44話 狂人対幸運2
豪と卯月の戦いが始まった。
観客の予想とは違い、開始直後は静かな立ち上がりであった。
二人がお互いを観察しながら、ゆっくりと足をスライドさせていく。
リングの中央にまるで軸があるかのような、等間隔の移動。
その円運動は、徐々に本当にゆっくりと螺旋運動に変っていく。
縮まっていく間合い。もうお互いに一息で青手に到達できる距離にまで縮まってきている。
予想とは違う静かな立ち上がりに、観客たちも息を飲んで二人を見守っていた。
互いが手を伸ばせば届く距離にまで近づくと、それまでとは違った風景が始まる。
卯月の二つの短刀が、突如として豪に襲い掛かる。
それを予期していたかのように、豪はその場で細かいステップを踏み卯月の白刃を避けていく。
完全なクロスレンジでの攻防、それは二人を、いや、豪を始めてみたものを驚かすことになった。
不規則に襲い掛かる二本の短刀が、まるで落ちてくる木の葉を追う様に全くとらえることが出来ないでいたからだ。
そして驚いているのは、初めて訪れた観客ばかりではない。
今まで豪の試合を見てきた観客たちも、久しく忘れていたことを思い出したからだ。
豪はディフェンス能力が異様に高いファイターであると言う事を。
人の記憶と言うのはどうしても直近の印象で塗り替えられてしまう物である。
豪の直近の試合は、不戦勝やノーコンな相手をしていたので忘れられがちだが、矢を避けたり、戟を避けてみたりと多彩な攻撃に対して見事に避けきり無傷でリングを降りていることを、今ようやく思い出す。
豪が何故『童顔』と呼ばれていたのかを今いる観客たちは、初めて、あるいは改めて知ることになった。
卯月は完全に避けられていることを知ると、リズムを嫌ったのか大きく後退をして距離を取る。
豪はそれを確認すると一条の矢を放つ。
後退したタイミングで豪の矢が迫る状況。
観客たちはこれから、豪の攻勢が始まるものだと考えた。
どよめく会場は、次の瞬間再び息を飲みこんだ。
豪の矢が卯月の目の前にまで迫り、回避が困難だと思わせる距離にまで接近すると、瞬間卯月の姿が消え失せる。
まるで編集したかのように消え失せた卯月は、豪の後ろに出現し短刀を振り下げる。
リングに飛び散る赤い液体。
豪は一拍遅れて自分の右手を抑えて、苦痛の表情を浮かべる。
豪は指の隙間から流れる赤い液体・・・・・・血液を流す傷口を必死に抑える。
卯月が振り返ると、顔には満面の笑みを浮かべて豪を見てくる。
うんうんと一人頷く卯月は、豪に完全に向き直った状態から腰を落とす。
すると再び卯月の姿がかき消える。
再度卯月が現れると、豪は一瞬の間に両手と左わき腹から出血していく。
誰の目にも留まらない一瞬、その刹那に三合の刃を振るい傷を負わせることに成功した卯月が、ようやくその素顔を露わにした。
作り笑いのような先ほどとは違い、心から喜びを表現しているかのような表情に変っている。
『狂戦士』そう呼ばれるファイターが、ようやく顔を出し始めた。
卯月は豪の負った傷をじっくりと観察して満足そうに頷き、戦闘態勢を再び取る。
卯月はそれを繰り返し、相手の心を細切れにしていく。
観察はまだ致命傷には程遠いことを確認するため、そしてそれ以外のまっさらなキャンパスの位置を確認するために行われる。
卯月にとっては傷は芸術。振るう刃は筆、対戦相手の身体は傷と言う芸術を乗せるキャンパスでしかない。
対照的に、あるいは不規則に想いのままに筆を振るい作品を完成させる。
それが卯月が戦いを求める風景。
そして残念なことにそれは、卯月がもともと持っていた素養であった。
脳をいじられたから発現したのもではなく、より強調されただけの物。
傷が美しく感じる感性を、卯月は入学前から持っていたがそれを行使できずに悶々とした少年時代を過ごしていた。
なぜ行使できなかったか? それは何も常識的な判断をしていたわけではなく、傷を負わせる前に相手を昏倒させられたから。
先ほどの卯月が見せた動き、それは卯月のギフト『超加速』。
それで攻撃すると、相手も反応できない代わりに自分も反応が出来ずせいぜい一発しか攻撃を行えないでいた。
卯月のギフトは卯月の反応速度をも優に超える速さで、相手に襲い掛かる。
それ故卯月は大きな余白を残したままリングを降りることを強要されていた。
(まだ描ける場所があるのに! |傷つけたい(描きたい)場所がいっぱいあるのに!!)
そうした思いを持ち、鬱屈とした学園生活を送る予定であった。
しかし、そう言った思いは容易く悪魔に発見される。
(持て余した力を有効に使いたくはないかい? キミはもっと手数を増やすことができるよ)
優しい笑顔を浮かべた悪魔は、卯月を悪魔的な実験に勧誘した。
手数が増える。描きたいものを自由に描ける。
そんな卯月の欲求は、悪魔の誘惑を二つ返事で承諾するに至った。
そうして手に入れた新たなギフトは、『超反応』。
超加速に対応できる反射速度を人工的に手に入れることに成功する。
悪魔的な感性と、悪魔的な実験により『狂戦士』は誕生した。
いや、誕生してしまった。
(まだまだ、いっぱい描ける場所があるな~。次はどこにしよっかな~? 顔かな? いやいや彼を象徴する顔は最後まで取っておかないと、楽しみが半減しちゃうよね)
笑みでは足りない様子の卯月から、鼻歌が聞こえる。
大抵の相手はここまでで、かなり精神的にもダメージを負うことになる。
目ではおえない相手が、交錯した後必ず品定めをしてくると言う狂気に満ちた行動を理解できずに恐怖するからだ。
それまで相手にしたことのない謎の行動を行うファイター。
ファイターからかけ離れた行動に何が隠されているか、分からないという恐怖に襲われる。
ファイターとして、武術を修めて来たものが味わう恐怖。
生粋のファイターであれば、誰もが知るかもしれない卯月と言う恐怖。
しかし、武術に対して素人・・・・・・よく言えば先入観がない状態であればどうだろうか?
卯月は豪の身体は観察していたが、その目を観察していない。
だから、知ることが出来なかった。その目が恐怖に染まっていないことに。
次回投稿は2/25 2:00を予定しております。
では、次回投稿で。