ある診察室の記録
夏のホラー2019に参加してみました。
幽霊こわい、幽霊はもと人間、だから人間こわい、的なお話です。
「ですからね、あなたは反社会的パーソナリティ障害なんですよ」
白衣を着て、黒縁メガネを光らせる医師がそう診断を下す。
「反社会的パーソナリティ障害?」
浜辺修は首をひねった。
「先生、俺は窓ガラスに石を投げて割ったり、線路に石を置いて遅延させたりするような人間じゃありませんっ!」
修は品行方正とは言いがたかったが、犯罪を犯すほどの度胸はない。
「そう……」
医者がメガネを指で押し上げながら言った。
「確かにあなたは一般人だった」
「なら――」
「しかし、あなたは反社会的パーソナリティ障害なんですよ」
意味が分からない。
修がまじまじと医師の顔をのそきこんだ。
「どうしてですか?」
「分かりませんか?」
分かるわけがない。
修は少しばかり本が好きなだけの、一般労働者にすぎない。
医学など学んだことはないし、臨床例だって見たことがないのに、診断なんてできるはずがない。
「あなたはおとといの夕方、何をしたでしょう?」
妙な医師の質問に修がいぶかしむ。
「駅前の古本市で小説を買いましたね。シリーズが全部そろっていたからこりゃ買いだと思って、なけなしの金をはたいて手に入れましたが……」
「それだけですか?」
医師が問いただす。
「ああ、その後少しばかり空腹だったんで、焼き鳥を三本、露店で買いましたね」
どこにもやましいことなどない。
ごくごく日常的な風景ではないか。
本を買い、食べ物を買う、それのどこが反社会的パーソナリティ障害と診断されると言うのか?
「では、質問を変えましょう」
あくまで非はないと言い張る修に、医師は軽く吐息して言った。
「あなたが購入した小説は何でしたか? そして焼き鳥をどのようにして食べましたか?」
尋問じみている医師の質問に、表情をゆがめる修だが答える。
「『TS転生したけど、美少女たちに囲まれて幸せです』ってタイトルの小説ですよ。でもって焼き鳥を包みから出して食べながら読んでいた、何か問題でも?」
「おおお……」
医師がこの世の終わりであるかのようなうめき声を漏らし、大仰に頭を抱えてみせる。
「えっと、どうしたんですか?」
「何てことだ、ここにも犠牲者が……」
犠牲者、の不穏な単語に修が医者を凝視する。
「つまりあなたは、『TS転生したけど、美少女たちに囲まれて幸せです』を読んだと?」
「読みましたよ? 前世で報われなかった主人公が、次の人生で幸せになる、楽しい話ではないですか」
「おおお……」
医者の嘆きの声が診察室に木霊する。
「あの、先生?」
そんなにも嘆くべきだろかと、修が混乱したその時。
「これが何だか分かりますか?」
一枚の写真が映し出された。
くしゃくしゃになって、ところどころに油シミやタレの跡があるうすぎたない新聞紙だった。
「……こんな新聞紙がどうだというのです?」
「これはあなたが焼き鳥を食べる時に使ったものです」
「はっ!?」
何を言い出すのか、と胡乱な目を医師へと向ける修。
「何でこんなものが……これが何だと言うんですか?」
一枚のシワが寄った新聞紙が、自分が反社会的パーソナリティ障害であることの証拠とでも言うのだろうか?
そんな疑問が浮かんでくる。
結論から言おう。
そのまさかだった。
「この新聞紙を見てください」
医師が指示棒を伸ばして画面を指した。
「?」
どこからどう見てもただの薄汚れた新聞紙にすぎず、修が理解に苦しむ。
「この画面に映し出された紙面をよく見てください!」
医師が言った。
うながされるままに、修は目を凝らして細かい字を追っていく。
「分かりましたでしょう?」
「いや、何も……」
なぜか哀れみの視線を投げかけられ、ついで医師が述べる。
「これは一昨々日に掲載された新聞小説、『チョールヌイ・ドラコーン』の紙面ですよ」
「『チョールヌイ・ドラコーン』?」
「そうです。文化省推薦の作品……もしかして知らなかったのですか?」
「文化省推薦?」
文化省なんてあっただろうか――だが、医者は修の疑問に答えることなく話を続ける。
「正しく生きるためには、正しい物語が必要なのです」
「はい?」
「しかるに、今のすさんだ時代に誰もがまがい物の救いを求め、たとえばTS、あるいは百合時々萌え……」
医師が顔をくもらせながらメガネを光らせた。
「なぜ現実と向き合わないのですっ!?」
「えっと……先生?」
「そう――転生物など麻薬にすぎない。麻薬は流通も使用も犯罪!」
「いや、本当にどうされたのです?」
修は白昼夢でも見ている気分におちいる。
「つまりですね、浜辺さん。TS、百合、萌え、それに異世界転生、そしてチーレム。これらは全て悪書なんですよ」
「?????」
何を言っているのか、と修の頭上にクエスチョンマークが浮かんだ。
「3S政策をご存じですか?」
「きつい、汚い、危険……」
「それは3Kです。3S政策とは、セックス、スポーツ、スクリーンの頭文字をとった、愚民政策なのです」
医師が深刻そうに言った。
「つまりですね、性描写をはじめとしてこれらには中毒性があり、正常な思考能力を麻痺させる、文化破壊にほかならないのですっ!」
「そうなんですか?」
「そう、それを世に流布させるのも、所持して読むのでさえっ! 悪貨は良貨を駆逐するのですっ!!!」
ボルテージを上げながら医師が顔を真っ赤にしていた。
「そして浜辺さん、あなたはそのアヘンを所持していただけでなく、こともあろうに文化省推薦の小説『チョールヌイ・ドラコーン』を焼き鳥のタレで汚し、串と一緒にゴミ箱へ投げ捨てたっ!!!」
「そりゃあ、古新聞ってそう使うものでしょう?」
新聞紙とはそのためにあるようなものだ。
「いえ、新聞紙ではなく、『チョールヌイ・ドラコーン』の記事をタレで汚したことが問題なのです」
「すみません先生、その、おっしゃられていることが……」
「まだお分かりになりませんか?」
医師が白衣のポケットに手を差し込み言った。
「正しい人生には正しい物語が不可欠です。あなたは悪書を所持し、使用してしまったばかりか、文化省推薦で万民必読の小説を、焼き鳥を食べ終わった串を包むモノにおとしめてしまったのですよ? まさに反社会的行為ではないですか!!!」
修に頭痛が走る。
「あの、先生? 俺はただ古本市で大衆娯楽小説を買って読み、焼き鳥を食べただけですよ?」
それのいったいどこが反社会的行為なのか?
反社会的行為というのは、たとえば窓ガラスに石を投げつけて割って回るとか、線路に石を置いて遅延させるようなのを言うのではないのか?
修の頭に疑問がかけめぐる。
だが医師は言った。
「浜辺さん。あなたのやった行為は、文化破壊という、重大な反社会的行為にほかならないのですよ」
「文化破壊っ!?」
いくらなんでも大げさではないのか?
修が目を白黒させる。
あまりのことに言葉が出てこない。
『TS転生したけど、美少女たちに囲まれて幸せです』と題された大衆娯楽小説を買って読んだくらいで?
タレが本につかないように焼き鳥を包んでいたのが、文化省推薦の小説『チョールヌイ・ドラコーン』が掲載されていた紙面だったというだけで?
そんなバカな話があってたまるかっ!
医師の話は理解を超えていた。
混乱する頭に、医師はにっこりとほえんでつぶやく。
「しかし、あなたには悪意がない」
そりゃそうだろう。
というか本を買って読み、買い食いするのに悪意もへったくれもない。
「だが、安心してください。あなたは善悪の判断がつかない。あなたは責任能力を問われることはないのですから……」
(善悪の判断がつかない? それに責任能力って――)
その時になってようやく修は医師の言わんとしていることを理解した。
医師の笑う顔が目に焼きつく。
「責任能力を問えないあなたは、しかし自称他害の恐れがある……」
医師の使命感に満ちた顔がそこにはあった。
あまりにも純粋な人を救いたいという熱意とともに。
「私は思うのです」
ドアの向こうからただならぬ気配と視線を感じた修へと、医師はほほえみを向けてこう言った。
「あなたには治療が必要だと――」