないんですけど……」
と、私は分かったのか分かってないのか微妙な反応。この前触ったら光ったけど、いったいどうしたものやら。
「とにかく触れてみたら? 別にいいのよね?」
取り扱いに困っている私を見て、テオドラさんが私とユニスさんにそう声をかける。彼女は翡翠色の瞳を光らせ、油断なく事の成り行きを見守っている。
「はい。ナオさんが正しく託宣者なのかどうか、まずは確かめる必要があります」
「わかりました。じゃあ……」
ユニスさんに促されるまま、私は毛糸玉に手を触れる。すると、
「わっ――」
薄暗い地下室に淡い光が現れる。
私が触れるや否や、毛糸玉は白い燐光を発し、するすると解けていくではないか。
「えっと、えっとこれ――」
目の前でどんどん紡ぎだされていく毛糸に、私はあたふたと取り乱す。いや、使う分だけ糸玉から出さないと、後が面倒なんだから。
「ちょ、ちょっとストップ! 止まって!」
慌てて大声を上げる。と、
「――へ?」
まるで私の命令が聞こえたかのように、宙に伸びていた毛糸がピタリと動きを止めた。それも、機械が止まったというよりは、待てを命じられた犬みたいな固まりかただ。だって、先端部分が私の方を向いて、様子を窺うみたいにゆらゆらと揺れているもの。
「これは――」
その情景に、思わずテオドラさんが声を漏らす。
ユニスさんも、クレムもミリーも驚愕に言葉も無いみたい。
「えっと、玉に戻ってくれる? ――おわっ!」
何となくそう呟くと、まるで巻尺から手を離したみたいに、凄い勢いで毛糸が糸玉に戻った。これ、自由自在に動くって聞いたけど、思ってたのと随分勝手が違う。
「間違いないようですね。……ナオさん。あなたが「アニーの毛糸」の新たな託宣者です」
すると、ユニスさんが厳かな声でそう告げる。
学者として重大な局面に立ち会ったからなのか、その雰囲気はとても重々しい。
それから私は、彼女に促されるまま様々な実験に付き合うこととなった。
× × ×
「ふわぁ! 可愛いです~!」
「ですよねですよね!」
それからしばらくして、薄暗い地下室には楽しげな声が響いていた。
私たちの歓声を一身に浴びているのは、木箱の上をとことこ歩く犬のあみぐるみだ。
見た目こそクリーム色一色だけど、その仕草の愛らしいことといったら。
テオドラさんも嫣然と微笑んでいるし、クレムなんて口元に手を当てて感激してる。冷静なミリーですら、頬が確かに緩んでいる。
「ほら、おいでおいで! きゃー!!」
「ああ、いいないいな、うらやましいです!」
調子に乗った私が両手を広げて呼びかけたら、毛糸の犬はぴょんと私の胸に飛び込んできた。もふもふだし甘えて来るし、もうめっちゃ可愛い。
詳しく調べてみれば、毛糸の聖示物はまさに凄まじいパワーを秘めていた。
私が望めば、まるで生き物のように動いてくれる毛糸は、たとえば瞬く間に自分を編み上げてマフラーやチョッキになってくれる。その変化の滑らかさといえば、まるでCG映像を見てるみたい。
そうして身に着けたマフラーに、たとえば「あれ取って」なんて声をかけると、距離に応じて糸がほつれて、まるで人の手みたいな柔軟さで物を運んでくれる。
しかもなかなか力も強くて、私ぐらいなら軽く持ち上げられるみたい。……羊毛ってそんなに強度は無かったと思うんだけど、これも聖示物だから? まあ、私が羽みたいに軽いって説も有力かもしれないけど。
で、そんな感じだから、この毛糸は私が操るっていうより、私の考えを汲み取って勝手に動いてくれるんじゃないかって話になった。
例えば、毛糸はいろんな衣類になってくれるけど、私、マフラーぐらいしか編んだこと無くて、自分の腕だとここまで上手に出来る気もしない。私の能力以上のモノにまで変化してくれるのだ。
そのことをさらに詳しく調べてみようと、作ったことがないあみぐるみになって。ってお願いしたら、超絶可愛いのが出てきた。
腕の中でこしょこしょ動くあみぐるみは、どう見ても私のイメージした姿そのままだ。……可愛いんだけど、これ、ひょっとしなくても頭の中読まれてる?
「私も、私も! ちょっとだけ撫でさせてください~!!」
でも、ユニスさんもさっきの真面目さはどこへやら、動くあみぐるみにすっかり心を奪われている。
「ね、ユニスさんに触らせてもいい?」
私がそう聞けば、毛糸のワンちゃんは臭いを嗅ぐみたいに鼻先をユニスさんに突き出して、それからひょいと彼女の腕に飛び込む。
「おおおぉぉぉ……」
学者先生はちょっと言葉にならない様子で、腕の中のあみぐるみに感激してる。……うん。別に悪意はなさそうだし、いいのかな? 毛糸の時から、なんか妙に人懐こい感じだったし。あれだ。アニメに出てくる器物のお友達みたいな動きするんだな。
「う~ん。でも、流石に明確な意思とかはなさそうですねぇ」
至福の表情であみぐるみと戯れていたユニスさんが、ぽつりとそう呟く。
「へ、そうなんですか?」
思いがけずまともな考察が出て来て(失礼!)、私は驚いて尋ねる。
「これ、たぶんナオさんの思考を読み取って動いてるだけですね。それでも凄いですけど」
と、至極冷静な説明が返ってくる。
「え、でも私、あみぐるみなんて作ったことありませんよ?」
そう私が問いかけると、
「作り方は知ってますよね? それで十分みたいですねぇ」
ユニスさんは興味深そうに答える。
一見すると意思があるかのように見えるけど、実際は私の識閾下にアクセスし、最適解で動いているだけなのでは、と彼女は考察を述べる。
「たとえば、さっきの実験ですけど……」
毛糸の聖示物の機能を試すにあたって、見えない場所の物を取って来てもらうという作業をした。私からは見えない木箱の裏にある物を、漠然とした指示で選ばせるという内容だ。
「この実験の興味深いところはですねぇ、ナオさんの認知を越える指示だと動作がとまるんですよぅ」
例えば、花瓶とワインボトルとコップを並べて、一番軽い物を取ってきて。とお願いすると、毛糸は迷わずコップを取ってくる。
次に、ワインボトルと花瓶を選ばせると花瓶を取ってきた。でも実際に量ってみると、花瓶の方が僅かに重かった。
最後に、ワインボトルを複数並べて、一番高価な品を取ってきて。と指示すると、毛糸はうろうろと迷ってしまった。
以上の実験から、毛糸の思考、判断基準は私の知識、認識に依存しているのではないかというのがユニスさんの見立てだ。
衣類やあみぐるみについては、私が作り方を知っていたから、それをオートメーションで再現したのではないか。とのこと。
そして愛らしく動く犬は、私がこうあってほしいと無意識に抱いた願望を反映しているのではないか。と仮説を立てる。
「言われてみれば……」
あみぐるみの犬は仕草こそ本物っぽいけど、動作はどちらかといえばアニメーションチックだ。これ、物体が自ら動くならこんな感じだろうか、っていう私の想像そのままだ。
で、愛らしい動きはペット動画のそれに近い。
実際に犬猫を飼ったことはないけど、ネットで動物動画はよく見ていた。私がイメージする小動物の可愛い仕草を、そっくり演じているのだ。
「あー、そっか、そうですよね……」
ユニスさんの考察がすとんと腑に落ちて、私は少々トーンダウン。っていうかあれだ、これ私が動かしてると考えると、ちょっと恥ずかしい。
「まあ、でないと困りますよぅ。寝ている間にどこ行っちゃうかわからないなんて、管理できませんし~」
ユニスさんはそう言って笑う。で、私が眠ればたぶん動かなくなるだろうと説明される。
託宣者が意識を失えば、起動中の聖示物も動作を停止する。これは多くの聖示物に共通するルールだそうな。
「託宣者から離れても動き続ける聖示物はありますし、断片的な伝承には、本当に自我を持つ聖示物っていうのも存在するらしいんですけど~」
ユニスさんはそうも説明してくれる。
とはいえ、聖示物の謎はまだ全然解明されておらず、確たることは何も言えないそうだ。ただ、過去の文献と照らし合わせてみるに、そこまで悪さをするような代物ではないというのは保証してくれた。
で、それからもまだ調査は進んで、結局ユニスさんは夕方まで酒場に滞在した。
酒場の玄関で、みんなで彼女を見送る。と、
「え! これ私が持ってていいんですか?」
別れ際に、ユニスさんはなんと毛糸の聖示物を私に預けると言い出した。
「もちろんですよ。聖示物は託宣者に、っていうのが大原則ですから~」
と、ユニスさんはにこやかに笑う。
ちなみに、毛糸玉はストール状に薄く編んで腰に巻いている。ある程度ボリュームまで調整できるとか、つくづく物理現象に逆らってるなコレ。あ、形状変化の時にしか光らないので、身に着けていても安心だ。
「……わかりました。大切に預かります」
私は真剣にそう請け負う。こんな貴重な物を預けてくれたんだ。ユニスさんの信頼と厚情を感じる。
「あと、ホントに勝手な言い分なんですけど……」
「大丈夫ですよぅ。教会とお役人には秘密にしますから~。……まあ、能力があんまりなので、向こうもそんなに大仰には扱わないと思うんですけどねぇ」
聖示物を公にしないで欲しいとの頼みに、ユニスさんは二つ返事で応じてくれた。
ついでに、この毛糸玉は教会も王宮もそんなに興味がないだろうと説明される。
なんでも、教会や王宮が挙って集めるのは、国力を増強させたり、軍事的に有用だったりする聖示物で、言っちゃなんだけど、この毛糸玉みたいなのはそんなに喜ばれないそうだ。申し出ても、ああそう偉いね。で登録だけして終わりになったりするみたい。
現金な話だけど、国家みたいな巨大システムからすれば、神様の恩寵だってそんなものなのかもしれない。
「でも、ナオさんは不思議な人ですねぇ」
すると、しみじみといった風情でユニスさんがそう切り出す。
「聖示物を復元させたことも気になりますけど、オストバーグに来た経緯もそうですし。……これからも、色々調べさせてくださいねぇ」
無邪気な笑顔でそう頼み込まれ、
「喜んで。友達ですから!」
私も元気よく応じ、ユニスさんを送り出した。
「――それじゃあ晩御飯の支度しよっか」
窓の外から、酒場に茜色の夕日が差し込んでいる。さて、色々用事を片付けよう。
聖示物のことは気がかりだけど、私にはやることいっぱいあるんだから。すると、
「あの、少しよろしいでしょうか……」
ふんふんと意気込む私に、クレムが控え目に話しかけてくる。
「え、どうしたの?」
私が小首を傾げると、彼女は何やらもじもじと照れた様子。そして隣のテオドラさんと、何やら意味深に目配せをする。
「んー?」
意図を判じあぐねて、私は思わず小首を傾げる。
クレム、最近は変な遠慮なんてしないようになってくれたのに、えらく戸惑ってる。
しばらく様子を見ていると、彼女はようやく意を決して、
「先ほどの犬のお人形、私たちにも触らせてもらえないでしょうか」
恥ずかしそうに、そう尋ねてきた。
見れば、テオドラさんもちょっと照れている。
ああ、さっきは私とユニスさんであみぐるみを独占しちゃったもんね。
「もちろん! やっぱり可愛いよね!」
なにやら嬉しくなった私は、にんまり笑ってそう答えた。




