003 こんにちは赤ちゃん~月は無慈悲な夜の女王~ Scene2
「本当に逃げたい者を逃すのが、 九頭竜だ」
了は、そのいつもの台詞を聞かれてもいないのに、瞬間移動した先で口にした。
「オマエは、逃げたいか?」
「ギィ?」
「グヒィ?」
突然、洞窟にアリの巣状に掘られた狭い住居に現れた了に、その部屋に棲みついた腐った肉と糞尿を混ぜたような臭いを撒き散らす醜悪な大小2匹の魔物が、驚いたような鳴き声をあげる。
血と糞尿と臓物で赤黒く染まっている小さいほうは、死体から発成したばかりらしく、寄生していたらしいイノシシに似た生物の腹から出たのに驚いた大きな方に脅かすんじゃねぇとばかりに木の棒でつつかれ逃げようとしていた。
無慈悲な月の光に照らされ屍を曝す猪もどきのほうは、かなり前に死んだらしいから、‘ 逃気 ’を放っていたのは、この魔物の赤子のほうらしい。
大きいといっても了の腹くらいまでで、小さいほうは膝くらいまでのこの魔物は、この異世界では矮邪妖精と呼ばれる忌むべき非生物だ。
非生物。
そう、この異世界に存在する魔物は生物ではない。
故に、生るのではなく、成る物。
生物ではなく、魔物。
体内に魔核を持ち、魔核を破壊するか擬似的肉体を破壊する事で魔核に宿った魔力を消費させねば動き続ける魔物は、毒も効かず、溺れず、自らの魔素を植付けて増殖はしても繁殖はしない。
生命に寄生し、生命を破壊する事を本能とし、自滅を恐れる事もない‘ 生きとし生けるものの天敵 ’。
それが、異世界の魔物だ。
当然、言葉も通じなかった。
通じたのは、殺意と弱者を虐げようという意志のみ。
問いかけられた矮邪妖精の赤子は、目の前に現れた魔力を持たない‘ ひ弱な生物 ’へと襲いかかった。
‘ ひ弱な生物 ’とは、了に限らず、地球生物全般の事だ。
この異世界の生物は、精霊と呼ばれる魔力を発成させる不滅の存在と共生して生きている。
生物が、PCだとすれば、精霊はOSのように、精神を形作る一部を担いながら、魔力を創り、生命を保護している。
だから、魔力の少ない生物は魔力の大きい生物に捕食され、より多くの精霊を宿して強くなり、一定以上の魔力を持った生物が死ぬ事で細胞内の精霊は融合して、AIのような魔力知性体として成立し、神霊と呼ばれるようになる。
弱肉強食が魔力を集め精霊から神霊を創り出すのが、この異世界の‘ 歪な摂理 ’。
そして、魔物は生物を殺す事で精霊を滅ぼして魔力を奪い‘ 歪な摂理 ’を破壊する現象。
なので、多くの精霊を持つ者も魔物も、魔力を取り込んで破壊の力を得る。
つまり、精霊と共生などしていない魔力を持たない地球人は、この異世界では最弱以下の生物なのだ。
だから、魔物としては弱い矮邪妖精の赤子にすら虐げられる存在と侮られる。
要は、イジメや嘲弄を引き起こす類の‘ 大人の真似をしたがる子供達の醜いカースト ’のようなものだ。
いや、権威という幻想で醜い暴力を覆い隠す事で力に縋り、媚を売り、虚勢を張って生きる哀れな大人たちのカーストの真似なのだから、そういうもののようだと言った方が正確かもしれない。
力こそが信仰されて祭られる異世界では、力なき存在は常に蔑まれる。
そして、その‘ 歪められた野生の摂理 ’は、‘ 正しき人の世界から見れば異常なこの異世界 ’では正しい‘ 死と滅びの理 ’だ。
魔力のない物質で魔物は傷つけられないからだ。
魔力の小さな者は、大きな魔力を持つ者を害せないからだ。
だから、地球最強の生物でも、容易く最弱の魔物に屠られる事になる。
だが、‘ 九頭竜避術逃法 ’は戦わない故に無敵の武術。
「無駄だ──我が術に避け得ぬものなく、我が法に逃せぬものなし」
矮邪妖精の赤子の致死の一撃を、腕を組んでふんぞり返りながら、後ろ向きに走るという器用な方法で避けながら、了は嬉々として大見得を切った。
「故に、‘ 九頭竜避術逃法 ’に敵うものなし」
変なカッコで変な台詞を口にしながら後ろ向きに走ってるのに、そのダッシュは100メートル10秒を切るクラウチングスタートよりも速い。
そのまま、逃げていればいいのに、変な男はそこで立ち止まり、更に変な事を言う。
「逃げるは損だが、だからこそ美しい。戦うオマエに逃げる資格はないようだ」
その言の葉は、日本に古来より伝わった‘ 九頭竜避術逃法に影響を受けた和の心の根源──謙譲の美徳!
状況によっては深い台詞ではあるが、しかし相手は矮邪妖精。
「フグィ?」
あたりまえだが、言葉は通じない。
なのに、なぜ無駄にカッコをつけた台詞を口にするのか?
「 残念なやつね」と、口の悪い美少女がいれば、そういったはずだ。
いや、いないけど。
いるのは、矮邪妖精だけだ。
「グギャギャ」
喋っている間に動くべきだったな、そう渋い戦士キャラのような事をいったかどうかは判らないが、大きいほうの矮邪妖精が、汚い鳴き声を上げながら、立ち止まった了に襲いかかる。
だが、そこにあったのは残像である。
既に了は消えていた。
「‘ 位置人の方──次はあちらか、天涯許独の封」
何が起こったか判らぬ矮邪妖精をよそに、ただ了の台詞の残響のみが洞窟に滲み入り消えた。
どうやら、変人は次の‘ お楽しみ ’を探しにいったらしい。
一乃 了──逃げてさえいれば幸せな男である。
これにて第1話終了^‿^
2話の開始はユニークアクセス100000以上を確認後で未定ですが、たぶん書けないだろうなあ