20 呼び売り商人
「下ろし立てだぞ。おい、いったいどうしてくれるんだ?」
どすの利いた男の声が、広場に響く。
丁度水飲み場へ行こうとしていた私は、何事だろうと人混みから首を突き出す。
視線の先には、如何にもガラが悪そうな若いお兄さんが二人。そして、
「そ、そんなの知らないわ! 私わざとじゃないものッ!」
と、怯えた女の子の声がする。
「あの子……」
見れば、その二人組と対峙しているのは、切り花の入ったバスケットを持ち、頭巾をかぶった女の子だ。
その顔には見覚えがある。前に私とぶつかった呼び売りの子だ。
「わざとかどうかはどうでもいいんだよ。見ろよ。この汚れ」
遠巻きだけど、話は直ぐに分かった。男がズボンに泥を跳ねられたと、女の子に詰め寄っているのだ。
「だ、だからごめんなさいって謝ってるじゃない!」
女の子が涙声でそう叫ぶ。けれど、男たちはにやにやと笑って取り合わない。
「謝って染みが落ちるのか? 洗濯に出すのだって只じゃないんだぜ。悪いと思うなら、ちゃんと誠意を見せてみろよ」
嘲りながら、男たちが少女に詰め寄る。
ズボンが汚れたぐらいで、あんな小さな子を脅すなんて。
しかも、どう見ても面白半分だ。言っちゃなんだけど、あんな子が大金持ってるようには見えないもの。
「っ――」
私は慌てて広場を見回すも、皆は遠巻きに見ているだけで、関わり合いを避けている。
男たちの人相が悪いのも理由だろうけど、呼び売り少女なんてどうせ貧民なのだから、助ける義理も無いと考えているみたい。
「ちょ、やめて! やめてったら! 明日の仕入れ代も入ってるのよ!」
私が狼狽えていると、女の子が悲痛な声を上げる。
見れば、男たちが笑いながら彼女の財布を取り上げているではないか。
その光景を目の当たりにしてしまっては、もう限界だった。私は女の子を助けようと、群衆から飛び出す。その時、
「何やってんだてめえら! ロレッタから離れろッ!」
乱暴な男の子の声が広場に響く。と同時に、宙を飛ぶ黄色い何か。あれは、レモン?
「痛ッ!」
広場に踊り込んだのは、胸の前に果物籠を提げた短髪の少年。――まさかこんなところで再会するなんて。彼、市門であったメル君だ。
「なんだコイツ」
怒りで顔を真っ赤にした少年は、犬が吠え立てるように男性たちに食って掛かる。
けれど、所詮は子供なので、彼らもたいして怯んでいない様子だ。
一生懸命女の子を解放するよう訴えているが、男たちはかえって嗜虐心に火がついたように、子供二人を嘲っている。
「あの! いい加減にしてください! 子供を脅して恥ずかしくないんですか!?」
メル君の乱入に虚を突かれたが、私もその場に割って入る。
誰か続いてくれる人が居ないか期待したけど、周囲はまだ傍観するつもりみたい。まったくなんて薄情な。
「え、姉ちゃん!?」
「ん? 何おまえ。コイツらの知り合いか?」
相次いで人が来たので、流石に男性たちも戸惑いを見せる。
ただ、メル君が私に反応したので関係者と考えたのか、すぐに陰湿な笑みを浮かべる。
「このガキが人にぶつかって来た挙句、ハネ飛ばして謝んねぇんだわ」
「な、だから何回も謝ったじゃない!」
涙声で抗議する女の子を尻目に、男たちが私に舐めるような視線を送る。しまった。揺すりたかりの表的をこちらに移したみたい。
う、これは結構不味い。無関係な第三者が諌める形なら、周囲の援護も得られたかもしれないけど、子供たちの関係者扱いされたらそれも難しい。
「おまけにこっちのガキは果物投げつけて来るしよ。いくら貧民のガキでももう少しちゃんと躾けろよ」
周りで騒ぐ子供たちには気にもかけず、男性二人は私へとにじり寄る。
「ッ……」
直感で分かる。たぶん、この人たちはどれだけ道理を説いても聞く耳もたない。
子供をいじめる延長でお金を巻き上げようとする人たちだ。自分たちを上回る力で抑え込まない限り、引き下がりはしないだろう。
「このガキの知り合いなら、アンタに責任とってもらうってのもありだよな」
下卑た表情で私に近寄る男たち。
恐怖が喉元までせり上がってくるけど、私は決して怯んだりはせず、真っ向切って彼らを睨みつける。……でも、どうしよう。勢いで飛び出したから、事態を解決させる方法なんてわかんない。すると、
「あ! こっちこっち! 助けてくれよ兵隊さーん!」
と、メル君が大声を上げる。
「ッ!」
男たちが慌てて背後を振り向く。やった、警備隊の人が近くに居たんだ。けど、
「ん?」
広場の何処にも、兵隊さんの姿はない。野次馬の人たちもぽかんとしている。と、
「ほら、今のうち!」
メル君が女の子の手を引いて走ってきた。ついでに私の手も掴み、広場の外へと引っ張っていく。あ、これミリーさんが言ってたやつ、とにかく逃げろだ。
「ッ、おい手前ら!」
「へ! 騙されてやんのバーカ!」
悪態をつきながら駆けるメル君。私と女の子も懸命に走って群衆の中へ紛れ込む。
そのまま後ろも見ずに、少年に付き従って数分間全力疾走。建物の角をいくつも折れ曲がり、あっという間に私たちは薄暗い路地裏へとやってくる。
「はぁはぁ……あの人たち、撒いた?」
「きっと見失っただろうさ。へへ、俺の逃げ足にかなうかってんだ」
荒い呼吸を調えながら、なおも背後を確認する私に、メル君が得意気な表情でうそぶく。そして、
「また姉ちゃんに助けられちゃった。ありがとな」
生意気そうな笑顔を浮かべて、そう語りかけてきた。
× × ×
日の光も差さない路地裏は、昼だというのにひんやりと肌寒い。
私は何度か大通りの方を確認して、男たちの姿が無いことを確かめる。
うん。平気。たぶんミリーさんが言った通り、彼らも本気では追ってこない。可哀想だけど、この女の子は遊び半分でお金を脅し取られたのだ。
「う、ひぐ……うぐぅ……」
頭巾をした花売りの女の子――ロレッタちゃんは座り込んでべそをかいている。随分勝気な子だと思ったけど、やっぱり大人の男性に詰め寄られたのは相当怖かったみたい。
「お、おい、いい加減泣き止めよ……」
泣いている女の子をどう慰めるべきか分からず、メル君はおろおろしている。
私は二人の側に歩み寄り、それから震えている女の子をそっと抱きしめた。
「もう大丈夫だよ。怖くない怖くない。メル君が助けてくれたもんね」
優しく囁きつつ、背中をゆっくり撫でてやる。
ロレッタちゃんは最初こそ怯えていた様子だけど、直ぐに私の胸に縋りついてきた。
それからしばらくして――
「落ち着いた? ほら、可愛い顔が台無しだよ?」
私は懐からハンカチを取り出し、女の子の顔を拭ってやる。
ようやく泣き止んだロレッタちゃんは、呆然自失とした風に座り込んでいる。すると、
「……お前さぁ、ぶつかる時は相手選べって、いつも言ってるだろ」
と、メル君がとんでもないことを言い出した。
「だって……だって……」
俯いて嫌々をするロレッタちゃん。
「ちょっと待って、やっぱりあなたの方から当たっていったの?」
私が驚いて確認すると、
「…………」
少女は恥じ入ったように押し黙ってしまった。
うーん、いや、そうなると結構話が違ってきちゃう。
あの男の人たちがしたことが許される訳じゃないけど、この子の手口も注意して改めさせないと。また同じようなトラブルを引き起こしちゃう。
「どうして、こんなことしたの?」
務めて優しく、責めるような口調にならないように私が問い質す。すると、
「そんなの、品物を買わせるために決まってんじゃん」
と、メル君がさして悪びれもせずに答える。私は彼の方へと首を向け、
「……それはよくないことだよ。相手に因縁を付けてお金を稼ごうとするなんて、それじゃああの男の人たちと変わらないじゃない」
そう注意する。けれど、
「別にみんなやってるし。そうでもしないと品が捌けねぇんだもん」
と、メル君が拗ねたように呟く。
「な――」
あまりの言い草に私が言葉に詰まると、
「だいたいそんな手に引っ掛かるなんて、よっぽどのお人好しか田舎者だけじゃん。この街の人間ならまともに取り合わないし、さっきみたいに逆に絡まれることもあるし。……売り方としちゃ下の下だね」
メル君がそう説明する。
そうか。私はよっぽどお人好しの田舎者だったのか。あ、いやいや、へこんでる場合じゃない。
「……昨日はごめんなさい。お姉さん」
すると、私の腕の中から小さな声が。
見れば、ロレッタちゃんがまた瞳に涙を浮かべて、私にそう謝っている。
「うん。許します。……でも、次からはしちゃ駄目だよ? また怖い目にも遭うかもしれないんだから。ね?」
ハンカチで涙を拭いてやって、私はそう語りかける。
ああよかった。ちゃんと罪悪感もあるんだ。それならきっと、私の想いも伝わる。
「……そんなこと言ったってさ、食っていけないなら仕方ないじゃん」
けれど、メル君は不満顔。そして
「姉ちゃんには世話になったし、今日だってロレッタを庇ってくれたし、すっげぇ感謝してるんだけど、俺たちにだって生活があるんだし……」
そう、ばつが悪そうに弁解する。
現在求職中の私にとっても身につまされる話で、咄嗟には反論ができない。すると、
「ってか、どうすんだよロレッタ。結局あいつらに財布取られたんだろ?」
「……うん」
メル君が女の子に声をかける。
そうだ。確かに彼女はあの男性たちから財布を取り戻せてない。今日の売り上げどころか、明日の仕入れのお金まで入っているといっていた。
「……しゃーねーな。今日の上納分、貸しといてやるよ」
「そ、そんな! 駄目よ! メルが殴られちゃう!」
「えっ!?」
私がどうしたものかと考えていると、子供たちが恐ろしい話をし始めた。
「え、上納? 殴られるって、なんで……」
私が慌てて尋ねると、メル君とロレッタちゃんはお互いに目配せして、渋い顔になる。
「俺ら呼び売りはさ、親方が居るんだ。売り上げのうち半分を納めて、それで商売させてもらってる。ただ、売り上げが悪くても納めなくちゃいけない額があって、足りなきゃ折檻されるんだ。最近、ロレッタはあんまりうまくいってなくて……それで焦って、あんな真似したんだと思う」
「…………」
「な――」
気まずそうなメル君の説明に、肯定するかのようなロレッタちゃんの沈黙。
信じがたいその話に、私は絶句してしまう。
この世界に来て、この街に来て、いろんな事柄を見聞きした。文化の違いに戸惑ったりもしたし、色々許せないこともあったけど、まさか子供を働かせて上前を撥ねるような輩がいるなんて。
「そ、そんなッ!」
身寄りのない子供が生活の為に労働するなら、まだ仕方ないと思う。
けれど、子供を暴力で支配するなんて、許されていい行いじゃない。
「……だからさ、姉ちゃんが怒るのも無理ないんだけど、大目に見てやってくんねぇかな」
メル君は屈辱に耐えるような表情で、私にそう懇願する。
市門で兵隊相手に食って掛かった姿からは想像もできない姿だ。
――私はここにいたって、ようやくこの街の真の姿に気付く。
この街には、王宮や貴族の監督の元、市民と組合によって営まれる表社会とは別に、「それ以外の者たち」――すなわち貧民や余所者たちが所属する裏社会にも、厳然たるルールと支配者が存在する。
王都オストバーグは、表と裏、二つの世界が同居する街なのだ。
「…………」
その事実に思い至った私は、しばしの間呆然とする。
子供たちの境遇もそうだけど、私の暮らしにも関係することだからだ。
市民でなければ、まっとうな仕事にはつけない。けれど、それ以外の働き口を探そうとするなら、この子たちが受けたような仕打ちも覚悟しなければならない。
「マジか……」
そりゃあ、現代日本にだって似たような話はあるのだろう。
けれど、この世界の事情はもっと身近で、切実で、暴力的だ。
個人の権利や幸福が、法によって保障されない世界。それが如何に過酷な暮らしなのか、私には全然理解が及んでいなかった。
「それじゃあ、俺たちもう行くよ。ちょっとでも品物が売れれば、仕置きも軽く済むし。……姉ちゃん、ありがとな」
「ありがとう、お姉さん」
まだ立ち直れないでいると、子供たちは挨拶して立ち去ろうとする。
「ま、待って! もうちょっとお話しよ!」
そんな二人を、私は慌てて呼び止めた。子供たちは怪訝な表情で振り返る。
「ね、あなたたちが普段どこで品物を仕入れてるのか、幾らで売ってるのか、私に教えてくれない?」
そんな彼らを、私は真剣な眼差しで見つめる。
こうなれば、腹は決まった。馬鹿で非力な私だけど、諦めだけは悪いんだ。
――この世界が理不尽に誰かを傷つけるなら、私は全力で戦ってやる。
× × ×
「やっぱり、売り上げの半分ってのがキツイよね」
それから私は、路地裏でメル君とロレッタちゃんから呼び売りの暮らしについて詳しく話を聞いていた。
呼び売り業そのものはいろんな年代の人が従事しているけど、彼らの親方はだいたい七、八歳から十四、五歳ぐらいまでの子供を使っているらしい。市内で呼び売りをしている子供の大半が所属しているそうだ。
取り扱う商品は多岐に及び、食料品や生花はもちろん、靴や手袋、ペンやキセル、乗馬用の鞭に十能(小型スコップ)といった日用品まで様々。要は持ち運びできる商品なら何でも売るらしい。
「仕入れはそれぞれのお店屋さんからしてるんだよね?」
「お店っていうか、屋台がほとんどだけど」
彼らが商品を買い付けるのは、王都の各所で商売をする卸売業者だ。
ただし、これらも組合には入っていないお店らしい。認可を受けたお店に比べて格安の値段で売っていて、売れそうな商品を探して買いつけ、市内で売り歩くそうだ。
それで得た売り上げのうち、半分を親方に上納する。
これがかなり厳しいらしく、ざっくりと仕入れ値と売り上げを計算したところ、よほど順調に商品が売れない限り、貯蓄に回すだけの収入は得られない。
「ふ~む……」
「姉ちゃん、なんでそんな事聞くんだよ」
と、メル君が尋ねてくる。そう言えば、まだ私の事情を全然話してなかった。
私は改めて二人に自己紹介をして、それから身の上話を始める。
「なんだ。ナオ姉も流れ者かよ。仕事探してんならいくらか紹介できるけど……呼び売りはあんまりお勧めできないかなぁ」
それを聞くと、メル君とロレッタちゃんがからからと笑った。似たような境遇だと親近感を懐いてくれたのだろう。うん。打ち解けられたみたいで何より。
「それで、えっと、ナオ姉さまは、どんなお仕事がしたいの?」
と、ロレッタちゃんが聞いてくる。泣いている彼女をずっと慰めたためか、随分懐いてくれている。
「それなんだけど……メル君。その果物ってレモンだよね?」
石畳に置かれた果物籠を見ながら、私がそう尋ねる。実は、さっき見かけた時からずっと気になっていた。
仕事の件でいろいろと頭に浮かんでいたもやもやが、その黄色い果実を見た途端に、一つの線で繋がったのだ。
「ああ、うん。もう時期も終わりだし、安かったから仕入れたんだけど、あんまり売れなくてさ……」
と、メル君が答える。私は断りを入れて一つ貰うと、口を開けてレモンをガブリ。
――うん。酸っぱい。よく熟してる。糖度は今一つだけど、これなら使えそう。
「え、喉でも渇いてたの? 皮ごと食うもんじゃないよそれ」
レモンを丸かじりして口をすぼめる私に、メル君は不思議そうな表情。
「ね、このレモン、全部売ってくれないかな?」
レモンの品質を確かめたところで、私は改めてそう尋ねる。しかし、
「……いや、そりゃ嬉しいけど、施しは受けらんねぇよ。俺たちだって、真面目に商売してるんだからさ」
メル君は私の提案に渋い顔をする。
ああ、ロレッタちゃんの損失を埋めてやろうと、私が気を回したと勘違いしたのか。確かに、一人で食べるには多すぎるもんね。
「あはは、違う違う!」
私は笑って手を振り、彼らの誤解を解く。
この世界で、私ができる事なんてほんの少ししかないのかもしれない。けれど、その少しの出来事を積み上げていけば、きっと世界は変えられる。
「そのレモンを元手に商売をしてみたいの! ……ところで君たち。新しい商品を取り扱ってみる気はない?」
私は悪戯っ子のような笑みを浮かべ、子供たちに仕事の話を持ちかけた。




