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心に、花を。  作者: 長坂 オウ
第一話 誠の恋の始まりを
3/25

1-2.

「では、雨が上がるまでゆっくりして行って下さい」

「は、はい! ありがとうございます」

 私は借りたタオルで髪の毛を拭きながら店の中を歩き始めた。

 切り花だけじゃなく、鉢植えや苗木、花や野菜の種や肥料も置いてあるんだ。よく考えてみたら、花屋さんの中をゆっくり見て回ったことはなかったかも。

 だけど、店員さんは彼以外見当たらない。ということは……?

「あの……お一人でお店をされてるんですか?」

「ええ。そうですよ」

「一人で大丈夫なんですか? お花の世話とか」

「水の管理や温度管理は全てコンピュータ制御されていますから、一人でも何とか出来るんですよ。

 仕入れも(おろし)から市場(いちば)のアンドロイドが配達してくれますから」

 そういえば、ケーキ屋さんのようなガラスのショーケースの中にある花は、ケース内の空調で適温に管理されてるみたい。切り花が浸かっているタンクの水も、魚の水槽のように綺麗な水が循環して流れてる。

 へぇ、凄い。こういうのも全部機械で管理出来るんだ。見た目は植物ばかりだから気付きにくいけど、こういう小さな店にも機械化やアンドロイドの恩恵はあるんだ。

「それに、今はインターネット販売を利用されているお客様も多くて、なかなか街の花屋まで足を運んで下さるお客様もいらっしゃらなくて……」

 店員さん――いや、店長さんなんだろうけど、そう言って苦笑いしていた。

 たくさんの花に囲まれてる仕事なんて素敵だなって勝手に思ってたけど、大変なこともあるのね。

「私はネット注文より、直接お店に買いに来た方が良いと思います。

 花の色も形も香りもカタログじゃ分からないこともあるんだし、直接自分で見て感じた物の方が絶対にいいですもん!」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると、ここの花達も喜びますね」

 店長さんは、また微笑んだ。

 花のことがとても好きそうな人。初めて見たあの時からそう思っていたけど、本当にそうなんだろう。

「私も、せっかくだし何か頂いてもいいですか?」

「もちろんですよ」

 店長さんは優しい笑みを絶やさない。

 いきなり現れた私のことも気にかけてくれて、物腰も柔らかくて話しやすい人。初めて見かけた時にいだいた印象と何も変わらない。

 だけど、いくらそう言っても、一人でお店を切り盛りするのは大変なんじゃないかな……

 ――と、あれこれ考えていた私に店長さんは声をかけてくる。

「何か、気に入った花はありましたか?」

「え……」

 ダメだ。後半ほとんど店長さんしか見てなかった。私は慌てて辺りを見回す。

 そんな私の慌てぶりがおかしかったのか、店長さんにクスクスと笑われてしまう。

「はは。大丈夫ですよ、ゆっくりでも」

「たくさんあって迷っちゃいますね! あはは……

 あの……じゃあ、これを……」

 なんとかごまかして、私はさっき見とれてしまった〈桜色のチューリップ〉を指差した。優しく淡いその色が印象に残っていた。

「あ、でも……たくさん買えないかも……」

 お小遣いがない。深刻な大問題……

 普段、私は現金は持ち歩いていない。今は電子マネーが普通で、それは一ヶ月で使える金額が親に設定されていて制限されている。三月末の今日、もうほとんど残っていない。

 ああ……この前、遊びに行くんじゃなかった……

「そんな落ち込まないで下さい。

 僕はチューリップは一輪でも素敵だと思いますよ」

「え?」

 ――どうして? という顔をしていたのか、店長さんは私に説明してくれる。

「チューリップは一つの茎に一つ、大きくりんとした花をつけますよね。

 たくさん集まれば、それはそれは壮観ですが、たった一輪でもその力強さと存在感は損なわれないと思いますよ。むしろ、花の良さが際立つような……そんな気がするんです」

 店長さんは、そう話しながら私が指したチューリップを取り、手際よくセロハンでくるみ、更にその上から淡い空色のシートを巻き付け、根本に桃色のリボンを結んだ。

 あっという間に完成した一輪の花束を、店長さんはニコリと笑って差し出してきた。

「はい、どうぞ」

「あ……ありがとうございます」

 それを手に取れば、特徴的な香りを感じた。春の香りだ。

 店長さんの言う通り、たった一輪でもこの桜色のチューリップは、私の心を華やかにしてくれた。


 まるで、あの日の桜みたいに――



 ◆◇◆◇◆



 ――翌日。今日の天気は昨日とは打って変わって快晴の空の下、私は再び昨日の花屋さんにやって来た。

 あの後、すぐに雨は上がって、私は借りたタオルを洗濯してから返しますと言って、そのまま借りて帰った。

 店長さんは「そんな、構いませんよ」と言ってくれてたけど、私はそれでも持ち帰った。もう一度この店に来る口実にしたかった訳じゃないけど、すぐにもう一度来たかったのは事実で……

 とにかく昨日は偶然の再会に浮かれて、結局あの人の名前を聞かずに帰っちゃって、今日こそはもう少し話を聞きたい。そんな意を決して、私はタオルを入れた紙袋を手に店の前に立つ。

 今日もお客さんの姿はないみたい――と、店の軒下でキョロキョロと見回しているうちに、奥に店長さんを見付けた。

「こ、こんにちは!」

「ああ、いらっしゃい」

 私に気付くとニコリと笑う店長さん。私も笑顔で紙袋を差し出した。

「昨日のタオル、ありがとうございました!」

「これはこれは、ご丁寧に。そんな急ぎでなくても良かったんですよ?

 えっと――」

 店長さんが私に何か言いかけたのと同時に、レジ横の電話がプルルと鳴った。私に「少しすみません」と目配せして、店長さんは受話器を取った。

「――お電話ありがとうございます。フラワーショップ・サクラです。

 あ、坂下サカシタさん。先程はどうも……え? さっき買った液体肥料の封が開かない?

 分かりました。すぐ伺いますね……いえいえ、構いませんよ。はい、失礼致します」

 受話器を置いた店長さんは、続けて私に申し訳なさそうに言う。

「すみません。急に外出しなければいけなくなりました」

「えっと、勝手に話を聞いちゃったんですけど、肥料の開け方が分からないってお客さんからの電話ですか?」

「ええ。坂下さんはご近所に住まわれている常連さんで、ついさっき来られていたんです。

 一人暮らしのお婆さんなので頼れる方がいないんですよ。ものの数分で往復出来る距離なので、これから行って来ようかと」

「その間、お店はどうするんです?」

「外出中の札を掛けて、防犯装置セキュリティを作動させれば安全ですから」

 セキュリティが異常を感知した瞬間、防犯カメラで顔認証されて、それをもとに警備アンドロイドが駆け付けて逮捕されちゃうんだっけ。

 警備アンドロイドが相手じゃ大抵の人間は太刀打ち出来ないし、確かに悪いことは出来ないわね……

 でも、いくら安全だからって店を開けたままっていうのもどうなのかな。

「あの……もし良かったら、私、いましょうか?

 お客さんが来たら、店長さんはすぐ戻って来ますよって伝えるくらいは出来ると思います。

 じゃないと、せっかく来てくれたお客さんが帰っちゃうかもしれないし……」

 手伝ってあげたい一心で、そう言ってみたものの、特に常連でもない私がそんなこと言っても任せてくれる訳ないか。

 でも、返ってきた言葉は思わぬ一言で。

「……いいんですか? では、お願いしてもよろしいですか?」

 あれ。案外あっさりオッケーしてくれた……

 いやいや、これは信用してくれたってことだし、喜ばないと。

「任せて下さい。迷惑かけないように頑張ります!」

 こうして、店長さんは坂下さんという常連さんの家に向かって行った。



 調子の良いことばかり言ってた私はアルバイトの経験は一切ない。引き受けたのは自分なのに、いざ一人で店に残されると不安が押し寄せてくる。

 ものの数分間ならお客さんも来ないよね――なんて都合がいい自分勝手な思いでいたら、それを打ち砕く言葉が店に響いた。

「ごめんください」

「え……あ、いらっしゃいませ!」

 私は店員でもないのに、反射的に深々と腰を折ってお辞儀をしてしまった。

「……あら?」

 と、店の入口で首をかしげたのは四十代の女性。ふくよかな体つきで短めの茶髪。怒ると怖い、でも笑うと可愛い感じの肝っ玉母ちゃんみたいな……初対面でそういう風に思い込むのはダメなのかな。

「店長さんは留守かしら? いつもは外出中の札を出してるのに、何かあったのかしらねぇ……」

「あの、私が店番を引き受けたんです。店長さんはご近所に出られてて、すぐ戻って来ますよ。お待ちになりますか?」

「あら……そうなの。

 今日はもう行かないと仕事に間に合わないし、お花は急ぎじゃないから、また今度にしようかしらね」

 あ、帰っちゃう。何か対応しないと……

 私はひらめいて、電話の横のメモ用紙に手を伸ばした。

「――では、お客様のお名前と、お電話番号をお聞きしてもよろしいですか?」

「あら。お嬢ちゃん、立派な店員さんね。

 私のことはハタが来たって、店長さんに伝えてもらえばすぐに分かるから。お願いしてもいいかしらね?」

「は、はい。常連さんだったんですね。

 えぇっと、畠様ですね……お伝えしておきます」

 とっさにメモを取る私を見て畠さんはニッコリと笑う。

「お嬢ちゃん、しっかりしてるわねぇ。この店で働いてやったらどうかしら?

 店長さん、いつも一人で大変そうだし」

「え……働く……?」

 呆然としてしまう私。確かに、あの店長さんのお手伝いは、やってあげたいけど……

「あら、いけない。急がないと。

 じゃあ、私はこれで。お嬢ちゃん、よろしくね!」

「は、はい。ありがとうございました!」

 畠さんは笑顔で手を振りながら行ってしまった。


 ここで働く……。私はそのフレーズを心の中でリピートし続けた。

 もし出来ることなら……


「――ただいま戻りました」

「あっ! お、お帰りなさい」

 店長さんが戻って来たことにも気付かずに考え込んでた私は、ビクリと反応した。

「すみません、遅くなってしまって。変わりはなかったですか?」

「あ、畠様という女性のお客様が一人来られました。店長さんに言えば分かると言って行かれてしまって。お仕事で急いでいたようです」

「ああ、分かりました。いつもの予約だと思うのでこちらから折り返して電話しておきますね。

 でも、助かりましたよ。本当にありがとうございます。えっと……」

 礼を言いかけて困った顔をする店長さん。

「そういえば、名前もまだお聞きしていないのに、こんなこと頼んでしまったんですね」

「え……

 あはは、そうですよね」

 今更? と思った私は思わず吹き出してしまう。

 人がいいのか、少し抜けてるところがあるのか、そういう一面が見られて私は勝手になごんでいた。

「僕は、この店の店長をしている桜坂優心サクラザカユージンと申します」

「え、ユージーン……?」

 店長さんの名前を聞いた私は驚いた。

 彼の肌の色は日本人だけど、目鼻立ちの良い顔と赤毛は西洋人に近く、名前を聞いた瞬間、本当に外国人かと思ってしまった。

 でも、私の反応にユージンさんも驚いて絶句していた。

「ごめんなさい。外国人さんかと思っちゃって……

 ほら、背も高いし鼻も高くて、彫りが深いし……」

 あれ、「彫りが深い」って褒め言葉だっけ。どうだっけ……とアタフタする私。

「いえいえ。僕の名前は、優劣の優に肝心の心でユージンと読ませるのです。

 そういえば外国人にもユージンやユージーンという名前がありますね……」

 苦笑とまではいかなくても、どこかぎこちなく笑っているユージンさん。

 なんか私、相当失礼なこと言っちゃったのだろうか。やっぱり彫りが深いは褒め言葉じゃなかったか……

 ユージンさんは続けて私に尋ねる。

「あなたのお名前は?」

「わ、私は御崎舞羽ミサキ ツバサっていいます」

 自滅気味にボーッとしてた私は、ハッと我に返る。

「ミサキさん、ですね」

「あ、名字でも名前みたいだし、どうせならツバサって呼んで下さい。舞う羽って書いてツバサっていいます」

 ややこしい名字のせいで、私の下の名前をミサキだと思っている人も少なくなくて、少し親しくなれば、積極的に下の名前で呼んでもらおうとする習慣がついてしまってた。

「ツバサさんですか。素敵なお名前ですね」

 今度はユージンさんは、いつもの爽やかな笑顔を見せて私の名前を褒めてくれた。良かった……怒ってない。

 こんなに優しそうな人なんだ。私の話も聞いてくれるかも、と無理を承知で私は続けた。

「あの……私、ここで働かせて下さい!」

「…………え?」

 強引で唐突な私の言葉にユージンさんは目を大きく丸めて、しばらく絶句した後に声を漏らした。

 そりゃあ、いくらなんでもそれが当然の反応だよね……と、私は真っ赤な顔で後悔していた。

「さ、さっき、畠さんから店長さんは、いつも一人で大変そうだと聞いて……。それに私、お花にも興味があって……」

 しどろもどろで言い訳してみても、とても気まずい……。ユージンさんも真剣な眼差しを私に向けて黙り込んじゃうし……

 ほんの数秒が何時間にも感じるほど、私は緊張して沈黙した。それを打ち払うようにしてユージンさんは喋り出す。

「……分かりました。少し経験してみますか?」

「いいんですか!? 本当に?」

「ツバサさんが花を好きなことは、昨日から話しているうちに分かりましたから。こんな小さな店でも、手伝って下さるなら歓迎します」

「やったー!」

 文字通り飛び上がって喜ぶ私を、ユージンさんも微笑みながら眺めていた。

 しかし、すぐに真顔になったユージンさんが尋ねてきた。

「ところで、ツバサさん。年齢は大丈夫ですか? 十六歳以上ではないと雇えないのですが……」

「……あ……」

「……あと、ご両親の許可も得ておいて頂きたいのですが……」

 絶句して固まっている私にユージンさんは苦笑しながら続けた。

 いくらなんでも二つ返事で明日から働けますよってなる訳ないよね……。

「だ、大丈夫です! 私、来週誕生日なんです! 四月二日で十六歳だから大丈夫ですよね?

 親の方も大丈夫ですから、よろしくお願いします!」

「それなら分かりました。では、来月からよろしくお願いしますね」

「ありがとうございます! 私、頑張ります!」

 どさくさ紛れにユージンさんの両手を握って私は喜んだ。そして、調子に乗って更なる提案をする。

「働くのは来月からでも、明日から見学に来てもいいですか?」

「え? それは構いませんけど、せっかくの春休みでしょう? いいんですか?」

「それは全然。暇してるので大丈夫です!」

 元気よく返事した私にユージンさんは笑顔でうなずいてくれた。


 ――こうして、私はユージンさんのお店で働けることになった。

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