2-3.
――何処か連れて行きたい場所があるってことで、私とノゾム君は店長に連れられて店の前の路地を進んでいく。
「あの、店長? 今から何処へ行くんです?」
「着いてからのお楽しみです。大丈夫、近いですから」
店長は、いつものニコニコ笑顔。何かいいことを企んでるに違いない。
そうこうしているうちに、私達は公園に到着した。その公園は、初めて店長を見かけた公園。私がいつも通っている場所とは反対側の出口のようだ。
「この公園って、お店からこんなに近かったんだ……」
「ええ。そうですよ? 道を一本真っ直ぐに歩くだけですから」
……あの雷雨の日、私は結構走り回ってお店にたどり着いたのに。どんだけ住宅街を迷走してたんだ、私……
自分のマヌケっぷりに肩を落とす私。でも、すぐに気付いた。
「もしかして、ノゾム君がお母さんと来てた公園ってここ?」
「……うん。よくブランコやすべり台で遊んでたんだ」
ノゾム君が小さく呟いた。
どうしたのだろう。ブーケが完成してからノゾム君の元気がなくなっている。
私と店長は心配そうに顔を見合わせてた。でも、ノゾム君はすぐに平気そうな顔に戻って、店長の顔を見上げた。
「お兄ちゃん、これからどこ行くの?」
「はい、もう少しで着きますよ。行きましょうか」
ノゾム君の様子に戸惑いながらも、私達は公園を後にした。
私達は公園を通り抜けた先の、とある建物の前にたどり着いた。
そこは二階建ての建物。壁は一面ガラス張りで、一般的な民家ではないように見えるけど、そういうデザインの民家のようにも見えた。
ここは広くて大きな街だ。色んなデザインの家があるし、この建物はとりわけ奇抜なデザインでもない。
「店長? ここが目的地ですか?」
「ええ。中に入ってみましょうか。ほら、ノゾム君も。
二人共、驚いてくれるといいんですが……」
ノゾム君の手を引いてその建物に入った瞬間、特徴的な強い香りが鼻をくすぐった。
目の前には鮮やかな黄色い花――菜の花が春らしい香りを漂わせている。他にもタンポポやレンゲ草。詰草も花を咲かせていた。
奥にはチューリップやクロッカス、パンジーやガーベラもあるけど、この建物の中を埋め尽くすように咲いている花たちは、あまり花屋では扱っていないような野花が中心のようだ。
都会のこの街にだって、探せば野花はたくさん咲いているかもしれないけれど、住宅街の中心でこれだけ密集しているのは公園でも有り得ない。しかも、建物の中ということもあって、私はしばらく声が出なかった。
「ここって……、民家じゃなくて植物園ですか? 表にはそういう看板とかは無かったですけど」
「元々は、オーナーが管理していた室内庭園と聞いています。
地下一階とこの一階と、そして二階には別の季節の花が咲かせられるように、機械で室内環境を制御してるんですよ。一階は主に春の花が咲いていますね」
もう時期的には菜の花は終わる頃。でも、ここは機械で環境を調整してるから今でも咲いてるのかな?
「そんな凄い設備を個人の趣味で……?」
元オーナーって何者なんだ……という疑問。店長は笑う。
「実は僕もよく知らないんですよ。ただ、ここの室内環境制御の技術は宇宙で使われる技術の応用らしくて、よく学生さんが見学にも来ますし、僕が管理を引き継いでいるんですよ。
確かに見た目は、ただの小さな植物園なんですけどね。お店が休みの日は大抵ここにいますよ」
そういえば、桜の木の下で店長を見かけた日も水曜日だった。あの日、店長はここへ来た帰りにあの公園に寄っていたのかな。
一方のノゾム君は、黙って菜の花を眺めていた。花を見て気が紛れてくれれば良かったけど、私は心配になって声をかける。
「ノゾム君。どう? 菜の花、綺麗でしょ?」
すると、ノゾム君は自分で鼻を摘まんで、私達に困ったような笑顔を見せた。
「菜の花って、綺麗だけど臭いんだね……」
「え……?」
ノゾム君の素直な感想に、思わず私と店長は顔を見合わせる。その瞬間、私も店長も吹き出して笑ってしまった。
私は笑いながらノゾム君に言葉を返す。
「えぇ? 臭くないよ~。
春って感じがして、体の中がポカポカしてくるから、私は菜の花の匂いは好きだけどなぁ」
「えー、臭いよー!」
今まで落ち込んだ表情だったノゾム君が明るく笑う。
確かに、菜の花の強い香りは鼻をつくけど、そこまで臭いって言わなくても……と思いつつ、ノゾム君は思ったより元気そうで良かった。それが何より嬉しかった。
「じゃあ、奥にも行ってみましょうか。他にも色々咲いてますよ」
「あ、そんな二人共、そそくさと行かなくても!
まさか店長も菜の花の匂い、嫌いなんですか?」
「さてさて、どうですかね」
笑ってごまかしながら、店長はノゾム君の手を引いて奥に行ってしまう。
菜の花のインパクトが強かったせいか、すっかりお花に魅入られたノゾム君は、不安な気持ちは何処へやら、あっちにこっちにと動き回っていた。
その楽しそうな様子を眺めながら、店長は私に言う。
「楽しんでもらえたようですね」
「家の中に花畑があったら楽しいですよ。私も楽しいくらいですから」
「本当は、ここの花を花束にして差し上げようかと思ってたのですが……」
「え。やっぱり私、余計なこと言っちゃいました?」
ここは店長が管理している場所で、売り物の花とは関係ないし、確かにそれで良かったのかも。
でも、店長は笑った。
「いいえ。折り紙を必死に頑張って折っていたノゾム君の姿を見たら、やっぱりツバサさんの提案の方が良かったと思いますよ」
「それなら良かったです」
店長もずっとノゾム君のことを見守ってたんだ。そんな店長の優しい笑顔に、私も笑顔になっていた。
そして、ノゾム君は一つの花を指差して私達に尋ねる。
「ねぇ、この花はなんていうの?」
ノゾム君に指された花は、長く伸びた茎の先に一輪だけ大きな赤い花を付けている。
「それは私も知ってます。〈ガーベラ〉ですよね、店長」
「はい、正解です。花屋でもよく見かける花ですね。
色の種類も多くて花持ちもいいですし、中には同じガーベラとは思えないような花を付けるものもありますよ。見ていて飽きないですよね」
ガーベラは色もたくさんあって、単色だけでなく、複数の色を持つものもある。一重咲きや八重咲きもあるので、この花だけでアレンジメントしても、店長の言う通り飽きは来ないと思う。
ここにも赤や黄色と白のガーベラが綺麗に並んで咲いていた。
「がーべらっていうんだ。お母さんが部屋に飾ってた。枯れないこの花……」
枯れないってことは、プリザーブドフラワーのガーベラかな。
私もノゾム君の隣に近寄ってガーベラを眺める。
「お母さん、ガーベラが好きなんだね」
「うん……。あの花を見に、また帰って来れるかな……」
ノゾム君の目から涙がこぼれる。ノゾム君は、それを必死に拭っていた。
思いを込めて折り紙を折っても、自分は希望だと言われても、ノゾム君の不安は晴れないでいたのかもしれない。必死に必死に我慢していただけなのかもしれない。
お母さんと一緒に、またあの公園に遊びに行けるのか、家のガーベラを見れるのか。ノゾム君には分からない。だから、きっと怖くて仕方がなかったんだ。
私は勝手にノゾム君をしっかりした子だって思い込んでたけど、そんなことは全然なかった。独りでいる心細さは、私も知ってる……。だけど、私にどうしてあげればいいのか分からない。
どんな声をかけてあげればいいのか迷っているうちに、ノゾム君はガーベラが咲き乱れる一角に、まだ蕾のガーベラを見付けて、そこに駆け寄ってしゃがみ込んだ。
「これだけまだ咲いてないや……」
「そうですね……ちょっと成長が遅れてるんでしょうか。
だけどね、ノゾム君。きっとこのガーベラも、今は一生懸命頑張ってる最中なんです。先に咲いた周りの花に負けないぞって」
「そっか……ガンバレ……」
ノゾム君は蕾をつつきながら、笑顔で優しく囁いた。
「ノゾム君。ガーベラは〈希望の花〉なんです。大きな花を咲かせるのはとても大変ですが、頑張って頑張って咲かせた花は見る人に希望を与えるんです」
店長の言葉が私の心にも届いた。ガーベラだけじゃない。桜だってチューリップだって菜の花だって、きっと見る人に元気をくれてる。
私は人間だってそうでありたいと、ずっと思っている。私の両親をはじめ、そんなに上手くはいかないけど……
私は、ようやく口を開いた。
「……それって人間でも同じだね。
辛いことがあっても負けずに頑張って、途中で泣いちゃっても、最後には笑顔でいたら周りの人を元気に出来るよ」
「……ぼくも頑張るよ。また泣いちゃうかもしれないけど……
この花には負けたくないもん……」
ノゾム君は本当に素直で頑張り屋さんだ。
私にノゾム君のお母さんの容体は分からない。軽はずみなことは言っちゃいけないのかもしれないけど、もし私がお母さんの立場なら、自分のせいでノゾム君が悲しんで苦しむ姿は耐えられない……
私は笑顔になってノゾム君の頭を撫でた。
「絶対にお母さんは良くなるよ。私も店長も応援してる。
だから、いつでもまた遊びに来てね」
「このガーベラが咲いたら連絡しますね。ノゾム君」
「うん!」
笑顔の私と店長に、ノゾム君も笑顔で元気よくうなずいた。
それから――
元気になったお母さんと一緒にノゾム君が私達に会いに来てくれたのは、もう少し後のお話。
その時のノゾム君は、まるで大輪のガーベラのような笑顔を咲かせていた。