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ナオのゴスペル  作者: 花時名 裕
第一章 旅の始まり
10/77

10 市門にて



「うわー、まだかかりそうだなぁこれ……」


 都に入るため、市門へ続く行列に並んだ私たち。けど、人が多すぎてなかなか前に進まない。皆さん日の出前から門の前で待ってたみたい。その時点で出遅れてるのに、あれやこれやと無駄話をしてしまったから、私たちはかなり後ろの方だ。


「まあ、こればかりは焦っても仕方がない。ただ、余り気は抜かないように。人が多い場所はスリの仕事場だ。財布は肌身離さず身に着けておけ」


 と、ミリーさん。私はその忠告に従い、鞄をお腹の前に抱え直す。


 この子、見た目はホントに小さくて可愛いのに、いろんなことを知っていて、頼りになるなあ。あんまり表情が変わらないから冷たそうに見えるのに、心遣いもすごくきめ細やかだし。


「……なんだ?」

「んーん。なんでも」

「余り人の多い所では私に話しかけないほうがいい。それに、他人と接触せぬよう気をつけよ。私が見えたら混乱が起きるぞ」


 思わず姿を眺めてしまう私に、ミリーさんが話を続ける。


 威厳たっぷりに話しても、そもそも声が可愛いのであんまり偉そうにはみえない。ああ、こんないい子がずっと一人でさまよっていたなんて、この世界はちょっと薄情過ぎるんじゃないだろうか。


 とはいえ、彼女の言う通り。こんな場所でいきなり幽霊が現れたら、きっともう今日は街に入れなくなるかも。なので、


「そう言えば、さっきお爺さんと話してたけど、クレムさんって都に来たことがあるの?」


 と、私は隣のクレムさんへと話しかける。この街までずっと道案内してくれたけど、彼女、そんなこと事は一切言わなかった。


「え、は、はい。……来たことがあるというより、元々この街に住んでいました」

「へ、そうなの?」


 こんな大都会で暮らしていたのに、なんであんな山小屋に住んでいたんだろう。


 頭に浮かんだ疑問を、私は即座にゴミ箱へと叩き込む。


 一人暮らしをしていたことも、マトヤの村人の対応も、きっと何か、彼女には深い事情があるのだろう。向こうから話してくれるまで、聞くことじゃない。


「そっか、じゃあ地元なんだ! どんなところがお勧めなの?」


 と、努めて楽しげな話題を振る。遊びじゃないのは弁えてるけど、それでも少しぐらい観光したってバチは当たらないはず。


「え、えっと……」

「ほら、買い物とか、名物料理とか、景色の綺麗な場所とかさ。きっと冷やかして歩くだけでも楽しいよ!」


 それから、私はクレムさんとオストバーグについて思いつく限り雑談を楽しんだ。退屈な待ち時間を潰すのは、友達とのお喋りが一番だ。


「……本当に、ナオ様は凄い方ですね」


 話が不意に途切れると、クレムさんがぽつりそんな事を言った。


「え、何が? 私そんな褒められるようなことしたっけ?」


 いきなり褒めから入られると照れるっていうか、困る。彼女はそんなの全然お構いなしだから、そっちの方が凄い。


「遠い星々の彼方からやってこられて、きっとご不安でしょうに、そんな素振りは少しもお見せにならないで……明るくて、朗らかで、沢山の人と直ぐに仲良くなられて……私、ナオ様のような方を、心から尊敬いたします」

「お、おおう……」


 なんとまあ、恥ずかしいセリフ!


 でも、柔らかな笑みをたたえたクレムさんは、朝の光を浴びてとても綺麗で、清らかで、きっと心からの言葉なのは、それだけで明らかで。私もつい嬉しくなってしまう。ただ、


「…………あの、私、変なことを、言いましたでしょうか……」


 一拍おいて猛烈に恥ずかしくなったらしく、顔を真っ赤にして俯いてしまう。


 ああ、会話が楽しくてつい口走っちゃったケースか。前から思ってたけど、クレムさん、ひょっとしてあんまり人とお喋りしたことない? ともあれ、


「お、やーっとゴールが見えてきた。それにしてもおっきいなあ」


 そうやってのんびり雑談しているうちに、行列もかなり進んだ。


 市門の前の広場には、ごつい鎧を着て槍だの剣だのを手にした兵隊さんが複数いて、机を置いて通行者に何やら話しかけている。

 会話も聞こえて来るけど、うーん、何か見るからに粗野で高圧的な感じだなぁ。


「それでは、打ち合わせ通りに」

「あ、うん」


 クレムさんが真面目モードになって、私に耳打ちする。


 一応、旅券も通行料も問題ないけど、地球人の私は叩かれれば埃の出る身だ。受け答えでしくじって不審に思われてもまずいので、応対は全部クレムさんにしてもらう。まあ、聞かれるとしても肌の色や顔立ちの違いぐらいだろうし、そこは親が余所から流れてきた。で通せるらしい。


「ちょっと緊張してきたね」


 私が冗談めかして笑うと、


「大丈夫ですよ。私が必ずお連れしますので」


 と、クレムさんは頼もしげに答える。――騒ぎが起きたのは、次の瞬間だった。




   ×   ×   ×




「離せよクソッたれ! だからちゃんと出したって言ってんだろが! そっちの数え間違いじゃねーのかよ!!」


 荒っぽい男の子の声が、門前広場に響く。

 なんだなんだと列から顔を出してみれば、十一・二歳の少年が、兵隊に腕を掴まれ拘束されているではないか。


「ふん。足りんものは足りん。小銭で誤魔化せると思ったのか」


 どうやら通行料のトラブルらしい。目を細めて見れば、テーブルの上には銅貨の入ったらしい皮袋が置いてある。


「はぁ!? ふざけんなよ、もっぺん数え直せ! つーかそっちがちょろまかしたんじゃないだろうな!」

「このガキ、言わせておけば!」


 ゴツン、と兵隊が容赦なく少年の頭を殴る。いや、手ぇ出すの早すぎでしょ!?


「お前みたいな浮浪児が街に溢れて迷惑してるんだ。王都にはガキの働き口なんてない。とっとと小汚い田舎に帰れ!」


 追撃に少年のお尻を蹴りあげる。そんな軽いもんじゃない。普通に暴行だ。


「――ッ! 俺は生まれも育ちもオストバーグだ! 自分の街に帰ってきて何が悪いってんだ!」


 けれど少年も負けていない。直ぐに起き上がって真っ向から兵隊に吼える。


「ふん。ならなんで市の外出証明を携帯していないんだ? どうせどっかの娼婦が降ろし損ねたガキだろうよ。とにかく、金を払えない奴は市門をくぐることはできん! 何処ぞで小銭でも拾い集めてから出直して来い!」

「ひどい……」


 その呟きは、私じゃなくてクレムさんのだ。彼女は張りつめた表情で、食い入るように騒動を見詰めている。すると、


「ん? おいちょっと待て。そいつは何だ?」


 と、兵隊がそう呟いて、再び少年を捕まえた。


「ちょ、やめろよ! それは関係ないだろ!」


 少年の抗議も虚しく、兵隊は彼の首から小さな鎖を摘まみ上げる。遠目で良く分からないけど、ペンダント?


「……おいおい、余罪がありそうだな。お前みたいな薄汚いガキが、なんでこんな物を持ってるんだ?」


 兵隊は下卑た笑みを浮かべ、少年にそう尋ねる。


「返せよ! 返せ! ――っ痛ぇ!」

「答えないってことは、疚しいところがあるんだな」


 狂乱する子供の腕をねじり上げ、兵隊が陰惨にそう嘯く。


「それは、それは母ちゃんの形見なんだよ! 返してくれ! 今日はもう引き上げるからさ!」


 少年の叫びを耳にして、さらに兵隊たちは喜色を強くする。


「ああ、これならまあ、通行料の(かた)にはなるな」


 そう言って、少年を無理矢理引き立たせ、門の向こうへと押しやる。


「行っていいぞ坊主。面倒は起こすなよ」

「な、おい待てよ、返せよそれッ!」


 尚も取り縋る少年に、兵隊の一人がすっと槍の穂先を向け、


「おい、市門で狼藉を働いた奴は、殺しても問題はないんだぜ」


 と、凄みを帯びた声で警告する。


「う……」


 流石の少年も、刃物を突きつけられては強気を通すことはできなかった。悄然と肩を落とし、門の向こうへ去っていく。


「さー次だ。前に出て旅券をみせろ」


 まるで今しがた起きたことが何でもなかったかのように、兵隊たちは業務を再開する。


「…………」


 騒動の一部始終を目の当たりにして、正直私は恐怖していた。


 これほどまでの非道が公然と行われるなんて。何より恐ろしかったのが、あれほどの悪意を振り撒いたはずの兵隊たちが、まったく平然としている事だ。


 彼らは、己の悪行を何とも思っていない。その事実が、私に途轍もない恐怖と、凄まじい怒りを沸き上がらせる。ただ、


「クレムさん。落ち着いて。ね?」


 私がそれでも取り乱さなかったのは、隣にいた彼女のお蔭だ。


 クレムさんの拳は硬く握りしめられ、小刻みに震えている。その青い瞳には、隠しようのない憤怒が宿っている。


 今にも感情を爆発させ、兵隊たちに食って掛かりかねない彼女を押し留めなければと、私は何とか冷静でいられたのだ。


「…………はい。私は、平気です。何とも、ありません」


 列の審査が三組終わったくらいで、ようやくクレムさんは静かに答えた。一先ず怒りの峠は越したと、私も安堵の息を付く。だが、


「随分と愚かな子供だったな」


 冷然とそう言い放ったのは、私たちの傍らにいたミリーさんだ。


「「な――」」


 私とクレムさんが、揃って声を上げる。あの蛮行を目の当たりにして、この幽霊少女は何を言い出すのか。


「どういう、おつもりですか……」


 思わず、クレムさんが硬い声音で問い質そうとする。周りに不審がられるから話しかけちゃ駄目なのに、それにすら気付いてない。


「言ったままの意味だ。周りに小銭をねだるか、警備に愛想の一つも言えば無事に通れただろうに、無意味に反発するからああなる。あの格好なら、浮浪児扱いもやむなしだろうに。警備もさぞかし後腐れなく毟り取れただろうよ」


 と、ミリーさんは淡々と言葉を先に続ける。


「――ッ、あなたは……」


 もう我慢ならないと、クレムさんが身を乗り出す。私は慌てて彼女の肩を抱き、小声で黙るよう言い含める。


「ですがッ」


 それでもクレムさんは収まらない。悪行を働いた兵隊より、それを目の当たりにして冷笑するミリーさんに、より強い怒りを懐いたらしい。


 いや、これは多分、信頼を裏切られたという想いもあるのだろう。ただ、


「ペンダントなど、靴の中にでも入れておけば見つからなかっただろうに。……本当に、本当に馬鹿な子だ。取り戻そうとして、怪我をするなんて」


 ミリーさんの声が、微かに揺らぐ。


「ペンダントと、子供と……どちらを損なえば母親がより悲しむかなど、考えもしなかったのだろうな」


 威厳に満ちた声に潜む、激しい感情。

 その存在に気付いた時、私とクレムさんはそろって口を閉ざしていた。


 人形のように美しく、雪のように真っ白な彼女の奥底に宿る激情。

 兵隊たちの蛮行に、最も強い怒りを覚えていたのは彼女だったのだ。


「……ナオ。クレム。少し相談がある。君らにとっては何の益も無く……それどころか危険さえ伴う話なのだが、よければ、私の頼みごとを聞いてもらえないだろうか」


 あの超然とした少女が、とても儚げな表情でそう語りかける。

 私とクレムさんは、内容を耳にする前に黙って首を縦に振った。




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