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短編小説

僕らのルッシェル・ランドにさよならを

 ずっと遠くの方から、何か大きなものが揺れるような、聞き覚えのある音がする。傾いていた頭を持ち上げると、それを支えていた首が悲鳴を上げた。その痛みで身体の感覚が冴え渡る。ここは電車の中だ。首筋を揉みながら辺りを見渡す。車内には僕しかいなかった。向かいの窓の外に、茜色の空が広がっている。


 どうやら高校からの帰宅途中に眠ってしまったようだが、さて、ここはどこだろう。茜色の空の下に広がるのは見慣れない山々だ。最寄り駅はとうに過ぎてしまったらしい。すぐに帰れる距離だといいが。余計な時間をとられてしまうことに、気分が重くなる。


 ――にゃー。


 その時、猫の鳴き声が聞こえてきた。驚いて辺りを見てみるが、やっぱりこの車両には僕しかいない。聞き間違いかと思ったが、今度はもっと鮮明に聞こえてきた。猫の鳴き声の後に、コンコンと何かをノックするような音が背後から聞こえてくる。ぎょっとして振り返って――


「うわぁ!」


 僕は驚いて座席から転げ落ちた。

 振り返った窓の外には、黒猫の耳と二本の尻尾を生やした女の子が張り付いていたのである。彼女は真っ黒なミニワンピースを着ていて、その胸元に真っ赤なリボンを結んでいた。伸びている足は編み上げのニーハイブーツで包まれている。その格好に、僕はピンときた。


「ルゥ……?」


 そしてその顔を改めて見て、僕はもう一度驚いた。メイクをしていて、一目では分からなかったが、そこにいたのは塩谷さんだった。


 塩谷さんはにやりと笑うと、勢いをつけ、窓を蹴り破って中に飛び込んできた。硝子の破片が散らばる。僕は悲鳴を上げてその場から飛び退いた。自分が思った以上に身体は軽く、僕は硝子の破片を浴びることなく床に着地した。


「やっほー!」

「し、塩谷さん⁉」

「塩谷さん? そんな呼び方したことないでしょ。いつも通り、ルゥって呼んでよ、つまんないなあ」


 塩谷さん――もとい、ルゥは不満そうに頬を膨らます。二本の尻尾がゆらゆらと動いた。


 ――ありえない。何だ、これは。


 僕は動揺していた。何かを尋ねようとしたが、ルゥはあまりにも堂々とそこに立っていて、かえって何を聞けばいいのかわからない。


 僕が驚いているのを見て、ルゥは満足そうに唇の端を上げた。そして反対側の座席に飛び乗ると、子供の

ように窓の外を見た。


「もーすぐ着くよ、ハヤテ」

「着くって、どこに…」

「火竜の祠に決まってんじゃん!」


 ルゥは笑いながら言った。何が決まってるのか、僕にはさっぱりわからない。


「結局、火竜倒せないまま終わっちゃったもんね。リベンジリベンジ」

「リベンジって、ルゥ……」


 そう言いかけた時、電車が止まった。窓の外は茜色の空と山々のままで、まだ駅ではない。それなのに、扉が開いた。


「ようし、行くよ! ハヤテ!」


 ルゥは叫びながら、僕に何かを投げて寄越した。咄嗟に受け取ってみると、それはハヤテの愛用している斬魂剣だった。青く染め上がった鞘に銀色の意匠が拵えてある。柄に手をやると、信じられないほど手に馴染んだ。おそるおそる剣を鞘から抜いてみると、白銀の煌めきが覗く。僕は言い知れない感動を味わった。


「ハヤテ! 早く!」


 ルゥはもう一度叫び、僕の返事も待たずに電車の外へ飛び出した。僕は剣を腰に吊すと、ルゥの後を追って外へ飛び出した。電車から飛び出した途端、目の前の茜空がぐにゃりと歪む。車酔いにも似た嫌な感覚を味わっていると、絵の具を滅茶苦茶に混ぜたように、景色は歪んでいき、そしてその歪みはいつしか炎の揺らめきとなった。


 ――気が付けば僕は祠の中らしき場所にへたり込んでいた。すぐ前にはルゥが立っていて、そのワンピースがあまりにも短いので、ニーハイブーツとワンピースの隙間の真っ白な肌、またはその上のきっと見てはいけないだろう領域まで見えそうになって、僕は慌てて目をそらした。


「さーぁ、行くわよ」


 そんな僕の動揺には気付かず、ルゥはやたらと張り切っている。

 僕たちがいるのは、直径三メートルくらいの石造りの道の上だった。その道は空中に浮かんでいた。両端に一メートルほどの間隔で柱が立っていて、その天辺で炎が燃え上がっていた。道は大きな洞窟の中に浮かんでいるらしく、上はどこまで見上げても真っ暗だし、壁はかなり遠くの方にあった。柱の間からおそるおそる下を覗いてみれば、底の方にマグマが踊っていた。何かの間違いで下に落ちれば、一瞬で焼け焦げて死んでしまうだろう。熱さのためか恐怖のためか、じわりと全身に汗が滲んだ。


 僕はこの景色を実際にこの目で見るのは初めてだった。しかし、何度も見たことがあった。ルゥの言うとおり、ここは『火竜の祠』のダンジョンだ。


「ルゥ、これはいったいどういうことなんだ?」

「何度言えばわかるの? 火竜を倒せなかったのが心残りだから、リベンジするのよ」

「リベンジって……」


 何から突っ込めばいいのかわからなかった。僕は迷った挙げ句、どうでもよさそうなことを聞いてしまった。


「僕はハヤテじゃないのに、どうやって火竜なんか倒すんだよ」

「ハヤテじゃん。何言ってんの」

「や、ハヤテだけど。ハヤテ使ってたプレイヤーだけど。でもハヤテじゃないし。ただの男子高校生に火竜なんか倒せるわけないじゃん」

「自分の姿、見てから言えば?」

「……へっ?」


 言われてみて、僕は初めて気が付いた。僕はハヤテと全く同じ、侍の格好をしていたのである。さっき剣を腰に吊したときに、どうして気付かなかったのだろう。


 僕が驚愕している様子を見て、ルゥは楽しげに言う。


「二段階ジャンプしてごらん」

「や、無理だし」

「できるできる! ほらっ! 飛んで飛ぶだけだから!」


 ルゥは両手を叩いて応援している。とりあえずやってみなければ収まらなさそうだ。僕は辟易しながら、その場でぴょんと上に飛んでみた。いつもより高く飛べたような気がする。不思議に思いながら、空中でもう一度飛ぶような動作をしてみると――なんと、そのまま身体がもう一段階上に跳ね上がった。僕の意思とは離れて、僕の身体はくるりと綺麗に前転して床に着地する。


「う、うお、おおおお!?」

「はい。チュートリアル終わり」


 ルゥはパンと一際高く手を叩くと。どこからともなくダガーを二本取り出した。


「スキルとかも、なんかテキトーにやってたら使えるし。そこんとこはノリで何とかなるから。マジで。ノリで何とかしてね」

「え、ちょ、ほんとに、これどういうことなんだよ⁉」


 ルゥは踵を返そうとして、その場でくるりと回り、また僕の方を向いた。黒い猫耳がぴくぴくと動く。


「だーかーら! リベンジだってば!」

 

                     *

 


 ――僕と塩谷香織は友達ではない。


 何の巡り合わせか、中学一年生から高校二年生の今に至るまで、ずっと同じクラスだった。とはいえ、僕らが通っていたのは中高一貫校だったので、そう不思議ではない話だ。

 けれども、僕らはそんな四年間と少しを同じ空間で過ごしながら、たった一言ですら、言葉を交わしたことは無かった。僕が塩谷さんの声を聞いたのは、彼女が教室で答弁する時だけだった。しかし、それも不思議なことではなかった。僕は内気な少年だったし、クラスで女の子と話すようなタイプではなかった。また、塩谷さんは僕以上に内気な女の子だった。男子と話すどころか、女子と仲が良さそうに話しているところさえ、僕は見たことが無かった。休み時間になると、いつも一人で本を読んでいた。苛められている訳でもなかったし、疎外されている訳でもなかったが、いつもそうやって一人で過ごしていて、誰からも「塩谷さん」と呼ばれていた。


 だから、僕と塩谷香織は決して友達ではなかった。


 ――けれど、『ハヤテ』と『ルゥ』は友達だった。


 平日は夜の七時から、大体日付が変わる頃まで、途中何度か、食事や風呂で席を立ったりしながらも、二人は一緒に冒険をしていた。休日も時間が合えば一緒に冒険をした。さりとて、僕ら二人はインドアで、休日だろうと家に居たので、ほとんど毎日のように一緒に遊んでいた。

 東洋と西洋がごちゃ混ぜになった、よくあるファンタジーオンラインゲームの一つである、『ルッシェル・ランド』。僕と塩谷さんは、それぞれ『ハヤテ』という人間の侍と、『ルゥ』という猫又の盗賊となって、一緒に遊んでいたのである。

 僕らが『ルッシェル・ランド』で出会ったのは、それこそ本当に不思議な縁だった。偶然、一緒に遊んだプレイヤーが『ルゥ』だったのだ。世間話をしている時にお互いに気付いたのだが、今までの人生であの時ほど驚いたことはなかった。かといって何をする訳でもなく、僕らは『ハヤテ』と『ルゥ』として遊んでいた。『ルッシェル・ランド』は過疎化が進んでいて、同じような時間帯で一緒に遊べる仲間がいるのは、お互いにとって本当に喜ばしいことだったのだ。


 そして、そんな不思議な日々が半年ほど続いた頃、『ルッシェル・ランド』のサービス終了がついに宣告されたのだった。


                      *

 


 ルゥは僕の戸惑いは無視してぐんぐん先に進んでいく。足の速い彼女に何とか着いていくと、前方にふと気配を感じた。思わず立ち止まると、ルゥも同様に立ち止まり、身構えた。


「くるよ!」


 ルゥがそう言うのとほぼ同時に、目の前に大きな火蜥蜴が湧出した。全身から炎を噴き出している真っ赤な化け物に僕は縮み上がったが、ルゥの方は嬉しそうな奇声を上げて飛びついていく。そのダガーの切っ先が火蜥蜴の頭に突き刺さった、と思った途端、火蜥蜴の頭は真っ二つに割れ、その身体はすぐさま光となって飛び散って、消えた。


「火蜥蜴なんて雑魚雑魚! なにビビってんの、ハヤテ!」


 どうやら、僕たちの強さは『ハヤテ』や『ルゥ』をそのままに引き継いでいるらしい。いつも一撃で片付けている火蜥蜴が、また目の前に湧出した。僕は剣の柄に手を伸ばすと、それを引き抜いてみた。すると、何かに引っ張られるように、僕の身体は自然と動いた。二段階ジャンプの時と同じ感覚だ。僕は鞘から斬魂剣を引き抜くと、その勢いで火蜥蜴を切り裂いた。下から斜め上へ切り上げられた火蜥蜴は大きく震えた後、光となって消えていく。


「――楽しいでしょ?」

「うん」


 にやりと笑うルゥに、僕は思わずそう答えていた。


「ふふん。でも、こんなに簡単に倒せるのは火蜥蜴だけだからね。奥には炎の化身とか獅子とかもうじゃうじゃいて――」

「炎の化身は僕の水系スキル・鏡花水月を、炎の獅子はルゥのパラライズ・バタフライで麻痺させてから、石破天驚で叩きのめす、だろ」


 僕がそう言うと、彼女はにゃーおと楽しげに鳴いた。


「スティールも忘れずにね!」

 

                       *

 


『もう、今日で終わりだね』


 サービス終了の五月二十五日、ルゥはそう言った。個別チャット欄に流れる悲しそうな顔文字に、僕もつられて悲しい気持ちになる。


『うーん、まぁ、ここまで過疎化しちゃったしね』

『火竜倒しに行こ』

『急に話変えんなや』


 ルゥはいつだって急進派だ。人の話なんて聞かないでグイグイ進んでいく。それは、現実の彼女とはまるで違っていて、不思議だった。塩谷さんは、授業中に答えを間違えたりして恥を掻くと、その授業中はずっと顔を赤くして俯いていた。酷い失敗をして思わずクラスメイトが笑ってしまったような時は、何日も学校に来ないときもあった。非常に繊細な女の子だった。だからこそ、ルゥと塩谷さんが同一人物だと頭では分かっていても、なかなか実感できなかった。


 サービス終了の、最後の日も、僕はルゥに連れられるまま、『火竜の祠』に向かった。『火竜の祠』は最終ダンジョンで、ほとんど攻略出来ているのだが、そのボスだけはまだ倒せていなかった。最後の日に、もしも火竜を倒せたなら、と思うと、僕も心が躍った。


『そういえば、今日の数学ってテスト範囲言ってた?』

『まだだったよ。ハヤテ、また寝てたの?』

『だってあの先生の話、つまんないし眠くて……』


 僕らはそうやって、学校に関する話もした。けれど、僕自身のことと、塩谷さんのことは、話に上ることはなかった。


 火蜥蜴を殴り、火の化身を僕が蹴散らし、炎獅子を二人がかりでボコボコにしながら僕らは進んだ。


『最後の日なのに、なんでアイテム盗む必要があるの?』


 ルゥは盗賊という職業なので、敵からアイテムを盗む『スティール』という技能が使える。彼女はそれをいちいち相手に仕掛けるのだった。


『だって、それが盗賊の本分だし。アイアンメーデーだよ』

『?』

『ミス。アイデンティティー』

『おっそろしい予測変換だな』

『うちのパソコンちゃん優秀だからね』


 そんな馬鹿馬鹿しい話をしながら、僕らは進んだ。ゲーム内残金を全て回復薬に注いだので、僕らは危なげもなく、ボスの火竜のもとに辿り着くことが出来た。


 サービス終了までの残り時間を考えると、可能なのはたった一戦だけらしかった。ボスと遭遇した際の特別演出が始まる。いつもはスキップするのだが、今日は黙って見つめていた。これで終わりかと思うと、倒せなくて憎かったラスボスも愛おしく思えてくる。

 そして僕らはラスボスの火竜に挑んだ。

 僕らは善戦して、初めて、火竜の体力を九割ほど削ったのだが、瀕死状態にのみ発射されるらしい『業火のブレス』という炎の息で二人揃って焼け焦げて、死んだ。

 僕らは町に復活して、あれは卑怯だと散々文句を言った。そして、その後は何をするわけでもなく、だらだらと個別チャットをして過ごしていた。

 サービス終了のために強制シャットダウンされる、少し前に、


『今までありがとう、ばいばい』


 とルゥが言った。

 それがあまりにもぎりぎりで送られてきたので、返事を送る前に、僕らは強制シャットダウンを受け、『ルシェル・ランド』は終わってしまった。

 「あ」という僕の現実の呟きが、深夜零時の部屋に虚しく響き、それがとてつもなく悲しかった。

 そして僕は何とも言えない切なさを感じながらパソコンを閉じ、ベットに潜り込んだ。


 その同時刻、塩谷香織が手首を切り、緩やかに死んでいったとは、露とも知らないで、僕は穏やかな眠りへと引きずられていったのだった。


 

                      *

 


「炎の獅子こっわ、超怖いんだけど何あれ」

「何隠れてんだよ、お前がパラライズしてくれないと戦えないだろ」

「あんたも隠れてるじゃん……あれに攻撃しかけるとか、正気じゃないよね」


 僕たちは柱の後ろに隠れて、遠くの方に湧出した炎の獅子を見つめていた。たてがみの部分が炎になって燃え上がっており、他にも四脚と尻尾の先に火がついている。画面を通して見ていた時は、結構可愛いじゃないかと思っていたが、ぐるぐると唸りながら牙をむき出しにして歩き回っている様子を見ると、そんなのんきなことは思えなかった。


「正気じゃないって、そもそも今の状況が正気じゃないだろ」


 僕は呟くように言ったが、それはルゥには聞こえていなかったようだ。ルゥはよーし、と意気込みながらダガーを構えている。


「よっしゃあ、やるときはやるっ!」


 ルゥはそう叫び、パッと駆けだしていく。そしてそのまま勢いよく炎の獅子に目の前に飛び出したが、奴と目が合い、地鳴りするような声で唸られると、そのまま踵を返して逃げ帰ってきてしまった。


「ちょ……ルゥ⁉」


 その後ろを炎の獅子が全力で追いかけてくる。ルゥはぴょんぴょんと飛び跳ねるように逃げてきて、悲鳴を上げながら僕の後ろに隠れた。


「無理無理無理無理! いけー! 侍! 弱い市民を守れー!」

「何が弱い市民だ! 盗賊のくせに!」


 ルゥは反論には耳を貸さず、僕の背中をどんと押し、獅子の方に突き出した。新しい敵を見つけた獅子は、視線をルゥから僕の方へ移す。そしてすぐさま飛びかかってきた。


「うわーっ⁉」


 咄嗟に剣の腹でその牙を受け止める。しかし炎の獅子は重く、そのままずるずると後ろへ押し出されていく。ハッとして振り返ると、後ろにルゥはおらず、道の端があった。このまま押し出されると、下のマグマに真っ逆さまだ。


「待って待って待って、いくら何でもそれは嫌だ! ルゥ! ルゥ、助けて!」


 喚きながらも剣で相手を押し返す。力を込めれば後ろへ下がる速度は弱まったが、しかし着実に死に近付いていた。


「や、やめてーっ!」


 思わず情けない悲鳴を上げてしまう――その時、視界の端で黒い影が閃いた。


「パラライズ・バタフライッ!」


 彼女はそんな台詞を大真面目に叫びながら、空中でくるりと一回転し、踵を炎の獅子に落とした。踵落としが決まった途端、僕を押し出す力が一気に弱くなる。バチバチと電流が駆け巡るような音が聞こえてきた。麻痺が成功したのだ。僕は構え直すと、麻痺して動けない獅子を狙って剣を振りかぶった。


 ――石破天驚!


 口に出すのはあまりにも恥ずかしすぎたので、代わりに心の中で叫んでおいた。それでも剣は青く輝き、力強い風切り音を立てながら炎の獅子を叩き切った。光が散らばり、一瞬、目の前が真っ白になる。


「あっ」


 体勢が崩れて、立て直そうと足を伸ばしたところに床が無かった。そのままマグマめがけて転落しそうになり、全身の毛が逆立つ。しかし、すぐに腕を掴まれ、道に引っ張り戻された。

 目を白黒させたルゥが、僕の手を掴みながら大きく息を吐いた。二つに分かれた尻尾がぴんと張っている。


「ボスステージの手前で死んじゃってどうするの」

「あ、ありがと……」


 素直に感謝すると、ルゥはにやりと笑った。ふと、彼女が逆の手に何かを握っていることに僕は気付いた。


「ね、ルゥ、それ、何……?」

「皮」ルゥは簡潔に言って、それを僕にもよく見えるように持ち上げた。「正確には、炎の獅子の皮。これ、あれだよ、炎耐性ついてる最上位の防具作るときに必須なレアアイテムだよ。火を通さない皮なんだって」

「……スティールしたの?」

「そう。スティールしました」


 ルゥは笑いながらその皮をびろんと広げてみせる。ちょうど背中くらいの部位だろうか。広げると直径一メートルほどはありそうな皮だ。表側は豊かな獣毛がついて黄金色に輝いているが、裏側には血がついていて、何とも言えずグロテスクだ。


「うーん。そんなものどうやって盗むんだ」

「まっ、細かいことはいいじゃないの」


 ルゥはその皮をくるくると小さく巻くと、腰に吊した、ずた袋の中に片付けた。


「さぁ、念願のラスボスよ」


 もう目の前に火竜のいるステージへ続く真っ赤な扉があった。信じられないほど大きい扉で、天辺が見えない。その赤い扉には、火竜を表すモチーフが描かれていた。間近で見れば見るほど繊細なデザインで、僕は思わず感動してしまった。


「さぁ、行くわよ。私たちのルッシェル・ランドを終わらせにね」


 ルゥは突然そんなことを言った。急に真面目な口調で言うので、僕は驚いて彼女の方を見たが、ルゥは変わらずにニヤニヤと笑っているだけだった。にゃーおと喉を鳴らし、彼女は扉に片手をつく。扉は抵抗せずに開いた。


 ――今度こそ最後だ。


 僕はそう感じた。

 

                      *


 

 校長先生が、僕らの教室までやってきて、塩谷香織の自殺について話すのを、僕は呆然と聞いていた。黙祷の後に校長先生が去ってから、クラスメイトたちは声を抑えながら、それでも喧しく騒ぎ立てていた。


 ――塩谷さんの家は両親とも共働きで……

 家に居なかったことの方が多いみたい――

 ペットに猫が一匹いて――

 ――最近死んじゃったから新しい子を飼ったそうなんだけど……


 そうやって好き好きに話されていく塩谷さんの情報を、僕はちっとも知らなかった。

 あちこちでクラスメイトが塩谷さんの話や自殺の原因に対する憶測をしている中、担任の先生が青ざめた顔で教室に入ってきた。


「えー……お葬式はご家族だけで行われるそうです。もし、お別れを言いたい人がいたら訪ねてきてくれて構わないということですが、誰か塩谷さんの家を知りたい人はいる?」


 先生は疲れ切ったようにそう言ってから、ハッとしたように口をつぐんだ。失言だと自分でも気付いたのだろう。クラスメイトは、誰も、知りたいと声を上げなかった。みな押し黙ってお互いの顔を見やっていた。


 僕はどうすればいいのかわからなくて、じっと下を向いていた。

 僕と塩谷さんは友達じゃない。

 だから僕は声を上げられない。

 しばらく重い沈黙があって、それをやっと先生が破った。


「……そうだね、塩谷さんの家を知りたい人は、また後で、言いに来てください」


 先生はそのまま連絡事項を述べていったが、きっと、誰の耳にも届いていなかった。クラスメイトたちはさっきの沈黙で目の色を一つにしていた。先生が肩を落としたまま教室を出て行った途端、クラスはまた静かに騒がしくなった。誰もが憐れむような傷付いたような顔をしながら、孤独は人を殺すのだと囁いていた。僕の前の席の友達も、僕を振り返って、可哀想だなというようなことを何度も何度も違う言葉で呟いていた。


 ルゥとハヤテは友達だった。だからきっとルゥは孤独じゃなかった。けれど塩谷さんと僕は友達じゃなかった。だからきっと塩谷さんは孤独だった。


 僕が今悲しいのは、ハヤテが友達だったルゥともう会えなくなったからなのだろう。ルッシェル・ランドは終わってしまった。その終わりと共に塩谷香織という一人のクラスメイトも死んでしまったが、それは友達にはなれなかった僕には関係ないのだろう。


「寂しいね」


 僕は前の席の友達にそう答えた。

 


                      *



 火竜は強かった。


 僕とルゥはひいひい言いながら応戦し、気が遠くなるほど地道に攻撃を積み重ねた。ルゥが火竜の背後に回り、その尾に攻撃をして注意を引いている間に、僕が正面からスキルを叩き込む。いつもやっていたように、その繰り返しだ。


 不思議なことに、激しく動き回っていても、身体的な疲労は感じなかった。しかし、タイミングを一つ間違えれば死んでしまう緊張感で精神的な疲労は半端なものではなかった。


「きゅうっけいっ!」


 ルゥに引っ張られるまま、火竜から距離を取り、ステージの端にある岩陰に隠れた。火竜は僕らを探してのそのそと歩き回っている。


「けっこう削れてるね、体力」

「もうかれこれ一、二時間は粘ってるしな」

「それは気のせいでしょー」ルゥは疲れ気味に笑った。「たぶん一時間も経ってないよ」

「変なの。いつもと逆だな」

「そうだねえ。……そろそろ『業火のブレス』吹いてくるかもね」

「う、トラウマだわ、あれ」

「わかる」


 ルゥは自分の腕を撫でながら頷いた。『ルッシェル・ランド』の最後の日、やっと火竜を倒せると言うところまで追いつめたのに、あのブレス一つでやられてしまった。


「結局、あのブレスへの対策法、わかんないよね」

「とりあえず全力で避けるしかないよな」

「そだね」

「永遠に逃げまくることになったら最悪だな」


 僕は冗談のつもりで言ったのだが、ルゥは存外に「それもいいね」と返してきた。


「ぼ、僕はごめんだぞ」

「私だってごめんよ」

「どっちだよ」

「どっちでもいいじゃん」


 訳がわからない。僕がしかめ面をしたことに気付いて、ルゥも眉を寄せた。


「うーわ、何その顔。人のこと、そこまで馬鹿にしたような顔する? もしかしていつもそんな顔してたの? ひどーい」

「何がひどーい、だよ。お前が訳わかんないこと言うからだろ」

「大真面目な反応しないでよね。こっちはノリで返事してるんだから、立つ瀬がなくなるじゃないの」

「こんな場面でノリで返事する方が悪いんだって」

「ほらー、またそんな風に返事するー」

「何だよその言い方」

「む、その言葉そのまま返す」

「何を――」


 ――その時、勢いよく風が吹き、僕らはぎょっとして岩陰の向こうを覗いた。すると、すぐそこに火竜が立っていて、僕らに向かって大きな口を開けていた。ブレスを仕掛けてくるつもりだ。


 僕らは揃って悲鳴を上げ、脇目も振らずに岩陰から飛び出した。僕は右へ、ルゥは左へ。僕らが岩陰を飛び出すのと同時に、竜が岩に向かって炎を吐いた。あのまま話し込んでいたら黒焦げになっていただろう。僕がそのまま走り抜けてホッと息を吐いていると、ルゥが甲高い悲鳴を上げた。


「――ルゥ⁉」

「あたしの袋が! 燃えた!」


 ルゥは悲鳴を上げたまま岩陰へと駆け戻った。ルゥが駆けている先に、彼女のずた袋が落ちていて、さっきの業火のブレスによって燃え上がっていた。


「薬入ってるのにー!」

「そ、そんなの気にしてる場合かよ!」


 火竜は足元に転がり込んできたルゥに気が付き、吼えると、またゴゥと大きく息を吸い込んだ。もう一度ブレスを吐くつもりらしい。ルゥは燃えた袋の火を消そうとしていてそれには気付いていないようだった。袋はすぐに燃え尽きてしまい、ルゥはがっかりして床を見ている。中身も黒焦げになってしまったようだが、一つだけ、黄金色に輝くものを僕は見つけた。ルゥが溜息を吐きながら上を見上げ、今にも自らを燃やそうとしている火竜と目が合い、ビクッと身体を震わせる。


「ルゥ!」


 ――一か八か。


 僕は驚いて動けないでいるルゥのすぐ傍まで駆け寄り、焦げの中で輝く黄金色の物体を手に取った――炎の獅子の皮だ。火を通さないというレアアイテムは、業火のブレスにも負けないらしい。僕はその皮を広げ、火竜へ向けて盾のように広げた。それで身を覆った瞬間、火竜が火を吹く。皮一枚越しに業火を浴び、その熱さで溶けそうになった。しかし、皮は燃えなかった。僕らも溶けなかった。そのうちに火竜がブレスを吐き切り、口を閉じようとした。反射的に、僕は皮を投げ捨て、斬魂剣を竜へと投擲した。剣は吸い込まれるように火竜の口に飛んでいき、見事突き刺さって、その喉まで貫通した。


 火竜が言葉にならない叫びをあげる。その場に大きく崩れ、そして、今までに見たことがないほどの眩い光を放って、消えた。


「やっ……」

「たー!」


 ルゥが両手を上げてぴょんぴょんと飛び、その勢いで僕の背中に飛びついてくる。


「倒した! 倒したよ火竜! やったー! 凄くない? ねぇ! スキルとか使わないで倒しちゃったよ! 凄くない!?」

「ほとんど僕の功績じゃん!」

「なぁに言ってるのよ、あの皮ゲットしたのあたしでしょ。やぁー、あたしたちってほんっと良いコンビね!」


 僕は落ち着いているように装って、ルゥを手で払う仕草をしていたが、その実、堪らなく興奮していた。――火竜を倒せた。あれだけ倒せなかった敵を、この手で、僕自身の手で倒すことが出来た。興奮は震えとなり、僕は震える手で拳を握り、心の内で吼えた。


 ルゥは楽しそうに笑いながら僕の背中から飛び降り、竜が消えたところへと駆けて行く。その床には何かキラキラ光る物が落ちていた。ルゥが拾い上げたのを覗き込んでみると、それは竜の鱗だった。


 ルゥは嬉しそうにはにかみ、自らの頬をその鱗にすり寄せた。


「あーん、生きてる間にこいつ拝めてよかったぁ」

「生きてる間にって……」


 ――死んでんじゃん。


 僕はそう言おうとして、ハッとして口をつぐんだ。しかし、もう遅かったらしく、ルゥははにかむのを止め、真剣な顔をして僕を見た。しばらく僕らは見つめ合っていた。ルゥは何も言わないでくるりと踵を返し、ステージを横切って、一番奥の壁に手をついた。するとそこに扉が現れた。よく見覚えのある、電車の扉だった。ルゥがもう一度触れると、その扉はプシューという音を立てながらゆっくりと左右に開いた。扉の向こうは電車の中になっていた。ルゥがその電車に飛び乗る。「はやくおいで」と言いたげに、その二本の猫の尻尾が揺れる。僕は慌ててその後を追いかけ、電車に飛び乗った。背後で扉が閉まった。



 電車に乗ると、外の景色は茜色の空と山々に戻っていた。車内には僕ら二人以外には誰もいない。先に乗ったルゥが何も言わないまま座席に座った。僕はその隣に座ろうとして、ルゥの姿を見て驚いた。


 彼女から黒猫の耳と二本の尻尾が消えていた。服装も、よく見慣れた高校の制服に変わっていた。つまり、そこには、ルゥではなくて、僕のクラスメイトの、塩谷香織がいた。しかし、その手には赤い鱗が握られていた。塩谷さんは微笑みながら、自分の隣の席をぽんぽんと叩いた。僕は誘われるままにそこに座った。気が付けば、僕の服も、元の制服へと戻っていた。


 僕は何を話せばいいのかわからなくて困惑した。向かいの窓では茜色の景色がどんどん過ぎ去っていく。何も言わなければ、このままお別れなのかもしれないと思うと、焦りが生まれた。僕は三度ほど心の中で練習してから、塩谷さんに尋ねた。


「……新しいゲームに、誘えばよかったのかな」


 すると塩谷さんはふっと小さく笑みを零した。


「どういうこと? それ?」


 その声や言い方が、当たり前なのだが、さっきまで話していたルゥと同じだったから、僕は少し安心した。


「いや……ルッシェル・ランドが終わったから、塩谷さんは死んじゃったのかなって思ったから」

「まぁ、それはその通りだよ」

「だったら、新しいゲームに誘ってれば君は……」

「そういう問題じゃないから、お願いだから、気にしないでよ」


 塩谷さんはそう優しく言った。

 そして、僕を覗き込んだ目がいたずらっぽく輝く。


「まったく、本当に大真面目に考えるんだから」


 塩谷さんはそう言って、くすくすと肩を震わせて笑う。そんな彼女をじっと見つめていると、彼女は笑うのを止めて、不思議そうに首を傾げた。


「どうしたの。笑うなよ、とかって怒らないの?」

「どうして死んだの?」


 僕は率直に尋ねた。いきなり尋ねられるとは思わなかったのか、塩谷さんは目を丸くした。それから眉を寄せ、真面目な顔をした。


「君に理解できるかどうかわからないんだけど、それでもいい?」

「……いいよ」


 僕は息を呑んだ。塩谷さんの自殺した理由。きっと僕には想像も及ばないほどの苦しみを抱えていたのだろう。覚悟して聞こうと思って身構えたのだが、塩谷さんが口にしたのは予想外すぎた言葉だった。


「おでん食べてるときに、死のうかなって思ったの」

「……え? おでん? 何で?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまうと、彼女は楽しそうに声を上げて笑った。さっきの真面目な顔も、驚かせるための伏線だったのかと思うと、僕は無性に腹が立ったが、同時に可笑しくもあった。こいつはどこまで変な奴なのだ。


「こういう時に冗談言うなよ」

「ごめんごめん、いや、でも、冗談じゃないの。ほんとに、おでん食べてるときに思ったんだってば」

「嘘だ」

「嘘じゃないの。聞いて。ほんとに真面目に話すから。――あのね、一年の冬にね、帰り、凄くお腹空いてて、寒くて、たまらなくなったから、おでん買って駅のホームで食べてたの。一人ではふはふ言いながら食べてたんだけど、その前をたくさんの人が通っていくわけね。もちろんクラスメイトもいるわけだ。その人たちが可哀想なものを見る目であたしを見てる気がしたの。ま、女子高生がホームでぼっちおでんは流石に可哀想に見えたんだろうな。かくいうあたしも、おでんはあったかいし、身体はあったかいけど、その虚しさが際立った気がして、寂しいなって思った。凄く凄く虚しくて。誰も隣にいない虚しさと悲しさで心が寒くて寒くて、そんなのおでんじゃどうしようもないの。泣きそうになった。もうこの寒さの中じゃ生きていけないと思った、生きていたくないと思った……それがきっかけ」

「……でも、それ、一年の冬? 半年くらい前の話じゃん」

「そう。そうなのね。何でだと思う? 半年くらい前って、何があった?」


 塩谷さんはずいと顔を近づけ、面白そうに口の端を上げる。

 半年前、と僕も自分で言いながら、気が付いていた。

 僕らがルッシェル・ランドの中で出会ったのが、ちょうどその頃だ。


「……びっくりしたよね、ほんと」塩谷さんは懐かしそうな目をして、前に広がる茜空を見つめる。「何こいつ? これからどうなるの? とか思うと、何だかわくわくしちゃって、寒さなんか忘れるし。しばらく遊んでたら、今度は遊ぶのが楽しくなって、寒くなくなっちゃうし。本当、信じられないくらい楽しい半年だった。他の人ってこんなに楽しく毎日生きてるのかなぁって思うと羨ましかったねぇ」

「……僕も楽しかったよ」

「わかってるよ」


 塩谷さんは即答し、こちらを見てにやりと笑う。


「君もわかってたでしょ? あたしが楽しんでること」

「……うん」

「へへ」


 塩谷さんは笑う。彼女はよく笑う。クラスではちっとも笑わないのに、ゲームの中ではよく笑っていた。


「……『サービス終了』って知った時、あの寒さを一瞬思い出したの。どれだけ楽しくても、その楽しさ、温かさは、いつかは薄れていっちゃうんだよね。いつかは消えてしまうんだよ。そのいつかが明日なのか一年後なのか百年後なのか、それは誰にもわかんないけど、でも絶対なくなってしまうものなんだよね。いつか必ず、あの寒さがやってくるんだよね」


 塩谷さんは遠くを見るような目をしている。僕には見えていないものを見ている目をして、ずっとずっと茜空を見つめている。


「あの寒さはもうごめんだし。ならもう、このまま終わりたいなぁと思ったから」

「……僕で良かったの?」

「何が?」

「だって、あと少し生きてたら、もっと楽しいことが起きてたかもしれないじゃん。それを、僕なんかと遊んで人生終わるとか勿体ないよ?」


 塩谷さんはびっくりしたような顔で僕を見た。そして驚きのせいか、ひっくり返った声で言った。


「泣くなよぉ」

「泣いてない」

「泣いてるじゃん」


 塩谷さんは優しく言いながら、僕の背中をバシバシと強い力で叩く。


「言ったでしょ? 楽しかったって」


 塩谷さんは立ちあがった。茜空を背中に、僕の方を向く。そして満面の笑みを浮かべた。その両目に、少しだけ涙が浮かんでいた。


「ラスボスを倒せなかった、っていう最大の後悔も果たせたことだし、あたしはそろそろ行くね! 最後まで付き合ってくれてありがと!」

「最大の後悔がそれかよ」

「うひひ」


 塩谷さんは両肩を震わせる。そして笑ったまま、僕に赤い鱗を差し出した。


「あげる!」

「……いいよ、持って行きなよ」

「いいの?」


 塩谷さんが目を丸くした。すかさず自分の胸に抱いているところを見ると、本当は欲しかったらしい。相変わらずだなと思って、僕は思わず笑った。


「今更だね。レアアイテムはいつだってお前がもらってったろ」

「……そうだね」


 塩谷さんが微笑む。赤い鱗を大事そうに抱えたまま、窓の外を見た。


「じゃあ、行くね」


 その言葉に応じたように、電車がゆっくりと止まる。プシューと音が鳴って、扉が開いた。塩谷さんは躊躇わずに扉の方へ行く。


 振り向かずに降りようとする背中に、僕は叫んだ。


「こっちこそありがとう! ばいばい!」


 塩谷さんが向こうへ足を踏み出す。驚いた顔で振り返った。その顔がにやりとした楽しげな笑みに変わる。ばいばい、と唇が動く。そして扉が閉まった。


 ――電車は僕だけを乗せて動き始める。



 

 ずっと遠くの方から、何か大きなものが揺れるような、聞き覚えのある音がする。傾いていた頭を持ち上げると、それを支えていた首が悲鳴を上げた。その痛みで身体の感覚が冴え渡る。ここは電車の中だ。首筋を揉みながら辺りを見渡す。車内には僕しかいなかった。向かいの窓の外に、茜色の空が広がっている。

どうやら高校からの帰宅途中に眠ってしまったようだ。しばらくすると電車は最寄り駅に着いた。僕はホームに降り立つ。欠伸をすると、ぽろりと涙が一粒、零れた。



                   *



 塩谷香織の家を教えてくれ、というと先生は驚いた顔をした。それを聞いていたクラスメイトもみんな驚いた顔をした。先生は初めは事情を呑み込めずに戸惑っている様子をしていたが、僕が説明すると、彼はきちんと家を教えてくれた。


 僕は通り道の花屋で小さなブーケを買った。お金が足りなくて小さなものしか買えなかったが、弔いのためだと言うと、店員さんは懇切丁寧に花を選んでくれて、白と青の綺麗なブーケを作ってくれた。塩谷さんに捧げるには少し上品すぎるなぁと思いながら、僕はそれを抱えて、彼女の家へ向かった。


 緊張で震える指でインターホンを押すと、すぐに家の人が出てきた。母親だろうか、中年の女性が疲れの溜まった顔で出てきて、僕と僕の持った花を見るとハッと息を呑んだ。


 涙を堪えている様子の彼女に、僕は教室で説明したことを、彼女にも言った。


「……塩谷香織さんの友達です。彼女を弔いに来ました」


二年前くらいに書いた作品で、自分でもとても荒さを感じます。

けれども保管として、そのまま上げてみました。

少しでも楽しんで頂けたなら、幸いです。

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