2-1.
十六歳になった私は『フラワーショップ・サクラ』の店員として、新しい生活を始めた。
平日は夕方から、土日は午前中や午後も働く予定。今はまだ春休み中なので、平日でも午前中から働いている。
店舗の裏手には、店舗と繋がる形で店長の家があって、そこで一人暮らしをしているそう。
――そして、四月になって、およそ一週間が過ぎた。気候もすっかり春らしくなって、桜ももう葉桜になっちゃったけど、お店の花は変わらず鮮やかにお客さんを待っている。
◆◇◆◇◆
「ありがとうございました! また、お待ちしてますね!」
レジからお釣りを返して、私は元気よくお客さんを見送った。お金の扱いは緊張するけど、慣れてくると楽しい感じ。
――と、何気に店先の方を見た私は気付く。
さっきから小さな男の子がチラチラとこちらを見ていた。歳は五、六歳くらいの男の子。肩からアニメのキャラクターのポシェットを提げている。大きく丸い目がクリクリしてて可愛いのに、眉毛は困ったように八の字で、少し気になった。
さっき出て行ったお客さんが店に来る前から、あの男の子はずっと店の前にいた気がするけど、お父さんやお母さんが近くにいる様子はない。
私はレジから出て、その子に近付いた。
「いらっしゃい。君、一人?」
「…………」
その子は私を鋭い目で見詰めながら、無言でコクリとうなずいた。
……す、凄い警戒されてる。人見知りなのかな……
「えっと、何かお花が欲しいのかな?」
「…………」
私が笑顔で尋ねても、男の子は私を見詰めたまま無反応。むしろ、にらまれてる。
困った……。人見知り全開だ。今は他にお客さんはいないからいいけど、ずっとこうしている訳にもいかないよね……
「――ツバサさん? どうかしましたか?」
奥から店長が出て来た。困り果てていた私は店長にすがる。
「この子、常連さんですか? 一人みたいで、しばらく店先で花を見てたんですけど……」
「いえ。初めて見る子ですね……」
てっきり常連のお客さんの子供かと思ってたけど、そうじゃないみたい。
店長は屈んで男の子に話し掛ける。
「ぼく、近くの子かい? お名前は何ていうのかな? 歳はいくつ?」
「サイトー……ノゾム。五……あ、六歳」
男の子――ノゾム君はパーの形に開きかけた手の平を握って後ろ手に隠しながらそう言った。自分の歳を言い間違えそうになったのが恥ずかしかったのか、赤い顔でモジモジしているのが何とも可愛らしい。
とりあえず今の反応から見て、どうやら六歳になりたてのようだ。幼稚園の年長さんってことかな?
でも、店長は困り顔。名前を聞いてもやっぱりピンとくるお客さんはいないみたい。
「迷子ではなさそうですが……、しばらくここで待っていましょうか。お母さんかお父さんが来られるかも知れませんからね」
「……花……」
赤面したままひどく緊張しているノゾム君が、店長に頭を撫でられるとボソッと一言呟いた。
「あ。やっぱり、お花を買いに来たんだね」
「それならお店の中で好きなのを選んで下さい」
と、店長と私はノゾム君を店に招き入れようする。だけど、ノゾム君は何故か直立不動。
何か入れない理由があるのかな、と考えた私は思い付いた。
「ノゾム君、もしかしたら、お金を忘れちゃった?」
「ううん。これで……買える? 花束……」
と、ノゾム君が私の手のひらに小銭を出す。ほとんど十円玉で私はゆっくり勘定すると……
「百二十六円……か」
私は困った顔で店長の方を見た。
一輪の花なら買える物はあるかも知れないけど、ノゾム君は今、花束が欲しいって言っていた。この金額ではとても買えそうにない。
私の動揺を察してしまったのか、ノゾム君はうつむく。
「あ……えっと……、花束をどうするのかな? 贈り物かな?」
「お母さん……いなくなっちゃうの嫌だから、お見舞い行くんだ」
「え……」
緊張したままのノゾム君は、片言でしどろもどろに喋っていたけど、状況はすぐに分かった。
この子のお母さんは入院しているんだろう。それのお見舞いをしたいんだと思う。だけど、いなくなっちゃうって、死ぬかもしれないってこと……?
なんだか穏やかじゃない事態に、私は少し焦って店長の顔を見た。
「店長。どうしましょ……」
「そうですね……。
サービスしてあげたい気持ちはあるのですが、他のお客様がお金を払って買って頂いている物を、そのまま彼に渡すというのも……」
「ですよね……。不公平は駄目ですよね。そんなことしだしたらキリがないし……」
もしここでサービスしてノゾム君が花束を持って家に帰ったら、「お金はどうしたんだ」って家の人が驚くだろうし。連絡先を聞いて、後で支払いに来てもらうっていうのもどうなんだろう。
私と店長が悩んでいると、ノゾム君が肩から提げていたポシェットを私に突き出した。
「中に……まだお金入ってるかも」
「じゃあ、ちょっと見させてね」
と中を確認してみるも、あったのは折り紙と数本のクレヨンだけで。
でも、折り紙を手に取った私は思い付いた。
「折り紙……?
そうだ。折り紙でお花を作ればいいんだよ!」
「なるほど。それは良いかもしれませんね。
病院によっては、アレルギー予防の為に生花を持ち込んではいけない所もありますし、お母さんの病状も分かりませんしね。
〈プリザーブドフラワー〉という物もありますけど、値段は高くなってしまいますし」
プリザーブド――って、なんだろう。という私の疑問は後回し。今はノゾム君だ。
「どうかな? 折り紙の花束は?」
「ぼく……知らないよ。花の折り方」
「私が教えてあげるよ。私、折り紙は好きなの」
「本当? お姉ちゃん!」
ノゾム君の表情が少し明るくなった。
お母さんが病気で、とにかく何かしたくてここに来たんだと思う。歳の割にはしっかりしてる子だけど、たった一人で絶対に心細かったに違いない。
「でも、ぼく……もう帰らないと。お婆ちゃんと約束あるんだ」
「一人で大丈夫なの? 送ってってあげようか?」
「大丈夫だよ、帰れる。ここまで一人で来れたんだから」
人見知りはしてるのに、家に一人で帰ることは自信があるみたいで、ノゾム君は即答した。
でも、すぐにしょんぼりとうつむいてしまうノゾム君。
「お母さんと公園に散歩に行く時に、いつも通ってたから……大丈夫」
「そういうことだったのね。だから、ここにお花屋さんがあることも知ってたんだ。
ねぇ、ノゾム君。次にお母さんのお見舞い行くのは、いつ?」
「今度の木曜日……」
「じゃあ、その前の水曜日に私と一緒に作ろう。学校も休みで、お店も休みだし。
って、私の家は知らないよね」
教えてあげるのは全然構わないのに、私もノゾム君の家は知らないし、何処で待ち合わせたらいいのか……
「だったら、僕の部屋を使って下さい。家はこの店の裏だから、ノゾム君に来てもらえばいいと思いますよ」
「部屋に行っていいんですかっ!」
一人で一番興奮している私に、店長とノゾム君のキョトンとした視線が突き刺さる。
店長とお近付きのチャンス! って鼻息荒くしたことなんて気付かれないようにしないと……
「め、迷惑じゃないですか? せっかくの休みなのに」
「僕は構いませんよ。予定もないですから。
休みと言っても、いつも一人で暇してるんです」
と、いつも通りニコニコとしている店長。本当に人懐っこい人だな。
「じゃあ、決まり。待ってるからね、ノゾム君。気を付けて帰ってね!」
「ありがとう。お姉ちゃん、お兄ちゃん! またね!」
ノゾム君は手を振って帰って行った。
ノゾム君を見送りながら店長は少し心配そうに首をかしげる。
「最近のお子さんは六歳くらいでも一人で遊びに出掛けられるんですね」
「最近の子は――って、近くの公園とかなら六歳くらいでも一人で遊んでる子は多いですよ?」
「やっぱり警備アンドロイドがいるから安全なんですかね」
「……まあ、悔しいですけどその通りかなぁ。いやいや、元々日本の治安はいいんですからっ」
アンドロイドの話になるとついつい憎まれ口を叩きたくなる私。でも、そのすぐ後に、ふと気付いてしまった。
「ああっ! 私、花屋の店員なのに、花じゃなくて折り紙を勧めてどうするんだ!
ご、ごめんなさい。店長……」
「いえいえ。僕も良い案だと思いましたよ。
千羽鶴ではありませんが、思い込めた折り紙は、きっともらって嬉しいでしょうからね」
店長はニコニコと笑ってくれた。店長の家にも行けるとなると、頑張らないと。
「よーし! そうと決まれば張り切っちゃおう!
……の前に、今日の仕事も頑張らないと」
まだ仕事中ということ思い出して、私はごまかすように頬を掻いた。
「あの、さっき言ってたプリザーブドフラワーというのは?」
「ああ、これですね」
店長が指した先にあったのは、お皿のような器に盛られた花のインテリア。私が初めてこの店に来た時から同じ場所にあったので、てっきり造花のアレンジメントかと思ってた。
でも、花びらに優しく触れてみると、造花ではなく、生花のような瑞々しさを感じた。
「これって造花じゃなかったんですか?
でも、水もないのに枯れたりしないんですか?」
「生花でもないんですよ。
プリザーブドフラワーというのは、特殊な液を使って生花から水分を抜いて、代わりに潤滑油を染み込ませた花なんです。見た目は生花でも、花粉とかも出ないのでお見舞いに使われたり、長持ちもするので結婚式のブーケなどに使われますね」
「生花と造花の中間みたいな物なんですね。こんな技術があったなんて知らなかったです」
「最近生まれた技術ではないんですよ。古くは二十世紀頃から用いられていたらしいですから」
今はもう二十一世紀も半分過ぎてるから、百年くらい前からあるんだ。すごい知恵だなぁ。
「とは言っても、値段は生花より高いので、やっぱりノゾム君にはおすすめできませんね」
特別な手間がかかってるから、普通の生花より高いのは仕方ないか。
もう一つ、私は質問する。
「毒がある花がお墓参りに向いてないように、お見舞いのお花にも適さない物はあるんですか?
お見舞いに行く他のお客さんに、知らずに勧めちゃいけないので知りたいんですけど……」
「そうですね。匂いが強い花、たとえばユリなどは向いていませんね。他の患者さんの迷惑になるかも知れませんから。ユリは花粉で物を汚してしまいかねませんし、病院へのお見舞いには避けられてしまいます」
私はメモを取っていく。ユリは綺麗なのに向いてないんだ。お祝いのお花にはよく使われてるのにな。
「あとは鉢植えの花ですね」
「鉢植えも駄目なんですか?」
「鉢植えの花は根を張っているでしょう? ですから、病院に根付いてしまうと連想されて縁起が悪いんですよ」
「な、なるほど……」
もうトンチの世界ね……なんて思ったらバチが当たるかな。
「それに、さっきも言ったんですが、最近はアレルギーや感染症予防の為に、お見舞いであっても生花の持ち込みを禁じている病院も多くて、やはりそういう場合は造花やプリザーブドフラワーの方が無難でしょうね。
ツバサさんが提案した折り紙というのも、お見舞いには向いているでしょうね」
一言で花と言っても、生花の切り花や鉢植え、造花やプリザーブドフラワーがあって、お見舞いやお墓参りに向かない花もある……
ただ綺麗だから何でもいいでは済まないのは、きっと誰もが想いを込めて花を贈ってるからなのかな。古い仕来たりみたい聞こえるけど、それは全て相手のことを一番に思ってる証拠だから。
私にはまだ覚えることは多いけれど、そんな素敵な贈り物の花について、もっと知りたくなった。